記憶の国への亡命

 いま密かに(とここで言ってしまえば密かにではなくなりますが)『原発禍を生きる』の西語訳、といっても西域の言葉ではなくスペイン語のことです、の、さあ何て言えばいいのでしょうかプロモーター?役のT教授が昨夜のメールで、話のついでに、本の最初に引用されている「ここに残すのは」の詩はどこからの引用ですか、と聞いてきて、とっさに答えられなかった。
 
 たしか最初は、優れたスペイン文学者であった牛島信明さんへの追悼文に引用したはずだが、それがどこにある詩なのか、すっかり記憶から消えていたのだ。ウナムーノの全詩が収録されているエスセリセール版全集第七巻、総1500ページを片っ端から探しまくったが手がかりなし。で、だめもとを覚悟でヤフーの検索エンジンで最初の言葉 Me destierro「私は亡命する」をかけてみたら、な、な、なーんとちゃんと出てくるでねーの。ヤフーを馬鹿にしてはいけません(だれも馬鹿になんぞしてないか)。見上げたもんだよ、ヤフーのエンジン。それで分かったのは、この4行は実は4連の詩の最後の連であって、だからいくらMe destierro で探しても出てくるはずもないということだ。出典は遺稿『歌集(Cancionero)詩的日記 1928-1936』の、1929年3月8日、第828番の詩からである。以下大急ぎで訳したものをご紹介する。本邦初訳のありがたーい…どうも寅さんの口調がうつってしもた。真面目に行きます、こうなります。

私は記憶の国に亡命する
思い出を糧に生きるため。
もし君たちを見失ったなら
私を探してください、歴史の荒野の中に。

生は病そのものであり
私はその病を生きながら死んでいく。
だから私は荒野に行く
死が私を忘れてくれる荒野に。

私の道連れなる兄弟たちよ、
行って私の砂漠に共に住もう。
もはや死んだと思うその時こそ
私は君たちの手の中で身を震わす。

ここに残すのは、私の魂なる書物
掛け値なしの私の人間性そして世界だ。
もし君が何かに強く心動かされるとしたら
君の中で心動かしているのは、この私だ。
 
 まことにブッキッシュな訳詩だが、これもいいかな、と思っている。実は出典探しでいろんな本を探しているとき、もしかしてライン・エントラルゴの『スペイン一八九八年の世代』(森西路代・村山光子と共訳、れんが書房新社、1986年)の中にあったのでは、とぱらぱらとページをめくってみたのである。ところが、その本が実に今こそ読むべき本であり、そして訳文も適度にブッキッシュでなかなかいいと感心したのである。なぜ今こそ、と思ったかは、明日、いや今回は空約束ではなく本当に明日、書くつもりだが、訳文がなかなかいい、という聞き捨てにできない言葉を説明したい。
 
 簡単に言えば、特に最近の風潮として、しきりに「新訳」がもてはやされるが、小説などはともかくとして、思想関係の本までが「ツルンとした」訳文になってきたことへの反撥を感じているからだ。この際だからはっきり言おう(大震災後ものごとをはっきり言うことに決めた、たとえ自分に不利になるとしても)。オルテガの『大衆の反逆』をおよそ三年以上もかけて、或る新訳文庫のために訳してきたが、その文庫の方針として、読みやすい日本語にと、一人の編集者がつきっきりで訳文を修正する作業が続いていたのである。そうこうしているうちに、お気の毒にもその編集者がご病気で入退院を繰り返す事態になった。それで一度はすべてあちらの言うままになるのもありかな、と思いかけているところに、今度は大震災・原発事故が発生。

 長くなるので結論から言うと、心から納得していないことを流れで妥協するのはやめよう、と思い始めたのである。そっ、向こうから何も言ってこないことをいいことに、私はこの仕事から下りる。自分が納得できる形でどこかの出版社に話をもっていってもいいが、出版界のこの構造的不況でおそらく引き受け手はないだろう。だったら我が呑空庵から出そう。一つも注文がなくても、いい仕事なら死後だれかの目に留まるだろう、とようやく覚悟を決めたところである。もちろんその文庫が、私の訳文をそのままのかたちで是非、といってくるなら、それもOK(そんなことあるはずもないか)。あれ、いつの間にか本題を遠く離れてしまった。大急ぎで閑話休題。

