チャンバラごっこ

 19日午後のチャリティー・コンサートの大成功、そして散歩の途次、コンビニで買ってきた今日発売の「週刊現代」の中の美子の笑顔を祝って、夕食時に沖縄のビール「オリオン」の350ml缶を二人で飲んで、久し振りに愉快な気持ちになっている。週刊誌の記事内容は事前に分かっていたが、たくさん撮られた写真のどれが使われるか実はちょっと心配していた。私が少々(ですかー?)太り気味に写るのは覚悟していたが、美子の「いい顔」が載ればいいのだが、と気にしていたのである。良かった、いい顔で写っていた、これで離れて暮している娘の一家や息子の一家に安心してもらえる。
 
 さて井沢八郎の歌のその先は? 対談の最後のあたりに、徐氏にまたまた無理難題をふっかけてしまった。「徐さん、変なお願いだけど、日本のためにこれから先もずっと在日でいてください」。そう、いま考えても実に変なお願いである。徐さんは確かに私より一回り若いけれど、これから先ずっと生きているわけにはいかない。ただ私の言いたかったことは、日本および日本人がまともであるためには、もっと正確に言うと、日本および日本人というものが、けっして閉鎖的で独りよがりの在り方ではなく、他者に対して開かれた、寛容で懐の深い在り方であるために、在日という合わせ鏡は実に貴重だということである。
 
 大震災の騒ぎをいいことに、なにやらきな臭い維新の風が吹いている。「維新」などと命名すること自体、いささか時代錯誤というか、もっと辛辣に言わせてもらえば、あんたちょっと大河ドラマの見過ぎじゃない、いまさらチャンバラごっこでもあるまい?、と言いたくもなる成り行きなのだ。大震災の中で、いわば根扱ぎの、ディアスポラの境涯に投げ出された者の視点、以前未消化のまま度々使っていた言葉では「末期の眼」から見れば、あるいはいささか戯画的に終末論的視点と名づけたもの(あらあら言葉だけは豊富だこと)から眺めれば、明治維新も平成維新もいささかスケールが小さ過ぎる。
 
 先だっては、東北人である私の遠い先祖(かも知れない)アイヌ、さらには縄文人のルーツを話題にした。ぐっと現代的な例を使えば(いずれも実は詳しいことは何も知らないのだが)京都大原の住人、あの「猫のしっぽ カエルの手」のベネシアさんやサッカー全日本の李忠成君をも大きく包み込む日本人像がみなに共通する日本人像であって欲しいわけだ。 
 
 折りしも今朝の朝日新聞に、出光佐三の「日本人にかえれ」という揮毫が全面広告に使われていた。出光佐三がどういう経歴と思想の持ち主であったかは知らないが、震災後やたらこうした類のスローガンが飛び交い始めた。とにかく警戒したいのは、日本人というものをやたら矮小化する傾向である。坂本竜馬は確かに偉い男ではあったろうが、彼の眼差しが向かった先の日本は、欧米列強に伍する亜細亜の雄であったとすれば、それはいずれ軍拡競争の果てに太平洋戦争へと突っこんで行く日本から豪も抜け出せなかったものかも知れない。いずれにせよ、私たちが自分たちの子どもたちに指し示したい「くに」は、それがたとえいかにすばらしいものであろうと、過去の「黄金時代」に収斂されるものであってはならないのだ。
 
 むかし伊豆にあった天文台付き宿泊施設(あるいはその逆だったかも)を合宿に使わせてもらったことがある。確かに安く泊まれたが、その代償(?)としてか、夕食後にそこの職員による一場の講話が提供された。講師は神主見習いだったか。つまりそこはどうも右翼系の経営らしかった。ともかくその講師の話を聞いて失笑を禁じえなかった。つまり日本ならびに日本人がいかに優れているか、次の二つの例をもって説いたのだ。
 
 一つ、日本は日いずる国である。二つ、日本人の腸は世界一長く、ために欧米人などが消化できない植物繊維でも容易に消化できる。
 
 彼は、視点を移動させれば世界中どこでも日いずる国であることを知らなかったらしい。また腸の長さなど、食物によってたやすく変化するもので、事実現在の日本人の腸は……知らないよどれだけ短くなったかどうかは。
 
 要するに、えてして国粋主義者たちは日本や日本人像をきわめて固定的な価値観や伝統に限定するきらいがある……
 
 わずかなオリオン酔いもさめて来たようだ。ろくに用意もせずに教壇に登ったときの頼りなーい気持ちになってきました。今日はこの辺でお開きとしましょうか。

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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3 Responses to チャンバラごっこ

  1. かとうのりこ のコメント:

    非常時になると排他的な「日本」が急に声高に叫ばれるようになるのは危ういですね。素朴な考えですが、「日本人」というのは本来、南方、大陸、北方とあちらこちらからたまたまこの島々に渡ってきて住みつき、まざりあった存在なのですから、「在日」などということばなど要らないはずなのに、と思います。外来のものごとにもおおらかなのが日本のよさで、日本文明をここまで発展させてくる原動力となったはずなのに、そしてこういう非常時こそ、そのおおらかさと柔軟性が活きるはずなのに、ざんねんです。

  2. 松崎孝子 のコメント:

    とても穏やかなお二人の写真を拝見し、この笑顔にそぐわない大きな見出しが胸を締めつけました。私は未だにこの現実が受け入れられずにおります。
    島尾敏雄を読む会でも、原発やプルサーマルについては、本当に今のこの事態をまるで予言するかのように心配されていらした先生。というよりやっぱりあの頃から怒っていらっしゃいました。
    「我々は子孫にとんでもない負の遺産を手渡そうとしている」と…。
    ずっと先生は闘っていらしたのだと、記事を読んで改めて思いました。
    「生命を維持して人生を失う」
    若ければそれでもなんとかなる、気の毒なのはご年配の方々だと思っていましたが、まだ10代の子供達が、今を奪われ新しい環境に馴染めず苦しんでいる様を目の当たりにすると、やはり皆が人生を奪われたのだと痛感いたします。
    私は近頃、埴谷雄高さんがご自身をハイマートロス(故郷喪失者)だとよんでいた、という先生のお話を思い出します。
    埴谷さんとは意味合いが違うのでしょうが、まさに喪失者なのかもしれません。
    奥様と先生の温かいお写真をいつまででも眺めていたい気持ちです。

  3. fuji-teivo のコメント:

    松崎さん、その後ご連絡が途絶えていたので心配していました。そちらでの生活、落ち着きましたか? いや、落ち着くはずもないですね。でもまたあの浮舟文化会館の教室で、「島尾敏雄を読む会」を再開できることを祈ってますし、確信しています。怒りを逆にエネルギーに変えてでも、辛い日々を乗り切ってください。当たって砕けろ、では疲れてしまうので、島尾敏雄さんが言っていたように、砕けて当たりましょう、ジャッキー・チェンの酔拳のように、しなやかに、したたかに。

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