反核と風車の冒険


 私としては昨日から、いや今日からかな、とても大事なことを考慮中で、本当はその方を先にすべきだが、でも長年関わってきたスペインの不安定な政情について今考えられることをまず簡単に記録しておきたい。

 実はカタルーニャの独立問題を今まで特に考えたことも、そのための情報を集めたこともない。したがってこれから書くことが的外れである可能性は大いにある。しかし大筋では間違っていないはずだ。

 遠いスペインの問題、実は現にいま日本がぶつかっていることと無縁ではない。具体的に言うと、希望の党(或る人は小池女史のことを希望ではなく野望の人と形容したが、けだしその通りであろう)は永住外国人の地方参政権を認めないことを公認の条件にしているそうだ。排他主義が露骨に表れており、彼女の言う聞きなれない英語、ダイヴァーシティ(diversity=多様性)ですか(なんでここで英語使うんだよ)とは真逆の思想を臆面もなくさらけ出している。こういうのを日本語では羊頭狗肉もしくは恥知らずと言う。

 それがカタルーニャ問題とどう関係するか。今回の騒動に関するカタルーニャの主張には、中央政府の画一主義、とりわけ自分たちの豊かな経済力がアンダルシ-アのような怠け者たちの貧しい洲(グラナダのマルドナード神父さん、すみません!)に横取りされていることへの不満が底流しているようだ。でも万が一、独立を成功させたとしても、その国家像が従来のものと何の変りもないものだとしたら、これからも増え続ける(イギリスも同様の問題を抱えている)群小国家群の間の小競り合いが増える一方で、たとえ経済的に少しは良くなっても、ストレスと不満がたまり続ける世界になってしまうのではないか。

 簡単に言えば、近代国家という枠組み・構造それ自体が金属疲労を起こしているのが誰の目にも明らかなはずなのに、そこから敢えて目を逸らし続けているのが現代なのだ。今も絶えることのない紛争や戦争は、私の考えではそうした金属疲労の近代国家像にこだわり、しがみついていることから生じているとしか思えない。

 では具体的には、と言われると返事に窮するが、しかし敢えて乱暴に言い切ってしまえば、近代国家の構造そのものを緩やかに解体してゆくこと。その意味ではEUは勇気ある試みであったはずが、ここにきて少しバタバタしているのが残念である。でも方向性としては間違っていない。

 カタルーニャ問題に話を戻すと、画一的・強権的な中央政府も態度を改め、各州の自治権をさらに認める方向、つまり「Viva,España! スペイン万歳!」はオリンピックなどで叫ぶ以外、旧来の国家主義から徐々に脱皮してゆく道を探ってほしい。今日の新聞ではスペイン国王が悲壮な表情でカタルーニャ州政府首脳を非難し、国民の結束を叫んでいるようだが、ことここに至ってはむしろ柔軟な呼びかけをした方がよかったのでは、と思う。 

 でもどちらにしても他国のこと、いまはむしろ日本の方がもっと心配だ。つまり先の永住外国人への地方参政権拒否など、前述のような狭隘な近代国家像から一歩も抜け出していないことは明瞭だ。安倍政権の国粋的国家主義とほとんど変わらぬ政治理念だ。伝え聞くところによると、脱原発というスローガンもかつての師(でしたか?)小泉元首相の意向が反映しているのに、彼を含めて首相・閣僚経験者を排除するという、これまたダイヴァーシティ(でしたっけ?)とは真逆の姿勢。とにかくケ〇〇ドの小さな集団としか言いようがない。

 ええい、ついでだ。もう一つの問題にも触れておこう。話はややこしくなるが、発端はこの数日の間に、十勝に続いて仙台と東京に「呑空庵支部」が誕生したことだ。支部と言っても何の制約もノルマもなく、本部(?)からの注文はただ一つ、「今日から私は○○支部です」とつぶやくだけ。もし近くに人がいたら心の中でつぶやくことで認証式終了というシンプルさ(お粗末という勿れ)。

 ところでその呑空庵だが、すでにご存じのようにこれはD・Q、つまりドン・キホーテの庵(いおり)の意味だ。もうだいぶ前から老夫婦の住む旧棟(新棟とは一階も二階も内部で繋がっている)の玄関口に古ぼけた竹製の表札(もしかして前身は踏み竹でなかったんかい?)にその名が下手くそな字で書かれている。(ついさっき、「富士貞房と猫たちの部屋」の「家族アルバム」の最後にその写真を掲載したのでご覧あれ)

