ある教え子の方より

いただいた私信ですが、ぜひ父の理解者の方々と分かち合いたく、ご承諾を得、 以下引用(水色の背景色)、ご紹介いたします。

お父様はよく、スペイン語学科のことを「二十四の瞳のよう」だとおっしゃっていましたよ。先生と学生との距離が近かったです。先生を信頼していましたね。 いま思えば若かった、というよりまだまだ幼い学生でした。

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添付した写真は清泉の紀要(昭和49年12月のもの)「大学人ウナムーノ」 からの抜粋です。これはまだ序章部分ですが、フェデリコ・デ・オニスのウナムーノ回想部分を読んだとき、思わずお父様の姿そのものだと感じたのです。

「・・・・そこにおいて師は・・・われわれの個人的な心配事や、世界に対するわれわれの衝動的で情熱的な感受の仕方に歩調を合わせてもくれた。われわれを結びつけていたのは、狭い意味での学問的関係ではなかった。そうではなく、われわれの精神的生全体が結ばれていたのであり・・・・」

かなり省略しました。ごめんなさい。  淳さんがおっしゃっていたように、お父様は肩書やご自身の地位のためでなく、わたしたち学生のために (どこか浮ついている学生も少なくなかったですが) 常に情熱を注いでくださっていたのだと感じています。 いまとなっては、感謝の気持ちをきちんと伝えることもできず。
今日はすっきりと晴れて、心地良い風が吹いています。勤務時間が短い水曜日は特別感があって、こんな午後のひとときが好きです。
お仕事中に失礼いたしました。

「大学人ウナムーノ」

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佐々木 淳さま

こんばんは。昨晩とそして先ほどもメールをありがとうございました。 先生の供養になると言ってくださるのはとてもうれしいことです。
少しまえの話になりますがお父様の訃報を知り取り急ぎ書いた手紙でしたが、まさかお返事をいただけるとは思っていませんでした(淳さんはそんな失礼なことはなさらない方ですね、ごめんなさい)。なにしろ先生は国内外に広く、そして深くお付き合いをされている方がたくさんいらっしゃるでしょう。とにかく一方的でも気持ちをお伝えしたい、それだけでした。ですから、いまこうして淳さんとメールでやり取りができるようになるとは、あの頃は思いもしませんでした。淳さんにも気に掛けて頂いてわたしも嬉しく思います。
昨晩のメール・・・身内のことで気恥ずかしい、とおっしゃいますが、淳さんどうかこの気持ちを大切にして、お父様を誇りに思い続けてください。ずっとずっと・・・わたしも淳さんのお気持ちはよくわかりますし、わたし自身がお父様の物事の捉え方に共感するところがたくさんあったので、これまでずっとお世話になり続けてきたのです。生前に先生がよく話されていた言葉(たしかラジオでも) 「自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の心で感じよ」 この言葉を初めて聞いた(読んだ)ときから、わたしの座右の銘となっていて、いつも持ち歩く手帳に付箋に書いて貼ってあります。毎年貼り換えて・・・。剣道の稽古後何か話を、と館主から振られることがしばしばあり、わたしが今もお世話になっている恩師の言葉、として引用させていただいたこともありました。子ども達に、人間らしいあり方、に もう少し意識をおいてもらいたくて。 ウナムーノからは反れてしまいましたね。
そして、立野先生とのメールには、ただただ恐縮するばかりです。もし、今後お会いする機会があったら、そのとき淳さんをがっかりさせてしまうのではないかと不安になりました。嬉しいメールをご紹介いただき、本当にありがとうございました。

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1 Response to ある教え子の方より

  1. 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

    私からの返信です。

    ■■■■さま

    貴重な私信をモノディアロゴスでご紹介させていただき、心から感謝いたします。心ある人々との間で共有し、伝えるべきものがあります。
    ■■さまのお言葉は、父亡き後のモノディアロゴスにとって大切な一部です。
    「真の教育者」として父を見てくださり、本当にうれしいです。父もどんなに喜ぶことでしょうか。

    父の大切な教え子でいらっしゃる■■さまには、まだまだお伝えしたいことがたくさんあります。これからもどうかおつながりください。

    この世はこの世のあり方で回っていますが、個々の魂は、まっとうであれば、それに抗った本来の自身のあり方を追い求めるはずです。やがて朽ち果て、忘れ去られるこの世の名声や地位に背を向け(朴訥さ、不器用さも手伝って)、真に自由で気高く純粋な魂で、ささやかな生涯を誠実に、正直に、何より人間らしく全力で走り通した父を理解してくださる方が、死後、名乗りを上げてくださったことで、父という人間の生涯が報われ、勝利したことの証を感じています。生にとって肝心なのは「受け継ぐべき魂、精神のリレー」なのだと、父の死から私は学び取りました。世間が騒ぐものごとに、もう一切なびかなくなりました。

    パステルナークの詩を思い浮かべます。不肖ながら父を感じるのです(表面でしか父を見ていない人にはわからないでしょう)。以下引用します。

     名声を得ることは――醜い
     高みに上げるのはそんなものじゃない
     文書館をもうけて
     原稿管理に心をくだくなど以てのほか

     創造の目的は――自己を捧げること
     大評判でも成功でもない
     何の意味も価値もないのに
     多数の口の端にのぼるなど恥ずべきこと

     密かにわれこそはと驕りたかぶらず
     ついにはわが身に
     宇宙の愛を引き寄せ
     未来の呼び声を聴くように生きること

     そしてページの余白に
     まるごとの人生の余白や章を
     欄外に線で仕切り
     紙にではなく 運命そのものの中に残すこと

     無名であることに沈潜すること
     自分の足取りをかくすこと
     一寸先も見えず
     地形が霧の中にかくれるように

     やがて他の者たちが
     おまえの道のあとをたどるだろう
     しかしおまえ自身は
     敗北と勝利を区別してはならない

     ただの一分(いちぶ)たりとも
     自己をすてず
     しかし 生きて生きて最後の最後まで
     生きていなくてはならない

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