静かなギャラリー

 昨日の午後、予定より少し遅れて黒塗りの高級車が玄関前に止まった。クラウンである。人によってはクラウンは高級車とは言わないのかも知れないが、大衆車にしか乗ったことのない私にとっては、もう立派な高級車である。車から降り立ったのはビオラ奏者の川口彩子さん、そして運転席からはピアニストの菅祥久さんである。もちろん予告なしに来たのではない。前日の午後、とつぜん菅さんから電話がかかってきて、明日、川口さんと訪ねたいがいいか、と訊いてきた。もちろん異存のあろうはずもない。二人とも連休を利用して、急に南相馬を訪ねたくなったと言う。
 
 さて、いつもの通り二階居間、震災後たくさんの客人を迎えてきたあの汚い居間へと案内した。とりあえずは買い置きのアイスクリームを食べながら、いろいろ話が弾んだが、今回はどうしても海と夜の森公園を見たいとおっしゃる。私自身は震災後、ちょっと見るのが恐くて海(北泉海浜公園)には行っていないが、菅さんは昨年秋に来たときの海の印象が忘れられないらしい。すぐそばの火力発電所は津波被害で現在操業を停めて修理中だが、毎年世界サーフィン大会が開かれていたあの波のきれいな海岸が今どうなっているのか見て来たいと言う。
 
 話はとうぜん先日のミニ・コンサートにも及んだが、お二人にとってもあの図書館コンサートがとても印象的だったらしい。そうこうしていうるうちに、あらかじめ知らせておいた西内君もやってきてさらに賑やかになった。話が通じているのか、美子もにこやかにしきりになにやらしゃべっている。しかしそうしている間も、私は彼等がやってくる直前に起こった、というか知った、あることが頭から離れなかった。それは客人三人にも興味があることなので、現在進行形のことだが、とことわって思い切って話してみた。話しながら、どうしてか感極まって涙が出て来た。三人もびっくりしたようだが、涙の理由は分かっており、彼らも大いに感動し、かつ喜んだ。
 
 とこう書けば、このブログをお読みのかなりの数の人は、あああのことかとすぐ分かるはずだ。時にだれもが分かっていながら、口にできないことというものがある。もちろん当事者同士はもう既に、というか最初の瞬間から確信しているはずだが、だれもがその当事者の意思を尊重したいということでは不思議に一致している。たぶん昨日から、心を一つにしたギャラリーが固唾を呑んで、静かにことの成り行きを見守っているはずだ。

 思えば人間はなんと複雑で、そして不器用な生き物なんだろう。長い年月の間に積もりに積もった思いは、そう簡単に融け出すはずもない。しかしそれは、時間の問題である。なぜなら私の見るところ、すでに最初の瞬間から、彼らの思いの中心部が小さな音を立てて融け始め、それが今もずっと続いていると思えるからだ。彼らの発する一つ一つの言葉が、すでに相手への愛と思いやりに満ち溢れているのが一目瞭然だからだ。
 
 あせることはない。ゆっくりゆっくり距離を縮めていけばいい。繊細な魂に急激な変化はふさわしくない。ゆっくり時間を掛けて、長い年月の間にできた溝をゆっくり埋めていけばいい。事はひとえに当事者たちのもので他人の容喙は無用だが、その幸福な結末を我がことのように切望しているたくさんの善意の人たちがいることをどうか忘れないでもらいたい。

 ところでそれぞれホテルに泊まった菅さんたちは、今日の午前中、西内君と一緒に予定通り海を見てきたらしく、お昼近く、別れの挨拶に見えられた。これから夜の森公園を見物した後、東京に帰るそうだ。実は昨夜、近くの食堂で、安齋図書館長を加えての夕食会があり、それに美子を連れて私も参加したのだが、私たち二人が失礼してからも遅くまで呑んだらしい。西内君もそうだが、やはり彼らは若いっすなー、羨ましい。美子連れだから仕方がないものの、いわゆる宴とはこれからますます縁がなくなるのはちと淋しい。でも我が陋屋のこの汚い居間に時おり客人を迎えることができるのだから、それもよしとせねばなるまい。(で、先ほどの話題はその後どうなったかって? あわてなさんな、さっきも言っただろ、見て見ぬふりをしながら静かに事態の成り行きを見守っていこう、って)。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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6 Responses to 静かなギャラリー

