岩谷徹ギャラリーのご案内


 ご覧のように今日から澤井セミナーハウスと並んで岩谷徹(とおる)さんのギャラリーへの入り口を設けました。岩谷さんを知ったのはばっぱさんがその絵画のフアンだった齋藤輝昭さんから紹介されたのが最初でした。岩谷さんは1936年福島県郡山市に生まれ。 企業勤めの経験を経て、 35歳で渡仏、以来28年間もパリの屋根裏部屋(のようなところ)に住みながら版画家として修業し、メゾチントという銅版画技法を用いて能面シリーズ、杉の樹林の小品など、月、貝、木々の葉、海などを モチーフに多くの作品を制作。 日本のみならず海外での個展でその素晴らしい作品が高く評価されています。しかし私にとって氏は本業のお仕事より、帰国後、私のように日々の感懐を豊かな人生経験を踏まえて紡ぎだすその「とおるちゃんのブログ」に多大の共感を寄せてきました。
 澤井さんのセミナーハウスがいわば現代政治学部とすれば、岩谷さんのそれは芸術の香り立ちこめる現代美術学部兼ギャラリー、いやそう言ってしまえば澤井さんの発案である南相馬大学の一部のように聞こえるかもしれませんが、そうではなく独立対等の学群の一つとお考え下さい。岩谷さんのギャラリーもどうぞご覧になってください。
※すみません、以前はギャラリー見学もできたのですが、現在はブログだけになってました。「岩谷徹」で検索すればその作品のいくつかを見ることができますので、そちらで見てください。

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或る公的(?)私信


昨日の朝日新聞デジタル版に次のような見出しの記事が載っていた。
「学力下位返上へ夏休み5日減 東松島市、授業30時間増」

 長いので要点だけまとめると、小中学校全国学力テストで全国平均を下回っている宮城県東松島市が、今年から例年よりも5日早く2学期を始め、これにより授業時間を30時間増やすことを今月29日の市教育委員会で正式に決定する、という。
 学力低下の理由として、工藤昌明・市教育長の「中学3年の生徒は震災時に小学2年だった。避難所や仮設住宅といった、勉強がしにくい生活環境に長くいた」とする談話が紹介されている。

 この記事を読んで、真っ先に思ったのは、学力低下を真剣に憂慮していることは充分理解できるが、しかしそのことを休みを削って授業時間を増やすことへと短絡させることへの疑問、もっとはっきり言えば憂慮である。

 世界の教育現状について調べたことはないが、日本のように、真面目に(?)小中学校から全国学力テストを実施し、それでランク付けを堂々と公表している国は、あってもごく少数であろうし、それも学校教育先進国(?)日本を見習ってのことではないか、と推測している。

 このことに関して、数年前ソウル大統一平和研究所から、原発事故被災者の一人としての見解を求められて書いた拙文(翻訳されて定期会合で朗読され、のち機関誌に収録)の一部を紹介したい。

「私は長らく教師をやっていましたから、国民の真の覚醒のために教育が重要なことは痛いほどよく分かります。しかし現実の学校教育の実態はこれまた嘆かわしい状態になっています。知識を記憶させることには熱心ですが、生きる力、考える力を養うといういちばん大事な教育がないがしろにされてきました。
 大震災直後、被災地の学校はすべて閉鎖されて避難所などに使われましたが、私は当時ブログにも書いたように、真の教育に目覚めるための好機到来とばかり内心期待したものです。つまりこの際、教師も親も、そして当事者である児童も、教育とは、学ぶとは何かを考え直す絶好の機会だと思ったのです。この機会に親と子が向き合い、日ごろ読めなかった良書をじっくり読んだり、時おり巡回してくる教師に課題を出してもらったり質問したりできる手作り教育の好機と思ったからです。これからの長い人生にとって、半年あるいは長くて一年のこうした体験は実に貴重な財産になったはずです。しかし実際は原発事故現場から30キロ圏外にある学校にバス通学をさせ、教室が狭いので廊下で学習させるなど実に愚かな対策を講じました。教育関係者には明治開国以来の盲目的学校信仰が骨がらみになっていたわけです。
 最近の新聞紙上では経済協力開発機構(OECD)が実施した国際学習到達度調査(PISA)の結果が話題になっていますが、それについて私はきわめて懐疑的です。たとえば問題処理能力で日本の子供は好成績を上げたそうですが、これについては完全に否定的です。コンピュータ・ゲームなどでの障害物や迷路を抜け出す能力は一種の慣れの、想定内の問題ですが、しかし今回の原発事故のようなそれこそ想定外の「問題群」に対しては無力であることは、大人たちの体たらくを見てもはっきり証明されました。想定外の問題に対しては、ろくろく学校にも行けない発展途上国の子供たちの方がはるかに高い能力を示すであろうことは容易に「想定」できます。つまり人間にとってより重要かつ手ごわいのは、「生きる」ことに直接かかわってくる、つまり「死活の」問題群なのです。」

