籠城日記21日目

☆ 同日午後五時半の追記 
 各地からの善意の贈り物の中に、愛のおしめやお菓子、塗り絵などがあったので、それらを一まとめにして明日あたり鹿島郵便局(とうとう南相馬市の一部まで来た!)から十和田に送ることにした。といって西内兄の助力で。それで21日ぶりに、ゆっくり美子の手を引いて車に乗せ西内宅に向かった。ところが目の前には信じられないような光景が広がっていた。午後四時半、こののんびりした町のいつもと変わらない車の往来があったのだ。いやさすが歩いている人は少ないが、車だけならむしろいつもの夕方より多いくらいなのだ!
 追記への追記になるが、先日、町をさまよう老犬の話に反応してくださった方々のおかげで、ダンボール箱二つ分のペット・フードも届けることができた。さっそく愛犬家や愛猫家、そしてさまよう犬・猫に届けられるはず。どうもありがとう。
 おっと忘れるところでした。午後五時現在の例の数値は、0.98マイクロシーベルト/時です。
 
☆ 大震災発生後、今日は21日目、原発事故による「籠城」を意識してから?あほらしい、考えたくもない。
 
 今朝七時現在の例の数値、南相馬市は0.97マイクロシーベルト/時、低いまま、そしてあの飯舘はというと7.39、いちばん高かったときの、たぶん五分の一である。このまま漸減してゆくことを願う。
 
 昨夜、寝しなにGさんから来た二通目のメールに返事することを思い立ち、キーボードに向かった。そしてそのとき、このブログを、わが愛する教え子たち、とりわけ先日、小島章二さんのスペイン公演『ラ・セレスティーナ』の大成功の影の立役者、わが愛する教え子の一人古屋雄一郎君が見ていることを急に意識した。まずい、先生の私としたことがスペイン語で手紙も書けないなんて……
 
 で、窮鼠猫を噛む、あるいは火事場の馬鹿力風に、思い切って書き出した…おや、書けるでねーの。そして直訳すると、おおむねこんな返事をしたためた。

 「二通目のお手紙、たくさんたくさん感謝します。貴女もよくご存知の通り、この大地震の少し前に、私たちの敬愛するミゲル・メンディサーバル神父が亡くなられました。彼は私の真の師でしたし、これからもそうです。貴女は、私のホームページのファイルの中に、昔々私が書いた「私の恩師」という文章を読むことができます。
 
 今朝、典子がメールを寄こして、貴女のアドレスを教えるよう求めてきました。というのは、今朝のブログで貴女との再会について書いたからです。
 
 三、四日前のモノディアロゴスにも書いたように、青森近くの十和田から、兄が車で来て母と息子一家を十和田まで連れて行ってくれました。今や彼らは原子力発電所(Centrales Nucleares)から遥か遠く離れています。さて今こそ私は、あらゆる思いわずらいから自由になって存分に戦う(?)ことができます。愚かな政治家たちの愚かなリードによって結果した当地の事態は、他の被災地の悲劇と比べるなら、正に喜劇であります。貴女もご存知の通り、私は悲観論的楽観論者であります。事態はこれまで生じた害以上の害のないまま、一月以内(?)に終息するだろうと確信していますです。ともあれ、私はこの騒乱の中から、たくさんの戦利品を得ながら、生き抜くつもりです。貴女との再会はその戦利品の一つであります。
 
 ホームページの「家族アルバム」をもう見ましたか?そこには懐かしい清泉時代の写真が何枚かありますよ。では今夜はこの辺で。Hasta pronto!」

■ばっぱさんたちが行った十和田の近くにも、別の原発があるなんて、とてもじゃないけど書けません……
 それから文中二回ほど「愚かな」という言葉が使われていますが、それは「トント」というスペイン語です。さあ皆さんいい機会です、このスペイン語を覚えて愚かな役人などを目にしたら、心の中で大声で叫びましょう「ケ・トント!」と。ちなみに「ケ」は「何と!」という感嘆詞ですぞい。

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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2 Responses to 籠城日記21日目

  1. 佐藤浩一郎 のコメント:

    しばらく前からこのブログを拝見している者ですが、あなたの主張がよくわからない。なぜ避難しないのかが。

    下記は  長周新聞 http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/index.html より抜粋です。

    B 放射線を扱う場合は、必ず「管理区域」というのが定められる。放射線の量がある程度高くなると健康上の問題が生じるので、被曝量を測定したり、健康診断をしたりする必要のある区域だ。その基準値は3カ月で1・3㍉シーベルト(1300マイクロシーベルト)で、1時間あたりにすると0・3マイクロシーベルトになる。福島県内は、この一週間、ほぼ全域で1時間あたり1マイクロシーベルトを超えている。全員が放射能測定器を付けないといけないレベルだ。
    以上抜粋おわり
     1マイクロシーベルトを下降しつつあるとしながらもその事実を事実ととらえていて、なおそこに居続けることは自殺行為としかいいようがない。それともどうしようもない、ということでしょうか。さりながら、東京都北区に居するわたしも東京が0・3マイクロシーベルト以上になった場合どうするか、想像もできない鈍感さではある。さて、そのときわたしはどうするのか。

  2. fuji-teivo のコメント:

    あなたの拠っておられる下関の「長州新聞」とかいう私にとってはまったく得体
    の知れない新聞の情報より、いろんな意味で絶対的な信頼の対象とはほど遠いに
    しろ現在「くに」が公表している情報の方を信頼します。自殺行為とはぜんぜん
    考えてませんから、どうぞご心配なく。事故発生以来、たとえば福島市などはずっ
    と当地の3~4倍の放射線値でありながら、避難地域にも,ましてや屋内退避地
    域にも指定されていない事実から、屋内退避指定地域の人間が自主避難より屋内
    退避を続ける自由と権利は、国でさえこれを認めているわけです。もちろん私は
    他人に私と同じことをせよ、と勧めたことなど一度もなく、ただ私のような決断
    を最大限尊重し、そのための手立てをすべきであろうと主張しているだけです。
    まっ、あなたもあなたがよいと思う行動をどうぞご自由に選択してください。と
    やかく言われる筋合いはありません。各自それぞれ自分の頭のハエを追いましょう。

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