私にとっての「3・11」 奪われた野にも春は来るか

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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5 Responses to 私にとっての「3・11」 奪われた野にも春は来るか

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    さきほどこの記事に関してコメントを送ったのですが、間違えて、、前の「ミソサザイ」のコメント欄にコメントしてしまいました。
    申し訳ありません。

    上出勝

  2. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

     上出さん、お久しぶりです。その後織田桂子さんとお会いしてますか。ついでの折にでもよろしくとお伝え下さい。
     ところで懇切なコメントありがとう。鄭さんの言葉は、震災後語られたどんな言葉より私には重く響いています。今度の土曜午後一時から再放送もありますので、ぜひ皆さんに観るようお伝え下さい。 
     「春をうらんだりはしない」、池澤夏樹さんの本のタイトルで知り、気になってましたが、もしかして上出さんは彼をご存知ですか。私と同じく帯広生まれの彼のいくつか作品を読んで共感し、何とか彼とお近づきになりたいと願っているのですが…
     それはともかく、上出さん、また機会があったら拙宅にお寄り下さい。ではまた。

  3. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    織田さんとはここ2か月ほど会ってませんが、昨日もメールが来ていました。元気そうです。

    池澤夏樹さんですが、残念ながら面識はありません。
    私の事務所は恵比寿にあるのですが、恵比寿の本屋で本を買っているところを見かけたことはありますが。。。丸谷才一さんのお住まいは恵比寿だったので、そのお帰りだったのではないかと推測しています。丸谷さんも恵比寿駅の構内でお見かけしたことがあります。とてもおしゃれで後ろ姿だけですぐわかりました。

    私も池澤さんの本は好きでかなり読みました。『春をうらんだりしない』はシンボルスカのこの詩からとったもので、この本の中では全文の紹介はなかったかと思います。

    シンボルスカというか、詩そのものが売れませんので、詩集の入手も簡単ではないですね。シンボルスカで、私がとても好きな詩がもう一つあります。
    「終わりと始まり」という詩です。私は最近はもっぱらこの中の「戦争」を「震災」と読み替えて読んでいます。この詩もほとんど知られていないと思いますので、全文紹介します。沼野充義訳です。

      終わりと始まり
               ヴィスワヴァ・シンボルスカ

    戦争が終わるたびに
    誰かが後片付けをしなければならない
    何といっても、ひとりでに物事が
    それなりに片付いてくれるわけではないのだから

    誰かが瓦礫を道端に
    押しやらなければならない
    死体をいっぱい積んだ
    荷車が通れるように

    誰かがはまりこんで苦労しなければ
    泥と灰の中に
    長椅子のスプリングに
    ガラスのかけらに
    血まみれのぼろ布の中に

    誰かが梁を運んで来なければならない
    壁を支えるために
    誰かが窓にガラスをはめ
    ドアを戸口に据え付けなければ

    それは写真うつりのいいものではないし
    何年もの歳月が必要だ
    カメラはすべてもう
    別の戦争に出払っている

    橋を作り直し
    駅を新たに建てなければ
    袖はまくりあげられて
    ずたずたになるだろう

    誰かがほうきを持ったまま
    いまだに昔のことを思い出す
    誰かがもぎ取らなかった首を振り
    うなづきながら聞いている
    しかし、すぐそばではもう
    退屈した人たちが
    そわそわし始めるだろう

    誰かがときにはさらに
    木の根元から
    錆ついた論拠を掘り出し
    ごみの山に運んでいくだろう

    それがどういうことだったのか
    知っている人たちは
    少ししか知らない人たちに
    場所を譲らなければならない そして
    少しよりもっと少ししか知らない人たちに
    最後はほとんど何も知らない人たちに

    原因と結果を
    覆って茂る草むらに
    誰かが横たわり
    穂を噛みながら
    雲に見とれなければならない

    ボランティア活動をやっているときこの詩を思いだすことがあります。確かに、瓦礫は「ひとりでに片付いてくれるわけ」がありません。それから、東電や政府の最近の動きを見ていると、この人たちは「退屈した人たち」で、どうも「そわそわ」しているように見えます。

    またまた長くなってしまし、申し訳ありません。
    いつかまたお邪魔させて下さい。
    奥様や愛ちゃんによろしく。

  4. 阿部修義 のコメント:

     何度も繰り返し視聴しました。鄭氏の人間性にただただ魅了されました。私は写真のことはわかりませんが、鄭氏の一つ一つ写真には、鄭氏の拘り、真摯さ、そこに住んでいる人と同じ目線に立って、その人たちが何を感じ、何を欲しているかを深く考え抜いて撮られたことが伝わって来ます。

     宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の詩の中に「あらゆることを自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず」という言葉があります。鄭氏が写真を撮る姿勢を何故か私は、この言葉と重ね合わせてしまいました。そして、そういう姿勢だからこそ、物事の真実を見抜く力が生まれるのかも知れません。

  5. 阿部修義 のコメント:

     「番組のお知らせ」の中で「見えないものを写すこととは何か」という問いを自分なりに考えてみました。「見えないもの」とは放射能という意味も勿論あるでしょう。しかし、鄭氏はそれを福島の人たちの心のことを指して言っているんじゃないかと私は思いました。鄭氏の写真は明らかに新聞などに掲載されている報道写真とは違います。福島の秋と冬の昔と変わらない美しい自然を写した写真です。先生が鄭氏の写真を見られ希望を感じると言われていました。また、鄭氏の優しさを感じるとギャラリートークの中でも言われていました。正に鄭氏の写したかったものは自然の変わりなく続いていく風景を通してのみ見えてくる希望であり優しさという目に見えない人間の心そのものだったんじゃないでしょうか。報道写真を見ても希望も優しさも感じられません。先生の著書『原発禍を生きる』の韓国版に鄭氏の写真を入れられたことは非常に素晴らしい、意味あることだと私は思います。それは、原発事故という悲惨な出来事から立ち上がり人間が生きていくための希望をテーマにしたものであり、人間の生き方への問いかけであり、今後原発を地球上から廃絶しなければならないという世界に向けたお二人に共通したメッセージだからです。

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