もっと自由に!

かつてこんな魂の持ち主が大学で奮闘していた――。

以下の文章は、父が80年代前半まで教鞭を執っていた大学の機関紙に、当時父が寄せたものである。父が、 大学のあるべき姿の追求を通して闘っていたのは、究極においては人間存在の救済のためでもあった。つまり、それは真正の意味での魂の自由を守るということではなかったか。

「 学問というものは、突きつめて考えるなら、社会通念や先見にとらわれずに人間や世界を見つめていくこと、つまりより一層自由になっていくことだ 」

「限りなく自由であれ!」

今、この文章を読み、「思い出す人」として、父を思い浮かべる人はいるだろうか。

もっと自由に! 

 ある合宿でのこと。話題は「最近もっとも感動したこと」に移り、一人の学生がこう言った。「クラブ活動で、口もきいてもらえないと思っていた先輩からやさしい言葉をかけられたことが、私にはとても感動的でした」。
 何と素朴でつつましやかな人柄であることよ!聞いている私も思わず感涙にむせびそうになるのを辛うじてこらえた。というのは冗談である。正直言うと、一方では何とナイーブなんだろうと感心しながらも、他方では、彼女たちが抱えている問題というのは要するにこの程度なのか、という幻滅感である。目まいがするほど落胆しているのだ。わずか一、二歳上の先輩に対してのこの見事なまでのへりくだりの心。がっちりと管理社会に組みこまれてしまった人間の、この固定された序列意識。 
 こんなことで、本当の意味での人間と人間のつき合いができるのだろうか。そしてこんなことで、学問ができるのだろうか。なぜなら、学問というものは、突きつめて考えるなら、社会通念や先見にとらわれずに人間や世界を見つめていくこと、つまりより一層自由になっていくことだからだ。
 たとえば今、この清泉に、そのような自由な気風が存在しているだろうか。確かに清泉は、形式的には少数教育という条件が整っている。そしてよく「清泉ファミリー」という言葉が使われもする。しかしここ数年来、私自身.留年生や身障者の学生たちとつき合ってみて(というより彼らの視点に立ってみて)、先の条件が決して現実には充分生かされていないのではないか、と思うような経験を何度か味わってきた。歯に衣を着せずに言わせてもらえば(思えばこの性格のため、穏健派や良識派の人たちから何度ひんしゅくを買ってきたことだろう)、清泉ではよく軽蔑の対象となるいわゆる「世俗」以上の、彼らに対する冷淡さ、無関心に背すじが凍る思いをさせられた。育ちや好みを共通のものとする者同士の一種の連帯感はあるだろう。それをしも「家族」的雰囲気と言うのは一向構わないが、しかし「家族」という言葉を、互いの個性を尊重し合う、そして弱い者も強い者も共に包みこんだ共同体と解するなら、清泉ファミリーはまだまだファミリーとは言い難いようだ。
 実は「清」の編集委員から求められたテーマは、「思い出す人」というのであった。しかしおそらく今回が清泉の出版物から求められて文章を書く最後であることから、約十四年ばかり清泉で苦楽を共にしてきた一友人として、最後の苦言(いたちの最後っ屁と言いたもうな)を呈したまでである。学生諸姉に心から申し上げたい、限りなく自由であれ!と。清泉の学生の素朴さに、自由さとたくましさを加味したまえ!と。

              
(清泉女子大学国文学会機関誌「清」、一九八四年)

Please follow and like us:
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

もっと自由に! への1件のフィードバック

  1. 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

    明大名誉教授の立野正裕先生からさっそくメールでいただいたコメントを、ご了承を得て以下にご紹介いたします。

    ①第1信
    それはさておき、たったいま先生の懐かしい文章を読み、それが書かれた当時、もしお会いできていたら、どんなに意気投合したことだろうと改めて思う次第です。わたしも同僚たちから爪弾きされながら、同趣旨の意見を教授会をはじめあらゆる会合で口にして止みませんでした。
    個を強くする、とうたいながら、個の埋没を要求するような学園の体質に、異議申し立てを文書でしたこともありますが、それが1990年代前後のことでした。先生の書かれた文章はそれより数年前に公表されたわけです。
    わたしが所属していた文学部は教員だけでも100名を数える大所帯ですが、肝胆相照らす仲になり得た同僚はついに一人として存在せず、多少親しい同僚や先輩からさえ、いいかげん青年客気を卒業しておとなになれ、としばしば忠告と揶揄の両方を含む言辞を浴びせられたものです。
    先生を存じ上げていたなら、たとい書簡のやり取りを通じてでも、大いに意を強くするような意見や論評が期待できたにちがいありません。
    しかし、時節はたがえど、同時代の一時期を親しく交流させていただいたことは、なんといってもわが身の幸運にほかなりません。
    アップされた文章を、ひとかたならぬ懐かしさとともに読ませていただいた所以です。

    ②第2信
    淳さん、拙文掲載はご自由にどうぞ。母校文学部のために一言弁ずれば、半世紀前は自由の気風があったのです。そうでもなければ、わたしのような跳ねっ返りがスタッフに採用されるはずはありませんでした。したがって現役教師の時代、おれを見よ、いま諸君の前に立っている人間こそ正真正銘のメイジだぞ、と始終胸を張っていたものです。エッケ・ホモとは、いまになってみれば笑止ですが、本人はどうも半ば以上は本気でそう思い込んでいたらしいです。

富士貞房Jr. にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。