独り言

父は常に真の人間性の回復、つまり人間性を呪縛するものからの解放のために、欺瞞、偽善に対して目を逸らすことなく、自らが携えたもので一貫して戦いを挑み続けた孤高の生涯だったと思う。その根っこは、既成の教会理解は異端と片付けるしか能のない真正の「信仰」だったと思う。オルテガやウナムーノがそうであったように、父もヨーロッパの人文主義者(ユマニスト、ウマニスト)の系譜に連なる日本では全く稀有な(もちろん一般には無名だが)学者であり文化人であったと私は思っている。死した後も、父の真意を理解するのは少数の人だけであったという現実は、悲しく残念なことではあるが、致し方のないこととも感じるし、むしろ皮相な目線で大衆(的なるもの。大学人ももちろん含む)から誤解、冷笑、唾棄に付されるのは、むしろ父のために(父自身、同意だろう)誉れであるとさえ、私は本気で思っている(彼らがなびき、支持するものが何か見ればなおさらの思いだ)。

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