「拝復
一月九日付のお手紙ありがとう御座いました。早速寮に三月三日(念のため)から一ヶ月間と再申し込みをしましたが、まだ確答はえていません。具体的に決ったらすぐに知らせて下さい。
忘れないうちに書きますが、カセット・コーダー、良いと思いますが、インタビュー用でしょうか? もう一つ持ってきたら良いと思うのは、トランジスター・ラジオです。ひまな時間にスペイン語がうんと聞けるし、時々音があった方が精神衛生上良いですからね。但し、スペインは大体が二百五十ヴォルト、僕の寮は一二五ヴォルトですので注意を要します。パスポートを入手してからなら無税で、しかも外国用のものが買えます。
『プラドの三時間』の書評ありがとう御座いました。あれは、すでに出発前に初稿が出ていたもので、決して法政の方を犠牲にしたものではありません。思い出しましたが、『プラド…』三冊、昨年末に着く筈になっていましたが着きません。時間のある時で結構ですが、美術出版(Tel.二六〇―二一五一)、編集の佐藤とき子さんに、三冊嵐田君に渡してもらえたかどうか聞いていただけませんか。
君のリスト、膨大なのでびっくりしました。古本屋で大変に学のある男が ¡Coño! (この表現分りますか。修道女には絶対にきかないで下さい!)と叫んで、「九十%私の知らないものだ!」といってました。コピーの方は、国会図書館なり大学なりで、君が来てからでも出来ると思い、とにかく君が買いたい研究書を探しています。前に説明しましたように、スペインの出版事情が日本と違いますので、本を入手するのに時間がかかります。あちこち歩いてみましたが、現在までのところ、次の五冊(Epistlario Unamuno-Maragall,PedroTuriel,Andres Fraanco,Abellán,J.L.と雑誌の方に入っていた U.de Salamanca:Unamuno a los cien años)が買えただけです。古本屋や新刊書店で当って見ましたが、まず外国出版のものは希望がないようです。今日、近くのブッホルツ(ドイツ系の書店でマドリード一だと思います)に、大学の帰りに寄って見たら次の本を見つけました。Julián Marías,”M.de U.”,1968:Martín Nozick,”M.de U.”,535 pts,1971;Luis González Seara,”M.de U.”,2 ed.50 pts,1965;Hans Joackim Sell,”Das Drama U.”,110 pts,1965;Andrés Franco,”El Teatro de U.”,375 pts,1971;Demetrios Basdekis,”M.de U.”,108 pts.1969. 以上です。もし買いたいものがこれらのなかにあったら、至急知らせてください。買っておかないとなくなる危険があるし、値段が上る可能性もあります。(因みに、コピー代は現在のところ、用紙一枚につき一〇~一五ペセタです。)
変な話で恐縮だけど、今度来る時、生昆布とスルメを少し持ってきてくれませんか。我が家では毎年暮れに北海道の生昆布を買い入れるので、多分家内にいえば用意すると思います。この二つ、特に昆布が一番日本的な味なので…
皆様によろしく。 一月二十五日
佐々木孝様 神吉敬三 」
これは昭和49年(1974年)、マドリードから届いた航空書簡である。先生特有の男性的な筆致の、しかも一字一句正確に書かれた懐かしいお手紙である。このとき先生は一年間だかの在外研究(当時はたしかサバティカルという言葉はまだ使われていなかったと思う)でマドリードにおられた。文中、寮と言っておられるのは、マドリード郊外ピナール21番地にあった(たぶん今も)有名な高等学術研究所のレシデンシアである。有名な、と言ったわけは、この寮がかつてクラウシスタたちの自由教育学院精神に則って一九一〇年に建てられた研究機関で、ここにヒメネス、ウナムーノ、オルテガ、ダリ、ロルカなどが集ったところだからだ。ロルカが使ったピアノも当時のままだという。
その年、文部省の在外研修制度を利用してスペインに短期間滞在するに際して、神吉先生のお世話で私もこの寮に短期間ながら滞在することができたのである。なにせ大昔のことなので、手元の簡易年譜を調べてみると、私大連盟から正式な知らせがあったのは三月八日、そして四月二日に神吉夫人から餞別をいただき、六日にスペインに向けて出発したとある。そのころ住んでいたのは西武線西武柳沢駅近くの団地で、福島から美子の両親を呼び寄せて同居していたから、留守宅の心配はなかった。
七日午後一時にバダホス空港に降り立つと、神吉先生、大高さん、そして清泉の教え子の小出、菊池さんたちが迎えに出ていた。そして翌八日から大高さんの車(中古のフォルクスワーゲン)で先生、大高さんと三人でのポルトガル旅行が始まった。その旅行のことは「ビーベスの妹」という短編に少し脚色して書いている。そして十三日に、コインブラで両氏と別れて単身サラマンカに向かい、ウナムーノ研究紀要に論文を提出して、マドリードに帰着したのは十七日、そして先生たちも翌日帰られ、それから五月一日に再度サラマンカに向かうまで、部屋は別々ながら寮で先生との楽しい日々を送ったのである。
そのことについてはまた別の時に書くとして、冒頭に先生の私信をそっくり載せたわけは、そこに先生の実に細やかな思いやり、後進に対する温かい愛情が実によく現れているからである。もし先生が生きておられたら、きっとあの深く響く低音で、「佐々木君それはね――」といつもの言い回しで…そう、いま不意に思い出したのだが、その言い回しはいっとき、美子と私が真似していたことがあったっけ。
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