ビッグ・ブラザーの治世

 一昨日、私学振興・共済事業団から平成28年度分扶養親族等申告書にマイナンバーを記載せよとの通知があり、びっくりした。つまりもともとマイナンバー制に反対だったから送られてきた申請書類など一切無視して来たのに、いったいいつからこのように義務化されたのか青天の霹靂だったからだ。

 あわてて上出弁護士に問い合わせたところ、すでに住民票を基にマイナンバーそのものは確定していて、様々なところで記載が義務づけられているそうだ。たとえば交通事故の示談が成立して保険会社に報酬を請求する時にもマイナンバーを知らせないと手続きが進まないという事態になっているという。ご自身もマイナンバー制に反対の上出さんは、時代はまさにジョージ・オーエルの『1984年』の世界になってきたと嘆いておられた。ただしマイナンバーカードを申請するのでなければ、市役所で個人番号記載付きの住民票を申請すれば自分や家族の個人番号は分かる、と教えてくれた。

 なるほど、政治家や役人どもは来年一月の本格始動めざしてシュクシュクと準備してきたらしい。人間を記号化するこうした制度はマイナバーだけでなく社会のあらゆるところに現実化している。でもそれは何のため? 簡単に言えば国民を為政者の都合に合わせて統治しやすくするためであることは間違いない。彼らの究極の理想は、戦時中の国家総動員令とまではいかなくとも、少なくともその手前くらいまで進めたいのであろう。詳しく報道を見てなかったが、熊本地震のとき、災害時の緊急対策条例のことが話題になったようだが、時の為政者が超法規的な統制に乗り出すことに我々はもっと敏感にならなければならない。

 あらゆるデータを一元化することは、為政者にとっても好都合であろうが、しかし犯罪者にとっても格好の餌食になるということである。詳しくは知らないが、はやマイナンバー・データ流失事件が報じられているようだ。先日も、マイナンバーではないが、何万人にも及ぶ高校生の成績データが、無職の17歳少年によって盗み出されたらしい。データ化し記号化することによって事務的には効率が上がるが、しかしそこにはこうした危険が付きものだし、生身の人間の姿が次第に希薄になっていく危険が常に、必然的に付着する。

 以前書いたことだが、家のばっぱさんの死をめぐっての市役所や銀行などの対応で愕然としたのは、佐々木千代という生身の存在が数字や文字に限りなく矮小化されていることだった。こんな小さなコミュニティでもこうした非人間化の動きは加速している。そのうちいつか人間も、出生時にマイナンバー入りの微小なチップを体内に埋め込まれる時代が来るかもしれない。そんな馬鹿な、と言われるかも知れないが、効率化という進歩幻想に骨がらみになった人間の行きつく先は案外そのあたりかも知れない。

 オーウェルの描く仮想国オセアニアでは、国民の記号化が進み、国中いたるところにテレスクリーンが設置され、『ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている』というキャッチフレーズと共に、カイゼル髭の生えた壮年男性がテレスクリーンに映し出されている。もちろん「見守っている」は「監視している」ということである。

 人間の記号化と並行して、いまやある程度までの判断能力を備えたロボットの開発が急ピッチで進んでいる。人間の労働力不足を解消するためという大義名分が用意されてはいるが、しかしこれは原発の場合と全く同じ経路をたどって、たやすく戦争の具に転用される。ロボットとコンピュータによる世界戦争勃発の日が近い将来やってこない、とだれが保証できる?

 すでに事態は正常な分限を超えている。ここでブレーキを掛けなければ、間違いなく人類は絶滅し、そして世界は破滅する。おのおのがた、油断めさるな、日本の、世界の最後は近づいてるぞよ !!!

 なんだか暗い気持ちになってきたので、この辺でやめよう。ところで例のマイナンバーのことだが、年金受領のために背に腹は代えられないので、昨日市役所で個人番号記載付き住民票を大枚200円払って無事受領してきた。窓口のお姉ちゃんには何の罪もないので(?)、「平和菌の歌」5冊を進呈してきた。せめても平和菌をばら撒くことしかおいらの抵抗手段がないからだ。みーじめ鳥飛んでいく南の空に、ミジメー、ミジメー!(古ーい古いギャグです)

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。
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4 Responses to ビッグ・ブラザーの治世

  1. 立野正裕 のコメント:

    ビッグブラザーのブログ、シェアさせていただきました。さっそくむかしの教え子からコメントが入りましたので、コピーをごらんに入れます。
    「いづれ、マイナンバーで全て監視されますね。病歴も収入も。どんどん米国化してる。米国にはソーシャルセキュリティーコード(つまり日本のマイナンバー)があって、お薬手帳も丸見え。日本州にどんどん近くなっていく。憲法九条も・・・。」
    この教え子にも平和菌の歌を送るつもりです。

    • fuji-teivo のコメント:

      日本州で思い出しましたが、本家の大統領候補のトランプ、下品を絵に描いたような男なのによくもまあ支持者が減りませんなあ。日本州の宰相も彼に負けず劣らずの口先男ですが、これも人気が一向に衰えません。
       ともかく両者ともまじめな論評などに値せず、せいぜい戯画の対象ですわ。あゝ我に横山泰三や那須良輔ほどの絵の才能あれば、彼らの正体を完膚なきまで戯画化するんですが、残念。
       でも平和菌を吸えば、彼らの姿が泰三画伯の絵のように見事デフォルメされて、というよりそれが彼らの正体なんですが、はっきり見えてきますね。

  2. 阿部修義 のコメント:

     モノディアロゴスの中で先生が一貫して言われているように、人間にとって大切なことは全て面倒くさいものであり、鬱陶しいものなんでしょう。その意味を考えると人間の記号化は人間の存在そのものを疎外し、否定し、生きることを通じての生きがいまでも奪ってしまうことなのかも知れません。便利さ、効率化というような一見人間の生活をより快適に心地よいものにするであろう言葉の裏には、心を持たない物質的一面のみを追求していく人間の姿が垣間見えて空虚感を覚えます。現代は、人との関わりのいらない社会に突き進んでいるように感じますが、他者に無関心でいることは個人の自由ですが他者と無関係では生きられないという根源的な事実を無視してしまっているように思います。人と人との関係を構築し維持するためには先生が一貫して言われていることの重要性を改めて感じています。挨拶や、手書き、手作りというものの中にこそ人間関係における温もりが感じられ、そのことを通じて生きがいが生まれるのかも知れません。

    • fuji-teivo のコメント:

      阿部さん、お早うございます。本当にそうですね。例えば私たちは、相手の名前を読んだり聞いたりするとき、その人の顔や姿を思い出し、その人とのこれまでの交流の歴史を想起する努力を無意識のうちにしますが、名前どころかその人のすべてを記号化することで、その努力は一切省略されてしまいます。ばっぱさんが死んだときの銀行や市役所の対応で思い知ったのもそのことでした。
       監視カメラや記号化によって、人間が本来持っているはずの注意力や他人に対する暖かい関心や思いやりがどんどん消えていき、犯罪を防ぐどころか、社会の中にさらに暗部を増やしていきます。怖いですね。

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