「京郷新聞」紙上インタビュー

 今朝の韓国ソウルの「京郷新聞」に私に対するインタビュー記事が掲載されました。あらかじめなされた13の質問に対する私の答を、拙著の翻訳者ヒョン・ジニさんが訳され、それを新聞社側が編集し直して記事にしたものです。せっかくの機会なので、その原文を以下にご紹介します。なお新聞紙上で使われている私たち夫婦の写真は、友人の写真家織田桂子さん撮影によるもので、織田さんには事後、快いご承諾をいただきましたが、事前にその旨翻訳者に連絡しなかったのは私のミスでした。ここで改めて陳謝します。
※ついでに、スペインのデジタル新聞”El Confidencial”最新号(3月10日号)にも私への電話インタビューや『原発禍を生きる』の本文を引用した記事(El hombre que decidió quedarse en Fukushima)が掲載されています。こちらに使われている写真は、震災前、海浜公園近くの海辺で撮った写真です。アクセスは El Confidencial で検索すると出てきます。

 質問に順次お答えください。
1.最近はどのようにして毎日を過ごされますか。簡単な近況を教えてください。
 
 家内の介護がありますので、旅行とか遠くに長時間出かけることはなく、二日に一度の割で買い物に行ったり、近くの公園で散歩したりしています。つまり私はほとんどの時間を家で、本を読んだり書き物をしたりして過ごしているわけです。家内は週に一度デイ・サービスに行き、また週に一度訪問入浴のサービスを受けます。食事は朝だけ夫婦の部屋で老夫婦だけで、昼食と夕食は息子の家族と一緒に食べます。
 スペインにも中国にも家内と一緒に旅行したことがありますが、韓国はまだです。家内が認知症でなければ、二人で韓国に行けたのに、と大変残念です。でも今回、ヒョン・ジニさんやチョン・ジュハさんという素晴らしいお友達ができたので、お二人を介してもっと多くの方々とお友達になれれば、実際に韓国に行けなくとも、韓国からのお客さんを迎えたり、本を読んだりして、もっともっと親しい国になることを期待しています。

2.先生の本の韓国語版の出版に関してのご感想はいかがですか。
 
 私は今回の韓国語版の出版に際して、初めて親戚の家にご挨拶に伺うような緊張と喜びを感じています。拙著は韓国語以外にも、中国語とスペイン語でも出るわけですが、私にとってこれら三つの言葉そして国は特別深い意味を持っています。中国は一時旧満州に住んだことがあり、いま息子の嫁が中国人、孫娘に二つの国の血が流れているから。そしてスペインは私の思想形成に大きな影響を与えた国だから。そして韓国は著者まえがきに書いたとおり、私の一方的な思い込みかも知れませんが、いつかは会える異母きょうだいのように思っていた国だからです。

3.奥様の体調はいかがですか。
 
 一年前までは一緒に散歩に行けたのに、今はベッドと車椅子だけの生活になってしまいました。意志表示もほとんど出来なくなりましたが、心臓や胃腸などが丈夫なので、介助さえしてやれば、皆と同じものを食べ、排泄のほうも順調なので助かってます。私はこの妻を中心に生活していますが、そのこと自体に満足し、幸せを感じています。

4.西内さんの活躍が印象的ですが、原発禍の中での住民たちの自主的連帯や責任感ということについてどうお考えですか。
 
 西内さんは小学六年のとき以来の友人ですが、今度の大震災あと、彼がこんなにも頼り甲斐のある、そして温かな人間であることを発見して驚いてます(?)。つまり今度の震災の中で、本当に頼りになる人あるいは組織と、実は見かけだけで頼りにならない人や組織がはっきり見えてきました。残念なことですが、すべての人間関係、すなわち親子、夫婦、親戚、友人、上司と部下、それらの多くが平常時には見えなかった脆さや利害関係が露呈しました。つまり地震のあとで土地の液状化が問題になりましたが、人間関係・社会にも液状化現象があったということです。

5.本の中で、いたるところで国家に対する批判(日本は一つ、国歌斉唱、国家主義など)をなさっているんですが、国家に対して批判的な認識をもつようになったきっかけ、理由がありますか。先生は根源派であるとご自身を規定されているんですが、先生にとって国家とはなんですか。
 
 さあ、きっかけが何であったかは自分でも分かりません。幼いときですが旧満州で多くの日本人が皇軍や国に見捨てられたことが根っこにあるのかも知れません。ともかく現在の国民国家という「くに」のあり方はたかだか数世紀の歴史しかありません。たとえば私は日本人であるより前に、東北人であり、もしかするとアイヌ人であり、さらには縄文人です。日本式に言えば尖閣諸島や竹島には、もともとその近海を生活の場とし糧とする人たちが住んでいたわけでしょう。それがいつの間にか中国だ朝鮮だ日本だと線引きが始まり、そこに住む漁民はそのたびに生活手段を奪われ翻弄されてきたわけです。

6.韓国の読者に向けた序文で「原発問題は国家と個人の関係の問題である」とおっしゃっているんですが、その「関係性」について説明をお願いいたします。
 
 ふだん私たちは国というものを、ちょうど家のように国民を守るものと思ってます。あるいは先ず国家があって次に個人がある、と。しかし本当は、いまさら言うまでもないことですが、先ず人間・個人があって、国家はその個人の集合体である社会の委託を受けて成り立っているはずです。ところがその関係性がいつも当然のごとくに逆転されてしまいます。原発問題はその本来の関係性を、つまり国は人間の幸福を守るものであるか、そうでないか、を劇的に見せつけてくれた出来事だったと思います。

