生きている以上は当然なんだが、このところ身辺いろいろとあって、少し疲れたのかも知れない。だいたいそういう時は、何かしら手仕事に没頭することで精神のバランスを保っている。今回はこのところ定番となった装丁の仕事だ。
『スペイン文化入門』の出版が刺激となったのであろうか、スペイン思想関係の本を二階の本棚から引っ張り出してきては、まず埃を払ったり、必要とあらば背中を、百円ショップで買ってきた糊付きの布で補強し、新たに書名を印刷して貼ったりしている。そんなことをして何になる?と一瞬空しくなるが、いつかだれかが読んでくれるはずと強引に思いなおして作業を続けている。
いや他のだれかではなく、新著の「まえがき」にも書いたように、長らく中断していた研究になんとか復帰しようとは思っている。まだ読んでない本も多いだけでなく、いちど読んだことは線引きや覚え書きを見ても分かる本でさえ、もうすっかり忘れている。悲しいけど負けてはいられない。頭が辛うじて働くあいだは、たとえ死の前日まで(死の瞬間までと言いたいが、さすがにそれは無理でしょう)挑戦を続けるつもりだ。
そんな作業の中で、今日はラモン・リュル(日本の人名事典ではラテン名のライムンドゥス・ルルスとなっている)の研究書を見つけた。彼自身の著作や彼についての研究書が他にも何冊かあるが、今日見つけたのはミゲル・クルス・エルナンデスの『ラモン・リュルの思想』という452ページほどの研究書である。
簡易表装のペーパーバックなので、例によって表紙を厚紙で補強し、それを布で包むことにした。美子のネグリジェも使い切ったので、今回は私の古いレンガ色のカラーシャツ(と言うんでしょうか)を解体した。原書表紙の題字やカット絵を切り抜いてうまく表紙に貼り付け、なかなかの美本になった。
それはともかく、このリュルという十三世紀カタルーニャ出身の哲学者・神学者・神秘家の何と波乱に満ちた生涯であることか! 『ブリタニカ国際大百科事典』の要領いい紹介文を引用しよう。
「非キリスト教徒の家に生まれたが、1263年頃見神の経験を得てキリスト教に入信して宣教を決意。ヨーロッパ各地で説教を行い、北アフリカ、近東のイスラム圏にもおもむき布教に努めたが、北アフリカのブージーでイスラム教徒に捕えられ投石によって殺された。彼が考案した、イスラム教徒をキリスト教に改宗させる方法は【大いなる術(またはルルスの術)】と呼ばれる。これは護教のために全学問の総合的体系を組立て、基本的な学理ないし概念を設定することにより、そこからできるだけ多くの結論を引き出そうとする一種の記号計算的な方法で、それによりキリスト教の優位を証明しようとした。著作は292編、神の存在や三位一体を論じた神学書、哲学書、小説、詩などが含まれる。」
今度の『スペイン文化入門』でも触れているが、スペインはリュルの一世紀前には共にコルドバで生まれのイスラム最高の哲学者アベロエス、ユダヤ最高の哲学者マイモニデスなど、三つの宗教・文化にまたがりそれらを融合しようとした人物を輩出した国なのだ。
しかし世界は次第に排他的な傾向を強め、さらには近代国家の誕生と共に狭隘なナショナリスムが勢いを増していく。二つの大きな大戦を経ても(スペインの場合は同胞相食む内戦まで経験して)未だに真の平和を獲得していない世界、その行く末を考えると暗澹たる思いに駆られる。しかしここで負けてはいられない。といって、周囲一キロ世界の中で生きざるをえない余生を思うと……
そんなことを思いながらの探索の途中、まだまともに読んだこともなかった正岡子規の『病牀六尺』が目に入った。彼が何年病床にあったかは知らないけれど(150日?)、彼に比べればまるで夢のような広い世界に生き、しかも薬に頼っているとはいえまだ五体満足、元気を出して頑張らなくちゃお天道様に申し訳ない。それに百パーセント私の介護に頼っている美子のためにも負けてなぞいられない。
おやおや装丁の話から世界平和の話、しまいは我が身の健康にまで話が広がったよ。『男は辛いよ』の寅さんじゃないけど、今夜はこのへんでお開きってことにするか。