樽と一杯のコーヒー

 私の目の前にある小型の印刷機や、ときには電気スタンドの腕や首のあたりに、小さな紙片がいくつかテープで貼られている。このごろ、いやずっと前から(生まれたときから?)、記憶力が減退して、思いついたことを書き留めておかなければならなくなったからである。晩年の埴谷雄高さんが、メモ用紙大の紙片に『死霊』などの創作メモを書いて、布団の上にまるでカルタのように並べている写真を見たことがあるが、私のはそんな大層なものではない。
 
 ときどき、というか半分くらいは、後から考えてもなんのことか分からない呪文のようなものが多い。今日もそんな紙片が一枚机の上に乗っている。とりあえずそのまま写してみよう。
「本当に大切なものを実は持っていないのではないか。それは財産などとは違う。だからふわりと不安定な立ち方をする」
 
 記憶の中をさぐってみると、たしかこれは震災後一週間ぐらいして、近所の人家の明かりが消えて、多くの市民がいつの間にか町を離れていったことに気付いたときの感想だ。簡単に言えば、なぜこの段階であたふた逃げ出していったのか、正直分からなかった。あとから聞くと、原発の爆発は発表より規模が大きく、政府や東電の発表は真実を隠している、早急に逃げ出さなければみな死ぬことになる、という噂が町中を恐怖に陥れたらしい。
 
 そのとき漠然と考えたのは、もしかしてみんなは、命に代えてもいいような大事なものを持っていないのでは、ということだった。大事なものって何だろう、先祖伝来の屋敷だろうか、やっとローン返済が終わったわが家だろうか。いやそんなものは命を犠牲にしてまで守る値打ちなどない。それじゃ長い間住み慣れた、そして先祖の霊が宿る土地そのものだろうか。確かにそれらはとてつもなく大切なものではあるが、避難する人たちは一時的にせよそれらを捨てていくのだから、いちばん大切なものではないはずだ。他人様のことはいいとして、じゃ逆に聞くけど、お前自身はなぜ避難しようとしないのか。
 
 避難行には耐えられそうにもない九十八歳の老母と、避難所生活など考えることさえできない認知症の妻がいるからだろうか。もちろんそれに違いない。しかし実を言うと、避難行に踏み切らなかったもっと深い理由がある。しかしその時、そこまで考えて踏みとどまったわけではない。後からつらつら考えた末にようやくたどり着いた思想のようなものである。といって言葉にするのは難しい。二つの先例に助けを求めよう。
 
 一つはギリシャのキニク派の哲学者ディオゲネス。おやまあ恐ろしく古い例だことと驚かれるだろうが、だれもが知っている有名な逸話がある。彼は古い大樽を生活の拠点とし、アレクサンドロス大王が訪ねてきてもそこから動こうとはせず、逆に大王に対して陰になるからそこをどいていただきたい、と言ったそうな。つまり国の最高権力者に対してさえ自分の居場所を変えようとはしなかった。つまり…ちょっと繋がりを見失ったぞ…おのれの意に反してまでおのれの生活を、おのれの自由意志を…やっぱりうまく繋がりませんなー。だいいち自分を偉い哲学者に見立てるのが気に食わない。
 
 それじゃもう一つの例。ドストエフスキーの地下生活者の次の言葉を考えてみよう。
「俺が必要としているのは、平穏無事というものだ。自分さえ無事でいられるなら、今すぐにでも全世界を一コペイカで売り飛ばしてやる。世界が破滅するか、それとも俺が一杯の茶を飲めなくなるか? というなら、はっきり言っておくが、自分がいつでも好きな時に茶が飲めるためなら、俺は世界が破滅したって一向にかまわないのさ。」(光文社古典新訳文庫『地下室の手記』、安岡治子訳)245ページ)
 
 あゝここからなら話は繋がる。つまりこの地下生活者の言葉は一見暴言に聞こえるが、しかしよく考えると、実にいいことを言っている。つまり彼は、全世界より一杯のコーヒーの方が大事と言っているのではない。一杯のコーヒーを飲む<自由>は全世界と拮抗すると言っているのだ。つまり個人の自由は、全世界と等価である、それほど大切なものである、と。もちろん現実的に考えて一杯のコーヒー、そしてそれを飲む一人の人間のために全世界が犠牲になってもいいなどと言えば、それは暴言どころか完全に精神病理学の症例になってしまう。しかしよくよく考えてみるまでも無く、この世の中、個人の自由なんぞ屁(また言う!)ほどの価値もないとされているのではないか。
 
 私たち一人ひとりが、自分の持っているとてつもない価値つまり自由、そして人間としての尊厳に気付き、それをもっと大切にするようにしたら、現在の日本に、私たちの愛する福島に起こっているとんでもなない事態なぞもともと起こらなかったことではなかろうか、いや起きてしまったことは仕方が無い。ならばせめて、今の今から、愚かな為政者の意のままにあっちへこっちへ、まるで屠所に引かれる羊のように従順に従うのはやめよう。移動するにしてもはっきりとその理由、そしてその移動がいつまでのものかしっかり説明されるまでは梃子でも動かないくらいのプライドを持とうではないか。
 