 つまり呑空庵とは老夫婦の家でもあり私家本の発行元でもあるのだが、いまや2200冊になった豆本の奥付にもその名が印刷されている。しかし実はこれまで呑空庵の呑空の意味を真剣に考えてこなかった。つまりただの洒落だったわけだ。ところが今回、三つに支部が増えた段階で初めてドン・キホーテと反核(そして反戦)の関係を考え始めた。十六世紀日本で生まれたケセラン・パセランを平和菌と命名したのは我ながらお見事と自負しているが(誰も褒めてくれないので)、ドン・キホーテと反核の関係も突如天啓のように頭蓋の中で閃いたのだ。ウナムーノがドン・キホーテ論で夙に喝破していたように、あの有名な風車の冒険は、実はそのころから現代にまで続く科学という「巨人」の物神化・崇敬に対する彼の果敢な挑戦だったのだ。つまり当時、オランダから移入された風車は当代きっての最新鋭動力だったわけで、人々はそれまでちんたらちんたら小川の水を動力源としてきたのに、いまクリプターナの高原を吹き渡る風を受けてブンブンうなりながら回転する三、四十基の風車群に度肝をぬかれたわけだ。

 風車めがけて突進し、空中高く放り投げられた主人にサンチョは言う。「だから言わねえことでねえ! おめえさま、言いましたべ、とんちんかんなことしなさってるだと、あれは風車にちげえねえと? わかりそうなものだ。それともおつむの中でこんな風車がぐるぐるまわってるだかね?」(岡村一訳)

 巨人じゃなくただの風車だ、と言うが、しかしこの言葉自体の中に当時の人々のおつむの中にあった科学に対する強い畏怖の念というか信仰が透けて見えるのだ。つまりあれは風車ではないと言い切れるのは、サンチョの頭の中にすでに物神化された科学という化け物が巣食っているのに、本人はそのことを自覚してないことを示している。だがドン・キホーテは、目の前に見える風車にその化け物が潜んでいると信じたわけだ。

 当時最高最大の動力源が風だとしたら、現代のそれは? 間違いなく核である。つまりクリプターナの平原に屹立する風車群は、例えば我が福島県の美しき海岸線にその威容(異様!)な巨体を並べる原子力発電所である。現代のドン・キホーテの末裔が直接発電所を襲うのではなく(それはもちろんしてはいけない)しかしその廃絶を目指し、力の限り戦い抜くことは当然ではなかろうか。

 福島第一原発事故の究明も終わらぬうちに、本日数時間前、 原子力規制委員会は東京電力が再稼働を目指す新潟県の柏崎刈羽原発の6号機と7 号機の安全審査で合格点を出したという飛んでもないニュースが流れた。こうなればいよいよ真剣に、執拗に、そして持続的に、原発廃絶を目指して頑張らなければ、と決意を新たにしたところである。

 どうかこれをお読みの皆さん、宣言も掲示も登録も必要ありませんから、各自それぞれ心の中で「今日から私、呑空庵○○支部」とつぶやいてください。どこにも届け出る必要はありませんが、お気が向いたときにでも、談話室なり、あるいは佐々木へのメールで支部発足を教えてくだされば嬉しいです。十勝、仙台、東京の支部の皆さんもさらに力づけられますので、どうぞよろしく。

