父へ

たぶん付き合いのあった誰よりも(偉い方々はむろん、教え子を含め)、父は質朴でつましい暮らし、生き方をしていたはずだ(母の傍らでブログを執筆した陋屋を見れば瞭然としているだろう)。多くの人々が志向する皮相なソフィスティケーションとは対極的な在り方だったと思うが、精神は誰よりも自由で、深く広大だった。父の言論を表層で捉え、冷笑し、見限った人々が大勢いたことを私は知っているが、父のまごうことなき本質は、貧しさを身にまとったその高い聖性である。その意味で、肉親ながら、わが父を名の有る他の誰よりも私は評価している。

言葉を魂のレベルで汲み取ること、つまり愛がなければ、父の言論は評しえないだろう。

孫の愛とともに
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父へ への6件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     先生のすばらしいところは、ご自身のことばを人生の中で実践されたことだと私は思います。この実践するというのが普通の人、もちろん私もそうですが、極めて難しいことだと私はいつも思っています。愛という行為は、そう簡単なことではありません。何度も何度も後悔して、それでも諦めず、先生のお姿を思い浮かべ、ご著書を読み返し、少しずつ自分の人生をかけて先生が言われた愛に近づけるように自分を磨いていくしかありません。私のような凡人はそれしかありません。まさに、先生が伊東静雄の詩を引用されて言われた「くいな」のように。ふと、お孫さんの愛ちゃんのお名前は先生が命名されたことを思い出しました。淳さんの最後の一行は、先生のことを熟知されていなければ書けません。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      阿部様、有難うございます。阿部様のお言葉に救われました。父の晩年の姿、「平和菌」に代表する言論こそ、父の人間としての有り様のまごうことなき集大成でした。そこを見る方はきちっと見、評価してくださっています。そのような方こそ、父の本当の理解者です。阿部様という理解者に恵まれた父は、幸せな人生を歩んだのだと言い切ることができます。心から感謝いたします。

  2. Chiaki のコメント:

    ずいぶん前に、Keiko & Chiakiの名で投稿しましたChiakiの方です。
    ウナムーノを読みたいと思いつつ、家事・仕事に追われてなかなか読めずにいる私のような者が投稿していいものかどうか迷いつつ書いています。お許しいただければ幸いです‥‥
    母(Keikoの方です)から佐々木孝さんのことを色々教示頂き(笑)私なりに富士貞房親子のイメージを膨らませてきました。

    今回の阿部修義さん・淳さんの言葉を読んで、感じたことがあります。

    「何度も何度も後悔して、それでも諦めず、先生のお姿を思い浮かべ、ご著書を読み返し、少しずつ自分の人生をかけて先生が言われた愛に近づけるように自分を磨いていく」
    著した言葉に対し、ここまで深く読み取り日々の暮らしに生かしていこうとする読者があるとは、著者にとっていちばんの喜びではないかと思います。
    言葉という形で引き継がれていく。それを、永遠に生きると言い換えたら言い過ぎでしょうか。 

    「言葉を魂のレベルで汲み取ること、つまり愛がなければ、父の言論は評しえない」
    親子の間には感情というものが大きく作用しますから、互いに理解し合うのは一般的には難しいことでしょう。淳さんがお母様の世話を引き継がれ、お父様の仕事もこうして色々引き継いでいらっしゃることは、とても美しいことと思われます。深い愛を感じます。親としてこんな幸せなことはありますまい‥‥
    どうか、ご無理をすることなく、緩やかにお世話や仕事に取り組まれますようお祈りいたします。

    佐々木孝さんは、阿部さんや淳さんのことを、きっと天国で喜んでいらっしゃる。愛ちゃんを抱っこしている写真さながらに笑っていらっしゃるのではないでしょうか。
    そんなことを想像しました。

    愛ある息子の淳さん。ということで、富士貞房Jr. の表記を富士貞房Jun.ir(ジュン・アイ・アール)と変えてみるのはいかがでしょうか (笑)
    娘さんの名が愛さん、という意味をこめてもいいですね!(アイ トイウ ムスメガ アール)
    おふざけが過ぎるとお叱り受けますでしょうか? 半ば本気で愛ある淳さんにふさわしい表記だと思うのですが‥‥ 
    すみません、この辺で今回はおしまいにします。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      Chiaki様