 もちろん双葉のおばあちゃんのように、あるいは不肖私のように、おのれの意志で留まる人の自由を最大限尊重する。そして万が一将来、健康被害が出たら、国の命令に背いたから補償しませんなどという姑息でケチ臭いことを言わず、無条件でその治療に当たる、そういう国、そういう為政者になってくれ。そういう国になったら、だれの命令でも強制でもなく、おのずと自然に、心から国を称える歌を歌いましょうぞ。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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3 Responses to 樽と一杯のコーヒー

  1. さいたまの憂き袋 のコメント:

    ご多分にもれず私も朝日新聞でこのブログを知った者です。
    全部の記事を拝見してはおりませんが、一読してわが意を強くするものでした。
    浅学非才の身で、コメントすることも躊躇われますが、一杯のコーヒーを手にする幸せ(と言っても、コーヒーはほとんど嗜みません、緑茶と言い換えさせていただきます)の前には全世界の富も、名誉も何するものぞ、けれど、私達は本心から自由を望んでいるのでしょうか?
    常に誰かの指示を待ち、付和雷同をこととして生きてきたのかもしれない。
    今更臍を噛む思いをしたところで自業自得なのではないかとの思いが離れません。
    口先ばかりでその日暮をしてきた揚句自ら招いた災厄なのか?
    声を出すべき時は今を置いてないと思いながら現実にはテレビを見ることさえ回避しています。
    ブログを拝見して、何をすればよいのか、考えています。

  2. 三宅貴夫 のコメント:

    京都からおはようございます。
    自由と尊厳、それは人間にとってとても根源的(ラディカル?)で重要なことと思いますが、頭では理解したつもりでも、私の65年の人生のなかでそれらが著しく侵害されたという経験がないので、実感としては理解できてないのではと思います。
    昨夜、レンタルDVDで映画「シンドラーのリスト」を初めて観ました。改めて、おぞましいユダヤ人計画殺戮のあり様をみながら、自由も尊厳も徹底的に蹂躙し、そもそも人間として認められてない人たちがいたという事実。しかも、これがわずか70年前頃にあったことなのです。映画を観ながら何故世界の誰もが止められなか不思議に思うほどです(もっともイラク侵略戦争でも同じことかもしれませ)。この時、日本人はそれも知らず、「八紘一宇」で全国民?が唱えていたのです。
    こうした事態は戦後も続いています。スターリンソ連の粛清、毛沢東中国の大躍進政策ではヒットラー以上に自国民が大量殺害されました。その後も、ビアフラ(ナイジェリア)、エチオピア、カンボジア、ルワンダなどで大量殺戮、大量餓死が続きました。私はアムネスティインターナショナル日本支部の会員ですが、昨日も今日も。この世界で夥しい人たちが自由と尊厳を冒され、脅かされ、無視されている現実を知ります(マスコミはアメリカの竜巻は報道しても、メキシコの麻薬戦争は報じません)。そして、この日本、そして福島。被災者の生き方を選ぶ自由と生きる尊厳は、安全と生命のためと軽視され無視されている現実が進行しています。
    それにしても、自由と尊厳がおおいに保障されている国会議員は、「首相が何をする」ではなく、「いつ辞めさせるのか」を延々と議論している。
    これも民主主義、「えーかげんに止めてくれ」。

  3. 安里睦子(サスケ) のコメント:

    私は、安部公房の「砂の女」を思い出しました。
    主人公の男が、砂に埋もれた生活から抜け出したいと熱望して、
    ついに自由になったとき、そこから逃げていく自由ではなくとどまる自由の方を選んだ、物語です。
    私はこの小説を読んだ時、決して明るい気持ちにはなれなかったし、共感した訳ではありませんが、まるで自分自身を見ているようで、自分の人生を箱庭にして上から見ているようでした。絶望とあきらめと、そのあとに訪れるひそやかな希望のようなもの、不思議な気持ちを味わいました。
    もはやそこからはなれる事は自分の生きてきた時間を否定する事に等しいと理解し、自分を肯定する道を選ぶ事によって平安のようなものを手に入れたのかもしれません。人それぞれ、とどまる事によってそれを得る人もいれば、移動する事によってそうなる人もいる事でしょう。選ぶ自由が侵害されないと言う事が大事なのかもしれないと思います。
    顧みれば、私自身も、自分で選ぶ事ができたのが40も半ば過ぎた頃で、幸せをつくづく実感したのもその頃です。
    一人一人の選ぶ権利が守られる事が、最も大切な事なんでしょうね。

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