出たばかりの『島尾敏雄日記 「死の棘」までの日々』(新潮社)が伸三さんから送られてきた。本当は他にもたくさんの本が、そしてその中の一冊はあまりに高価なので購入をためらっていた彼の写真集までが、送られてきたのだが。でもみなまで書くと、羨ましく思う人がいるかも知れないので、これ以上は言わない(あゝ、その態度、思わせぶりで感じ悪いよ)。
中に、新潮社の宣伝誌『波』最新号が入っており、栞の挟まったページを開くと奥さんの潮田登久子さんの「奄美の家の膨大なモノの中から」というエッセイが載っていた。義母ミホさんが奄美大島の自宅に残した大量のモノの整理に悪戦苦闘する記録だが、先に出た真帆さんのものとあわせ読むと、死してもなおミホさんの霊がモノに乗り移っているようで、ちょっと怖い。と言ったらミホさんに叱られるかも知れないが。
亡くなる半年前、ミホさんが、嫁の登久子さんと孫娘の真帆さんを正座させて、上機嫌に小笠原流の礼儀作法を伝授するエピソードなど、見方によっては鬼気迫るものがあるが、しかし今になってみれば、何事にも一生懸命であった彼女の過剰なまでの善意が見えてくる。もちろん近くにいる人にとって、それは息苦しさ以外の何物でもないのだが。
今さら伸三さんに恩を売るつもりは毛頭ないのだが(これ掛け値なしに本当)、改めて考えてみれば、一時期、はからずも私は伸三さんの代わりを務めるような仕儀に立ち至ることが何回かあったのでは、と思うことがある。たとえば昭和六十三年十二月、加計呂麻島呑之浦での文学碑除幕式に、国内にいなかった(?)伸三さんのいわば代わりに立ち会ったこととか、あるいは鹿児島から東京移転をもくろんだミホさんのために(そのとき伸三さんは「孝さん止めといた方がいいよ、あとで後悔するから」と確かに言った)家探しをしたこと(伸三さんの予言どおりドタキャンになった)などなど。
そんなことがあった後だったから、ミホさんが平成八年(1996年)に名瀬市浦上にコンクリート製の(だと思う)書庫と家屋を建てたとき、その落成式にしきりに参列するよう誘われたのだが、理由を作って行かなかった。その時も伸三さんは折悪しく(?)国内にいなかったはずだ。
たぶんその頃からだろうか、ミホさんとしだいに距離を置くようになったのは。つまりあまり接近すると、人間、相性というものがあって、互いの善意がうまく機能しなくなることがある。仕方がないことだ。ただ今までだれにも言ったこともなく、ましてや書いたこともないのだが、遠い昔、ミホさんの熱い、真剣な善意を向けられたことがあったことを書いておきたい。いつか私もこの世から消える。書いておかなければ、たぶん誰にも気づかれず永遠に消え去るエピソード。
そのときのことは、昭和四十二年十一月、私がとつぜん聖職者への道を断念する旨の手紙を名瀬に送ったときのミホさんからの手紙に残されている。
「突然の御便りで大変驚きました。早速に敏雄さんから御返事さし上げる事が出来ません事を御詫び致します。敏雄さんは十月十五日、名瀬を出発致しまして、只今欧州を旅行中でございます。十二月十五日頃帰宅の予定になって居ります。
余りの急な御知らせにどのような御返事をさし上げましたらおよろしいやらわかりません。御便りを戴きました時、大きなショックで、文面を拝見しながらマヤと二人で涙をポロポロとこぼしました。決断を下されるまでの御気持御拝察申上げられてなりません。御便り読み終わってすぐ、お苦しみのさなかの孝ちゃんの御声なりと…と存じましてすぐ電話を申し込みまして夜十時過ぎまで図書館の電話口でマヤと二人で通話をお待ちして居りましたが、一向に東京への通話が通じませず、マヤが<十時が修院の門限ですから、消灯も十時かもしれないから、お電話があまりおそくなっては孝御兄さまに御迷惑かもしれない>と申しますので、通話を取り消して家へ帰りました次第でございます……」
実に四十三年ぶりに読み返している。あのときのミホさんのお気持のことがいつも念頭にあったら、たぶんミホさんとの関係は別様に展開したかも知れない。でも残念ながら、人間はこうして忘恩と覚醒を繰り返しながら生きている。いや、忘恩はいけない。残された日々、ミホさんだけでなく、忘恩を繰り返したたくさんの恩人たちのことを思い起こしながら生きていこう。
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