  1. beautiful sky のコメント:

    初めまして。「数」遊びに勝手に参加させていただきます。

    ロゴジィが先生から初めて電話をもらった7月8日は、私の誕生日。

    21世紀に奇跡のように生まれた娘は、1,506gでした。
    「3」と「4」の日に生まれた娘は、その後に続く文字の通り、「幸」をまき散らしています。

    ギャラリーの一人として、「そのカードは何度でも引くことができる!」ことを願っています。

  2. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    beautiful skyさん、ではその幸運をもたらしてくれたお嬢さんは、十歳ですか? ともあれそのお嬢さんたちが生きてゆく世界が、少なくとも今よりは住みやすい世界になるといいですね、いやそうしないといけませんね。みんなで頑張りましょう。

    澤井Jr.さん、見上げる月はどこでも同じ月ですが、見る場所はそれぞれ違います。さてJr.さんが見上げているパーキングは北の方にありますか? ここ南相馬は残念ながら今晩は月が見えません。でも想像の翼を借りて、私も月の光を浴びてムーンライトセレナーデでも聞くことにしましょう。

  3. beautiful sky のコメント:

    昨年、庭の松の木に、小さな小さな実が一つ増えました。
    信じる者は救われると教えてくださったのは、イエス様でしたでしょうか。
    こんな時ばかりは、ノーと言えない日本人もすてたもんじゃないのかもしれません。

    「軌跡」あってこその「奇跡」のその先には、「輝跡」しかあり得ません。

    佐々木先生はじめ、多くの闘っている人たち、そしてこの国の「希跡」が「輝跡」へと続きますように。

  4. 松下 伸 のコメント:

    Jrさん。よい声ですね。
    塵は、久しぶりに天井からずり落ちました。
    中国の故事、でしょうか。
    「美しい歌声には、梁(天井)の塵も舞い落ちる」・・そうです。
    人の数の内にも入らない塵のような私ですが、
    よい声に感ずる志だけは、失いたくないと、思ってます。

    今日、再び「アメイジング・グレイス」、聞きました。
    加藤登紀子と娘さん(Yaeとか)が一緒に唄ってました。
    高音は娘さんが、低い方は加藤登紀子が唄ってました。
    親子の感動的な唱和でした。
    時代を感じました。
    加藤登紀子は「までいの命咲かそう」とも唄ってます。
    3、11の「パンドラの箱」。
    悪夢ばかりでないことを、少し・・感じました。

                               梁塵

  5. 松崎孝子 のコメント:

    静かなギャラリーに徹するつもりでしたが、今夜も月がせつないほど美しくて、ちょっと顔を出してみました。
    最近は佐々木先生のblogを読むより、ロゴジィ様のコメントを読む時間の方が長かったのですから…。
    避難先の新潟の夜空に、どこか寂しげな色をしたお月様。
    今夜は木星がその下にキラッとまばゆく輝いています。ムーンとジュピターです。
    祈。

  6. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    松崎さん、しばらくでした。そちらでの生活にも少しは慣れましたか? 警戒区域がいつ解除されるのかまだ分かりませんが、いつか必ず戻れると信じて、それまではそちらの生活を充実させてください。と言いながら、当事者にとってそれがどんなに困難なものかも想像できますが。ともかく負けないで、としか言い様がありません。
     それから「先生」のこと、直しておきましたよ。「先生と言われるほどの馬鹿じゃなし」という俚諺を知らないでもないのですが、このブログ「分教場」の先生として、甘んじてその尊称を受け止めています。寒さに向かいますが、「春」は必ず来ますから…

     澤井Jr.さん、先の書き込みで、高速道路を走り回っていると聞いて、あれっもしかして白バイ・パトロール隊員? と思いましたが、そうではなさそうですね。まあ、ゆっくりゆっくりこの謎も解けていくでしょう。私もいつか南相馬でお会いできることを楽しみにしてます。その時はもちろん側に澤井シニアが満面に笑みを浮かべて立っているはずですが。

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