 私も今日からドン・キホーテと反核についての以上のようなメッセージを解説に加えて豆本作りに精を出すつもりです。

※ 翌朝の追記
 今朝制作のものから、例の豆本の解説に以下の文章を加えることにした。
 「そして平和菌誕生と同じころ、スペインでは文豪セルバンテスがドン・キホーテを世に送り出した。この憂い顔の騎士は平原に屹立する風車に向かって果敢に立ち向かったが、それはオランダ由来の、当時の科学技術の最先端をゆく風車の中に、以後現在まで人間社会を骨がらみに冒してきた物神化された科学、つまり巨人を認めたからである。
 サンチョもそして私たちも「あれは巨人ではなくただの風車だ」と彼を物笑いの種にするが、しかしそう言い切ること自体、物神化されたバケモノ(科学技術の盲信)が私たちの精神深くに棲みついていることを逆に証明している。
 十六世紀スペインの風車は、現代ではこの火山列島のいたるところにその威容(異様)を誇ってきた原子力発電所である。
 私たちは原子力の平和利用という美名に騙されてきたが、その廃棄物は何十万年ものあいだ毒性が消えないまま地中に埋められ、次世代にとてつもない負の遺産を残していく。
 したがって平和菌の拡散は、原発そしてそれと同根の核兵器の廃絶、究極的には世界平和の構築へと向かう静かで確実な挑戦であり、本書の発行元「呑空庵」の名はドン・キホーテ(DQ=呑空)の前線基地を意味している。」

カテゴリー: モノディアロゴス | 3件のコメント

我が教育学原論


 なんだろ、この頃の政界見てらねんねぇね。小池のおばちゃんの登場でぐだぐだになってきた。アホらしくてニュースを追う気にもなんねぇ。とってつけたような脱原発の旗印も自民党顔負けのチョー保守志向の中で霞んでしまって、本気かどうかさえわかんねくなってきた。もともと彼女、憲法改正、安保法制賛成だけでなく原発再稼働賛成だったはず。日本全体が大きく右旋回してきた。それでなくとも腰の据わらぬリベラル派が踏み絵もどきを踏まされて根絶やしにされそうだ。
 そんな時、たまたま『大学の中で考えたこと』という私家本を見ていたら、30年ほど前、静岡にいたときに書いたちょっと面白いのが見つかったので、気分転換にでもどうぞ。我が政治学原論にも通じる教育学原論である。

