復興準備区域へ

 今日の散歩は久し振りに新田川河畔に行ってみることにした。鴨の家族の姿は無かったが、代わりに堰のところに嘴の長い見たことのない水鳥が一羽、じっと立っていた。小魚をねらっているのだろうか。下水処理場横のいつもの小径を突き当りまで行って戻ってくるのだが、わずかな距離なのに最近は疲れるのか、引き返して半分くらいになると極端に歩き方が遅くなる。でもこういうとき、せかしたり強く引っ張ったりしない方がいい。小鳥の声や道端の草花に注意を向けるようにしてゆっくりゆっくり歩くようにすればよい。
 
 帰る途中、いつも買い物をしていた量販店と百円ショップの方を見ると、駐車場に車がかなり停まっている。もしや開店したのか、と寄って見ると、やはり営業を再開していた。いつから開いたのだろうか。それはともかく、これで市民の、いや私だけかも知れないが、生活に不足のものはなくなったわけだ。
 
 そこで改めて気になっていることがある。それはこの町の小学生から高校生までの学校生活はどうなっているか、ということだ。たとえば小学生だが、原町区に現在住んでいる小学生は、隣りの鹿島の小学校までスクールバスで通っているらしい。事実、昼過ぎの通りに、バスから降りて帰宅する小学生の姿を眼にする。しかし不思議でならないのは、市内の小学校のうち第一小学校は現在避難所になっているが、第二と第三は空いているはずなのに、なぜそこで授業をやらないのかということである。残留している小学生の数は少ないはずだから、第二か第三の校舎を使えばじゅうぶん授業に使えるのに、なぜそうしないんだろう。確かに緊急時避難準備区域ではあるが、放射線値は隣りの鹿島とほとんど変わらず、自宅からの通学も可能なのに、例の30キロラインの呪いにかかっているのだ。
 
 私が学童の親だとしたら、大気中の放射線を浴びるということだけに限っても、自宅から近くの学校に通学させるより、バス停まで歩き、そこで待つ時間、そしてバスに乗って隣の区まで行く道中の方がもっと心配のはずだが、だれも異を唱えていないようだ。だったら私などが口を挟むまでもないが、馬鹿げた処置であることには変わりが無い。中学生のことは知らないが、高校生の場合はさらに遠い相馬市の高校までバス通学をさせているらしい。
 
 もう一度言う。放射線値も変わらない遠方までなぜ通わせる必要があるのか。もっと問題なのは、行った先の学校には空き教室がある訳も無いから、ある時は廊下を使って授業をやっているらしい。あれもこれも30キロラインというマジックサークルに囚われての総理府の通達を何の疑念も抱かずに、そんな馬鹿げたことをやっているわけだ。つまりかつての日本郵便やクロネコ、そして飛脚が総務省通達という呪縛にかかっていたように。幸い物流の方は、現在は完全に旧に復しているが。
 
 私が父兄だったら、日本郵便に対しての時のように皆さんの助けを借りて声を大にして抗議していたはずだが、これら学童たちの父兄でないので、何も言うつもりはない。
 
 ともかく、百円ショップの開店に表れているように、ここ南相馬市の市民生活はいくつかの欠落部分を残しながらも、ほぼ平常時にも戻っている。前にも言ったように、緊急時避難準備区域という苦心の命名は、いまや完全に有名無実のものとなり、実際には復興準備区域だということである。
 
 それから、放射能については相変わらず無知のまま、そして今後も死ぬまで調べたりする気はさらさら無いが、しかしそんな私でもだんだん分かってきたのは、毎時発表されす環境放射線値なるものの実態は、空気中の数値というより土壌のそれだということである。つまり空気中に常時流れているものではない、ということだ。そうでなければ、たとえばここ数日の南相馬市の数値がずっと0.49マイクロシーベルトであるわけがない。つまり過去の或る日、風に吹かれて当地に飛来し土壌に付着した放射能が雨や風によって多少の変化を見せながらもほとんど変わらないからこその数値だろう。だから子供たちは別としても、80、90のじいさんばあさんが鼻の辺りに汗を溜めながらマスクをしていると、つい近寄っていき「おじいちゃん花粉症? でなかったら大きく息を吸って吐いた方が健康にいいよ」と言いたくなる。もちろんそんなお節介はしていないが。
 

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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1 Response to 復興準備区域へ

  1. 三宅貴夫 のコメント:

    早速のご返事、拝読しました。
    奥様が認知症らしいが医師の診断を受けていないのは気になります。
    認知症=アルツハイマー病との誤解もあり、少ないながらも治る認知症もあり、治りはしないが悪くもならない認知症もあります。妻の認知症はこの例です。
    また奥様が脊髄損傷で手術を受けたそうですが、実は私の妻も認知症発病1年後頃、「会津に帰る」と2階の窓から出て雨で濡れた屋根から4メール下に転落しました。
    腰椎と両踵の骨折で脊髄損傷の恐れありと腰椎骨固定術を受けました。
    こちらの方は、経過良好で現在、家のなかを杖なしで歩けるようになりました。
    介護保険の要介護3で、週4回、デイサービスセンターに通っておい、これが私の休養になるだけでなく、本人も結構楽しんでいるようです。
    もっとも帰宅すればすっかり忘れていますが。