 知識偏重の学校教育からいい加減抜け出したらどうだろう。私の究極的な案は、文科省への中央集権の廃止、教育の地方分権化だが、いまそれについて論じる用意が無いし、あまりに過激と警戒される恐れがあるので、ここは笑い話でお茶を濁す。私の知っているある女の子は、はっきり言えば私の姪っ子の一人は、小学生だったころ「どうだった、通信簿?」と聞いたら、「うん、良かったよ、2,2、3,3、2,4,4…」と得意そうに答えた。どうも5段階評価の数字を、走りっこ並みの1番、2番と考えていたようだ。でもこんな子でも、のちに早稲田大学を卒業することができたし、こう言う私も、試験の成績と通信簿評価に因果関係(?)があることを、中学生になってからの或る日、学校帰りの途次、青天の霹靂のようにようやく悟った。これは極端な例だが、でもそんな中学生でも、のちに(一流とはとても言えないが)大学教授にまでなったのである。

 要するに言いたいのは、小学生や中学生の時の学力試験の結果なんてそう気にすることはないということ。そんなことより、世の中の出来事について自分なりに考えてみたり、本を読んで人間の生き死にについて思いめぐらしてみたり、そしてそれよりももっと大事なことは、自分の日常生活に起こるすべての事象について自分なりに判断したり(たとえそれが親や教師の言うことと違っていても)することである。

 まっ、こう言ったからといって、今さら東松島市の決定が覆るはずもないだろうが、ふだんより(でも来年からずっとですか?)五日も早く始まった登校日に、みんなで楽しく夏休みの宿題をやったり、……いやいやそんなことより、せっかくだからこの機会に、今回の夏休み短縮について子供たち自身の率直な意見を聞いたり、例えばこの私のような考え方をする人も世間にはいるんですよ、と伝えてみたり……要は生徒たちに学力低下などという理由付けで決して自信を無くさせず、ましてや教育長談話のような事実があるのだから、それこそ何百年に一度という得難い体験をむしろ奇貨と見做すよう教えるべきだ。

 かく申す78歳の老人にしても、今回の大震災で、国の在り方、人間の生き方などいろんなことを根底から考え直すきっかけになったのですから。

 たぶん今回の経緯に教育熱心な(?)父兄、とりわけ言いたがり(失礼!)のお母さんたちの突き上げが大きく影響しているはずですが、どうか教育長、そして先生方、この年寄りの愚見をも、すこし聞いていただければ幸いです。

 おやおや、いつのまにかこの孤老の話し相手がいつものブログの読者友人ではなく、東松島市の教育長殿に変わってしまいました。そう、通常の意見書、陳情書の形式ですとなにか堅苦しいので、失礼とは存じますが、ここは思い切ってブログそのままをお送りさせていただきます。

 最後にしつこいようですが、日ごろからの私の主張を述べて、この型破りのお手紙を終わらせていただきます。

 今や日本人の物作りについては、世界中から関心を寄せられ称賛されている。確かにその物作りの精神は良し、されど人作りにそのまま当てはめることは愚か。もともと人間はでこぼこ(きれいな言葉で言えば個性的)にできており、その事実を曲げて等質の金太郎飴製造機のように児童を扱うことは愚の骨頂である。

