ご愁傷様

 昨夜の続きを考えていたが、久しぶりに瞬間湯沸かし器が作動してしまったので、先にその報告をしなければならない(別にする必要なんてないのに)。長い間付き合っていると(いや、他でもなく湯沸かし器とね)あゝもしかして今日はその日かな、となんとなく感じることがある。今日は少し暖かくはなったが、この時期特有の風の強い日で、出かける前から気分爽快というわけではなかった。案の定、行き先で作動してしまった。

 用事というのは、十和田の兄から、ばっぱさんの最後の年金がそちらの銀行に振り込まれているようなので調べてくれないか、との連絡があって出かけたのだ。実はバッパさんの死後、十和田の兄が名義変更などして、すべてあちらの銀行に切り替えたと聞いていたので、もう問題は終わったと思っていた。確かに預金の大半はあちらで下ろしたが、こちらの銀行口座を解約したわけではないので、ばっぱさんの死後もその最後の年金等がふりこまれていたのだ。私としては名義変更した時点で、自動的にすべて十和田に切り替ったと勘違いしていたわけだ。ところが十和田にはその銀行(はっきり言おう)大東銀行の支店などなく、兄は全く別の銀行に口座を作ったという事実に、迂闊にも今日気付いたのである。

 いやそんな馬鹿げた勘違いのことなどどうでもいい。いや、どうでもよくないんだな、これが。要するにそんな勘違いなどせず、カードを使ってすべて下ろしておけば問題は無かったのに、勘違いのせいで、死後の遺産相続手続きというおそろしいほど面倒なことに巻きこまれてしまったのである。

 もちろん巨額の遺産相続をめぐって骨肉の争いに発展することがないわけではないので、ある程度の手続きは必要である。例えば遺産相続権者全員の同意、そのための謄本やら印鑑証明書は必要であろう。しかし今日説明を受けた必要書類の中の被相続人つまりばっぱさんの出生時から死亡時までのことをすべて証明する謄本がなぜ必要なのか全く理解できないのだ。

 面倒なものは早く片付けたいので、銀行の帰りにさっそく市役所に寄った。ところがばっぱさんの謄本で手間取っているのかかなり待たされ、そして渡された合計20枚の謄本を見て、びっくり仰天。その中にはばっぱさんの祖父安藤平松の一族すべての名前とその生年・没年、そしてその安藤家に婿養子に入った父(私の祖父)・幾太郎の実家である井上家の父(私の曽祖父)…いやいや面倒くさいから止めるが、なぜそこまでの謄本を、たかが(?)一金融機関が要求するの?

 私さえはっきりとは知らなかった安藤家と井上家の歴史を知るいい機会になったので、早速コピーして手元に残し、子供たち孫たちに一族の歴史を教える資料として大事に取っておくので、大枚6,350円(!)の料金も惜しくはない。ただ問題は、何度でも言うが、たかが一銀行がなぜそこまで要求するのか、ということだ。それも私の勘違い? いやいや必要書類というところにはっきりこう書かれている。

 「◎被相続人の『出生から死亡までの連続した戸籍(除籍)謄本』」
 さらにそれをこう説明している。「《被相続人の連続した戸籍とは…》出生⇒編成⇒婚姻⇒転籍⇒死亡の戸籍謄本をご用意していただくことになります。」

 ともかく今の日本は、福祉関係でもいま毎日体感(?)していることだが、一部の悪質業者なり不届き者の対策という名目で、必要でもない書類や証明をやたら要求する愚かしい国になっている。

 今日も応対した担当者に言ったことだが、その当の預金はばっぱさん、そして遺族のものであって、銀行はただ一時預かっているだけ、という明らかな事実が完全に忘れられており、まるで不当に銀行の金を奪いにきた者に対するかのようなデカい態度で応対している。

 と、ここまで読んできた皆さん(て、誰のこと?)は、そんなことで湯沸かし器が沸騰したの、と呆れているかも知れない。確かにそれだけだったら、不愉快なことには違いないが、なにも沸騰することでもあるまい。

 正確に言うと、銀行で通常業務(?)の窓口脇にある机で、男性行員に説明を受けているとき、とつぜん沸騰モードにスィッチが入ったのだ。突然と言っても、もちろんきっかけがあった。それは通常の窓口ではなく、いわば面と向かっての話の際にも、これまでさんざ付き合いのあったばっぱさんの死に対して一言の挨拶もなかったことに気がついたのである。その銀行の外回り(?)の行員が頻繁にばっぱさんになにかと勧誘に訪れていたことも知っている。誕生日には小さな贈り物を用意していたことも知っている。なのにその大事な顧客が死んだと聞いて、一言のお悔やみの言葉も出てこないというのは、これはどう考えてもおかしいんとちゃう?商人(あきんど)のモラルっちゅうもんがないのかい! 

 じいさんが突然怒りだしたのでさぞビックリしたことだろう。一応は謝りの言葉が出てきたが、本当に悪いと思ってんのかなー?