★ 病後のたわごと ――架空インタビュー―

 「のっけからナンですが、なぜ架空インタビューという形式を?」 
 「いや、べつだん深い理由があるわけじゃない。ただこの原稿の締切が明日というときになって、ここ十数年来かかったことがないような流感にやられて二日間寝っぱなしだったもんでね。それでちょっとまともな文章を作る気力も集中力もなくて。一日目などは眼が覚めたら八時、てっきりアシタになったと思ってね、それにしてはずいぶん外が暗いな、って言ったら家人に、なにブリッ子してるの、まだキョウよ、って言われてね」
 「カッワイーッ」        
「よしてくれよ。でもほんとに可愛いと思う? まさかね。でもね、この《可愛い》と いう言葉の使い方は、そうだなここ七、八年来のものだな。タモリの『笑っていいとも』 のスタジオに集まった女の子たちよろしく、なんでも《カッワイーッ》だもんな」 
「いいじゃないですか。要するに先生がそれだけ年をとったということですよ。若いもんのフィーリングについていけない……」
 「そんな意味でなら、ついていく気はさらさらないね。ともかくだね、日本中がブリッ子になってきたってこと。まだほんの青二才のときからオジン、オバンと言われまいとしてみんな汲々としているじゃないか。このあいだも『ナウ・ゲット・ア・チャンス』とかいうテレビ番組を見ていたら……」
「どうでもいいですが、ずいぶんつまらない番組を見てますね」
「ン……幼稚園の保母さんたちの大会でね、見ているうちゾーっとしてきたね」
「若さムンムンで?」
「よしてくれよ、あんな保母さんたちにゃ金輪際子供なんか預けたくないね。まるで餓鬼のまんま」
「だって子供好きで子供と一緒に遊ばなきゃならないんだから当然じゃないですか。あれでけっこう大変なんですよ、保母さんの仕事」
「それは分かるよ。でもね、そこにはまったく落差が感じられない」
「…? 何です、そのラクサとか言うもの?」
「つまりだね、子供に近付くのはいい、しかし、いい大人が子供の世界に入るにはそれだけの精神的負荷の一瞬の放下というか、つまりだね、もっと分かりやすく言うと、餓鬼が餓鬼に近付いても面白くも可笑しくもないということだよ。つまり、子供は子供になれない、なぜならもともと子供なんだから。いまさらキリストや良寛和尚を引き合いに出すまでもなく、子供になる、子供の背丈で物を見るというのは実は至難の技なんだよ」 
「そうかも知れませんが、でも面白可笑しいで教育は済まないと思いますけど……」
「そうかね、ひょっとすると教育にとっていちばん大切なものかも知れないよ。いや少なくとも今の教育にいちばん欠けているものとは言えるね。すべてが前もって決められた枠から豪も出ようとはしない。教育とはそれこそ未知のものとの遭遇であり冒険であり、知的食欲をそそる旅への誘いであるはずなのに、今じゃただ食べたくもないのに無理矢理消化しなければならぬメニューとして重くのしかかっているだけだ」
「先生、そうは言っても現場じゃいろいろと大変なんじゃないですか? 先生は比較的自由な大学の先生だからそう言えるかも知れないけれど…::」
「なるほど、今の受験戦争の中じゃ、学ぶ喜び、教える楽しさなんていうのは、それこそ理想論にすぎない、もっと現実的に、というわけなんだろう?」
「ま、そういうことですね。現実はどうしようもなく学歴社会なんだし、競争原理で動いている社会なんですから……」
「しかしね君、その現実というのは何だい?」
「そう面と向かって言われても……」
「いや、べつだん君とここで哲学論議をしようなんて思っていないよ。ただね、君の言い方だと、現実というものはすでにそこにあるもの、ということになるけど、それは人間的現実のほんの一部、というかその物的部分にすぎないということさ。人はパンのみにて生きるにあらず、むしろより多く夢を食べて生きているのさ。たとえばね、この世はすべて金さ、学歴さ、と言っている連中だって、実はそういう夢を見ているに過ぎないのよ」
 「要するに、ものは考えよう、ということですか?  それはちょっとおかしいですよ。だって制度なり社会といったって所詮人間が作ったものなんだから」
「だろう? それじゃあどうする? 制度を変えるか、それとも社会改革を目指すかい?言うは易く、行なうは難し、だよ。それに先ほどのような物の見方だったら、いくら制度を変えてもあんまり意味がないよ。つまりね、人間的現実の物的な部分にしばられている限りいくら制度を変えても意味がないということ」
「……つまり発想の転換がない限り?」
「そういうこと。たとえば最近問題になっている《いじめ》は、結局は現在の学校的環境を支配している画一主義や管理主義に繋がっているが、それだって親や教師のあいだに、発想の転換がない限り問題は解決しないさ。この間題で槍玉に上がっている先生たちは実に心外だろうね。だって自分たちは学校の評判と威信のため、それこそ一身を捧げて来たんだからね」
「およそ的はずれの滅私奉公?」
「そう。だいいち気色悪い図柄だね、いい年した男が(あるいは女が)女生徒のスカートは膝下何センチでなければならないとか、前髪は眉の上何センチでなければならないなんてしょっちゅう眼を光らせているなんて光景は。僕にも高一の娘がいるけど、そんなことコッパズカシクテ見たことないよ」
「何です、そのコッパなんとかというの?」
「東北の方言で、とても恥ずかしくて、という意味。それはともかく、僕がいいたいのは規則を無視しろということとは全然違うんだな」
「規則は理にかなったもの、それも必要最小限に、でしょう?」
「よく分かったね」
「あたり前でしょ、先生が僕をしゃべらせているんですから。あっ、分かった、インタビューの形式をとったわけが……」
「そう言わないでもう少し付き合えよ」
「それじゃ先生にとってずばり学校教育とは何か?と聞いてもらいたいんでしょ?」 
「しごく簡単明瞭さ。要するに学校教育とは、人間形成にとって比較的有効な一手段であって、それ以上でもなければそれ以下でもない、ということ。ついでに言わせてもらえば、学問とは、結局は人間の蓄積された知恵とも言うべき常識あるいは共通感覚に戻るにしても、絶えずそれを疑い批判していく作業であり、物事を外面からではなくそれの生成状態において見ること。つまり現在の教育の荒廃は、実に逆説的だが、学校教育の物神化にある。 
 確かに学校教育に対して昨今異常とも言える批判が集中しているが、しかしその学校教育そのものがそれほど自明的に、あるいは絶対的に必要なものなのか、といった問題提起は一度もされてこなかった。昔なら日本のそこかしこに住んでいた古老というか知恵の人がつぶやく次のような言葉、どんな偉い教育学者も顔色なしとする次のような言葉、つまり《学校? 行きたけりゃ行くがええ。いい友達が見付かっかも分かんねぇしな。だけどな、爺っちゃんらは学校さ行かねども物事の道理を違えたことなどねぇ》といったなどは、今では小説か映画の中でしか聞けなくなってしまった。だからね」 
「なんですか、論文口調になったり話し言葉になったり」
「今日もとつぜん教育機器の会社だか予備校からだか電話がかかってきてね。あっお父さまですか、お宅に◎◎君いますね、どうですか元気に勉強してますかね、とやけに馴れ馴れしくずうずうしいんだよな。要するに受験とか学校という名を出せばだれでも平身低頭すると思ってるんだな、お前にカンケイねえよ、ってすぐ電話を切ったがね」
「先生ガラが悪いな。恥ずかしいなこんな先生持って」
「受験受験で尻引っぱたかれて来たはずの君たちが、いざ大学に来るとまったく勉強しないんだもんな。どうなってるのこれ。なまけ者のこの僕だって毎晩三時すぎまで勉強してんのよ」
「どうも雲行き悪くなってきたな。ここらで退散しましょ。先生ほんとに風邪引いてたの? それともまだ熱あるんでねぇかい?」

