【家族よりご報告】

佐々木孝の息子・淳と申します。

ウェブ上という場で、家族から初めて公にご報告させていただきます。またこの形を通して、お便りやご連絡をくださいました方々へのご挨拶と代えさせていただくことを、どうかお許しください。

父は去る12月20日夜、宮城県立がんセンターにおきまして、入院翌日の検査で起きた合併症がもとで残念ながら帰天いたしました。あまりにも突然で切なく劇的な幕切れでした。しかしながら生前、身内や親しい友人に語っていた通り「闘い抜きたい」という決意を全うした最期になりました。クリスマスイブに私が投稿した写真は、18日の検査に赴く直前のものであり、奇しくも最後の写真が父の穏やかな微笑となりました。父はもちろん生還するつもりでいましたが、一方で死も覚悟していました。父は入院直前に語っていました。自分の生き方は痛くてつらくとも(癌を)放置などせず、最後まで闘うこと。君は明日死ぬよ、と言われても従容として受け入れる覚悟は既にできている。闘わずして死ぬのは絶対に嫌だ、と。ともに過ごした家族は父の気持ちがよくわかります。闘い抜いた父は後悔していないと確信します。

24日クリスマスイブの日、父の兄でカトリック司祭の伯父の司式により、自宅で病床に伏す母の傍らで家族葬の告別式ミサを営みました。今は天上から母や私たち家族、親しくさせていただいた方々を見守ってくれているでしょう。生前父がお世話になりました皆様に、この場を借り、心から感謝と御礼を申し上げます。

いつも父は人の言葉や態度をそのものとして受け止め、二心なくそれに応える篤実さというものが通底していました。それ故に幾度となく傷つき苦しみもしました。愚直さというより、きわめて人間らしい、しかしまたきわめて稀な聖性、善性を父は内に宿していたのだと私は思っています。また、父は巷が有難がるような華やかなポストとは縁遠い学究生活でしたが、アカデミズムとは何たるかを知る真の大学人であり真の教育者であったと思っています。イエズス会の修道生活から還俗しても、真正の求道者であり続けた証を、私は父の生きる姿勢の随所に見出します。世間的、「常識的」な目からすれば、ともすれば疑問を呈する言説も時にはあったやもしれません。しかし、それは父の精神における物事への眼差しがあまりにもこの世から離れ、天上に近かったがゆえだと(誰もがいずれ天上の人となるわけです)、私は今理解していますし、そのような父を擁護して憚りません。父は誰も恨んでいませんでした。病床に残した母を案じ半径2キロ、たった小一時間の外出を甘んじて受け入れた父。特に震災後は、スペイン美術家の展覧会に招かれ福島県立美術館を半日訪れたのと、最後となった宮城県立がんセンターへの移動以外は、故郷の町を離れることはありませんでした。蟄居と父は自嘲していましたが、精神は自由に世界の友人のもとへと駆けめぐっていました。そんな生活の中、ささやかな私家本の送付に利用する町の郵便局や、買物でスーパーを独り行き来する父の姿は、およそ権勢的な振る舞いや虚飾とは真逆の、あまりにも質朴かつ孤高の小さき者としてのそれでした。福音書にあるイエスの山上の説教「しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった」の表現、そして清貧という言葉は、父にこそ相応しいと私はいつも心の中で称えていたことを告白します。著作などを通じてではなく、生身の人間として、父を、父の精神を根っこから理解し、支持する人は少なかったと思います。でも、父は、いつどんな場所においても自分自身を貫きました。父祖の地・相馬、南相馬を愛していましたし、そこで生きることに誇りと喜びを持っていました。

身内による父への賛歌はこの辺までにします。父の精神は、有り難いことに父がものした文章、残した言葉によって生き続けます。モノディアロゴスは今後も閉鎖せず残します。どうか時折でも訪れ、父と再会して下さい。そして父の灯した魂の火を絶やすことなく、これからも有志で継承していくことができたら、これにまさる幸せはありません。今後ともどうかよろしくお付き合いを、ご指導を切にお願い申し上げます。

最後に、「カトリック新聞」2018年9月16日付に掲載されたウナムーノ関連記事における父の言葉を引用します。

「私が、原発被災地という“奈落の底”でしきりに希望したのも、この惰弱な物質主義・快楽主義・没理想への抵抗です。さらに厳しく言えば没義道(もぎどう)の日本を、また世界を、まともな国や世界にするために、ウナムーノに倣って、目先の勝利や敗北に心乱さず、時に嘲笑に身をさらそうとも、最後まで闘い抜く若い世代の誕生を切に望みます」