 《Traduttore, traditore》★というイタリア語の警句がある。翻訳者は裏切り者という意味である。つまりもともと翻訳などというものは無理を承知の荒業だということ。いつもその原点に戻ってみる必要がある。しかしもちろん小唄風の粋な詩を重装備の硬い訳語で訳すなどはもってのほか。それなりに「こなれた」、翻訳詩だということを意識させない訳し方があってとうぜん。私が言っているのは、たとえば思想的な文章とか、詩でもウナムーノの詩、つまりモダニズム風のいかにも詩的な訳語など考えなくてもいい硬質の詩文の場合のことだ。

 おや、結局は自分の訳詩がケチをつけられないための弁解になってしまったようだ。いや真意はそこにはない……本当? すみません、前もっての弁解でした。この辺で止めます。明日は先ずこの訳詩についての簡単な説明と解釈を、次にお約束どおりエントラルゴの本について書きます。お休みなさい。

★トラドゥトーレとトラディトーレ、音が似ているイタリア語ならではの警句で、スペイン語ではトラドゥクトール、トライドールとだいぶ音が違うので警句にはなりえない。
★★お気づきだと思うが、私は最初me destierroを「自らを追放する」と訳した。しかしそれこそあまりにもブッキッシュ。それでme exilio(亡命する)へと変えてみた。「自らを追放する」という強い意志が少し薄れることは確かだが、大きく外れてもいない。でもまだ迷っている。

★★★要するにスペイン語動詞の中にある再帰動詞の問題に繋がるかも。つまり me levantoをすんなり「私は起きる」と自動詞のように訳すのが普通だが、しかし「私は自らを起こす」の意味が薄くなる。極端な例を出すと me matoを「自殺する」と訳すのが普通だが、しかし「私は自分を殺す」という恐ろしい意味が薄まってしまう。
 何十年もスペイン語を教えてきたのにそんなことが分からないのかと笑われそうだが、正直この歳になってもそこら辺をうまく自らに説明できないでいる。
 別言すれば desterrarという言葉が本来持っている意味、tierra(土地) から「引っぺがす」という強い意味が気になるわけだ。
 でも案外こういうこだわりが、「ツルンとした訳文」では無視されてしまう。大げさに言い切ってしまえば、これこそ異文化同士がぶつかり合うときにとうぜん注意深く扱わなければならない問題の一つではなかろうか。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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1 Response to 記憶の国への亡命

  1. エトワール のコメント:

    ウナムーノの詩は、大変素晴らしいです。オルテガの「大衆の反逆」の新訳は、ぜひ、出版してください。この本は、20世紀の名著で、今、もっとも再読されるべき素晴らしいテキストです。桑名一博訳、久野収解説の定版や神吉敬三訳の文庫版はありますが、前者は、1969年、後者は、1967年と訳した時代が古く、価値を再認識された時代での新訳は大いに意味があると思います。可能ならば、南相馬市で訳したものであることとこの書の現代的意義について、佐々木先生の解説で、記載していただければと思います。哲学書の翻訳は、今、おかしなことになっていて、例えば、ヘーゲルについては、専門的用語をできるだけ廃した長谷川宏訳という奇妙な訳文が、高く評価されています。また、ニーチェなどの訳書、解説書も簡素化した奇妙なものが売れています。そういう潮流を形勢しているものは、どこかにあるのだろうと思いますが、この現象もまさに「大衆の反逆」の一つなのかもしれません。最近、先生の訳されたオルテガの「個人と社会ー人と人びと」を再読しています。優れた訳文の名著だと思います。「大衆の反逆」の出版は、大手出版社から行うべきだと思います。出版不況でも、今、南相馬市発信のこの新訳本に、興味を示す、大手出版社は必ずあるはずですし、いかなる道筋を通っても、この著書が若い人々の手に渡り広く読まれることは、オルテガ・イ・ガセットの意図にそった大変意義深いことだと思うからです。

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