          一九八?年   「常葉大きゃんぱす」第?号

カテゴリー: モノディアロゴス | 2件のコメント

貧者の一万円


 今朝の便でアマゾンンからジョセフ・ラブ著『教えるヒント学ぶヒント』(新潮選書、1983年4刷)の古書が届いた。著者は1992年に62歳の若さ(今の私からすれば本当にそう思う)で亡くなったイエズス会神父・教授・美術家である。美術家などとあいまいな言葉を使ったが、優れた美術論を書くだけでなく、ご自身が優れた画家(木版画・墨絵)・写真家でもあったからだ。さっそく布表紙の美本に仕上げる。

 先日なぜ彼のことを思い出したか、というと、徒然なる物思いの切れ間に「貧者の一灯」という言葉が突然頭に浮かんだからだ。もちろんその意味は「長者の万灯より」貧しい人の心のこもった一灯の方に価値がある、という意味だが、これをもじって別の格言を作ってみよう(このごろ物覚えが悪くなったのを補完しようとしてか、よくそういう遊びをする、特に昭和歌謡曲の陳腐な決まり文句を揶揄しながら)。そうだ「(長者の百万円より)貧者の一万円」では? 貧者が与える方ではなくもらう側と逆にはなるが。そしてその時思い出したわけだ、有難ーい一万円のことを。

 話はずいぶん昔に遡るが、ラブさんとは私がまだイエズス会にいたときから親しく付き合い、私が退会した後も、大半の友人とはそれ以来疎遠になったが、彼は一切変わりなく付き合ってくれ、ある時は南相馬の家まで訪ねてきた。その時、近くの酒屋で夕食の時に飲む美味しいカクテルの材料など仕入れてくれたが、さて何というカクテルだったか。近くの浜で海水パンツ姿の彼がふざけてボディービルダー風のポーズをとった写真が残っているから、季節は夏だったはず。日記を調べれば分かるが、確か私は新婚ほやほやの時代だったと思う。

 それからほどなくして私たち夫婦が双子の赤ちゃんをそれぞれ一人ずつ抱いて上京し、南武線稲田堤で貧乏生活を始めて間もなくのある夏休み、家じゅう探しても一銭も現金が無く、それで思い余って勤め先の清泉女子大の会計課に金を借りに行ったことがある。確か互助会だったかの申し込み用紙の目的欄には家具購入などの項目はあるが生活費などという項目は見当たらず、でもウソを書く気にもなれず生活費に充当と書いたところ、そんな項目はありませんので貸せませんと言われ、なんのための互助よ、と捨て台詞を吐いて会計課を飛び出て、帰途サラ金から金を借りたころのことである。何かの用事で上智大学に行ったとき、門のところで偶然にラブさんに会った。すると彼は別れ際、そっと手に万札を一枚握らせてくれたのだ。生活苦のことなど一言も話さなかったのに、彼はそれとなく分かったのではないか。

 どことなく上品なヒッピー(あゝこれも今や死語か)風の芸術家にも見える神父さんで、お堅い神父さんたちとの生活は、時には苦しいこともあったとは思うが、しかし彼は実に自由に、そして周囲を明るくする人であった。困窮する私にさりげなくお金を握らせるなど、普通の人にはなかなかできるものではない。名前通り愛の人だった。そういう彼であったから、詩人の谷川俊太郎さんや詩人・美術評論家の大岡信さんなどたくさんの芸術家たちと親交があった。