 東松島市の皆様、とりわけ子供たちの教育に日頃より奮闘しておられる教育長、教育委員、そして教員の皆様への心からの応援の言葉をもって、最後のご挨拶に替えさせていただきます。

     二〇一八年新春
                南相馬の住人 佐々木 孝

追伸 新年早々起こった珍しい出来事についてブログに書きましたので、それも併せて送らせていただきます。ローマ教皇への願いが私ごとき一介の老人でも聞き届けられたことをお知らせして、せめて小生の願いも教育行政に対する一つの意見として聞いていただければ幸いです。(さてはおぬし、味をしめたな?)

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内なる変革を!


 この間、たまたま見ていたテレビで、福島県の内堀知事が、今年の施政方針としてイノベーション、レノベーション、コラボレーションの三つの「ション」を掲げた。刷新、復興、協力の意味らしい。でもなんで英語なんだよ。美しい海岸線の浜通りをバレー(谷間)でもないのに、シリコン・バレー並みのロボット・バレーにしたいっちゅうお前さんのことだから、もうすでにお前さんの頭はアメリカ産ロボットの頭に挿げ替えられているのかも。わが懐かしの静岡弁でこういうのを「ションない話」というだでよ。

 今もっとも必要なのは、もう一つの「ション」、つまりそうしたろくでもないことを考えつくお前さんの頭のレボルーション。そう、政治的な意味とは違うレボルーション、つまり変革さーね。

 ついでに言えば、今度の日曜は、ここ南相馬の市長選挙らしい。現職市長ともう一人現職市議が立候補するらしい。ちょっとその主張を見たところなんともお粗末な主張。一人はロボット産業で町起こしとか。ザケンジャナイッ! 投票所に行く気にもならねえ。これまで意識的に、つまり一つの意思表示として棄権したことは…たぶん無かったが、今回だけはその意思表示をさせてもらうぜよ。つまり棄権じゃよ。

 こうして原発被害の真因を考えることもないまま、スピード感をもって(あゝき汚ねえー言葉!)フッコウ、フッコウのお題目、アンゼン・アンシン(これまた手垢にまみれっぱなしの汚ねー言葉)の繰り言並べくさる、あゝ見てらんねー聞いてらんねえー。

 だったらお前出ろってか? 残念ながらこちとらにゃ女房の介護っちゅう尊い仕事があるうえ、もう歳でそんな体力も元気もありましぇん(気力だけはあっとー)。だったら何も言うな、ってかー? それもそうだな。もうやーめた。

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『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』発刊のお知らせ


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凍てつく遠野の里から


※ 以下のものは今朝届いた立野正裕さんからの私信ですが、許しを得たので、そのまま全文ご紹介します。

佐々木先生、
 今月8日と10日のブログを、なかば絶句しながら、繰り返し読ませていただきました。ひとまず気を取り直し、以下に一筆したためます。

 従軍カメラマンだったオダネル軍曹の写真「焼き場に立つ少年」から発した一連の魂のリレーとも言うべき継承ないし展開は、まさに「世界の片隅にひっそりと暮らす孤老であっても、うまずたゆまず言い続けていれば、必ずいつか、どこか、でその結果が表れる」ことの証左! と申さねばなりません。

 原爆投下からまもない長崎と広島で、米軍の従軍カメラマンとしてなまなましい写真を撮りながら、それを長年秘匿したのちついに公開に踏み切ったオダネル氏。そしてそこにいたるまでの葛藤。案の定、全米から誹謗と中傷の手紙が押し寄せ、孤独にさらされたオダネル氏。

 しかし石つぶてを投げられるようなあまたの非難の手紙のなかに、ただ一通、敢然と非難者たちに反論し、オダネル氏に公開をうながした根本動機に対して、全面的に擁護する手紙があったといいます。差出人はほかならぬオダネル氏の子息でした。この絆を一つの支えとしてオダネル氏は写真展と講演活動を続け、やがて写真は世界へと伝えられ、テレビや新聞などの報道を通じ、心ある人々の目に触れることになりました。ここまでは先刻ご承知のとおりです。