7.今回の事態の以前と以降において、先生の考えておられる政治とはなんですか。
 
 上の二つのお答えにも重なりますが、政治は国民一人一人の幸福をできうる限り促進する仕掛けのはずです。それが油断をすると、かえって人間を不幸にするものに変質してしまいます。原発事故のあと、政治がいかに国民から遊離したものであるか、国会審議などを見ていると以前より鮮明に見えてきました。民主主義、議会政治などあらゆるところで金属疲労のようなものがあり、本当はこの原発事故を機に一度原点に立ち返って、根本から政治のあり方を問い直さなければならなかったのに、またもや辻褄合わせの政治に戻ってしまいました。

8.ウナムーノの「内的な歴史」に触れておられるんですが、現在福島と国家、住民、歴史の関係についてどのように見ておられますか。「奪われた野にも春は来るのか」を引用しながら、「国策原発に奪われた野」であると書いておられるんですが、もう少し説明してください。
 
 政治もそうですが、歴史の見方も為政者の交代や戦争が主役になっています。でもそれらは歴史という大海のほんの表面の出来事に過ぎません。そうした波立つ事件の底には、いつもとほとんど変わらぬ庶民の日常があります。もちろん愚かな政治や国策によって、その庶民の生活が、たとえば国を追われたり分断されたりといった悲劇が襲うことがありますが、でも私は生まれつき悲観論的楽観論者からでしょうか、そのどん底にあっても常に希望を、光を見るようにしています。難しく微妙な問題で私が口を挟むことは慎まなければならないとは思いますが、貴国の南北分断のことを考えると、歳のせいで涙もろくなっていることもありますが、時には涙が出るほどの無念さを感じています。

9.日本帝国主義時代に書かれた朝鮮文学を読むべきであるとおっしゃいましたが、韓国文学や歴史、いわゆる韓流について関心を持つようになったきっかけはなんですか。
 
 それは私にとって努力目標であって実際にはほとんど読んでこなかったと白状しなければなりません。でもかなり若いときから、東アジアとりわけ朝鮮や中国の人たちの過去の悲しみや苦しみを他人事ではなく感じるようになりました。そしてあるとき、三島由紀夫自刃に抗議して書かれたという金芝河の「アジュッカリ神風」という詩に衝撃を受けました。昨今「サムライ」とか「なでしこ」とかやたら国威発揚的な表現に出会うたびに、金芝河の「どうってこたあねえよ」というフレーズを自らつぶやくようにしています。はっきり言うと、かつて朝鮮や中国の人たちに与えた苦しみや悲しみについて謝る以前に、彼らの苦しみや悲しみを先ずは「感じ理解する」ことが必要で、それを誤魔化したり曖昧にする限り、真の和解も友好もありえないと思ってます。いやそれが無ければ、本当の意味で品位ある日本にもなりえないとさえ思っています。

10.韓国の原発状況についてご存知ですか。今の朴政権ではこれからの原発は、「他のエネルギーが確保できる」という前提で見直す方針であるという公約を掲げました。こういった韓国の原発状況についてどうお考えですか。なにか韓国にアドバイスは?
 
 正直言って貴国の原発事情に関してほとんど知りません。そして自分の国が明確な脱原発路線を打ち出せないでいるのに他国に対してアドバイスなどできるはずもありません。しかし敢えて言わせていただくなら、日本や他のアジア諸国に先駆けて脱原発を掲げる国になっていただきたい。本の中でも再三言っていることですが、核廃棄物の絶対に安全な処理法が見つからないのにその平和利用を言うのはまったくのインチキだからです。

11.北朝鮮の核実験で、韓国の右翼側から核武装論が出ておりますが、これについてはどうお考えですか。
 
 バランス・オブ・パワー理論がまったくの愚論であることは、とりわけ核武装に関しては火を見るより明らかです。そして自分たちが核武装しながら他国にそれを思いとどませようとするのは、やはりおかしな理屈だと思います。たとえば日本は、北朝鮮に実験中止を呼びかけると同時に、アメリカなどの核保有国に対してもきっぱりその削減を、そして究極的にはその廃絶を訴えなければ説得力がないのは当たり前です。それを知りながらとりあえず実験を非難するのは政治的パフォーマンス以外の何物でもありません。

12.「必要な時に正しく怒りなさい」とおっしゃってますが、福島以降の日本における「怒り」の意味について付け加えることがありましたら、一言お願いいたします。
 
 つねづね日本人は怒ることが下手な国民だと思ってました。ましてや追従笑いやごまかし笑いは恥ずかしい、と。ずっと昔のこと、日本でも学生運動が盛んなときでしたが、あるときテレビ画面で、確かソウル大学の卒業式だったでしょうか、政府高官の祝辞の途中、それに抗議する学生が一人、二人と決然と席を立って退場する光景を見て感動したことがあります。横一列になって抗議することも時には必要ですが、一人一人が自分の意見をはっきり態度で示すことはそれ以上に大切なことだと思っています。

13.このブログはいつまで続くのでしょうか。
 
 耄碌して書けなくなるときまで書き続けるでしょうね。どうしてかは自分でも分かりませんが、いつのころからか書くことによって必死に生活を立て直しながら生きるようになってしまいました。書くといっても原稿用紙の上に書くだけだったら、単なるモノローグ(独り言)に終わっていたでしょうが、ブログを書くことによって自分の中にいる別の自分と対話(モノダイアローグ)したり、読者の反応などを意識することによって、他者とも無意識に対話できるこの表現方法に満足しています。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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