 しかし私たちが静岡に越してからは彼との付き合いが途絶えたばかりでなく、やがて難病に罹り、最後は車椅子の生活になったことを風の噂で知った。彼とあれほどまで親しく付き合ったのに、最後あたりなぜ病牀を見舞わなかったのか、今になって深く後悔している。今朝届いた『教えるヒント学ぶヒント』も、ネットで彼のギャラリ-探索の時に偶然知った情報である。なぜ手に入れることもなく今日に至ってしまったのか、今となってはただただ忘却の底に沈んでいて確かめようがない。しかし彼の唯一の絵本『夜を泳ぐ』(リブロポート、1991年)が二階廊下の本棚にあったことを思い出し、急いで持ってきた。静岡県雲見の里の少年の一種の夢想譚が彼自身の描く11葉の色彩画で語られている52ページほどの本である。つまり彼の死の一年前に出版されたものだ。しかしこれは彼から贈られたのだろうか。その記憶はない。本の最後あたりに封筒に入った6枚ほどの、彼の絵が印刷された絵はがきが挟まっていた。封筒裏に印刷された差出人の名はラブ神父だが住所は稲城市のものになっている。彼が急性肺炎で亡くなった多摩市の病院近くの住所らしい。するとこれは最後の日々、彼を献身的に介護した(と聞いたことのある)その絵本の訳者K・Mさんの住所ではないか。

 実は今さっき、そこに記されていた番号に思い切って電話をかけてみたのだが、「現在使われておりません」と機械音の答えが返ってきて、内心ほっとした。もしご本人が出てきたら、なんて無礼を詫びていいか言葉に詰まったであろうからだ。

 ところどころ記憶が消えて黒い穴が広がる過去。だが強いてその穴を埋めようとはせず、しかし蘇った過去の砕片を大事にそっと静かに眺めることで満足しよう。

 でもラブさん、あなたにもう一度会いたかった。あの時のカクテルを飲みながら、あなたが心から愛した日本の美術や…いや震災を経たにも関わらず、いよいよおかしくなってきた日本、そして貧者の一灯どころか誰もが長者になりたがり、利便追求に己れを失っている日本について話し合いたかった。

 でもそれがかなわぬ今、残された日々、あなたの遺書二冊を読みながら、そしてネットでも観ることのできるあなたのギャラリーを訪ねながら、これまでの空白を埋めるべく、あなたとゆっくり話し合っていきたい、どうぞよろしく。

※ すぐ後の追記
『夜を泳ぐ』がなぜ手元にあったのか、いまやっとわかった。2002年九月十六日のモノディアロゴス(行路社版に収録)にこう書いていた、長いがそのままコピーする。げに記憶とは不確かなものよ。

 生まれつき貧乏性なのか、昨年秋から始めたインターネットも、時間の経過とともに料金が加算されるというタクシー乗車賃のようなシステムにどうしても馴染めず、ドキドキしながらネットの海の水際でポチャポチャ遊んでいた。ところがこの三月の相馬移転と同時にADSLという有難いものを使い始めて、ようやく料金加算システムの魔手から逃れ、水際から少し先まで泳ぐようになった。おかげで、この数ヶ月のあいだ、たくさんの新しい友だちができたし、思いもよらぬ出会いや発見が続いた。そのうちの一つに、山梨・秋山工房のミチルさんを介して故ジョゼフ・ラブ神父との劇的な再会があった。彼女からいただいたラブさんの『夜を泳ぐ』(一九九一年、リブロポート)がその時以来机の上に乗っている。静岡県伊豆松崎の雲見という漁村に住む平太郎少年の一夜の海中冒険を美しい水彩画と散文で綴った不思議な絵本である。
 本と一緒にミチルさんがくれたラブさんの絵はがき数枚の中に裸の少年を描いたデッサン画がある。平太郎のモデルになった少年ではないかと思われる。思春期前期の少年の裸が実になまめかしい。膝から上の裸像だから当然性器が描かれているが、なまめかしさは単にそこから来るのではない。おそらくそれは少年を通して日本文化や日本人に対するラブさんの深い愛情が滲み出たものだと思う。関心のある方はラブさんの実作品などが展示されているネット・ギャラリーがあるので訪ねていただきたい(http://www.ne.jp/asahi/love/art/love/jlove.html)。
 そして先日とつぜん、ラブさんとの古い約束を思い出したのだ。急いで引っ越し荷物を探し回り、ようやく二冊の本と訳稿一束を見つけた。著者は両方ともD.ベリガン、そして訳稿はそのうちの一冊を私が訳したものである。D.ベリガンはラブさんと同じくアメリカのイエズス会士であり、徴兵カードを燃やした廉で逮捕されるなど反戦運動家としても有名な詩人である。彼の『ケイトンズヴィル事件の九人』は有吉佐和子訳で出版されている(新潮社)。訳稿のある方は九編からなる一種の現代教会批判論であり、ラブさんが強く共鳴して私に翻訳を勧めたものだ。なぜ手許にそのまま残っているのか。原書の出版社マクミランと日本のカトリック出版社との折り合いがつかないことに嫌気がさして篋底にしまい込んでしまったのだ。ラブさんのためにもこれをなんとか生かす道を考えなければ。
 

