反戦の思い新たに

 今朝(11日)の「毎日新聞」ネット版によると、「日本政府は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に【南京大虐殺】が登録されたことを受け、登録申請した中国政府に抗議するとともに、制度に不備があるとしてユネスコに改善を求める方針」と出ていた。

 また別のニュース筋では自民党の片山さつき国際情報検討委員会委員長代行は、夕刊フジの取材にこう明言した。「中国の記憶遺産申請は政治的利用であり、記憶遺産の本来の目的を逸脱している。このような理不尽な登録が行われた場合、分担金の支払いを留保することも考えていいのではないか」 日本政府筋も「断固たる措置を取る」と語った。

 またもや繰り返される醜い、そして分担金留保をちらつかせるなど意地汚いわが国の反応。従軍慰安婦問題のときと同じ、ただ見栄とその場しのぎの、まったく倫理性の欠如した対応。被虐殺者の数が30万は根拠がなく、したがって捏造である、という論理は乱暴かつ幼稚極まりない詭弁であり言い逃れに過ぎない。たとえそれが十分の一、いや百分の一であったとしても、その残虐非道さ、しかも皇軍の冒した罪、を言い逃れることは不可能である。

(3という数字から連想して、実質0.3丈【1メートル】くらいを「白髪三千丈」【李白】と表現する中国人にしては30万は少ないくらいだと言ったら、あまりにも不謹慎な冗談だと咎められるだろうが、しかし大虐殺の数日間だけでなく、そして兵士だけでなく、数多くの民間人がその前後に殺されたという記録もあるので、30万という数字はそれほど誇張されたものではないだろう。繰り返しになるが、その数字を盾に取って、虐殺の事実そのものを否定しようとすることの反倫理性をこそ恥じなければならない)。

 そんな折りも折り、少し遡って昨夜(10日)のことだが、東京のMさんから今晩、つまり昨晩11時からEテレでむのたけじさんのドキュメンタリーがあるとのメールが届いた。戦時中の報道姿勢の責任を感じて敗戦後即座に朝日新聞を辞し、郷里秋田に帰り、以後「たいまつ」という地方紙を立ち上げ、その反戦の思想を貫いてきた反骨のジャーナリストのことである。3冊ほど彼の著作を持ちながら、今までじっくり読むことを怠ってきたが、その彼が100歳の今も矍鑠(かくしゃく)として執筆・講演に(さすがに週刊紙は休刊したらしいが)活躍しているという。これはぜひ観なければなるまい。

 ところがその少し前の九時から、NHK総合で日本に帰化したドナルルド・キーンさんの特集が放映されるというので、それを初めから終わりまで観た。原発事故のあと東北での彼の講演や憲法九条改定の動きに対する憂慮発言などを小耳に挟んでいたこともあって、番組中それに触れた発言を期待していたが、ただただ彼の日本賛美の発言ばかりが目立った収録だった。NHKらしく渡辺謙などという大物インタビュアーを配しながら、とうとう最後までその種の発言は一切なかったのである。さすが公共(原発がそうであったように実質国営)テレビと、予想通りで驚きもしなかった。しかし2時間後の、同じNHKのむのたけじさんのドキュメンタリーも期待はずれになるかも、と懸念しながら最後まで見たが、こちらは予想に反して(?)百歳翁の今も変わらぬ反戦・不戦の思想が熱く語られた。とりわけ感銘を深くしたのは、最近の若者たちへの期待が繰り返し語られたことだ。反安保法案に直接触れることはなかったが、画面に若者たちの安保法案阻止のデモ風景などが点轍されるなど、NHKとしてはたぶんギリギリの画面構成が図られていて、少し安堵した。

 そして今朝(11日)、今度は東京のⅠさん、鄭周河さんの写真展以来友だちになったⅠさんが、11時からBS日テレで南京大虐殺に関するドキュメンタリーがあるとメールで知らせてくれた。ちょうどその時間だったので慌ててチャンネルをひねった。本当は録画したかったのだが、その時間がなく、そのまま画面を追った。

