腑に落ちぬこと

 参院選は予想通り、自民党圧勝のうちに終わった。あまりにも馬鹿げた結果なので、わが瞬間湯沸かし器はコトリとも音を立てなかった。笑っていいとも、どころか、笑うっきゃない事態だからだ。

 ところで孫たちはいま無事里帰り中である。一昨日の電話で、愛はこっちのキューリはあまり美味しくない、原町のキューリが食べたい、と言ったあと、おじいちゃんに会いたい、などと殺し文句をつぶやいた。幼いながらこちらの心理を見抜くことにかけては天才である。

 それはともかく、選挙の話に戻るが、どうしても腑に落ちないことがある。ネットの新聞をすべて調べたわけではないが、しかしそのことについてどの新聞も取り上げてもいないようだ。つまり一人区の福島県で、自民党の森雅子が脱原発を訴えて圧倒的な票を集めて当選したことである。再稼動に舵を切った自民党公認の候補者、それもたぶん閣僚経験者(少子化担当でしたっけ?)が堂々と脱原発を訴えたこと、これ許されることなんでしょうか? 現職の首相夫人が脱原発を公言していることの欺瞞については既に書いたが、しかし夫人は政治家じゃない。しかし森議員はばりばりの政治家。これっておかしくないですか?

 「なんだべー森昌子に似て美人だこと。んで、生活も豊かになって、ほれ原発も廃炉にしてくれるんだと。こんないいことなかんべー」(いやいや自民党政権が続くかぎり、たとえ雅子ちゃんがその中で何と言おうと、再稼動、原発輸出はいよいよ加速するだけ。そのうち可愛い孫たちは嬉々として国防軍兵士に志願しまっせ。いややがては徴兵制度復活、さらには国民皆兵かもね。いやそこまで行かないとしても、戦争のできる普通の国にするというのが彼らの究極の狙いでっせ)

 急いで新聞を読んでみると、彼女、福島県の全原発の廃炉を訴えて、いろいろと迷っていた選挙民の心を捉えたらしい。でもこれ、よく考えて見ると、いや考えるまでもなく断然おかしい。日本のすべての原発の廃炉を訴えるならまだしも(それさえも自民党の中にいながら主張することはゼッタイおかしいが)、弱り目に祟り目の被災民からなんとしてでも票をかっさらおうとする魂胆が見えみえのえげつないというか、あざとい戦法である。

 こんなインチキにやすやす引っかかる被災民も被災民、国民も国民だ(いま危うく非国民と書きそうになった、クワバラクワバラ)。これまでいつも言ってきたことだが「清き一票」なんて欺瞞もいいところ、何も考えない、というよりひたすら自分たちの生活の利便しか考えない無辜の、いやいや無恥の、民の一票など何の価値も無いどころか、今の日本の政治がまさにそうであるように、行き着く先は「衆愚政治」の見本みたいなギマン社会以外の何物でもない!

 静かだった湯沸かし器が沸点に近づいてきました、もう怖れるものなんか何も無い!こんな情けない状態に置かれている被災民ですらこの体たらく。いいよいいよ、滅びの道をまっしぐらに進んで行きゃがれ!

 といって、私たち老夫婦だけならこんな日本ぶっ壊れても屁とも思わないが、でもねー可愛い孫たちがこれから生きて行かなきゃならない世界、放っておくわけにも行かねーべ。さてどうすっぺ。

 話はがらっと変わるけんちょも(たぶん屁に誘われて)、昨日は出ずに心配していたが、そしてもし今日も出なかったら○○取りの翁がカンチョー持って出動と覚悟してましたが、午後一時十五分、いつもの通りやってきたケアのお二人に任せて翁は自室の机の前で固唾を呑んで待ってました。目安の十五分が過ぎても連絡無し。さあいよいよ出動。買いだめしていたカンチョーを一本もってトイレに直行…出ましたよ出ましたよ!

 さあ、こうなりゃ槍でも鉄砲でも持ってきやがれ! 何!再稼動だと!……おっと、それやっぱ、まずいっしょ。

 最近、元気が出ないときには鄭周河さんの映像と声を聞きます。そしてついでにスペインテレビの貞房さんと美人アナウンサーのマルタさんのナレーションを聞きます。貞房さんは、何も自己判断の出来なくなったこの日本を再建するには政治の仕組みと、とりわけ教育の抜本的見直しが必要だと訴えてます。マルタさんは最後のところで、日本人はいまお金と利便・快適だけを求めるという悲劇に見舞われています、という貞房さんのメッセージを代弁してます。あゝその貞房さんの悲痛な叫びが日本のテレビからも流れていたら!(残念!たとえ流れたとしても聞く耳が無いか!)