「富士貞房Jr.」拝

【追記】父の除籍の文書を役所に発行してもらい気づいたことですが、父と母が役所に婚姻を届けたのは、奇しくも父の亡くなったちょうど50年前の12月20日でした。

※父の訃報は、スペインではすでに、その通信員であられるゴンサロ・ロブレド氏が、有力紙El País紙上において追悼記事を寄稿してくださいました(清泉女子大学元学長で現教授の杉山晃先生が、本ブログのコメント欄においてご弔意とともに紹介くださっています)。その翻訳を以下に掲載いたします。

https://elpais.com/cultura/2018/12/26/actualidad/1545829149_224089.html

【福島原発事故で避難勧告を拒否した日本人ウナムーノ紹介者逝く】

スペイン研究者の佐々木孝氏、12月20日木曜日の夜亡くなる。享年79歳。

ゴンサロ・ロブレド 東京 2018年12月27日

スペイン研究者でミゲル・デ・ウナムーノの翻訳を手掛けた佐々木孝氏が、去る木曜日の夜(12月20日)逝去した。佐々木氏は、このバスク人思想家の哲学に忠誠を示し、近隣の福島第一原子力発電所で起きた原子力事故に際し、居住する町から避難することを拒否した。氏は、「日本政府は生物学的な命を憂慮するだけで、われわれ一人ひとりの人生という意味の命は尊重しない」と、ウナムーノの言葉を引き合いに出して、2011年3月11日の地震と津波の後に起きた発電所の爆発による被爆の危険を前にし、南相馬市からの避難勧告を拒否した理由を語っていた。

このスペイン研究者はさらに、彼の母も、認知症の犠牲となった妻も、政府が用意した避難所では生き延びることはできないと主張した。南相馬は、ゴーストタウン化し、物資の供給も絶たれ、「排除地域」であるかのようなレッテルを貼られた。

佐々木氏は、62歳でインターネットによる発信を始め、ウナムーノを敬し「モノディアロゴス」(独対話)と命名したブログを執筆するようになる。ブログにおいて佐々木氏は、災厄を予見も、その重大な結末にも対峙しない政府と原発企業による誤った情報、その無能ぶりへの告発を決意する。批判の中で繰り返し焦点に当てたのは、日本の構造的な個人の責任意識の欠如であり、これが集団的決定を促しているということである。モノディアロゴスという羅針盤は、数多くの支持を得、その多くにとって、遺棄された住民に起きた出来事の真実を知る唯一の手がかりとなった。ブログの文章は集成され、『原発禍を生きる』のタイトルで出版され、中国語や朝鮮語、スペイン語などの言語にも翻訳された。スペインではサトリ出版が上梓している。

北海道の帯広で生まれ、下級官吏として海を渡った父親とともに、幼少期の一時期を日帝侵略下の旧満洲で過ごした。第二次世界大戦が終わり、5歳で日本に引き揚げ、福島県で暮らし始める。イエズス会経営の上智大学(東京)で学び、カトリシズムとスペイン思想に出合う。この二つによって彼の精神は導かれ、数多くの翻訳を手掛けることで日本での研究は普及した。

政府が南相馬における避難指示を解除すると、彼の住まいは、氏の共鳴者やスペイン研究者、ジャーナリストの巡礼地となった。作家のホアン・ホセ・ミリャス氏や芸術家のホセ・マリア・シシリア氏などが、原発事故前までは公的な正直さ、技術の優秀性が代名詞であった日本という国への氏の批判的ビジョンに耳を傾けに、その住まいを訪れた。2017年から2018年の間には、法政大学出版局により、氏の翻訳による『生の悲劇的感情』(再版)や、『ベラスケスのキリスト』といったウナムーノの著作と、このビルバオ出身の思想家の人物像に迫った氏の思索『情熱の哲学』が刊行された。

彼の命を奪った肺がんの診断が下された病院に入院する前夜に、最後のブログを執筆し、デジタルの遺書としてインターネット上に最後の願いのリストが掲載されていた。病床に伏す妻と息子家族に蓄えを残した。「私の孫の愛が清泉女子大学で学んでほしい」。佐々木氏はここで教鞭を執っていた。愛さんがスペイン研究の専門家になって、「日本を愛する若きスペイン人と結婚し、スペイン語を広めるという祖父の仕事を継いでほしい」と。そして息子には遺稿の校正と出版を託していた。それはイエズス会士であり、平和主義者のダニエル・ベリガンの『危機を生きる』と邦題化された作品、そしてオルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』であった。

他、カトリック系メディア「Aleteia」紙の追悼記事

Takashi Sasaki, el católico japonés que desafió la catástrofe nuclear

Please follow and like us:
カテゴリー: モノディアロゴス パーマリンク

【家族よりご報告】 への16件のフィードバック

  1. Helene Alt (ヘレーネ・アルト) のコメント:

     とても辛いお知らせ、心が潰れそうです。ご家族の皆様の悲しみを思うと、慰めの言葉も見つかりません。ごめんなさい。
     先生とは東京外大でご一緒させていただいて以来、仲良くしていただいていました。学部は違いますが、私も上智大学出身だからなのかもしれません。
     May his soul rest in peace. He will continue to live in our hearts forever.

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      父が生前、大変お世話になりました。父の生涯を素敵な思い出で彩ってくださり、心から感謝と御礼を申し上げます。外大は、故・牛島信明先生との御縁もあり、父にとってここの教壇に立つことは大きな喜びだったようです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    呑空庵主佐々木孝先生がもうこの世にはおられないという事実が、心に迫ってきます。この3週間、私の魂にぽっかりと孔が空いたような状態が続いてしまっています。たった2年ほどのお付き合いしかない私でさえ、こんな有様ですから、美子奥様をはじめ、ご家族の皆様の悲嘆、想像するできません。

    いつも、何かをするとき、「先生だったらどうするのかな」などと思いながら前に進んでまいりました。私にとっては空を見上げるときらりと輝く北極星のような存在だったと、今、痛感しています。これからも、モノディアロゴスしながら、この難しい現代社会に身を置き、「魂の重心を低くしながら」沈潜させていけるように自らに言い聞かせていこうと思います。

    今までに感謝。そしてこれからも私の魂に存在し続けることに感謝。呑空庵十勝支部佐々木あずさ

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      あずささん、心から感謝しています。母のことも常に心に留めて下さり、感謝に堪えません。このことは、父が一番喜んでいるはずです。

  3. 守口 のコメント:

    佐々木孝兄いのご逝去こと。とてつもない喪失感におそわれております。
    お伝えしきれない感謝の気持ちとともに、心より哀悼の意を表したいと思います。
    守口 毅

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      守口様、心から感謝申し上げます。あの日の月を、きっと父もご夫妻と一緒に眺めていたと思います。今後とも愚息とその一家をお見守りいただければ幸甚に存じます。

  4. 中野恵子 のコメント:

    淳さま
    モノディアロゴスを継続してくださることは何よりありがたいお知らせでした。孝先生に何時でもお会いできますね。元気が無くなった時は、今までのように励ましていただけます。ありがとうございました。呑空庵代々木支部も活動を続けて参ります。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      中野様、父が大変お世話になり、心から感謝、お礼を申し上げます。中野様のこと心配申し上げておりました。父は姿を消しましたが、生きていると感じるようになりました。クリスマスイブの投稿で引用した聖句のように。中野様からいただいたコメントの訂正箇所、反映して、こちらで再掲いたしますので、ご安心ください。

  5. 寺田亮 のコメント:

    残念でなりません。12月24日のブログを拝見して、闘っておられるのだなぁと思い、ぜひご回復していただきたいと祈っておりましたが…。
    もっとたくさんお訊きしたいことがありました。なかなかお伺いする時間を作ることができなかったことが大変悔やまれます。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      寺田さん、父が大変お世話になりました。母を伴い父が市民講座を持たせていただいた震災前の平和な日々をとても懐かしく思い出します。お力添えくださったこと、改めて心から感謝とお礼を申し上げます。

  6. 中西圭子 のコメント:

    呑空庵 仙台支部の中西です。
    12月22日、ご子息の淳さんから、お父上の佐々木孝先生の突然の訃報のメールが届き、驚愕いたしました。ご家族の深い悲しみを思い、胸が張り裂けそうになりました。
    佐々木先生とは、2年間、ガラ携のメールを通して親しくさせて頂き、対話を重ねてまいりました。高齢で、哲学という学問について全く無知で、勘違いの多い私を、佐々木先生は寛大なお心で温かく優しく包んで下さいました。佐々木先生を尊敬し、お慕い申し上げておりました。私の人生の晩年になって偉大なスペイン思想家・佐々木孝先生に出会った幸せをかみしめております。
    佐々木先生から、宮城県名取市のがんセンターに入院される前夜の12月12日、
    「ありがとう。前向きに戦ってきます。宜しく。」
    と届いたメールが最後となってしまいました。
    これからも、佐々木先生全哲学の三つの要諦に込められた「平和菌」へのおもいを伝えてまいります。 
    熱血の佐々木孝先生、さようなら。心からの感謝を込めて。

    (川柳)
    「ありがとう」メールを遺し急逝きし師よ
      (読み ‥ アリガトウ メールヲノコシ ユキシ シヨ)

    富士貞房Jr.のご健闘をお祈り申し上げます。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      中西様、温かいお言葉、そして父にお捧げ下さったお歌、心から感謝申し上げます。メールの内容に涙しました。80キロ隔てた仙台の地に同じ思いの理解者を得たのは、晩年の父にとってこの上ない僥倖であったと思います。中西様からの激励に支えられて最後の戦いに臨んだのは間違いありません。本当に有難うございました。「平和菌」は父のたどり着いた思想の結論でした。これからもどうかよろしくお付き合いをお願い申し上げます。

  7. 古屋雄一郎 のコメント:

    三十年近く前、東京外国語大学の大学院修士課程で先生の授業を一年間受けました古屋雄一郎と申します。
    訃報に胸が痛み、息が苦しく、お悔やみを申し上げるのが遅くなりました。
    先生の謦咳に接することができたことはこの上ない幸せでした。
    まっとうに生きることの大切さを教えてくださり、ありがとうございました。
    佐々木孝先生、どうか安らかにお休みください。

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      古屋雄一郎様、父が東外大で得た大切な若きご友人として、愚息も存じ上げておりました。生き方のヒントを得てほしいと、古屋様のブログを私に教えてくれるなど、父は常に古屋様を評価申し上げ、大切に思っておりました。父の急逝後、古屋様がご弔意をお示し下さり、愚息も大きな慰藉を受けました。天国の父も古屋様のお声に喜んでいると思います。父が教壇で伝えたかったのは、まさに古屋様のおっしゃる通り、まっとうに生きることの大切さに尽きたのではないかと思います。それをわかってくださった方は、多くはなかったと思います。しかし、父の死によって、数は少なくとも父の真意を理解してくださる方が続々と態度を表明して下さることで、父の地上での苦闘は報われたのだと感謝に堪えぬ思いです。古屋様、父の生涯を恵みに満ちたものにして下さり、心からお礼を申し上げます。愚息としては、改めて古屋様に今後ともお付き合い、ご指導を切にお願い申し上げる次第です。

  8. 梁塵 松下 伸 のコメント:

    遅ればせながら
    お悔やみを申し上げます。

    書棚のご著書を手にとってみました。
    「根源的」思索と率直な表現。
    存在感はいささかも褪せてはいません。
    ばかりか、
    少し読み進むうち、
    眼からうろこの文章に気づきました。
    小生の学びはまだまだこれからのようです。

    御身は天に召されたとしても、
    その魂はご著書の中に永く遠く遺ります。
    通りすがりの天井のチリのような小生ですが、
    言霊に触れる度、うれしく舞い上がったものです。
    おわかれとお礼を申し上げます。

                                   梁塵 松下 伸 拝

    • 富士貞房Jr. 富士貞房Jr. のコメント:

      松下 伸 さま

      はじめまして。佐々木孝の息子・淳です。
      ご弔意を賜り、心からお礼を申し上げます。お言葉に胸を打たれました。
      松下様のお名前は、時おり父のブログを閲覧し、愚息も存じ上げておりました。
      震災後、孤軍奮闘する父をお励ましくださり、本当にありがとうございました。お寄せ下さったお励ましのコメントが、父にとってどれほど心の支えとなったことでしょう。ごひいきいただいたモノディアロゴス、並びにホームページは、父の遺志を踏まえ、今後とも継続して運営してまいる所存ですので、どうかこれからもご訪問下されば幸甚に存じます。父も喜びます。残された愚息家族とも今後ともお繋がりいただきたく、伏してお願い申し上げます。

      松下様のご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げております。

      佐々木淳拝

富士貞房Jr. にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。