 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』(大月書店、1996年)の編者の一人でいわき市在住の小野賢二さんも登場したり、取材班が実際に現地を調査するなど、実に良心的な編集がなされていて感心した。前にもどこかで紹介したが、南京大虐殺の実行部隊には悲しいことにわが福島県人が多数含まれており、彼らの証言や戦中日記など一次史料を踏まえた正確な史実再現が画面を引き締めていた。しかしその証言者たちはいま生きていれば百歳を越える人たちで、生存者はもういないのかも知れない。聞き取り時の映像や音声、そして戦中日記など実に貴重な史料を現在は小野さん個人が保管しているようだが、右翼などに盗まれたり処分されたりしないのだろうか、などといらぬ心配までしながら最後までじっくり拝見した(いや冗談でなく、どこか公的な施設に厳重保管し、研究者の随時閲覧可能な態勢を早急に作ってもらいたい)。

 後で調べると、このドキュメンタリーは例の Daily Motion が『NNNドキュメント15 シリーズ戦後70年 南京事件 兵士たちの遺言』として既にちゃんとネットに収録していた。まだ観てない方はぜひご覧になってください。ネットには他にも南京虐殺を否定する輩(やから)の集会の映像もあり、それもちょっと覗いてみたが、このように歪んだ愛国心に燃えた連中の、なんと姑息で哀れな姿か、実に見るに堪えない。

 確かに中国側の行き過ぎた反日教育もさることながら、私たちの側でも、自分たちのおじいちゃんたちが中国や朝鮮で犯した大きな過ちの事実を教えられず今日まで来てしまったことはどうあっても間違っていたと言わざるを得ない。今回のNNNドキュメントのような、客観的で正確な番組作りは、今後ともぜひ作り続けてほしい。そうすることによって、いつか中国側を加えてのより正確な共同調査への第一歩が踏み出されるはずだ。

 つまり過去の過ちを糊塗するのではなく、あえて直視することからしか真の和解の道は拓かれないからだ。むのたけじ翁が喝破していたように、我々は人間同士の殺し合いではなく戦争絶滅を目指す不退転の決意を持たないかぎり、この世から戦争はなくならないだろう。

 とにかく昨日の夜から今日のお昼近くまで、テレビの映像を介してではあるが、反戦に思いを馳せる実に密度の濃い時間を過ごすことができた。MさんⅠさん、よい番組を知らせてくれてありがとう。

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佐々木 孝

佐々木 孝 について

佐々木孝(ささき・たかし) 1939年北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。1962年同学科卒業。5年間の修練生活の後、1967年イエズス会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授、1982年教授となる。1984年常葉学園大学でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、東京外国語大学、駒沢大学、法政大学、早稲田大学などでも非常勤講師を務める。2002年定年を前に退職、病身の妻を伴い父祖の地・福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり「モノディアロゴス(Monodiálogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」の名を冠したブログを死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。2018年12月20日、小細胞肺がんのため宮城県立がんセンターにて死去(享年79)。洗礼名フランシスコ。
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3 Responses to 反戦の思い新たに

  1. 阿部修義 のコメント:

     文章を拝読して、今から12年前に「ここらが潮時(2003年7月7日)」で、先生がむのたけじさんのことにふれられていて、こんなことを言われていたのを思い出しました。

     「地方でいかにして執筆活動を続けていくべきか、そのヒントを無意識裡に探していたからであろう。」

     私もEテレ「むのたけじ 100歳の不屈}を視聴しましたが、先生が言われるとおり矍鑠とされたお姿と筋道の通られたご発言に一世紀生きられ、まだここに生きている一人の人間としての重みをひしひしと感じました。「必ず戦争を絶滅させる」という終始変わらない不動の信念を背中で示してくれる人、そんな印象を受けました。先生が「ここらが潮時」の中で、「気質的類似性を感じた」と言われた意味が私にもわかるような気がします。単なる観念の域を飛び越えて、覚悟を持って、地道に数十年経っても変わらない一貫性のあるご発言を発信し続けられていることに先生とむのさんの共通性を私は感じます。