 最後に貞房さんのキーワード二つの補足をします。

 英語のライフという言葉には大きく分けて二つの意味、すなわち生命と人生、があると言ってきましたが、正確に言うともう一つ、つまりそこに「生活」を加えなければなりません。もちろん生活は「命あっての物種」と言うように、どちらかと言うと「命」に近い概念です。でも便利で栄養過多の生活をすることによって、命そのものを縮めるという二律背反的な関係にもなります。キリストの言う「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」(聖ヨハネ福音書、第12章24節)という厳しい言葉もあります。

 ともかく今の日本は、生活(水準)を重視するあまり、生命やかけがえの無い人生を粗末にする国に成り下がっていることだけは確かです。

 もう一つの補足は、伴淳のアジャパーというギャグについてです。「アジャ(スペイン語では<向こう>はパー(何も無い)よ)と無理にこじつけたが、もともと「パー」は「クルクルパー」の「パー」であることを思い出した。これでもいい。つまり「お前達がしきりに目指しているあちらには何も無いよ」という意味でもいいし、「あちらはアホの向かうところだよ」という意味に解してもいいということである。もう一つの解釈もある、つまり「パー」をフランス語の例の破裂音の「pas」、つまり「ne」と一緒に否定の意味を持つ副詞ととっても貞房氏の[オヤジ]ギャグは成立するわけだ。以上蛇足でした。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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2 Responses to 腑に落ちぬこと

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    私も、森さんのことは腑に落ちない、というか、これは一種の「詐欺」ではないかと思うんです。
    前に所属していた弁護士会で、森さんは1期下で、消費者問題を扱う委員会で部会長かなんかしていました。私も一時期消費者問題の相談を担当していて、2回ほど会ったことがあるのですが、なんかエラそうにしている人でしたね。
    私は期日前投票をして、先週の土日は南相馬にいたのですが、森さんのポスターを見て、「自民党にいて福島の原発を全部廃炉にするなんてできるわけないだろう。でも、当選するだろうな」と思っていました。
    この人は消費者問題をやっていただけあって、選挙民は「消費者」だとの意識を持っているんではないかと思います。消費者の騙し方を調査していたわけですから、逆に騙すのも簡単ではないかと思うんですね。「すばらしい商品ですよ」(原発廃炉)と言って買わせておいて(投票させておいて)、後は知らん顔。騙されるほうも悪いと言えばそうなんですけど。。。

    でも、まだまだ希望を捨てていません。私は東京選挙区は山本太郎に投票したのですが当選しました(比例区でも反原発候補に投票したのですが、こちらは落選)。期日前投票を終えて駅に降りたら、ちょうど山本さんが目の前にいて握手しました。ボランティアは老若男女いっぱいで、すごい熱気でしたよ。渋谷のハチ公前でも比例区の反原発候補の集会はすごい盛り上がりようでした。落選でも一人で17万票以上とりました。

    来週の土日は還暦トリオでまた小高区のボランティアに参加する予定ですが、私は、とうとう、チェーンソー、チェーンソーの刃を目立てする機械、草刈り機を買ってしまい、自前のを持って参加します。これらを扱う講習にも出て資格をとりました。ここまで来ると、われながら、ビョーキではないかと思うのですが、機材は不足しているし、ちゃんと扱える人は少ないし、メンテナンスができる人はもっと少ないということで、仕方ないという実情があるんです。今や私の事務所はホームセンター化しています。

    ところで、先生はご存じないかも知れませんが、先生がお住まいの南町に「福寿」という居酒屋があって、ここの料理はなかなかいいですよ。私はもう常連になってしまいました。おかみさんは新潟に避難していたそうで、お子さんはまだ避難しているということです。
    次回もすでに予約をしているんですが、こういう楽しみがないと、おじさんたちは働きませんので。

    それから、昨日書店で川村湊の『震災・原発 文学論』と言う本を見かけて、早速購入して、今読んでいるのですが、原発推進の文学者の虚妄を衝いたり、なかなかおもしろいです。井伏鱒二が原発にも関心を持ち、批判的だったそうで、知りませんでした。とても勉強になります。

    いつものとおり長々と失礼致しました。

    • 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

      上出さん
       コメントありがとうございました。このところ老人二人だけの生活が続いていました。明日、その留守を埋めるため川口から娘が二人の男の子、つまり孫、を連れて五日ほど居てくれます。九日には中国から帰ってくるので、もう少しの辛抱です。
       それはともかく、雅子ちゃんやっぱりサギまがいですか。それにしてはマスコミのこの沈黙は何なんでしょうね。世の中、本当におかしくなってます。そのことを問題視しない人がほとんどなので、まるで異界に紛れ込んだような戸惑いを感じてます。この狂気の世でいかに正気であり続けるか、これが勝負どころですね。一緒に目覚めていましょう!

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