木刀一振り

 松下村塾の吉田松陰の向こうを張るわけではないが、三日前から机の脇に木刀一振りが置かれている。実は誰のものか分からないが、下駄箱脇にあったのである。ばっぱさんのもの? まさかとは思うが、でもあのばっぱさんのことだからその可能性大である。

 最近めっきり記憶力が減退しているのでいつだったかはっきりしないが、これでもむかし剣道をやったことがある。といって竹刀を使ってのそれではなく、あの袋に入ったやつで。すると中学生のときだろうか。

 実はすぐ近くに、市の武道館がある。近所に住んでおられる元中学校教師O先生などがはかま姿で道場に通われているのを眼にしたことがある。(O先生、最近お姿を見ないが、お元気なのだろうか)

 ところでその武道館で剣道でもやる気? ぶるっ、とんでもございやせん。そんな元気も体力もありません。でも時には庭に出て素振りをするかも。素振りたってそぶりではありませんよ、すぶりです。

 いや冗談は美子さん(大昔のギャグです)、その木刀ですが、よく見るとメイド・イン・タイワンという小さなラベルが貼られていました。でも赤樫の本格的な木刀である。賊が入ってきたら撃退するには充分な武器となろう。賊? 何か取られるものあんの? ございません。

 ただこれを振ったり、いや見るだけでも、なにかしゃきっと、背筋が伸びるような気がする。とりわけこのところ天気も悪いし、不如意なこともあるし、気分がいささか鬱屈しているので、そんなとき木刀の柄を握るだけでいささかの効果がありそうである。

 して貴殿の剣法は? もちろん佐々木小次郎の燕返しでござる。むはははっ! (しばしかんらかんらの豪傑笑い、空しく響く。今日の午後、川口から来た娘と孫二人が帰っていったので、急に寂しくなりました)
 

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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2 Responses to 木刀一振り

  1. 阿部修義 のコメント:

     初期のモノディアロゴス行路社版を一昨日三回目の読了して、ばっぱさんが幾太郎さん仁さんのご両親を引き取られて最期まで面倒を看られたことを知りました。幾太郎さんは山元町の病院で亡くなられたことと、中国で亡くなられた戦死者の肖像画の画商をされていて、その肖像画の絵描きの人が山元町の近くにお住まいなことに、ばっぱさんが夫の稔さんと父の幾太郎さんの供養にと山元町に土地を購入されたんだと私は思いました。また、その土地を公共の施設として考えられていたことに、西瓜を敗残兵に振舞われた行為がその場限りの善意ではなく生涯弱い立場にいる人への無償の愛を貫かれたことを改めて確信しました。真のキリスト者としての見事なまでのご生涯だとばっぱさんを知れば知るほど私は感じます。

     先生、美子奥様の介護でご無理はなされないでください。周りの信頼できる方たちと相談されて、場合によっては美子奥様を介護施設への選択肢も含め、先生のご納得できる一番長続きするやり方で介護の形を決めてください。

    • fuji-teivo のコメント:

      阿部修義様
       見ず知らずの方からの親身のご心配、心から感謝しております。つい見ず知らず、などと書いてしまいましたが、確か2011年12月からメールや書き込みなどしていただいてますので、いやそれよりも私の拙い文章の隅々までお読みいただいているわけですから、私にとってはもう何十年来のお友だちに思えます。
       私のブログは書き始めたころから、普通なら書かない個人的なことや思いを書いてきました。もちろん家庭の事情など事細かにすべて書いているわけでもなく、問題の核心をかなりずらして書いているつもりですが、それでも阿部さんのような読み手には「裏読み」をしないでも我が家の家庭事情はかなりの程度までお分かりになるはずです。
       弁解じみて聞こえるかも知れませんが、人生の最終コースを走って、いや歩いている私にとって「書くこと」は「生きること」に深く関わる作業となっているからです。
       その延長線上と言ったら変に聞こえるかも知れませんが、「美子と生きること」は「介護すること」であり同時にそれは私にとって「生きる」ことの唯一の主戦場と心得ています。阿部さんもご存知のように大震災前年でしたか(はや記憶がぼやけてます)美子の脊椎手術・その治療に付き添って40日間病室内に寝泊りしましたが、その時、万策尽きた場合なら施設へお任せするのが当然でしょうが、しかし私が動けるうちは最後まで自宅で介護すべきだと覚悟しました。病院なり施設でスタッフが親身になって、つまり愛する家族の身になってお世話することは到底無理だろう、またそれを期待するのも現実的でないなと確信したわけです。
       ですからまだまだ元気に介護を楽しむつもりです。ただおっしゃるとおり常に不測の事態に備えなければなりませんので、買い物に出かけるときでも運転など最大限注意しています。事故を起こしたりしたら、そのときから家内の世話が出来なくなってしまうからです。
       幸い、現在お世話になっている「まことケア」の皆さんや盟友西内さんなど頼りになる友人たちもいますので、なんとか頑張って行きます。
       阿部さんご自身も奥様と二人でお母様の介護をなさってるはずです。どうかお互い体調や健康に注意して「攻め」の気持ちで頑張りましょう。
       本当に心から御礼申し上げます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。佐々木拝

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