昌益さんのことなど

 ここ数日、安藤昌益さらには東北学に関する本を何冊かアマゾンから取り寄せていろいろ読み漁っている。と言えばいかにも次々と読破しているかのようだが、本当はところどころつまみ食いしているだけだ。安藤昌益については、自分の先祖に繋がるのではと思いながら、そのための探索作業はまったく手をつけないままいたずらに時間だけが過ぎている。もしかして、と思ったのは母方の祖父安藤幾太郎が昭和二十二年十一月、すなわち彼が六十八歳のときに手書きで残した『吾が家史』の最初の書き出しが一つの発端になっている。つまりばっぱさんの曽祖父に当たる安藤庄八翁についての次のような文章である。
 
 「安藤庄八翁は天保三年九月十五日陸奥国八戸町川内村に生る幼名を興八と称す家世々農なりしが天保四年三月翁二歳の時父庄八母つぎ姉きみと一家を挙げて移住を企て郷里を去りて磐城國標葉群大堀村瀬戸焼業庄次郎といへるものに寄る……」
 
 実はこのことについて2009年2月15日の項にすでに次のように書いていた。

 「言い伝えに寄ると、このとき二歳の赤子興八は天秤棒で担がれての旅だったと言う。天保三年といえば1833年、あの大飢饉が起こる直前である。しかしその時代、百姓の分際で移住などできただろうか。幾太郎は川内という地名を記しているが、以前八戸に問い合わせて判明したように、彼の地に川内なるところはないのだ。八戸と安藤という姓から反逆の思想家安藤昌益と関係ありや否や、などと歴史推理小説並みの謎解きへの好奇心を持ったまま、もう何年も暇も手がかりもないまま時間だけがすぎているが、祖父が一族の痕跡を歴史の中に探ろうとした年齢が今の私とほぼ重なるので、ここらで少し動き出そうかな、と思っている。」
 
 まるで古いレコード盤の傷のところを何度も記憶の竹針がこすっているようだ。澤井Jr.のように家系探索のプロの友人がいれば別だが、どうもこの調子ではその探索は佐々木Jr.や孫たちに申し送ることになりそうだ。
 
 ところで何冊か新たに手に入れた本の中に、いいだももの『猪・鉄砲・安藤昌益』(農文協、1996年)が入っていて、ぱらぱらと頁をめくっただけだが、なかなか面白そうだ。その中に、こと安藤昌益に関心を持つほどの人間ならとうぜん知っておくべきであろう名前に初めて出会った。江渡狄嶺(えとてきれい)である。「百科事典マイペディア」の説明をそのままコピーしてみる。

 「江渡狄嶺(1879-1944) 思想家。本名幸三郎。青森県五戸の人。東大で法律・政治を学び、聖書、トルストイ、クロポトキンに心酔。1910年東京世田谷に百姓愛道場を開き、小作農となる。1924年物理と数学をヒントに<場>の思想体系をたて、<百姓はかく考う>をテーマに郷里や長野で講演。かたわら牛欄(ぎゅうらん)寮を開いて寮生を育成。」
 
 江渡狄嶺の『選集』(1979年)や『江渡狄嶺――郷土の思想家――その人と年譜』(八戸市立図書館、1972年)があるそうだが、いずれも一万七千円以上もするので、もちろん手に入れるつもりはない。
 
 他にも菅沼紀子『安藤昌益からの贈り物』(東方出版)というのがあるが、これは安藤昌益の生地秋田県大館市仁井田の人で、昌益のいわゆる「仁井田資料」発掘の功労者・石垣忠吉についての本である。紹介文の「30年近く愛妻の介護の傍ら、真摯な探究を続けた」という言葉が気になって注文したのだが、さっと目を通した限りでは駄本で、千円近くを無駄にした、と一度はゴミ箱に捨てた。が、そこは貧乏性の私、何か昌益研究の役に立つところがあるかも、と未練がましくまたゴミ箱から引っ張り出した。
 
 著者の菅沼紀子は「日本各地転居を重ねたあと、韓国全羅北道全州市にある全北大学の客員教授として禄を食む」という人で、愛妻ソノへの性愛が忠吉の後半生の牽引力であったと決め付けている。最後には「人間の性愛の意味をもう一度問い直したい」とまで執心している。夫婦愛は確かに性愛の時期を必ず通るはず(最近流行のセックスレス夫婦はやはり邪道かも)と思っている私でも、田舎の囲炉裏を囲んでの「大らかな」猥談すれすれの人生論にはさすがに辟易する。

 確かに世の中には脳細胞全体がピンクに染まっている人もいて、それはそれで憎めない存在かも知れないが、しかしそうでない人も相当数いることもまた事実である。つまり通常は、性愛が加齢とともに次第に昇華していくもので、特に認知症の場合は完全に性欲が消えてしまう。要するに、石垣忠吉や菅沼紀子の言うように「世の中男と女しかいない」のは事実だが、しかしその男と女は親であったり子であったり、師であったり親友であったり、様々なバリエーションを持つ関係であって、すべてが男と女の関係でないのは今さら言うまでもないのである。

 徐京稙さんが私どもの陋屋を「愛の巣」と呼ばれたのはそれとはまったく違う意味合いにおいてであるが、もしかして菅沼流に考えられたらたまらないなあ、などとふと思ったので、こんな言い訳がましいことにまで思わず話が及んだ次第……あゝやっぱこれ、だれもそんなこと思ってもいないのに、いらぬ取り越し苦労、とんだ過剰反応だわ。

 閑話休題、といっても残り少なくなったが、今回初めて「東北学」のいわば名付け親とも言うべき赤坂憲雄さんの著作をいくつか手に入れた。なるほど一つの学統として市民権を得ようとしているんだ。知らないこと、いや知らなければならないことが次々出てきて、こりゃおおちおち寝てられんわい。でも心配には及びません、日中でもうとうとと健康維持に必要な睡眠は摂ってますから。

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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1 Response to 昌益さんのことなど

  1. fuji-teivo のコメント:

    やはり血は争えないんですね。Jr.の文章、途中までてっきり澤井さんのものと思って読んでいきました。言葉遣い、語調など完全な相似形をしてますね。

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