城外へ(つかの間の休日)

四月六日(震災後27日目)快晴

 昨日から今日の日程を決めていた。曲りなりにも「日程」などという平常時の考え方ができる余裕が出てきたのであろうか。十一時に相馬「道の駅」で、スペイン語教室の二人の聴講生たちと落ち合う約束をしたのだ。つまり息子たちが置いていった洗濯もの(洗って乾いたやつ)や靴、それに米など食品少々、愛のお菓子少々をダンボール箱二つに詰めたものを十和田に送りがてら、大震災後の互いの無事を祝う食事会をすることになったのである。先日書いたような、一箇所むごたらしい津波の爪痕と簡易信号灯で一車線になっているところ以外、いつもの車の流れである。道の駅に着くと、先に来ていたお二人(ちなみに、お二人とも私よりかずっと<かな?>若い主婦である)の車に先導されて、安くて美味しい家庭料理を出すお店に行く。話題はもっぱら原発事故のこと、お二人ともお上や東電の対応に対して私以上に辛辣な批判、いや怒りで盛り上がる。
 
 久し振りのゆったりした食事、外はまぶしいほどの陽光が道路や家並みを照らし、まるで初夏のような陽気である。ここから数十キロのところで原発事故が起こった(ている)こと自体が夢、いや悪夢のように思われる。食堂を出たあと、本局の方は駐車場が狭いというので、駅前郵便局に案内してもらう。車に残した美子は、Oさんが見てくれる。Sさんと一緒にそれぞれ一つ箱をもって窓口へ。あゝこれなんだよなー、窓口で手続きをし、料金を払い、受け取りをもらう。この当たり前のことが、わが町南相馬ではまだできないのだ。嬉しくなって思わず過分の感謝の言葉を言い出しそうになって、辛うじてこらえた。

 局を出て斜め向かいに薬局があった。川口の娘に薬屋で購入して送ってもらうことになっているセロナ軟膏(両手のアトピー性の痒みをおさえる)があるかも知れぬと一人で店に入ったが、処方箋専門の薬局らしく、無いという。駐車場に戻ると、美子の側でOさんとSさんがなにやら大きな声で歌っている。美子が合わせて歌ったと大喜びしている。そうか歌いかけてやれば歌うのか。思わぬ発見である。言葉も話せない、ましてや歌も歌えないと決め付けていたが、根気良くやれば、少しはできるようになるのかも知れない。そういえば、このところ、こちらの言う単語を鸚鵡返しにしゃべることがあり、ときにはこちらの問いかけに「はい」とはっきり答えることがある。頑張ってみようか。

 駐車場でお二人とまた再会を約して、ということはスペイン語教室再開を約してということだが、ぽかぽかと晩春(でしょうな)の午後の陽炎の中を帰路についた。確か先日走ったときは、途中一箇所「通行止め」の看板が道路わきにあったはずだが、今日は跡形もなく消えていた。あゝこうして当たり前の日常の、当たり前の時間がそのうち帰ってきますように!

 国と国の国境線の多くは、川や海や山など自然の境界線で仕切られており、赤道がそうであるように、通常は目に見えない。さて私たち夫婦は、今日往きと帰りにあの30キロラインを越えたわけだが、もちろんラインを見たわけではない。

 いや待てよ!もしかして先日見たあの看板の場所こそ、その30キロラインだったのでは? すると、一時的にせよ、あそこからこっちはペスト菌、いや放射線に汚染された呪われた土地、という刻印を押されたのでは? そのときだれが通行を規制したのか? 消防団? 警察? それとも機動隊?

 ふだんは見えない「国家」が、外敵に対してではなく逃げ惑う国民に対して容赦なく牙を剥く(と言って、その「国家」は、その機動隊員は、たとえばほれっ、角の魚屋さんのあの孝行息子なんだよなー。まっこと「国家」とは摩訶不思議なものよ)。まさかとは思うが、しかしおのおの方、ゆめゆめ油断召さるな!