 しかし、マスコミで大きく取り上げられても、一過性のニュースに終わることは珍しくありません。したがって重要なことは、あの写真にわれわれがなにを見るかでありましょう。解釈がさまざまであることは日本でもだいたい同じと予想がつくことです。

 死んだ弟の遺骸を背に、くちびるを噛みしめて佇立するあの少年に、軍国日本を象徴する「感情抑圧」と「無表情」を見るという人間もいるいっぽうで、先生がお書きのように、「あの少年の凛とした立ち姿がもっとも美しい日本人に思えて仕方がない」と感じる人々もおります。

 しかし、戦争の惨禍がなにをもたらすかが、焼き場に立つあの少年の姿には端的に表われている、と法王は確信したわけです。同時に、その確信には、悲惨のなかに「凛と」して立つ少年をとおして、非人間的な現実のただなかでも人間らしさや尊厳を失わないことへの深い感銘が伴っているにちがいありません。

 さらに言えば、むしろその感銘が、あまたある戦禍の映像のなかから、とくにあの一枚を法王に選ばせた理由であったのかもしれません。そして、先生の二つのブログにおける推理に思いをいたすかぎり、法王の視野にあの写真が最初に姿を現わすことになったきっかけが、福島在住の元修道士から送られた写真と同元修道士の手で作成された文言とにあったという可能性は、けっして低くないと思います。低くないどころか、あれやこれや考えながら推理の過程になおも思いを馳せるにつれ、いよいよそうとしか思えなくなってくるようです。

 繰り返しになりますが、わたしが言う「あれやこれや」の意味の核心にくるのは、なんと言っても次のことです。おとなが理屈をつけて始めた破滅的な戦争に巻き込まれた少年と幼い弟が、理不尽かつ惨めな運命に翻弄されながら、なおも失うことのなかった根源的な威厳といったなにかを、一人の敵国従軍カメラマンが映像として記録し、退役後も秘かに自宅に保存し続け、それを人生の後半にいたってようやく公開しようと思い立ち、世間の非難を覚悟のうえで実行に移したのでした。

 法王が写真に注目したことも、それを拡散することにしたことも、確かに大きな影響力を世界に対して持つことでしょう。しかし、真に感動を禁じ得ないのは、むしろそこにいたる過程であると言わねばなりません。写真に表われた魂を意識的に受け取り、次代へ受け渡そうとする精神、その持続的な粘り強い精神の軌跡ほどわれわれに勇気を与えてくれるものはありません。

 世界の片隅の微塵のような個といえども、うまずたゆまず、人間のなすべきことをなし続けてゆくならば、あるがままの巨大な世界の現実といえども、これにいつかは働きかけ、変える力となることも不可能ではない。一人の人間、一枚の記録写真、一つの歌、権力を持つわけではないそれらが、単独ではにわかに現実への効力を発揮しがたいのは当然としても、戦争拒否の精神に立つ人間同士の、国境も民族も超越した意思がつながり合い、その写真なり歌なりを直接間接の媒介として粘り強く受け継がれてゆくならば、人類の未来にとって好ましく望ましい勢力にきっと育つにちがいありません。二つのブログによる絶句状態からわれに返ったばかりで意を尽くしませんが、以上のようなことをあわただしくお伝えする次第です。

 年が明けてから遠野に帰省しておりますが、おととい午後から強風とともに雪が降りだし、きのうもまる一日風強く、雪が降りしきっていました。いまは風も雪も止んで、ただ静寂が支配し、夜目にも鮮やかな白銀の世界が非情なまでに清浄そのものです。見上げるとオリオン座や北斗七星をはじめ星座が輝いております。冬の凍てつく寒気のなかで星空を眺め上げるのが、むかしからわたしの無上の喜びでありました。数日後には川崎に戻りますが、それまでは故郷の夜空をぞんぶんに堪能することにします。                                            donkeyhut より

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