このごろのこと


 四月に入ったと思ったら、いつの間にか今日はもう12日。今さら言うのも変だが、何と時の経つのが早いこと! 先月は美子の胃婁の調子をみるため朝昼晩と毎日三回も訪看さんたちのご厄介になったが、今月に入ってからは月曜から金曜まで、それもお昼だけ来てもらっている。消化器官が胃婁に慣れるまで今月いっぱい、特に排便のお世話が必要なわけだ。もちろん私も日に二回から三回のオムツ交換はやるので、運(ウン)が悪い(?)時には大の方の始末もしなければならない。しかしそこは歴戦の勇士、あわてず適切に処理できる。

 実は訪看さんたちはテープで留める式の紙パンツを使っていたのだが、私としては以前のように普通の紙パンツの方がやりやすいので、現在はそうしてもらっている。どうしてそうなのかはあまりに高度に専門的な話になるので(!?)説明は差し控える。

 かくして今月に入ってから美子の朝晩二回の栄養剤注入は私がすべてやっているわけだが、もうだいぶ慣れた。セッティングしても容器から細いチューブへの栄養剤の落下が適切な間隔であるかどうかを時々チェックする必要がある。つまり一秒に一滴の速度でなければならないのだ。こうして200㏄の栄養剤、そのあとやはり200㏄の白湯、最後はそれぞれかなり太目で大きな二本のスポイドに入った整腸剤(白湯に溶かしたもので朝はそれに利尿剤が加わる)とただの白湯を注入して作業完了。

 朝晩、それぞれたっぷり三時間以上かかるが、もちろん常時見ているわけではなく、私はその傍の机で自分の仕事をしている。仕事? そう私家本やら豆本の製作だ。おかげでこのところ作業は大いに進んでいる。

 しかし皮膚炎の方は一向に良くならない。お医者さんから処方してもらった飲み薬も塗り薬も今のところ効果無し。ところが今日机の横の茶箪笥を整理していたら、いいものが見つかった。忘れていたけどやはりだいぶ前、手か腕の皮膚炎で困っていた時に治子さん(などと気安く呼んでしまったが、ロシア文学の東大教授・安岡治子さんである)が送ってくれたアフリカ産のオーガニックのハンドクリーム、つまりシアバターである。今回の皮膚炎に効くかどうか分からないが、こうなっては怪しげな祈祷師にお払いしてもらってもいいとさえ思っている(まさか、ウソですよ)。

 痛いより痒い方が、いやいや両方ともごめんだが、なかなか辛いものがある。頭からつま先までだから厄介だ。特に頭皮の痒さはつらい。当然フケも大量にできて、時おり机の下などに粉雪のように、真っ白に積もっている(ちょっと大袈裟ですよ)。

 そんな汚い話ばっかりで申し訳ない。少しマシな話をすると、そんな爺さん介護師にも訪ねて下さる奇特な方がいて、蟄居・黙居老人の大いなる慰め、喜びになっている。先月末には早稲田大の森本栄晴さんと現在東北大の大学院で近世日本思想史(特に横井小楠)を専攻している息子さんの輝嗣君が何十年ぶりに会いに来てくださったし、今月に入ってからすぐ今回『情熱の哲学』出版に際して大変お世話になった執行草舟さんと安倍三崎さんが逆にお礼参り(いや、ヤクザさんのそれではなく本当の意味でのそれ)に、そしてつい数日前には大阪の昌川信雄神父さんと各教会の代表8人がこの陋屋を訪ねてくださった。遠路はるばる訪ねてくださる方々にはご苦労だし申し訳ないが、生涯1キロ四方世界に蟄居する身にとっては、それこそ「そのまま思い出になる」ような至福の時間であった。

※追記
 その間、悲しいこともあった。スペイン歌曲の女王・柳貞子さんが3月22日、帰天されたことである、享年86歳。柳さんとは、常葉時代、スペイン語とはそれまで縁のなかった学生たちのために企画した『スペインの夕べ』にお招きして歌っていただいた時以来のお付き合いだった。八王子に移ってからは町田のお宅に美子と伺ったこともある。お庭で美子と一緒に取った写真が残っている。つい最近も、いまリサイタルのための準備をしてます、というお便りがあったばかりだというのに。
 CD『82歳のポートレート』が私たちにとって柳さんの最後の歌声となってしまったが、しかしその中のカタルーニャ民謡『鳥の歌』は絶品だし、不実な女心を歌ったカンツォーネ『カタリ』はいつ聞いても胸が締め付けられる。こんな時に不遜な言い方だが、歌手の方はうらやましい、だって生の声を聞こうと思えばいつも、まるでその場にいるように臨在してくれるのだから。
 美子が知ったら悲しむだろう。心からご冥福を祈りたい。

