かつて父が語っていた言葉

どんな芸術より、どんな思想より、二つの魂が合い寄り、
結ばれることの方が何万倍も美しいし、何万倍も価値あることです。

Please follow and like us:
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

かつて父が語っていた言葉 への8件のフィードバック

  1. 守口 のコメント:

    淳さん
    なんと嬉しい言葉でしょう。
    私の、これからの生きて行くうえの大いなる励み、そして戒めになります。
    感謝に堪えません。
    守口

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      守口様、ブログを訪れてくださり感謝します。南相馬に移った後に発した15年前の父の言葉です。素通りし、冷笑して去っていった閲覧者は過去何万といたでしょうが、常時ご覧くださっている数十の方々は、父の魂にとってこれ以上ない宝です。息子の私もこれ以上の幸福はありません。感謝しています。

  2. 松野須磨子 のコメント:

    素晴らしい魂に響くお言葉ですね。先生がもうおられないのが残念でなりません。この言葉のとうりに美子様を愛し貫かれましたね。紡ぎだされた言葉の重み、品格、感動、先生ありがとうございました。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      松野須磨子 様

      息子より温かいお言葉に心から深く感謝申し上げます。ふすま越しに聞こえてくる、母に優しく語りかける父の声音が今も耳にこだましています。入院の朝まで母に尽くして、がんセンターでの闘病のため住み慣れたわが家を発ったのが、母との最後の別れとなりましたが、母は魂の中で今も父と交信しているように感じられます。生前父が大変お世話になりました。松野様のご健勝、ご多幸を心からお祈りしています。

  3. 古屋雄一郎 のコメント:

    このお言葉は2003年12月22日に先生がわたくしに送って下さったメールに書いてありました。一読して深く胸に沁み、メール本文は今も大切に保存してあります。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      古屋雄一郎様

      コメントをお寄せくださり有難うございます。古屋様のお受け止めに感銘を受けました。父は天国で喜んでいると思います。古屋様に巡り会えた79年の生涯をきっと感謝して閉じたと思います。

      「私にいつ死が訪れるか分からないが、たとえ家族や他人様の手を煩わせて惨めな状態になろうとも、最後まで感謝の気持ちを失わず、それまで生きられたことに深く感謝しながら、そしてできることなら美子の最期をしっかり看取ってから死にたいといつも願っている」(2018年5月5日のブログより)

      http://monodialogos.fuji-teivo.com/archives/12846

  4. 南相馬市 齋藤 和子 のコメント:

    「海岸線」同人会の齋藤です。本日、松永章三先生の追悼文を書いていて、久しぶりにモノディアロゴスに入りました。佐々木先生の松永章三詩集のご感想とご指摘に、感動した記憶があったからです。
     そして、今、先生が亡くなられたことを知りました。以前、小高の島尾敏雄読書会に参加していました。数々の島尾論より生身の島尾に接する時間は、島尾ファンには愉しい勉強会でした。同席して傍でにこにこなさっていた奥様の入院中は、同人3人で伺うと先生は手慣れた看護をしてらっして・・。郵便局でお会いした昨年は、お元気そうでしたのに。
     佐々木千代先生も、かつて『海岸線』同人でした。例会でお会いした時は、文学への思いと気丈なお姿に励まされたことがあります。先生も、いろいろ言いながらお母様がお好きなのでした。そして、奥様への深い愛を今更に感じております。
     ご冥福をお祈りいたします。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      齋藤和子様

      お便りを誠に有難うございます。モノディアロゴスの発信地である南相馬からの読者のお声は、父にとって格別の歓びだったはずです。母の病を機に、終焉の地として夫婦のスタートラインだった福島(南相馬)に戻り、母に寄り添い、捧げつくした16年間でした。北海道で生まれ、福島で生活したのは11歳から高校卒業までのたった7年間だったので、最後まで相馬弁は身につかぬままでしたが、一家のルーツとして故郷・相馬の地をこよなく愛していましたし、人生の最後の年月をそこで夫婦で暮らすことに最終的な幸せを見出していました。そんな中での、ささやかな楽しみが、震災前の島尾敏雄や埴谷雄高の読書会、ボランティアのスペイン語教室での人々との出会いでした。両親が齋藤様とともに素敵なひと時をお分かちあいできましたことを、心より感謝申し上げます。
      『海岸線』は、祖母が熱心な同人であったことは私も知っており、同誌に齋藤様が深くおかかわりになられていることは、恥ずかしながら今回初めて存じ上げました。今、父の遺した蔵書や文書の把握もできておらず、『海岸線』のバックナンバーの在処がわかりませんが、いずれお近づきさせていただければと存じています。どうかお元気でお過ごしになられてください。

      佐々木淳拝

      【追伸】私も、いまだ福島ではよそ者の思いから抜け出せませんが、娘の愛は生粋の原町っ子で、屈託のない郷土愛のかたまりです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。