      アルファベットのペンネームでコメントが入っているのに気づき、どんな方なのだろうと内心ドキドキしながら投稿へ進んだところ…すぐに合点がいきました。ようやくChiaki様とおつながりできました。初めまして。お母様からは、父の急逝以来、ずっとわが家のことをご心配いただき、精神的な支えになっていただいております。この場を借り、心から感謝申し上げます。2017年9月の父の投稿――「ミセレーレ(憐れみたまえ)」――と併せて、ひときわ感慨深くメッセージを拝読いたしました。読み終わり、感無量な気持ちになりました。Chiaki様が、父の発信を深く理解され、ご支持いただいていたことに救われる思いがいたしました。お母様からも聞いておりましたが、Chiaki様のお取組みになるご活動にも、改めて敬服いたします。魂の同質性を有するChiaki様母娘様とおつながりしていることに励まされます。今後ともよろしくお付き合いをお願い申し上げます。お母様がChiaki様を深く尊敬し、誇りに思っていらっしゃること、お母様との私信のやり取りの端々に感じております。私も、時すでに遅しですが、天国の父にそんなふうに思ってもらえるように奮起せねばなりません。
      「富士貞房Jun.ir」、その解釈。感激です。

      http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/12176

  3. 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

    ★立野正裕先生からの私信、モノディアロゴスの心ある読者の方と共有いたしたく、以下転載させていただきます。

    2019/06/15 15:37
    佐々木淳様

    写真によるスペイン紀行が無事お手元に届けられ安心しました。
    拙著が執行氏の著作とともに私家版の装いでならんでいますね。
    佐々木邸の蔵書により、拙著も世界に二つとない特製豪華本になりました。

    給湯システムが回復する見込みが立ったことはさいわいでした。なんといっても、日本人の生活に欠かせないのが風呂です。むかしは銭湯にかよいましたが、自宅で五体がさっぱりするならそれに越したことはありません。

    拙宅から最寄り駅まで歩く途中、住宅街の一角に大きなバンがよく停まっています。介護用の車輌でバスタブが装備されています。
    数人の介護者らしき人々が出入りしています。
    しかし、その車輌にわたしの注意が向けられるようになったのは、先生のブログで美子様の介護の日々について読んだことがきっかけでした。
    この社会に自分がいわゆる健常者として生活出来ているあいだは、周囲身辺の現実が十全には見えていないものです。
    身体的不自由を余儀なくされている人々が、バスや電車の乗り降りに苦心していても、知らぬ顔をしてまるで平気そうな世間を見るにつけ腹が立ちますが、あるいは大半の人々は悪意から無視するのではなく、たんに目の前の現実が「見えていない」だけなのかもしれません。
    しかし、それが社会の現実に対する無関心、生活者としての無神経を助長して、結局独りよがりの人間たちを若い世代のなかに続々と作り出しているわけです。

    話が拡散しつつありますが、いま少し言わせてください。
    上下水道や光熱などのインフラの普及率は文明の程度を計る尺度とされますが、その根底を支えるエネルギーを原子力に求めたところに、近代文明の自滅への道が必然化されました。原子力に依存しないという選択肢もあり得たはずと人は言います。けれども、資本主義のシステムそのものが利潤のための利潤追求という自動的システムである以上、現在も未来も唯一無二の道として原子力開発に邁進するべく運命づけられていることは自明と申さねばなりません。つまり資本主義の論理自体が文明自滅の必然化を内包している。そしてこれに世界の現存社会主義もいやおうなしに巻き込まれています。したがって現象的には資本主義も社会主義も同じ問題をかかえざるを得ません。

    チェルノブイリが福島にとってなんら教訓とならなかったように、福島が北海道の泊原発や若狭の原発銀座にとって今後も教訓とならないことは分かりきったことです。
    八年前にわたしはウクライナのキエフに行き、チェルノブイリ原発事故博物館を訪れて、事故の惨状を記録する博物館とキエフの街の喧騒とのあまりの落差に目がくらみました。
    チェルノブイリとキエフとはせいぜい200キロしか離れておらず、日々の風向き次第ですっぽりとチェルノブイリの影響下にはいります。
    だが、キエフの人々はまるで楽天的に見えました。福島の事故とチェルノブイリの事故とは四半世紀の歳月を隔てていますが、いっぽうではそれは人間に事故の恐ろしさを忘却させるに十分な時間と見えます。他方、半減期の気の遠くなるような長い時間があります。四半世紀を忘却の彼方に押しやるに十分とするならば、何世代を要するかも定かでない半減期が人々にいったいどんなリアリティを持続させ得るでありましょうか。

    ウクライナから帰って数年後、北海道岩内にわたしは足を運び、泊原発を遠望しながら岩内港の写真を撮りました。ニシン漁が絶え、戦後すぐの岩内大火ですっかり寂れ果てた町がにわかに整備され、文化施設までが続々建ち並ぶようになったのは、もっぱら泊原発誘致のおかげによるものです。波間の彼方に数基の原発ドームが幻のように見えているさまは、終末の風景を垣間見せているようでそら恐ろしい光景でした。