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fuji-teivo について

佐々木孝(ささき・たかし)  1939年北海道帯広市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科、同大学文学部哲学科卒業。清泉女子大学、常葉学園大学、東京純心女子大学教授などを歴任。専門はスペイン思想・人間学。定年前に退職し、父祖の地・福島県南相馬市に転居、現在に至る。主な著書に『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』(講談社)、『モノディアロゴス』(行路社)、『原発禍を生きる』(論創社、これは香港、韓国そしてスペインでそれぞれ翻訳出版された)、『スペイン文化入門』(彩流社)など。訳書にオルテガ『ドン・キホ-テをめぐる思索』(末来社)、同『哲学の起源』(法政大学出版局)、マダリアーガ『情熱の構造』(れんが書房新社)、ビトリア『人類共通の法を求めて』(岩波書店)ほかがある。  なお著者はブログ「モノディアロゴス」(http://fuji-teivo.com)で発信を続けるほか、『モノディアロゴス』シリーズを初め20数冊の私家本(呑空庵刊)を作っている。
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このごろのこと への4件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     久しぶりに先生のブログが更新されていて、お元気そうなので安心しています。東京も、つい何日か前まで桜の鮮やかな色彩が街並みを埋めつくしていましたが、今は緑一色に様変わりしています。一年で一番心地よい季節を心身ともに満喫しています。美子奥様の介護も順調に進まれているようで、これで皮膚炎が早く落ち着けばと思っております。柳貞子さんの歌声をユーチューブで何曲か拝聴しました。86歳と聞いて私の母と同じ年です。冒頭で時の経つのが早いと言われていますが、まさにその通りだと思います。すぐまた、暑い季節がやってきますが、この最良の季節を味わいながら一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。

  2. 佐々木あずさ のコメント:

    孝先生の生まれ故郷、十勝もクロッカスやふきのとうが彩を添えています。
    久しぶりの先生の日常生活点描、くすっと笑ったり、あー、かゆみが続いているのだなぁ、と思いながら拝読しました。美子奥さまの様子も伝わってきました。

    今日、十勝毎日新聞の新人記者さんから、「呑空庵」のいわれを問う電話をいただきました。小林記者の記事のこと、佐々木孝さんとのご縁と、寄りあい処呑空庵の歩みなどをお伝えした次第です。

    一昨日、士幌町図書館で「モノディアロゴス」を発見!半年ほど前、司書にリクエストをしていたものです。十勝出身の方の著作ゆえ、購入願いたい旨を伝えたのですが、その時は意に介さず・・・の雰囲気を感じていた私です。でも、予算があったのか、年度末に購入していただけたようです。というわけで、もうすでに拝読しているにもかかわらず、しつこく言えば、私自身すでに購入しているにもかかわらず、ちゃっかり借りてきました(笑)。

    なんだかお国は破廉恥なことばかりで呆れていますが、やっぱり、モノディアロゴスですっきり爽やか∼な気分となりました。

  3. fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

    佐々木あずささん
     あゝ十勝の春、懐かしいですね。もう行けないと思うとなおさら懐かしくなります。でも十年ほど前、美子と頴美ちゃんを連れて、もちろんばっぱさんも一緒に、現在は廃線になっている士幌線の萩が丘からさらに山奥の、かつて祖父母が住んでいた開拓村の勢多に健次郎叔父さんの運転する車で、そしてはげ安さんの案内で、七十年ぶりに訪ねることができたんですから文句は言えません。
     ところで突然話は変わりますが、今日清泉の或る卒業生から皮膚炎に効く、しかも添加物の一切入っていない「ばんのう酵母くん」というものを頂きました。強い薬はその時だけ効きますが後で強いぶり返しが来るのとは違って自然のもの(タンポポ根、ヨモギ葉の酵母)から作られているので、安心して使えますし効きそうな予感がします。
     やっと長いトンネルから抜け出せそうです。目にも腸にも(食べ物に数滴たらして)傷にも何にでも効くそうですし化粧水としても使えるそうです。ネットのアマゾンですぐ調べられますから、なにか必要があった時ご覧ください。

    • 佐々木あずさ のコメント:

      孝先生
      たった3年ほどのご縁ですが、今では先生つながりの方たちが、リアルに脳裏に浮かびあがります。亡きばっぱ様と健次郎おじさまのお名前を聞くと、つい手を合わせます。そしてはげ庵さんは、今もなお、ドクターでありながらも自然を守る活動家!?でもあります。

      さて、教え子の方ももう耳なじみのお仲間のつもりになっている私です。ばんのう酵母くんの情報、ありがとうございます。たんぽぽ根も、ヨモギの葉も、いにしえよりご先祖様たちが食してきたものですね。やっぱり先人の知恵はすごい!などと感動しています。

      先生、やること、書くことがいっぱいあります。どうぞ御身大切に、美子奥さまとお過ごしくださいませ。

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