 家に帰ってきて書類を見たとたん、またもや沸騰。つまり「相続手続依頼書兼委任状(兼相続預金等受領書)」の宛先が「株式会社 大東銀行 御中」となっている。さっそく電話をかけて、先ほどの行員を呼び出してもらった。そしてその部分を読み上げて、ちょっと変でないですか? と聞いてみた。返事がないところを見ると何が変なのか分からないらしい。

 さて皆さん、お分かりかな? そう、自分のところに出させる書類に、既にちゃっかり「御中」と印刷している神経の太さ。世間ではですねー、自分のところに帰ってくる封書なりハガキの宛先の下に「行き」と書き、それを出す側がその「行き」を消して「御中」とか「様」を書くのが礼儀っちゅうもんです。なに? 他の銀行さんもみな当行と同じようにしてるって? そんな言い訳聞きたくもない。間違ってるのは、思い上がってるのはその銀行さん皆さんです。これまでも前市長や他の銀行さんに同じクレームをつけたことがあり、そのいずれからも丁重な詫びがありました。確か銀行さんは支店長さん直々にお越しいただきましたが…さて大東さんはどう答えますかねー。楽しみに待ってます。(私としてはそんなことより、死者への無礼の方が重大だと思ってますが)

 頭取さんとかお偉いさんに文書で意見するのも面倒なので、このブログをそのまま銀行に送りつけようと思ってます。みなさんも日頃銀行などの対応にご不満をお持ちでしたら、いい機会です、横のコメント欄に自由にお書きください。ついでにそれも送りつけましょう。

Please follow and like us:
佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

4 Responses to ご愁傷様

  1. エトワール のコメント:

    「御中」問題は、就職を迎える若い人々の間でも話題になっています。

    1 就職のときに、企業が用意した返信用封筒の宛先の下に「○○行き」と書かれているのを、わざわざ「○○御中」と書き直す必要があるのだろうか。

    2 企業は、なぜ最初から「○○御中」と書いておいてくれないのだろうか。

    3 印刷されている部分をグチャグチャ消して、隣に書き直す方が見苦しいと感じてならない。

    4 「行き」と「御中」以外に、両方の意味で使える言葉を新しく決めれば、マナーと効率を両立できるのではないだろうか。

    こういう素朴な疑問を持つ若者が増えていて、少し前からネット上で討論されています。また、一昔前には、考えられなかったことですが、最初から「御中」と書いてある企業側文書も、確実に増えてきているように思います。常識、文化、マナーは、「暗黙の了解」なので、突然変化することは、よくあることですが、「御中」問題は、今の世相を反映した不思議な出来事の一つなのではないかと思います。

    20年ほど前に、郡山で仕事をしていたときのことです。町の老舗の自転車屋さんとお取引をしていまして、毎月、そこの社長さんが、ご入金にお見えになりました。社長さんとはいっても、個人経営の方なので、いつも、ツナギ姿で、時々、顔に自転車のチューブの汚れなのでしょうか、泥がついたまま、お店へお来しになられることもありました。

    入金伝票には、名前を書く欄があり、
    「お名前      様」と印刷されていました。

    この社長さんは、毎月の入金のときに、
    「お名前 xxxx 様」と「お」と「様」を消して、窓口に伝票をだされていました。そういう方は、今まで、自分が知っている限りでは、この社長さんだけです。今でも、時々、この方のことを思いだすことがあります。とても素晴らしい方でした。

    野田政権は2月14日、税金と社会保障の個人情報を一つにまとめる「共通番号制度法案」(マイナンバー法案)を閣議決定し、国会に提出しました。政府は国民に番号をつけることで、個人の所得や介護・医療などの社会保障の情報を一元管理しようとしています。法案が成立すれば、2014年秋から、日本に暮らす個人と企業に番号が割りふられ、15年1月からICチップ付きカードが配られる予定です。政府は、国税庁や自治体がばらばらに管理している所得などの情報を一つにまとめ、社会保障を受ける人に、より正確な給付ができるとしています。金融機関からは預貯金などの情報、医療機関からは診察歴などを提供してもらうため、個人情報が漏れたり、目的外で使われたりすることを不安に思う国民も多いということで、政府は個人情報が保護されているか監視する第三者機関をつくったり、罰則を定めたりするそうです。この法案が成立すれば、預金者が亡くなられた際の手続きも、いくらか簡素化されるのではないかと思います。

    でも、若い頃、国民総背番号制に反対していたエトワールとしては、手続きは面倒でも、今のままの方がいいなと思います。

  2. 高川 勝 のコメント:

    佐々木印瞬間湯沸かし器の見事な沸きっぷり、幾たび溜飲を下げてきたことでしょう。
    この度の件、私も同じ事態に遭遇しました。
    妹の死亡に伴う保険金請求の手続きでした。
    相手は、はっきり言おう(先生のパクリ)「かんぽ生命保険」です。
    ‘なんでそんなモノが必要なの’が色々あるなかで、「最高傑作」は「被保険者の祖父母が死亡している事実を証明するもの」。
    「オイ、オイ、爺さん婆さんって、生きてりゃ何歳になると思う? 120歳、130歳だぞ! 第一、戸籍がどこにあるか知らねえよ(北海道の人間はご先祖様をないがしろにする輩が多いんですが、俺もご多分に漏れず…)。そんなもの、応じるわけにはいかん。」
    「では、少々お待ちください」と電話で上部にお伺いを立てること幾たびか。
    その間、佐々木先生の雄姿を思い浮かべ、‘俺も頑張ろう…’と自らを鼓舞していました。
    とどのつまり局長と担当者が「誠に融通が利かないことではありますが…」と、慇懃に書類を差し戻すのです。
    「俺は徹底的にやる。喧嘩だ。言った言わないでは喧嘩にならないから請求不受理の理由を文書で示してもらいたい。窓口のあんた方とやる気はないから上局責任者の回答でなければダメだ」と啖呵を切って帰ってきました。
    興奮冷めやらず、知り合いの誰彼にこの理不尽を触れ回ったら、「許せん」「やっちまえ」と煽られスッカリ戦闘モードになりました。しかし、いざ作戦は?となると、新聞に投書することくらいしか思い立ちません。日が経つにつれ振り上げた拳がだんだん重くなり、気分も滅入ってきました。
    娘には「柄にもなく立派な方のマネなんかしようとするから…」と憐れまれ、ますます惨(みじ)め~。
    ひと月ほど経ったころ、仙台サービスセンター所長という署名・捺印のある文書が届きました。(北海道は仙台の管轄に入るのですね)
    色々な説明の中で、くだんの130歳死亡証明について曰く「祖父母さまの死亡の事実につきましては、常識的に考えご生存されていないと認められる場合には死亡の事実が分かる書類のご提出は不要となります。」
    ‘「ご提出が必要」と言ったじゃねーか。なんだよ、そのシラーッとした言い方は。「訂正してお詫びいたします」というもんだろっ!’と、内心で息巻くものの、結局、嫌味の一つ二つ言い足して取り返すモノを取り返すしかないな、と休戦モードです。
    今度の一件で、俺の湯沸かし器はぬるま湯を沸かすのが精一杯、それもすぐ冷めてしまうということが実感されました。かくなる上は、これからも先生の瞬間湯沸かし器の性能を楽しませていただくしかないなぁ、と。
    もちろん、それが作動することのないような状況が望ましいのですが…。

    追伸
    1日の終わりに、ネットで「モノディアロゴス」をチェックし、寝床に入っては、『モノディアロゴス』を拝読する(文字どおり、拝んで読む)のが我が就眠儀式になっております。
    ありがとうございます。

  3. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    高川勝さん、エトワールさん、そして阿部修義さん
     このところいろいろ不如意なことが重なって、生の脈拍数が最低線に近づいていました。ですから皆さんからのコメントは、実は私にとってすべて励ましのお便りになっています。自分より強いものに対しては俄然ファイトが湧いてきますが、日常些事の行き違いやいざこざには神経がやられてしまい、どっと疲れが出てきます。
     そんなイライラが美子に向かわないように必死に怺えています。先ほど、気が付いてみると手元のメモ用紙に変な文章を書いていました。変な文章ですが、掛け値なしの本音です。
    「もしもお前の命をすぐ呉れるなら、美子の認知症を治してあと十年生かしてやる、と言われたら、喜んで私の命を差し出す。美子がこれから先、私のことを忘れないで、孫たちと幸福に暮らせるなら、この取引は断然こちらに有利だ…」
     まっ頑張ります。明日は元気になると思います。皆さんもどうか頑張ってください。

  4. エトワール のコメント:

    ドイツの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマーは、長寿の哲学者として有名です。1900年2月11日生まれで、 2002年3月13日に亡くなっています。102歳でした。ガダマーは、ドイツのマールブルクに生まれ、ブレスラウ大学、マールブルク大学、フライブルク大学で哲学を学び、1923年にハイデガーと出会い新カント派から離れます。1939年にライプツィヒ大学の正教授となり、1947年にフランクフルト大学に移り、ヤスパースの後任として退官までハイデルベルク大学教授を勤めました。でも、ガダマーが本当に高く評価されるようになったのは、1968年のハイデルベルク大学退官後のことです。社会学者ユルゲン・ハーバーマスの痛烈な批判によって、ガダマーの確立した解釈学の人文主義的な狭さを弁明し克服しようと思い悩みます。その結果、彼の解釈学は人文科学論から、言語に媒介された世界経験についての理論へと重心を大きくシフトさせていきます。大学在任中の主著「真理と方法」では未展開だった言語論を発展させ、ツェラーンなどの現代詩を解釈することにより、自身の解釈学を具体的事例に耐えられるように、より洗練されたものへと発展させました。また、「真理と方法」での適用論を実践哲学論として展開しました。退官後の業績は世界的に高く評価され、欧州の哲学の重臣として死ぬまで活躍していました。日本人では、池田晶子さんが、2000年8月24日長時間のインタビューをしています。ガダマーは、後年、ユルゲン・ハーバーマスの痛烈な批判が、老体の私に足場を与えてくれたと話しています。哲学者に年齢や地位は関係ない。必要なのは、思考の足場とその意見に耳を傾ける聴衆の存在、それに真理を追究しようとする情熱だけだということのよい事例だと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください