私の薦めるこの一冊(2001年)

教職を辞し、病の母を伴って南相馬に移り住む一年前に、父が寄せた文章である。

青春の書 オルテガ『ドン・キホーテをめぐる思索』

たとえばよく話題にされることだが、無人島に一冊しか本を持って行けないとしたら何を持って行くかとか、この世に一冊しか残せないとしたら何を残すか、というような極限状況での選択ならいざ知らず、『レタマ』編集長から出された「この一冊」という題は、おそらくはスペイン語を学ぶ学生たちに何を薦めるかを問うているんでしょう。

 そうなると迷いなくオルテガの『ドン・キホーテをめぐる思索』を選ばせてもらう。『レタマ』の表紙裏を見ればすぐにも分かることだが、「レタマ」という言葉自体オルテガの本からとられたものだ。もう十五年以上も前、常葉にスペイン語学科ができてまもないころの話である。創設以来最初の学年末を前に一期生たちと相談して機関誌を作ろうということになった。少しずつ原稿がたまってきた段階で誌名を募集した。ところが、期日を過ぎてもまったく応募がなく、急遽、私が決めることになった、と思う。このところの記憶はまったくあやふやであるが、一期生に聞いて確かめる時間もないので先に進める。いろいろ迷ったが、誌名はスペイン語であること、「常葉」との関係で何か植物の名前にすること、そして何よりも「青春」を表現した言葉、というのがなんとなく頭に浮かんだ。そしてオルテガ初期作品の中に「青春」が植物とからめて表現されている有名な箇所があることを思い出した。「レタマ」に行き着いた経緯は以上の通りである。そして創刊号表紙裏にはオルテガの次のような言葉が引用された。

 「私の青春は私のものというより私の民族のそれであった。私の青春はスペインの歴史の道のほとりで、モーゼのレタマのように、すべて燃え尽きてしまった」

 モーゼのレタマとは、『出エジプト記』(第3章)の中でイスラエルの民を率いたモーゼに対して、道の辺のレタマが自ら燃え上がることによって神の出現を告げたという故事を指す。もちろんここでオルテガは宗教的な意味での神との出会いというより、もっと広くたとえば真理との劇的な出会い(晴天の霹靂、眼から鱗が落ちる、など)を言っている。

 いやそんなことよりも、この引用文が現在のものと違うことにお気づきだろうか。実はこれは、オルテガが一九一六年に発表した『人、作品、もの』という作品集の序文から取った言葉であって、現在のように『ドン・キホーテをめぐる思索』の文章に変わったのは第3号からなのだ。なぜ変えたかははっきりしない。たぶん「青春」を基調とする文章を選んだのはいいが、「すべて燃え尽きてしまった」というあたりが気になったのであろうか。ついでに白状すると、創刊号に書かれた「レタマ」の説明箇所には、実はとんでもないウソが紛れこんでいる。「マメ科の常緑落葉低木」という箇所である。「常緑」で「落葉」という組み合わせの植生などありえない。これは常葉(常緑)に無理に合わせようとインチキしたわけだが、しかし良心がとがめたのか、「常緑」に下線が引かれている(卒業生の中から植物学者や植木屋さんになった人がいないので実害があったとは思わないが)。

 ところで前述のように第3号からは現在のものに変わったのだが、その前後を補足引用するとこうなる。

 「文化的作業というものは、すべて生の解釈――解明、説明あるいは注釈――である。生とは、永遠のテキスト、そこで神が語られる道の辺に燃えるレタマである。文化――芸術あるいは科学あるいは政治――は注釈であり、生が自らの中で屈折することによって、光沢と秩序を得る生の様式なのだ」

 ここには「生きること」と「学ぶこと」との相即不離の関係が明確に打ち出されている。ここでやっと本題にたどりつけたわけだ。つまりなぜ学生諸君にこの作品を薦めるか、その理由がこの短い文章の中に込められているからである。『ドン・キホーテをめぐる思索』はオルテガ三十歳のときの作品で、よく言われることだが、後の彼の思想がほぼ余すところなく表出されている。もちろんそれらは完成態としてではなく萌芽としてではあるが。あのあまりにも有名になった「私は私と私の環境である」という命題が初めて現れるのもこの作品の中である。

 実はこの定式にも重要なメッセージが続いているのだが、普段はまったくと言っていいほど引用されていない。それは「そしてもしこの環境を救わないなら、私をも救えない」という言葉である。ただしこの場合の「救い」も、先程のモーゼのレタマの場合と同じく、宗教的な意味での救いというより人間学的な救い、つまり自己完成(エンテレキア)ほどの意味であると言って間違いないのではなかろうか。

 ところで私自身がこの『ドン・キホーテをめぐる思索』に初めて出会ったのは、確か上智大学の三年生のときだと思う。講読の教科書であったマリア・デ・マエストゥの『20世紀散文作家アンソロジー』に収録されていた文章との出会いである。ただしそれは「レタマ」の箇所ではなく、次のもっとパセティックな文章との出会いであった。

 「いったい(¡Dios mio!)スペインとはなんだろう? 世界という広がりの中、数知れぬ民族にかこまれ、限りなき昨日と終わりなき明日のあいだで道に迷い、天体のまたたきの広大にして宇宙的な冷たさの下にある、このスペインとは、そもなにものか。ヨーロッパの精神的岬、ヨーロッパ大陸の魂の舳先たるこのスペインとは?」

 なぜかこの言葉がすっかり気に入ってしまい、その後紛失してしまった教科書の裏表紙に抜き書きしたことを覚えている。結局この言葉に魅せられるようにしてスペイン思想の奥深い森の中に入ってしまったような気がする。ともあれこの青春の書には「課題としての生」など、オルテガ思想の円熟とともに明確になってくるさまざまな思索の端緒が随所に鏤(ちりば) められていて、「考えること」の楽しさ、いやそうではない「生きること」の奥深さを徹底的に教えられたように思う。何故「青春」の書かと言えば、彼によって物事の誕生の瞬間に立ち会う、原初の光景に立ち会うことを教えられたからだ。世間的常識で薄汚く曇り始めた眼差しを一瞬のうちに拭き清める効果絶大である。ぜひ読んでみてください。

 その後オルテガ以外の現代思想家に次々と出会っていくことになるが、その経過を大まかに言いきってしまうと、ウナムーノによって哲学の根源にある気配あるいは星雲のような問題群を啓示され、オルテガによってそれら問題解決のための方法論を伝授され、そしてそれを手がかりに「問題としてのスペイン」に立ち向かう具体策をカストロに教えられた、となろうか。

 ところで文字通りの蛇足ではあるが、本誌『レタマ』に妹があることをご存じだろうか。八十九年、私は常葉から八王子にある東京純心(当時は短大)に移り、そこでほどなく広報誌を創刊することになったのだが、それに『えにしだ』という名をつけた。「えにしだ」(スペイン語では hiniesta、日本名を漢字に直すと金雀枝)は「レタマ」と瓜二つ、というか同じものという説もある植物なのだ。つまり『出エジプト記』の件の植物は「やぶ zarza」と訳されることが多いように、植物学的に特定できない植物だということである。

 最後に蛇足の蛇足を言うと、私は来春、定年まで数年を残して教師生活に終止符を打ち、田舎で第二の人生を始めようと思っている。このまま教師生活を続けていくことに深い徒労感を覚えてきたからだが、しかし「えにしだ」の方はともかく、その創刊に加わった「レタマ」という苗木がその後も大きくたくましく成長を続けていることを思うと、自分の教師生活もそれほど徒労でもなかったのでは、といささかの矜持を覚えるのである。


(※本書にはいくつか翻訳があるが、筆者がかなり気合いを入れて改訳した未来社版をお薦めしたい)

常葉学園大学イスパノ・アメリカ文化研究会  機関誌”RETAMA”
            第十七号、二〇〇一年

オンデマンド版で『ドン・キホーテをめぐる思索』(未來社) が現在入手可能です。

http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624990220?fbclid=IwAR11WXmMyvPKTuR90nMdtizs91xvddLHBlRg_JZQDnDzktxzCSxjaS1_FGg

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私の薦めるこの一冊(2001年) への6件のフィードバック

  1. 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

    ★立野正裕先生からのコメントを以下に転記いたします。

    Date: Fri, 17 May 2019 05:19:04
    Subject: オルテガのドン・キホーテ論のことです

    オルテガのドン・キホーテ論ですが、先生が訳された未来社版はたいへんな高値がついていますね。ちょっと手が出ないので、勉強家の若い人たちに強く勧めるのが躊躇されるのが残念です。わたし自身も佐々木訳は所持しておらず、わが書庫にはいっているのは白水社版の著作集です。大学院時代に恩師がこの書のことを演習で語っていましたが、わたしはウナムーノに傾斜している時期でしたから、目を通す機会を逸したままこんにちまで来てしまいました。不勉強な弟子に恩師は歯がゆい思いを内心禁じ得なかったでしょう。

    佐々木先生が青春の書として挙げられた一冊ですから、遅きに失したとはいえ一読したいものです。いつか神保町あたりでひょっと行き当たらないともかぎりませんね。あるいは古書祭りなどに姿を現わす可能性もあります。
    訳書ながらウナムーノ、オルテガ、カストロと揃えることにしましょう。

    立野正裕

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    モノディアロゴス、今、ここにあってなお、私の魂に語りかけています。呑空庵主を真ん中に、ウナムーノ、オルテガ、カストロを探求したい気持ちがあふれて着てしまいました。感謝。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      佐々木あずさ様

      北の大地より、父と共鳴する魂のお持主からのエール、感謝いたします。今日で、5回目の父の月命日です。一論客として父を見、特に震災以降、その論の一端を取って父を切り捨てていった人々は大勢いましたが、父の論、言葉の底で震える魂に目を向けようとする人は少なかったと思います。これが世間(大衆)というものでしょう。とまれ埴谷雄高言うところの「精神のリレー」(父の場合は魂と言った方がふさわしいでしょう)を、心ある人たちで続けてまいりましょう。これからもよろしくお願い申し上げます。

  3. 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

    立野正裕先生からいただいたメールを、以下にご紹介します。

    (中略)
    二冊注文したのは一冊は岩手に持参し、書庫にオルテガ関連書とともに収納するためです。
    水上勉が郷里若狭に一滴文庫を作り、かつて少年時代の水上がそうだったように、本が読みたいが経済事情などで読めずにいる少年少女がいたら、やって来て自由に読んでほしい、と二万冊を寄贈しました。
    昨年一滴文庫を訪ね、わたしはタイムスリップして少年時代に戻り、この文庫で数時間過ごしてきました。ほかに閲覧者がいなかったので、まるでわたし一人のために作られた文庫のような気がしました。
    遠野にわたしが作った書庫は、せいぜい五千冊が収納可能なミニ文庫にすぎませんが、退職と同時に研究室を明け渡す際に運んでもらった書物に加え、作家の故大西巨人さんからいただいた蔵書の一部を収納しています。
    ですから書物は古典も少なくありませんし、少年少女向けとはかならずしも申せません。それでも好奇心を持つ人々には利用してもらおうと思っています。
    専門書はかなり処分しましたが、全集などは残しました。
    帰省すると日がな一日ここに入り浸って、自分だけの至福の時を過ごすわけです。
    佐々木孝先生のモノディアロゴスも数冊あります。複数冊お送りいただいた分ですが、いずれ全巻並べたら壮観でしょうね。私家版ですからなおのこと、日々の先生の思索の足取りが、まるで巡礼者のそれのように、ヴィヴィッドに感じられるに相違ありません。
    じつを申しますと、わたしも自著を私家版で数冊ずつ作り、友人たちに配ることを長年続けておりました。先生のような製本のノウハウがなく、手帳大のルーズリーフに印刷して、着脱可能な既成の手帳に嵌め込むだけのいたって素朴安易な作りです。
    二十冊もこしらえたでしょうか。
    ちなみに大西巨人さんも製本の技術をお持ちで、古書店でよれよれの本を購入してきては、これを製本し直すのがなによりの楽しみだった、と(大西さんが亡くなられてからですが)夫人にうかがいました。
    佐々木先生と同じように、古くなった元の背表紙を取り去り、糸などで補強したのち、これにあらたに背表紙を取り付けるのです。書名著者名は手書きの楷書ですが、個人全集など全巻字体がまったく同じで、手にとってよくよく見るまで、それが手で書かれていることに気がつきません。
    したがって大西さんのリヴィングルームの壁の書棚は、書物を大事にする人独特の雰囲気が醸し出されていたものです。いっぽう、佐々木先生のリヴィングにお邪魔させていただいたときも、世界に同じものがない装丁の書籍で書棚はぎっしりと埋め尽くされていました。
    色も模様もさまざまな端切れを用いて装丁し直された書籍ばかりで、やはり独特の個性を感じさせずにはおかない空間でした。
    写真で拝見しますと、そのまま保存されていますね。まことに先生にふさわしい場所にやすらっておられるわけです。

    立野正裕

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      ※立野先生に送った私信ですが、心ある人の目に留まることを願って、こちらに以下転記します。

      立野先生、改めて父の遺作を二冊もご注文下さり、感謝に堪えません。いただいたメールをしみじみとした感慨をもって拝読し、昨日、5回目の父の月命日を過ごしました。
      水上勉の一滴文庫、初めて存じ上げました。立野先生を通し、水上勉(小さい頃から、父の書棚を眺め、馴れ親しんだ名前でした)の著作に改めて接してみようという気持ちに駆られました。お導きに感謝します。

      父の私家本製作していた器具は、以下のリンク先で購入したものであることを、父の没後突き止めました。
      http://idea.eco.coocan.jp/book88/shohin/a5kata/index.html

