閉じた円環

 先日、相馬市に住む私のスペイン語教室(現在は休校中)の受講生中村一葉さんから、相馬市市史に関係する方が私との接触を望んでおられるが、電話番号など教えてよろしいか、との電話があった。どんなことかは分からないが、スペイン語でお役に立てることであれば喜んで協力する旨伝えてもらった。

 それから数日を経ずして、東北学院大学名誉教授で経済学博士のY・I氏から連絡があり、ビスカイノの著作『金銀島探検報告』の中にある中村(現相馬市)に関する100行ばかりのスペイン語を市史のために訳してもらえないか、との話であった。もちろん私にできることなら喜んでお引き受けします、と返事したところ、折り返し1867年マドリードで刊行された「未刊資料叢書」の第八巻目の当該箇所の抜き刷りコピーが送られてきた。

 いずれ市史編纂委員会の方から正式に挨拶があるが、とりあえず見ておいていただきたい、とのことである。17世紀のスペイン語に慣れてはいないが、日本語の場合よりはるかに現代文に近いから、どうやら訳せそうだ。

 ところがそれと同じ日だったか、昨年末以来ちょっと音信が途絶えていた映像作家のロブレードさんから久しぶりのメールが入り、今度は大震災一周年に合わせてスペインでいま最も人気のある女性キャスター・アルムデナ・アリサさんとそのクルーと一緒に南相馬に行くのでそのときお寄りするとのことであった。

 私自身の出番があるかどうかは分からないが、彼との久しぶりの再会はともかく嬉しい。で、彼への返事に概ね次のような文章を送った。和訳すると、
「先ずはお元気そうなので大喜びです。ところで私の方からも貴兄にお知らせしたいと思っていたことがあります。それは相馬市の市史編纂委員会から、セバスティアン・ビスカイノの奥州沿岸調査に関する17世紀の記録を翻訳してほしいとの依頼を受けたことです。かくして、貴兄が御宿海岸でのスペイン難破船についてのドキュメンタリー★を持って拙宅を訪れたことから始まった円環がこれでめでたく閉じられるわけですね、そう思いませんか?…」
 
 ちょっと気取った言い方をしたので分かりにくいと思うが、ロブレードさんは完全に(ペルフェクタメンテ)分かってくれた。つまり彼が今度の大震災を取材するために奥州を訪れたのは、もう一つ別の三陸沖津波のときに相馬を訪問していたビスカイノたちからきっかり四百年後の大津波の後だということ、しかも二人とも今風に言えばスペイン系南米人であり、日本とりわけ東北と深い関わりを持つことになった南蛮人だということである。
 
 スペイン思想を専門にする者として、まことに恥ずかしい話だが、ドン・ロドリゴについてもビスカイノについてもかすかにその名を耳にした程度で、とりわけビスカイノが相馬領を訪ねたスペイン人であったことなどまったく知らなかったことである。まっ知らなかったことは知らなかったこと、以後彼の相馬訪問記録を訳しながら、四百年の弧を描きながら繋がった日本とスペイン語圏のきずな(いささか手垢が付いた言葉になってしまったが)をいま一度確かめてみたい。
 
★そのとき頂いたDVD、確かに観たのだが、例の二階からの引越しのどさくさにまぎれて行方が分からなくなっている。西内君も観たと言っているが、彼の方も行方知れずということだ。彼にはコピーを渡して原物はやはり私の手元にあったのか、それとも…

 失せ物がやたら増えてきたのには我ながらウンザリしている。西洋ではこういうとき聖アントニオに救いを求めるのだが、日本では誰でしたっけ? 弁天様?

★翌朝の追記 これまで何も隠すことをしなかった(本当?)このモノディアロゴスだから、ここに改めて白状するが、実は以上の流れに平行して、何と「日本の古本屋」で村上直次郎訳『ドンロドリゴ日本見聞録/ビスカイノ金銀島探検報告』(奥川書房、昭和16年刊)が見つかり、大枚一万六千二九〇円で手に入れたのである。私にとっては破格の買い物になったが、アマゾンでは二万七千円もしているのだからお買い得ではある。ともかくこれで鬼に金棒、もしかして村上博士の誤訳なんぞ見つかりでもすれば(博士すまない!)日本西欧交流史に思わぬ貢献をすることになるやも、と考えれば実に安い買い物である(そうとう無理してます)。