カテゴリー: モノディアロゴス | コメントする

我が家に馬来たる


 馬と言っても頭部も脚部も無い胴体だけの馬である。と、ここまで書くと、勘のいい人は、ああロデオボーイのことかと気づくであろう。そう、そのロデオボーイが我が家に来たのである。何のことはない、健康器具の一種である。

 2002年に帰省した当時は、散歩の途次、夜ノ森公園下のテニス場を横目で見ながら、いつかここのクラブにでも入って二人でテニスしようなどと言うだけで機会を逃していた。それでも美子が歩ける時は毎日のようにその夜ノ森公園や新田川河畔を散歩したものだが、五年ほど前から歩くこともできなくなり、今では身動き一つできなくなった。それで私自身もすっかり散歩から遠のいてしまっただけでなく、一切運動という運動はしなくなって、足腰がずいぶん衰えたと日増しに感じるようになってきた。
 これではいけない、と一週間前ほど前から、以前買ったまま放置してあったルームマーチという足だけ自動的に動かす器具を一日二、三回、それぞれ10分ほどテレビを見ながら、あるいは両腕を振り回しながらやっている。しかしこれだけでは太ってきた腹部や、美子をベッドから車椅子に移動させたりおしめ交換などの後に感じる腰痛に対応できそうにもない。テレビのコマーシャルでお腹にパットで張り付けて電池でぴくぴく動かすやつもなにか気持ち悪いし、ましてや床にうつ伏せになってローラー状の器具を両手で握って動かすほどの筋力もないし、などと迷っているときに、アマゾンでこのロデオボーイに出合ったわけだ。これだと予測もつかない動き方をする鞍に跨(またが)ってバランスを取るだけなので、無精者の私にぴったりの器具だ。

 思えば、これまでまともにスポーツをしないで来てしまった。もちろん小学生の時は、ばっぱさんの作ったかっこ悪いユニホームを着て人並みに野球をしたし(頭も体もいい級長のA君にマウンドを奪われてやる気をなくしてしまったが)、中学生になってからは剣道を少し、そして高校生になった初めのころは柔道部に入って少しはやる気を出したが、柔道着が無くなるか盗まれるかしたのを機に、退部してしまった。大学時代は全く何もしなかったが、広島のイエズス会修練院ではサッカーの真似事みたいなことはした。しかしドリブルとかいった技術など習得せず、ただただ走り回った記憶が残っている。

 この夏78歳になって、遅蒔きながらすこし体を動かさなければ、といつの間にか「池中玄太80キロ」(西田敏行主演の古いテレビドラマ)を超える重い肉体を見ながら考え始めた。と言って散歩もかなわず、ダイエットなどは面倒くさい。家にいながら、しかも続けられる運動はと言えば、どうしても健康器具に頼らざるを得ない。

 と長い言い訳をしたが、さてこのロデオボーイ、果たしてそれなりの効果があるのかないのか、それはひとえに私自身の決意次第、というより持続意思次第というわけですな。

カテゴリー: モノディアロゴス | 1件のコメント

曇りのち晴れ


 南の方では台風被害で大変らしい。幸い私の住んでいる相馬地方は昔から台風被害はたいして無かったと思う。確か中学生のころ、そのころ住んでいた駅前の平屋の借家が床下浸水に遭ったことをぼんやり記憶しているくらいだ。