      これに、出来上がる前の原稿を挟んだまま、父は天国に行きましたが、入院する前から何度も何度も私家本の作り方を伝えたいと言われていて、親不孝な私はその都度受け流していたのでした。父は、死を覚悟して、あえて製作過程の状態で、死後、私が後に続くことができるように、そのままにしたのだと思います。月命日の昨日、挟み込まれた原稿の中身が、ふと気になり、取り出して開いてみました。もしかして、息子への最後のメッセージが書かれているかもしれないと思ったからです。本当に切なさとはやる気持ちで中を開けて見ました。中身は『峠を越えて』でした。私は気恥ずかしくて、父の生前、一度も中身を読んだことがありませんでした。ページを繰ると、最初に「孝と美子の子供たちと孫たちに遺す」とあり、胸に突き刺さりました。やはり、父なりの息子への最後のメッセージであり、プレゼントが私家本の『峠を越えて』だったのであり、私家本の製作を私に強く託したということだったのでしょう。力の限りを尽くして、何もかも準備して、父は斃れたのだと改めて実感しました。

      少しずつ、身辺が落ち着きつつあり、父の私家本製作の再開は、何としても実現しなければならないのだと決意した次第です。

      • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

        ※立野先生からのご返信

        佐々木淳様

        昨日はメールをいただいたとき、ちょうど出がけであわただしくしておりました。とはいえ、なんという偶然だろうと思ったことでした。
        というのは、きのうは駿河台で講座がある日でしたが、遠野物語に関連して峠の話をしようと考えていたところだったからです。
        遠野盆地を囲むたくさんの峠があり、わたしはその一つについて、わたしがまだ小学生だったころ、遠足に行ってたまたま見た峠の光景、そこからの四方の眺め、眼下を流れる一筋の川、川沿いに点在する集落、などについて思い出を語ろうと思っていました。
        そこへ、 『峠を越えて』にまつわるメールが淳さんから届いたわけです。

        この往復書簡集を先生がわたしに送ってくださって、さっそく拝読しましたが、読みながら涙が流れて仕方がありませんでした。
        息子にとっては、両親の婚約時代の恋文のやり取りが気恥ずかしいと感じられるのは当たり前でしょう。わたしは純然たる読者ですから、あたかも作家の往復書簡集を手に取ったときのような気持ちがありました。
        フィクションではありませんが、一つの文学上の作品として読んだのです。
        モノディアロゴスと同じように何冊かさらに送っていただいて、知友にも配りました。

        淳さんが製本の器械にこの往復書簡集を見いだされたのは、ある意味では、これから登らなくてはならない峠にさしかかったのと同じでしょう。

        わたしが十歳かそこらのとき遠足に出かけた峠を、後年探して回りましたが、いまだに見つけられません。名もない無数の峠の一つだったのです。しかし、半世紀以上の年月を経ていながら、いまだになおくっきりとした映像を脳裡によみがえらせるほど、そこからの眺めは少年に強烈な印象を与えたのです。それはもはやたんなる少年時代の思い出のひとこまというにとどまらず、むしろ心理的な深さを帯びた経験となったのであり、さらにそこから引き上げられていまや魂の原風景の一つとなったのです。
        わたしが語るべきは、少年時の峠の経験を踏まえながら、峠を越えて記憶が原風景に変容してゆく魂の道程についてだったのです。
        したがって必然的に、わたしはこの四月下旬から五月上旬にかけての、スペイン巡礼の旅について言及しないわけにはまいりませんでした。
        なかんずく、ピレネーのイバニェッタ峠、それからオ・セブレイロ峠、そしてサン・ロケ峠という巡礼の道途上の難所として知られる三つの峠についても語らないわけにはまいりませんでした。

        峠とはなにか。山脈の尾根がそうであるように、そこは越えられるべき人生の難所にほかならない。
        多くの巡礼がそうであるように、ただ一人で越えて行くべき勾配急な坂道の一つにほかならない。
        むかしから、スペイン巡礼の道に立ちふさがる三つの峠は、巡礼に課せられた試練の場所として知られていました。風に吹き倒され、雨に打たれ、霧に巻かれ、雪に見舞われ、足を滑らせて、断崖から転落する人も少なくないと言われていました。

        佐々木孝美子往復書簡集の一ページ一ページが読者に向かって語っています。これから二人が越えてゆくべきいくつもの峠の予感を です。
        そしてそこを避けることなく一歩一歩歩みを進めることを誓い合い、いわば「同行二人」として越えていこうという決意をです。
        わたしが書簡集を落涙なしに読むことができなかった理由は、先生は峠への長い坂を、美子様とともにまさしく同行二人で、いまも登り続けておられると思ったからでした。

        立野正裕

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