     「南京事件 兵士たちの遺言」も視聴しましたが、戦争が始まってしまうと人間は狂人化するんだというのが私の率直な感想です。やはり、始まる前にやらない対策をあらゆる面でやっていかなければならないことを痛感しました。ドイツ連邦共和国第6代大統領ヴァイツゼッカーがこんなことを言っています。

     「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも盲目になります。」
    dai

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    私もむのさんの番組観ました。実家に帰省していたのですが、たまたまテレビをつけたら放映していました。最後まで観ました。

    むのさんは本当にお元気ですね。私の父はむのさんのちょうど10歳下の90歳ですが、歩くのがやっとです。アタマはまだ大丈夫ですが、むのさんに比べるとゼンゼン。とは言え、むのさんが「特別」と言うか「異常」なのであって、むのさんと比べるのは気の毒ですが。。。

    南京事件については、死者30万人は違うと思いますが、虐殺行為がなかったわけではないことは「定説」ではないかと思います。被害者数については諸説ありますが、私は秦郁彦の4万人説が一番説得力があると思います。日本軍の資料に基づいたものですから。4万人でもすごい数ですが。
    「責任者」の松井石根も虐殺自体があったことは認めていますし、南京攻略に加わった陸軍師団長の日記でも最初から捕虜にはせずすべて殺害する方針があったことが裏付られています。

    石川達三の『生きている兵隊』は場所を特定していませんが、実際は南京事件の取材に基づいたと検事の調べで述べていたそうです。後年石川は事件を否定するかのような発言をしたかのように言われていますが、まったくの虚構であのような迫真の描写はできないと思います。
    大宅壮一や西条八十も「従軍記者」として虐殺の後の現場を目撃していますしね。

    1932年9月には満州の平頂山で住民3000人を虐殺した事件があり、これは中国人が提訴した日本の裁判所の判決でも「事実」として認定されました。

    なぜ「あの人たち」は過去をきちんと見つめることができないのでしょうかね。いつまでもアジアの人から猜疑の目で見られることこそ「国益」を損ねるものだと思うのですが。それこそ「反日」だと思います。

    父の話をしたついでに、父の玉音放送の思い出話を。
    私の父は徴兵されてモンゴルの最前線に送られたんですが、早々に足を撃たれて日本に送還され、8月15日は実家で迎えました。
    玉音放送の時近所の人たちが父の家に集まり、厳粛な雰囲気で放送が始まったところ、向かいの家のおばあさんが大きなオナラをしたんだそうです。
    おかしくて仕方がないけど、何を言われるかわからないので、必死に笑いをこらえたそうです。他の人もみな笑いをこらえていたそうです。父はいかにもおかしそうにその話をしてくれました。
    玉音放送を聴いてみな泣いたという話はよく聞きますけど、こういう玉音体験もあったようです。オナラと共にヘーワがやって来ました。

  3. 佐々木 孝 fuji-teivo のコメント:

    阿部さん、上出さん、いつも適切な書き込みありがとうございます。
    実はここ数日、気が滅入ってしかたがありませんでした。家族の一人の健康のこともそうですが、それよりも菅官房長官の顔を見る度に気分が悪くなってました。他人の顔のことなど言えた義理じゃありませんが、でも目つきその他、心を閉ざした、つねに言い繕うことしか頭に無いような顔つき、安倍の鉄面皮とはまた別の意味で悪しき日本人の典型だと常々思ってます。
     それにしてもヘーワについてのギャグ、傑作ですね。おかげさまで少し気が晴れました。

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