★追記 今日も足立教授から素晴らしいメールをもらいました。実際の宛て先は同級生の岩間さんですが、放射線を怖れるすべての人に役立つはず。この私にも。右上のコメントをご覧下さい。→

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

1 Response to 城外へ(つかの間の休日)

  1. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    — On Sat, 2011/4/2, motoaki adachi wrote:
    ________________________________________
    岩間さん

    足立です。
    関東の方は、放射能汚染への対応で、大変だと思います。
    佐々木先生のブログに対するコメントで、放射線は勘所をおさえれば、怖くないと書きました。
    その勘所をお教えします。

    まず、岩間さんが取っておられる対策、「風呂に張った水を沸かして飲む、野菜はよく洗って茹でてたべる、換気をせず家にこもる」は内部被爆を避けるためには、大変有効な方法です。
    これに加えて、「外出時はマスクをし、帽子をかぶり、長袖のコートをはおり、帰ってきた時にはこれらを玄関で脱ぎ、リビングなど普段使う部屋に持ち込まない」を実践すると完璧です。

    勘所というのは、これらの対策をいつ行うかという判断です。
    今朝のニュースを見る限り、東京の放射線量は自然放射能(地域によるのですが日本では0.07~0.15マイクロシーベルトです)以下です。
    したがって、普通に窓を開け放し、新鮮な空気を部屋に入れて下さい。
    密閉した淀んだ空気の中にいる方が、健康に悪いです。
    また、布団を干したり、洗濯物を干したり、マスクなどうっとうしいものはつけず外出・散歩(お花見もいいですね)してください。
    閉じこもって、鬱状態にならないように、気分転換が大切です。
    水道水もそのまま飲んでもOKです。
    風呂に貯まった水を飲む方が、よっぽど健康にわるいです。

    ところで、原発はまだ不安定な状態です。
    いつ暴走するか分かしません。
    もし、窓を開けはなって、外出していた時に、水素爆発が起こったら、それこそ部屋の中が放射能で汚染されてしまいます。
    そこで重要なのが風向です。
    放射線量は後で発表される数値ですから、被爆を事前に回避するという観点からは役に立ちません。
    長時間外出されるとき、あるいは洗濯物を干されるときなどは、その日の風向き(原発の方角から風が吹くかどうか)をチェックしてください。
    次に、水道水ですがこれは比較的対応は容易です。
    放射性物質は雨で水源に流れ込みます。
    天気予報で、明日、雨がふると予報が出てから、ペットボトルに水を入れてためておけばいいのです。
    3日もたてば、水道の放射線量は、平常値にもどります。
    なにも高いミネラル水を買う必要はありません。
    佐々木先生の対応がすばらしいと絶賛した理由がお分かりいただけたと思います。

    次に、ヨウドやセシウムで汚染した野菜や肉ですが、政府が設定した基準以下の野菜、肉は食べても問題ありません。
    ただし、幼児や妊娠中のお母さんは出来るだけ避けるべきです。
    これは全く個人的な見解ですが、60歳以上の人間は福島産の野菜や米、肉、魚を食べ、子どもと妊婦さんには関西の汚染されていない食物を回すべきだと思っています。
    理由は2つです。
    この放射能汚染が原因で万が一ガン細胞ができたとしても(正確な数字が手元に無いのですが、今のレベルでは多分一万人に一人、ガンになるかどうかだったとおもいます)、発病するのは20年後です。
    そのとき、私たちは80歳ですから・・・。
    子どもと妊娠中の女性が避けなけらばならない理由は、分裂が盛んな細胞は放射線によりダメージを受けやすいためです。
    つまり、成長期の子どもと胎児が最も影響を受けやすいということになります。

    ただ、私たちは小学生(成長期)のときに、今の20~30 km圏内の人より、ひどい放射能にさらされています。
    当時、中国がゴビ砂漠で大気圏核実験を行っており、その死の灰(これは骨に取り込まれやすく、半減期が非常に長いウランやプルトニュウムを含んでいました)が偏西風に乗り、日本まで飛来したのです。
    雨で死の灰が各地に降り、沖縄をのぞくほぼ日本全国の河川、土壌が汚染されました。
    当然、私たちも放射能で汚染した水や野菜を食べたことになります。
    でも、その後の調査で、小児性ガンや成人ガンの発症率に変化は認められませんでした。

    ですから、必要以上に放射線を怖がる必要はありません。
    佐々木先生の、押さえるべきところ(放射線の勘所)は押さえて、可能な限り普段の生活を営まれている姿は、放射能汚染下での理想的な暮らし方だと思います。

    最後に、もし、万が一不幸にも原発が最悪のシナリオになったときは、躊躇せず、富田へ疎開して下さい。

    もっと早くこのことを伝えたかったのですが、書く時間がなく、今日になってしまいました。
    大阪の桜は3~5分咲きです。
    風向きをチェックして、東京でもお花見を楽しんで下さい。

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