病気のように元気な叔父

 今朝方電話のベルが鳴って出てみると、帯広の健ちゃんからである。ばっぱさんと同じ誕生日で五つ違いの弟だから、今月末には九十五歳になる。しかしどうだろうこの異常なまでの、とは失礼な言い方だが、娘の史子(ちかこ)さんの言い草を借りると、病気のように、という形容詞がつく元気さ、寝床の中かららしく最近読んで感心した記事を読み上げ始めた。いまいいかい、と聞かれたので、いいよ、と答えたものの、実は美子のオシメ換えを正に始めようとしていたときだが、仕方がない、。
 
 聞いていくと、どうも『文藝春秋』で例の「日本の自殺」とかを書いたグループの記事らしい。要するに情報過多によってどれほど多くの人々が愚民化してきたかを、オルテガの『大衆の反逆』などを引用しながら立論しているようだ。おいおい叔父さん、そんなことはもうとっくの昔から私自身が主張し警告してきたんだけどなあ、と言いたいのを我慢して最後まで傾聴(?)する。
 
 肉体的に七十台であるばかりか、精神的にも、もしかして五十台? なんとも元気な我が叔父貴ではある。それにしても、ほんとうに今の政治家を始めとして(あゝ政治家を始めとするのは意味ないか?)日本人はどうしちまったんだろう? と思うことしきりの昨今である。大飯原発再稼動のニュースなど健康に悪いので努めて見ないようにしているが。
 
 ところで叔父さんの電話が終わってから、美子のオシメ換えで久しぶりの大仕事が待っていた。一時は頴美の助けを呼ぼうと思ったが、向こうは向こうで朝の忙しい時、それにそんなとき美子は有難いことに身動き一つしないので慌てず手順よくやればじゅうぶん一人でできる仕事である。これからも時々覚悟しなければならない仕事なので、最後まで黙々と、同時に美子に優しい言葉を投げかけながら無事終えることができた。
 
 このように美子の世話で一日のかなりの時間が取られるが、しかし「取られる」と思ったら負け(?)。つまりたとえば施設なり病院なりでは係りの人や看護婦さんがやる仕事、それなら夫の私が手際が悪くても愛情込めてゆっくりやった方が何倍かいいか分からない。それにそのために使う時間を他のどんな立派な仕事に使う気? 大したことはやらないんだろう? だったら美子のために喜んでやろうよ(おや誰に向かって言ってるんだろう?)。
 
 今これを書いているのは、夕食を終えて、美子を愛たちの所に一時預けて、一人夫婦の居間に戻ってきてからである。実は今晩十時からスペインの「エル・コンフィデンシャル」という日刊紙の記者氏から電話インタビューを受けることになっている。スペイン語は読むのは何とか、しかし聞くことも話すことも大の苦手だから、ちょうど馬鹿な子供を相手にするようにゆっくり分かりやすいスペイン語で話してください、とさんざん念を押してのインタビューだが、さてどうなりますことやら。めでたく記事になったらお慰み。

※その夜の追記 密かに恐れていたように、インタビューは散々な結果となった。いや、記者氏は実に丁寧に応対してくださったのだが、時々頭の中が真っ白になりしどろもどろの返事しかできなかったのだ。かくなる上は、先日懇々と私の考えを伝えたハビエルさんからも話を聞いてもらえないか、とお願いする始末。さて記者氏は私の願いを聞いてくれるだろうか。なんだか眠れそうにもない夜になりそうだ。なーんてウソで、みんな忘れてぐっすり寝ようっと。

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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2 Responses to 病気のように元気な叔父

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生の叔父様の名前は徳冨蘆花の本名から命名された話がモノディアロゴスの中にあったように思います。ウィキペディアで蘆花を調べるとこんなことが書いてありました。

     「一時の栄を求めず永遠の生命を求める事こそ一日の猶予もできない厳粛な問題である」。

     叔父様のことは私にはわかりませんが、95歳になられる人とは考えられない「病気のように元気な叔父」様だと蘆花の力強い言葉と重ね合わせて想像してしまいました。

     

  2. エトワール のコメント:

    文藝春秋2012年3月号に、再掲載された「日本の自殺」は、同誌の1975年2月号に掲載されていたもので、高校生のころ、南相馬市でこの論文を読みました。経団連会長の土光敏夫氏は、この論文を絶賛し、コピーして、知り合いに配っていました。

    論文の筆者は、「グループ1984」という謎の集団で、ジョージ・オーエルの近未来小説「1984」をもじったものだといわれていました。当時、東大助手をしていた宇井純氏が、編集されたミニコミ誌「ニセ学生通信」で、この論文を書いた人物は、香山健一学習院大学教授らしいということを知りました。他にも、公文俊平東大教授や清水幾太郎学習院大学教授などの関与が噂されていました。真相は、謎のままです。

    高度成長の後、豊かさを享受していた1970年代の日本を、栄華を誇った古代ギリシャ、ローマ帝国の衰退と没落と同じ道を歩くであろうと予言し、「ほとんどの文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての『自殺』だった」として、日本も、その例外ではなく、間違った繁栄によって、道徳は荒廃し、人心はすさみ、個性を失って呆然と立ち尽くし、自壊に向かっていると論じていました。

    「自殺」を食い止めるためには、欲望肥大のサイクルから抜け出すことが必要で、自己抑制を行い、人の幸福をカネで語るのをやめ、国民が自分のことは自分で解決するという自立の精神と気概を持ち、政治家やエリートは大衆迎合主義をやめ、指導者としての誇りと責任を持ち、なすべきことを主張し、すべきことをするべきだと結論付けていました。

    当時は、「朝日ジャーナル」や「現代の眼」などを読んでいましたので、こんな反動右翼の文書は、けしからないと思っていましたが、時代が流れ、今、公平な観点で読み返してみると優れた論文であったことを時代が証明しているように思いました。37年の間にこの国も、世界も大きく変わりました。

    でも、南相馬市は、あまり変わっていないなと思います。

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