    私のサイト「認知症なんでもサイト」http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm
    もご覧いただき、ありがとうございます。
    認知症が話題になっているネットの時代にもかかわらず、我が国の認知症に関わるサイトはやっとここ2,3年でよくなってきたようです。
    私のは「老舗」として基礎情報と最新情報を毎日、提供し続けてきました。
    認知症の海外情報では我が国でもっとも情報量が多いと自認しています。

    それにしても、今回の大津波を予測した研究者がいたことは知りましたが、地震や津波は避けられないにしても原発事故はひどい。
    地震や津波を違い情報がコントロールされ、しかもその情報の解釈が専門家でなければわからない部分がとても多いことで戸惑います。
    郡山の薫小学校は娘が通ったこともある学校ですが、今回、市長の判断で表面の土を削ったが、その土の移送先の逢瀬の人たちが反対したということが全国放送され、郡山市の評判を落としました。
    専門家に相談してどの程度削ればよいのか、その土の処分の適切な方法について知っておく必要があったと思いますが、その専門家なるものが怪しいこともだんだんわかってきました。
    そもそも20マイクロシーベルトの根拠についても、放射線被ばくに閾値があるという放射線の専門家もいるようで、どちらを信用してよいかわからなくなります。
    しかし現実的には閾値があるという前提でないと、私たちは生活できないはずであり、業務上、宇宙線を常時受けているパイロットらは特別な防御を行ってはいないようですが、パイロットにがんが多いという話は聞きません。
    このことからも、放射能はできるだけ少ない方がよいというのはもっともらしく聞こえますが、現実的ではないし科学的ではないかもしれないとも思ったりします。
    とはいえ放射能の影響を考えると子供たちは逃げるにしても、私を含め65歳以上の人たちは避難地区に止まってもよいのではと思いますし、佐々木さんのように私も止まって頑張るでしょう。住み慣れた土地を離れたくないと言っている80歳の高齢者を故郷から引き離す方がはるかに残酷に思います。放射能の影響と土地での残された生活を考えると、居させてあげるのがよいのではとも思ったりします。
    浜通りの悲劇を見るにつけ、NHKでもっともらしく解説していた「原子力専門家」はこうした事態を想定していたのか質問したい。想定していなければ無知と批判したくなるし、想定したとして何もしなかったならまたこれも批判したくなります。
    「懺悔」した専門家もいますが、できれば市民の立場に立って情報を集め、わかりやすく解説する専門家が必要なのに、誰も動かないもどかしさがあります。
    情報が東京電力と政府とマスコミに握られているからです。
    しかし今月15日の教育テレビで退職してまで放射能汚染を追跡している技術者を知り、敬服しました。
    こうした人たちがもっと出てきてほしいものです。
    考えてみれば、誰も経験してない最期の最期までの原発廃棄物の万年単位の処分方法も不明な不完全科学技術の原発をこれでよいのかと思いつつ、その原発に私たちがどっぷりつかり、あるいはつからされる生活にあまり異をとなえてこなかったことにも私たちの問題としてあることも考えてみなければなりません。アジア太平洋戦争に至る過程もこんなものだったかもしれません。
    さらに戦争に至る過程でマスコミが侵した犯罪もきわめて重要ですが、今回の原発事故について起こる前からマスコミがどれほど異を唱えてきたも検証に値するでしょう。事故が起こってから、非難することは誰にもできますし、受けがよいのです。ということは今起こっていること、これから起こりそうなことについても、どこかおかしいと私たちもマスコミも「流れに逆らって」異を唱えることをしなければならないかもしれないのです。たとえば、「20マイクロシーベルトは安全だ」と主張する人たちが居てもよいかもしれません。しかし、今の流れでは誰も言えないでしょう。
    微量長期被ばくの放射能の影響と今の生活とどのようなバランスが望ましいのかも考えてよいはずです。
    政府の安全基準を鵜呑みにするか、放射能はすくなければ少ないほどよいということで生活を縛っていってもよいだろうかと思います。

    ところで佐々木さんも猫を飼っておられますが、認知症になった妻は猫が好きでこれまで10匹ほど飼いました。オス猫は全員、旅に出、メス猫は最期まで家に居ました。現在、一匹飼っています。今の猫は、4年前、最後の猫が亡くなり妻がほっとしたところ、1週間後、私が雨の中で車に轢かれそうになった小さな猫を見つけ緊急避難的に拾ってきたら、「また飼うの」と苦情を言われました。

    介護のため家にいることが多く、人と話すことが少なく、いつも思っていることを書きたくなり、といろいろと長く書いてしまい、失礼しました。
    お身体を大切にしてください。

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