※以下二つの資料はいずれも「ウィキパディア」からの転載である。

ドン・ロドリゴ(正式名はロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコ(Rodrigo de Vivero y Velasco、1564年 – 1636年)、エスパーニャ人貴族、植民地政治家。
 フィリピン臨時総督在任中、マニラで起こった日本人暴動に際し暴徒を日本に送還し貿易量の制限と暴徒の処罰を要求、徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた際会見し家康に友好的な書簡を送り、ヌエバ・エスパーニャ[現在のメキシコ]と日本との交流が始まる。
 1609年(慶長14年)、次期総督と交代のため召還命令を受け、戦艦3隻の艦隊でマニラからアカプルコへ向けての航海中台風に遭い、ロドリゴの乗った旗艦「サン・フランシスコ号」は難破、9月30日に 上総国岩和田村(現御宿町)田尻の浜に漂着、地元民に救助される[2]。なお僚艦の「サンタ・アナ号」も、9月12日豊後の臼杵中津浦に緊急入港し[3]、もう一隻の「サン・アントニオ号」のみヌエバ・エスパーニャへの航海を続けた。
 地元民に救助されたロドリゴ一行は、時の大多喜藩主・本多忠朝の歓待を受け、大多喜城から江戸城に立ち寄り、駿府城で家康と会見するなど日本滞在の後、家康からウィリアム・アダムスの建造したガレオン船(日本名:安針丸)の提供を受け、「サン・ブエナ・ベントゥーラ号」と命名、1610年(慶長15年)8月1日に日本を出発し、同年11月13日アカプルコに帰還した。この日本滞在中の見聞録は『ドン・ロドリゴ日本見聞録』として今に残されている。
 サン・ブエナ・ベントゥーラ号には、ヌエバ・エスパーニャとの交流拡大を目指す家康の使節アロンソ・ムニョス神父や京の商人・田中勝介らも同乗した。その翌年の1611年(慶長16年)、田中勝介らとともにヌエバ・エスパーニャからセバスティアン・ビスカイノが答礼使として来日し、1613年(慶長18年)にルイス・ソテロや支倉常長ら慶長遣欧使節団とともにサン・フアン・バウティスタ号で帰国した。
 後に、日本が開国し諸外国と国交を開いた際不平等条約が当然だったなか、1888年(明治21年)に締結した日墨修好通商条約が平等条約だったのは、メキシコと日本はこのころから交流のある互いに対等な国家だったからであり、欧米列強との不平等条約を改正できた背景にこの友好的な日墨関係があるとも言われている。
 現在、ロドリゴ一行が本多忠朝の居城大多喜城に立ち寄る際に通ったコースを走るロドリゴ駅伝が、漂着した御宿町、いすみ市(旧大原町、夷隅町、岬町)、大多喜町で開催されている。

セバスティアン・ビスカイノと日本との関係
 フィリピン前総督ドン・ロドリゴ一行が、帰還のためアカプルコへ向けての航海中台風に遭い上総国岩和田村(現御宿町)田尻の浜で難破し救助された事への答礼使として、1611年ヌエバ・エスパーニャ副王ルイス・デ・ベラスコにより派遣され、「サンフランシスコ2世号」で来日した。なおこの人選は、ヨーロッパの鉱山技術[1]に興味があった徳川家康の要請に沿ったもので、同時にエスパーニャ側にも日本の金や銀に興味があったことによるとされ、日本近海にあると言われていた「金銀島」の調査も兼ねていた。
 1611年3月22日にヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)のアカプルコを発ち、同年6月10日浦賀に入港[2]、6月22日に江戸城で徳川秀忠に謁見し[3]、8月27日に駿府城で家康に謁見する[4]。しかし第一に通商を望んでいた日本側に対し、エスパーニャ側の前提条件はキリスト教の布教[5]であり、友好については合意したものの、具体的な合意は得られなかった。
 家康から日本沿岸の測量についての許可は得られ、11月8日に仙台に着き、11月10日伊達政宗に謁見、11月27日から奥州沿岸の測量を始める。12月2日、気仙郡越喜来村(現大船渡市)沖を航海中に慶長三陸地震の大津波に遭遇したが、海上にいたため被害はなかった。次いで南下し九州沿岸まで測量を行った。
 日本沿岸の測量を終え、1612年9月16日に家康、秀忠の返書を受け取り、ヌエバ・エスパーニャへの帰途につく。帰途金銀島を探すが発見できず、11月14日暴風雨に遭遇「サンフランシスコ2世号」が破損し浦賀に戻る。
 乗船を失ったため、ヌエバ・エスパーニャへ帰るための船の建造費の用立てを幕府に申し入れたが、日本側の外交政策の変更もあって断わられ[6]、1613年にルイス・ソテロや支倉常長ら慶長遣欧使節団のサン・フアン・バウティスタ号に同乗し帰国した。
仙台城のことを以下のように評した。
 「城は日本の最も勝れ、最も堅固なるものの一にして、水深き川に囲まれ断崖百身長を越えたる厳山に築かれ、入口は唯一つにして、大きさ江戸と同じくして、家屋の構造は之に勝りたる町を見下し、また2レグワを距てて数レグワの海岸を望むべし」

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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8 Responses to 閉じた円環

  1. 山本三朗 のコメント:

    今日は桃の節句です。あちらこちらで女の子を祝う会が楽しく開かれていることと思います。
    奇しくも本日の先生の投稿に我が故郷「御宿」のことが掲載されていました。「ドン・ロドリゴ」のことともに非常に懐かしく、大変に嬉しく読まさせて頂きました。色んなところで繋がる人生の妙を感じています。
    市史編纂委員会からの依頼の件、そしてロブレードさんとの再会の報を楽しみにお待ちしています。

  2. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    そうでしたか、山本さんは御宿出身でしたか。一度私たち夫婦も清泉女子大の学生たちと行ったことがあります。広々とした海岸の眺めを思い出します。難破したスペイン人船員たちを救って介抱した海女たちで有名ですね。

  3. 松下 伸 のコメント:

    ヴィヴェロと家康の会見に結果、民間人の交流があったのでは?
    金銀鉱山関係に注目してます。
    秀忠・家光のキリシタン処刑が、佐渡、院内、松前の鉱山であります。
    多くの人が犠牲となりました。
    彼らの一部は、その時来日したメキシコ人では?
    インディオたちが持って来たキリスト教・・・グァダルーペの聖母マリア信仰。
    妄想ですが、不思議が沢山あります。
    南蛮文化は西欧文化だけでないと思います。
    先生の新訳、待っています。

                                          梁塵
    澤井さま
    お大事にしてください。
    ボチボチ参加します。
    皆様、お大事に。

  4. エトワール のコメント:

    昼寝していて、起きて昼食にカステラを食べていました。「スペインのカスティーリャ王国」のポルトガル発音が由来のカステラという食べ物を江戸の武士達も食べたのかなと思って、モノディアロゴスを開くと、探検家ビスカイノの記事がでていました。この人、ワンピースのモンキー・D・ルフィのような男ですビスカイノが日本に新スペインの使節として来る以前に、カリフォルニア沿岸をアカプルコから北に探検し、港や補給基地に最適な湾を発見し、「サン・ディエゴ」と命名しています。アメリカ合衆国カリフォルニア州サン・ディエゴ市です。ビスカイノは、徳川家康の許可を得て太平洋沿岸を測量し、奥州沿岸の水浜(宮城県石巻市雄勝町水浜)の地は良港になるという報告を伊達政宗に提出し、「サン・ディエゴ」と命名しました。太平洋を挟んだ日本とアメリカの両岸に「サン・ディエゴ」の地名をつけ、日本とアメリカを結ぼうとしたのだと思います。何ともすごい男がいたものだと感心します。

  5. 松下 伸 のコメント:

    「ディエゴ」・・?
    どういう意味の西語でしょうか?
    知りたいものです。
                    梁塵

  6. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

     ディエゴ(Diego)はヤコブのことで、スペインの巡礼地として有名なサンティアゴ・デ・コンポステラの「サンティアゴ」は「サンディエゴ」と同じ意味で、その地に使徒大ヤコブの遺骨が収められているとされていて、スペイン史の一大争点の一つです。ついでに言いますと、日本人に大変人気のあるアメリカ西海岸の地名は大リーグのパドレス(神父様たち)同様ほとんどがスペイン語です。少し内陸に入ったあの賭博の町ラス・ベガスも「沃野」を意味するスペイン語です。沃野は沃野でも金まみれの町に成り下がってしまいましたが。そういえばロサンゼルスもロス・アンヘレスつまり天使たちの意ですが、今じゃ夜の天使たちの街に同じく成り下がってます。
     むかしメキシコから安く買い叩いた地域ですから、メキシコ人にすればおらほの先祖たちが作った町だんべー、というわけで越境なんて意識はとうぜん低いはずでありますです、はい。 
     スペイン語初級講座の間つなぎの話題でした、お粗末。
    蛇足ですが、キリシタン時代のバテレンはパドレスのなまったものですから、大リーグのパドレスは、つまりバテレン球団というわけでんなー。ともかくヒスパニックを馬鹿にしちゃっちゃーいけません。

  7. 松下 伸 のコメント:

    先生の、じきじきのご教示有難うございます。
    旧約聖書を引いているのですね。
    イスラエル人の祖とありました。
    チリのサンチャゴから宮城県まで
    太平洋をひとまわり、あちこちに命名するパワー
    世界中の富をガブ飲みするヘッジファンド同様、すごいですね
    西欧社会の深奥を見るような・・
                                   梁塵

  8. 阿部修義 のコメント:

     「翌朝の追記」を読んで感動しました。依頼された翻訳に対しての先生の姿勢が先生の生き方を映し出しています。人は目標を持ち、それに向かって努力するわけですが、大切な事は日々の小さなことを面倒がらず一つ一つ積み上げる以外にはありません。「村上博士」を調べたら、先生の母校の第4代学長でした。「円環」の深い意味を私は理解出来ませんが、今回の翻訳の依頼は「村上博士」を通して母校入学「から始まった円環」のように思いました。

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