    同じことが若狭の原発地帯についても言えるわけです。孤立した寒村にすぎなかったこのあたりに高速道路やバイパスが縦横に張り巡らされ、人々の暮らし向きが一変させられたのも原発のおかげにほかなりません。
    晩年の水上勉がある講演で、奥歯を噛み締めるようにして、むかしから貧しい若狭の風土が余儀なくされてきた奴婢的宿命について語っておりました。昨年わたしは若狭に初めて出かけ、作家の言葉をあらためて実感しながらかの地の風景を見てきました。

    日本列島東西南北各地方の辺境に、人為的かつ恣意的に危険な地帯を布置しながら、それを日本人大多数の目にはけっして触れさせぬようにする資本の悪辣さ、そしてときにはマスコミの前でそれを必要悪とうそぶいてみせる資本家たちの厚顔無恥。

    しかしながら、いまやほとんどかれらと同罪か共謀罪に値すると言わねばならないのが、利己主義的な無知、無関心に安住するこの国の大衆です。
    北から南へ、南から北へ、おびただしい人々が旅をし移動する現代ですが、なにも見ない。なにも考えない。
    安価で旅行を楽しむ便宜を与えられた大衆は、じつは見ざる聞かざる言わざるのまま、地球表面を目まぐるしく動き回ることに終始するのみです。

    閑話休題。以下は昨日書きかけていたものです。
    先生が非常勤講師をいくつもなさっていたとうかがい、いよいよ在りし日の先生の後ろ姿が思い浮かぶようです。
    佐々木訳オルテガが決定版となることはまちがいありません。

    ついでながら、わたしに思い出されることがあります。若いときの笑い話のような挿話ですが、やはりオルテガに関連があるのです。
    わたしの恩師が英文学者としてユニークな人で、70年代初期に大学問題に関するオルテガのエッセイの英訳から大学生用のテクストを作って学園紛争に一石を投じようとしたり、大学院演習にオルテガの高弟マリアスの世代論を使ったりしていたことはお伝えしたと思います。
    そのころ大学院の仲間と語らってわたしは同人誌を発刊し、エッセイを書きました。
    ヨーロッパ近代の主流が中世的な思考から脱し、因果律的思考を柱としたことと、非因果的な物語である中世ロマンスから因果律を基礎にした近代小説が劇的変貌を遂げたことと、両者のその画期的な転換をパラレルに考察しようともくろんだものでした。
    恩師第一の弟子、つまりわたしのいわば長兄弟子が拙論を読んでくれて、開口一番、君のあれはオルテガが下敷きになっているわけだねと言いました。
    じつは当時わたしはまだオルテガを一ページも読んだことがなかったのです。口ごもって返答に窮しましたが、いま思い返すと、恩師とのたびたびの語らいに背後からオルテガの影が差していたのかもしれません。
    とにかく、出会いや影響というものの玄妙さは、かならずしも直接性にのみ依拠するとはかぎらないという一例でありましょう。
    やがてウナムーノ、オルテガに近づいてゆくことになるわけですが、その道筋で必然的に佐々木孝という文学者思索者に出会うことになりました。

    ものごとを考えるのに因果律にのみ依拠する単純さを相対化し、かといって偶然の域からも逸脱するような種類の現象や思考や行動の継起というものについて、当時わたしは十分に理解を発展させていたとは言えないのですが、フロイトからユングに、またジェイムズやベルクソンへと関心が募るにしたがい、わたしなりに多元的な思考をもって事に処する習慣を身につけたような気がしています。

    その結果、人やものを見るにつけ、考えるにつけ、なにごとも一枚岩のようにはまいらないことも分かってきました。
    しかしときには、あたかも一枚岩であるかのように、ものごとに対し選択的果断さをもって対処しなくてはならないこともあり得ましょう。

    いや、話が拡散してゆくばかりです。ひとまず、ここらで返信に代えさせていただきます。

    立野正裕

  4. 阿部修義 のコメント:

    Chiaki様

     「永遠に生きる」私もそう思います。人間は外面的には相対界の一つですが、内面的には絶対者です。永遠という言葉は高さ、深さの次元のことであり、人間の心の在り方にあると私は思っています。先生は「魂の重心を低く」と事あるごとに言われていました。私は、それを「愛を以て」と考えています。それは究極的には己を捨てることなんでしょう。そうすることによって、物事の本質に迫ることができる。「永遠に生きる」とはそういうことではないでしょうか。しかし、人生の中で実践することは至難です。「永遠に生きる」ためには平凡な毎日の中で、少しずつ自分を省みて研鑽していくしかない。人間の幸せ、あらゆる人生の問題も、それらの本質は何かがわからないから欲望に生き、エゴに生き、不幸に陥っているのかも知れません。カール・ヒルティというスイスの実務家であり思想家が自分のお墓に、こういう言葉を刻み付けています。この人も「永遠に生きる」を実践した人でした。すばらしいご感想ありがとうございます。

     「愛は、すべてに打ち勝つ。」

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