転落の詩集

 今日も三冊の本がネット古本屋から届いた。そのうちの二冊はすでにここで触れた。すなわち長谷川元吉『父・長谷川四郎の謎』と香月婦美子『夫の右手』である。この二冊についてはいずれ書くつもりである。さてもう一冊は石川達三『転落の詩集・智慧の青草』(新潮文庫、1978年、48刷)である。今ごろなぜこんな本を手に入れたのか。
 
 石川達三、かつてはブラジル移民を描いた『蒼氓』(ソウボウと読む。つまり民のこと)という難しい題名の小説、あるいは教員の組合運動をテーマにした『人間の壁』、そして今なら流行語大賞間違いなしの『四十八歳の抵抗』などの作品を持つ文壇の大御所だったはずだが、いまはすっかり埋もれている作家(かも知れない)。私自身、この作家の作品は一つも読んだことはない。ただ結婚前の美子の愛読書の一つが彼の『転落の詩集』であったことは知っており、そして事実、彼女の本棚にそれの文庫本があったことまで覚えている。だがその文庫本も何回かの引っ越しのときに紛失したのか、いつのころからか見えなくなっていた。

 わずかな蔵書ながら、それでもある種の統一性というか個性というか、第三者(とりあえずは子や孫たち)から見ても何がしかの特色ある蔵書であってほしいと、漠然とながら思ってきた。そのためには美子の読書遍歴なども分かるようにしたいとの思いから、彼女の卒論テーマであったT.S.エリオットの本などを揃えてきたのだが、先日ふと『転落の詩集』を思い出したのである。
 
 これまでも言ってきたことだが、彼女の読書傾向には人間の負の部分への関心や興味があったように思われる。卒論のテーマからしてそうだが、アウトローとかデカダンへの共感のようなものか。だから夫婦喧嘩をしたときなど、そうした傾向を揶揄するようなことを言ったこともある。もしかして彼女に対する一種の嫉妬心からかも知れない。
 
 だから石川達三など読むものか、と思って見向きもしなかったのだが…あれほどまで本好きだった彼女が、いまはまったく本が読めなくなってしまった。人生の最終コースを走るようになった今(彼女は今日、六十七歳になった)、おそらくかつて自分が愛読した本をもう一度読み直したいと思ったのではないか。ならばできるだけ彼女の意に沿ってみようかな、と思ったのがきっかけである。
 
 実は思い違いをしていた。詩集だと思っていたのだ。たとえば伊藤整のように、若いときは詩人志望で、若書きの詩集を持っていたのでは、と考えたのである。ところが文庫本で70ページほどの短編小説なのだ。紹介文はこうなっている。「罪の中に今一度の幸福を夢みながら、自らの文才を発揮し、その転落ぶりを巧みな詩に創作する女を描く」小説。これだけでは筋がつかめないので、簡単に補足すれば、窃盗を犯した若い女と、その更生を願う警部補との屈折した恋愛を、最後は警部補が職を辞して彼女の刑期が満了する日を待つというハッピーエンドで締めくくられた小説である。
 
 更生や法の厳守しか見えなかった男が、転落の女からそれらを越える人間らしい愛を教えられるという話ですな。なるほど美子がなぜ共感したのか、何を言いたかったのか、なんとなく分かってきました。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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