道しるべ

生を享けた人間が、その生の究極的な意味、目的を見出すのは、限られた地上の生活の魂と魂との真正の交わりにおいてしかないことを、父は深く悟っていた。生者と死者を隔てるものはなく、時空を超えてそうした魂との交わりに支えられ、身動きの取れない母を助け、一日一日を慈しんで生きていた。無名に沈潜し、清貧に徹して。しかし、征くべき時は、誰よりも敢然と表に出て言葉を放った、そのままの貧しき姿で!

 昨今の個人情報神経症とでも呼ぶべき風潮の蔓延を父は最後まで激しく嫌悪していた。その真意は、人間を人間たらしめる魂の発現までひた隠しにしようとする病理性を告発していたのである。生前、過激と思っていた父の発言は、その死後、その悉くが素朴な言辞の中でものごとの核心を突いていたのだと愚息は悟らされた。

 以上のことを、父の深き理解者である阿部修義さんがSNSで触れられたダグ・ハマーショルドの遺稿『道しるべ』(みすず書房)についてつらつらと考えているうちに、思い至った次第である。個人情報がどうのこうのと言ったら、この本も、あるいは『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)だって何だって、私たちは彼らの存在さえ知ることなく、その魂の声が響き渡ることもなく、空漠とした世相を魂の欠片のようになって生きるしかなかっただろう。

『道しるべ』の帯にあったW・H・オーデンの献辞は以下の通り。

 私ははじめて会ったときから、彼が好きになった。私にとって彼の精神の品質を判断できる唯一の領域は、詩であるが、この詩についての知識及び理解は素晴らしいものだった。僭越にひびくかも知れないが、我々のさりげない会話の奥底には、ことばにならない対話が潜んでいること、我々二人の間には相互の共感がたしかにあることを感じさせた。この日記のうちに、孤独と宗教的な関心が深く感じられた。しかし「道しるべ」は、単なる文学書として読まれるように書かれていない。これはまた、一人の職能的な行動人によって試みられた、〈瞑想的な生き方〉とを一つの生き方の中で結合しようとした試みの、一つの記録として第一級の重要性を持つ歴史的文書であり、私の知る限り他に類例のないものである。

【お詫びとお知らせ】
まことに申し訳ありませんが、父の急逝により、これまで父が手作りで提供してきました私家本は、製作再開のめどが立っておらず、ご注文に応じることができません。ホームページ「富士貞房と猫の部屋」も改訂が急務となっておりますが、そのままの状態となっており、ご覧いただいた方には混乱を招いておりますことをお詫び申し上げます。

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