マンシウ ノ コドモ デス

     ソラ ノ ウツクシイ マンシウ。
     ヒロビロ ト シタ マンシウ。
     ワタクシドモ ハ/マンシウ ノ/コドモ デス。
 これは旧満州の小学一年生の教科書『満州補充読本 一の巻』冒頭の文章である。昭和十年、大連市にあった「南満州教育會教科書編輯部」が著作兼発行者の六五ページの教科書。もちろん私が今見ているのは(全六巻)、昭和五十四年に復刻されたものである。

 元大連一中教諭の紹介の言葉を借りれば、これらの教科書は、「満州を居住地とする日本小国民に、郷土愛を培う《志》をもってつくられた…満州の風土をあるときは叙事的に、またあるところは抒情的に書き進めた《集大成的副読本》」である。確かに並みの教科書よりうまくできている。もっともその当時の本土の国定教科書がどんなものであったか比べたことはないが。また、聞いて確かめたわけではないが、終戦時、それぞれ小学三年生と一年生だった兄と姉はこの教科書で勉強したはず…ということは彼らの先生だったバッパさんが教材として使った可能性が高い。一人家にいるのが寂しくて、しょっちゅう彼らの教室に出入りしていた私にはもちろんそんな記憶は残っていないが。
 ところで先の言葉を読みながら、突然思い出したのは、私自身、ある時期、それもかなり長期にわたって、自分を満州人の子供だと思っていたことである(当時は満人と言っていたが、どうもそれは差別用語らしいので満州人と言い換える)。昔の子供はよく親や兄弟に「お前は橋の下から拾ってきたんだ」などと言われることがあった。私の場合たまたまそれが「橋の下」ではなく「満州」だったわけだが、しかしかなり深刻にそうと信じていた時期があったのである。いつか本当の親や兄弟を探さなければ、と本気に思っていた。

 その当時のことを書いた『ピカレスク自叙伝』では、父の死のあと、「へその緒」を見せられてようやくその疑いを払拭できたかのように書いた。しかし、へその緒など簡単に偽造される、などと思ったわけではないだろうが、うっすらと記憶している限り、満州から引き揚げてきて、帯広の小学校に途中入学してからもなお数年間は、まだその疑惑から開放されない日々が続いたように思う。

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