 アメリカのハリケーン被害も相当深刻だったらしいが、メキシコの地震も甚大な被害が出ている。震災後知り合ったマルコ・アントニオさんはメキシコシティに住んでいるので心配していたが、昨日のメールでは停電が長時間続いたが今は復旧したそうで一安心。しかしマグニチュード8・1の地震からわずか12日後、またしてもM7・1の強烈な地震が襲ったそうで、犠牲になった200人以上の死者の中には、倒壊した小学校の子供たち多数も含まれていたようだ。1985年のメキシコ大地震の時の死者が一万人だったことに比べると……いやいや比較の問題ではない、亡くなられた方々、特に子供たちの冥福を心から祈るしかない。

 しかし自然災害もさることながら、いま国連を舞台に繰り広げられている愚かなドタバタ劇の方はまさに人災。チキンレースで過激な演説をぶちかましたトランプに同調している我が国首相のみっともない姿。かつで国際連盟の議場から憤然と退席したかつての日本の政治家たちを髣髴(ほうふつ)とさせる北朝鮮の代表だが、すっかり洗脳されている北朝鮮国民は、かつての日本人たちが「欲しがりません勝つまでは」と困苦に耐えたように、おそらく脅しにも経済制裁にもあまり成果は期待できないのではないか。いつもは嫌いな政治家に属するプーチン大統領だが、案外彼の言っていることは正鵠を射てるかも知れない。つまり金正恩(キム・ジョンウォン)は国民の命と幸福など意に介さない独裁者だからだ。国民の大半が半ば栄養失調だというのに、あの太りようはどうだ。

 安倍首相はトランプに同調して対話の可能性を放棄したようだが、少し軽率・短兵急ではなかろうか。しつこく粘り強く好機を待つべきだ。大事なのは為政者たちの面子などではなく、どちらの側にもいる子供たちや病者・老人を含めた国民大衆なのだから。

 自然災害そして国際政治の危機的状況の話で暗い話題が続いたが、しかし今日の午後久しぶりに、明るいニュースが流れた。もしかして日本の新聞各社にとって話題にしにくいニュースなのかも知れないが、韓国紙がかなり詳細に報道したようだ。単細胞の国粋主義者たちとしてはできれば無視したいではあろうが、私としては、下品で愚かな政治家たちとは対照的に知的で品位ある方々の賢明な、そして時機にかなった決断として歓迎したい。面倒なので時事通信が報道したままを以下にコピーする。

9/21(木) 15:03配信
「 韓国紙「歴代天皇で初」と詳報=埼玉の高麗神社参拝
 【ソウル時事】21日付の韓国主要各紙は、天皇、皇后両陛下が20日、古代朝鮮半島にあった高句麗からの渡来人を祭った埼玉県日高市の高麗神社を参拝されたことについて、「私的な旅行の一環だが、歴代日王(天皇)で初めて」と写真付きで詳しく報じた。中央日報は、天皇陛下が2001年の会見で「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」と述べたことなどを紹介。「韓国の歴史と文化に関心を示してきた」と伝えた。

 中央日報や朝鮮日報によると、陛下は、神社を案内した宮司に「高句麗はいつ滅亡したのですか」「高句麗人と百済人は、どのような違いがあるのですか」などと質問し、強い関心を見せたという。「 東亜日報は「天皇は訪韓に意欲を示してきたが、実現していない」と指摘。「18年12月または19年3月に退位するとみられており、在位中の訪韓は難しい状況だ」と解説した。」 

※ 翌朝の追記
 いま話題の秋篠宮家の悠仁ちゃん(第3子男児親王)には、会津藩士を先祖に持つ川嶋家の血が流れているとのこと。そうなると数十年後に会津藩士の流れを汲む天皇の誕生もあり得、旧会津藩は晴れて朝敵の汚名から解放されるわけだ。べつだん皇室ウオッチャーではないが、同じく旧会津藩士の血を引く貞房にはちょっぴり嬉しい流れではある。誰が考えたシナリオか分からないが(たぶん自然の流れだろう)、なかなか味な成り行きである。

カテゴリー: モノディアロゴス | コメントする