サクラサク


 もうだいぶ前から老眼鏡の蔓(つる)の付け根のネジが両方とも取れてしまい、細い針金で応急処置をしたのはいいが、微妙に焦点がボケて何とも気色悪い。午後、他の買い物ついでに三年前にそのメガネを買ったパリミキに行ってみた。中年の感じのいい男性店員さんが、どうぞそこに腰かけてお待ちください、と言うので、椅子に座ってぼんやり店内など眺めていると、通りがかった一人のおばあちゃん(と言って私くらいの年齢か、というと、私はおじいちゃんだ)がつかつかと寄ってきて、「これどうぞ」と赤い包み紙の小さなお菓子を三個ばかり渡していった。びっくりして目で追う私に「オスソワケ」とにこやかに笑って去っていった。

 そこに店員さんが戻ってきて、「はい直りました」。「お値段は?」と言う私に、これまたにこやかに「いいえ無料です」「……ありがとう、すみません」

 店の外は寒い風が吹いていたが、その店の中はすでに暖かな春風が吹いていたようだ。

 家に帰ってその三つの小さなお菓子を改めて見てみた。キットカットだった。赤い包み紙には「キット、サクラサクよ」、別のものには「最後まであきらめないで」とのメッセージが入っていた。きっとあのおばあちゃん、この春受験する孫娘にでも買ったのだが、しょぼくれた爺さんの姿を見て、この人にもサクラがサイテほしい、と思ったのかも知れない。

 小さなお菓子一つでも、この世知辛い世の中に春風を吹かせることができる!

 そうだ、私はキットカットの代わりに、毎日作っている「平和菌の歌」の豆本をいつもポケットに入れておき、これはと思う人に上げることにしよう!

 あのおばあちゃんに一冊あげたかったなあ!

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fuji-teivo について

佐々木孝(ささき・たかし)
 1939年北海道帯広市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科、同大学文学部哲学科卒業。清泉女子大学、常葉学園大学、東京純心女子大学教授などを歴任。専門はスペイン思想・人間学。定年前に退職し、父祖の地・福島県南相馬市に転居、現在に至る。主な著書に『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』(講談社)、『モノディアロゴス』(行路社)、『原発禍を生きる』(論創社、これは香港、韓国そしてスペインでそれぞれ翻訳出版された)、『スペイン文化入門』(彩流社)など。訳書にオルテガ『ドン・キホ-テをめぐる思索』(末来社)、同『哲学の起源』(法政大学出版局)、マダリアーガ『情熱の構造』(れんが書房新社)、ビトリア『人類共通の法を求めて』(岩波書店)ほかがある。
 なお著者はブログ「モノディアロゴス」(http://fuji-teivo.com)で発信を続けるほか、『モノディアロゴス』シリーズを初め20数冊の私家本(呑空庵刊)を作っている。

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サクラサク への1件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     半年ぐらい前に某ハンバーグチェーンで食事をして、会計の時に千円札を出したら機械に通らないので他の千円札を出して欲しいと若い男の店員(アルバイト風)に言われ、偽札ですかと聞いたことを思い出しました。私の財布にはそのお札しかなかったので、店員にあなたの眼で見てどう思いますかと聞いたら、本物ですねと事務的な対応だったので、こっちも忙しいのでおつりを早くと事務的に返しました。先生のお話とは、まさに対称的なお店側の対応で客側の気持ちも随分違うんだと思いました。効率とか利便性を追求していれば、お客との信頼、信用関係も希薄になっていくということです。仮に機械に通らなくても、自分の眼で本物だと確認して、気持ちよく、また、どうぞお越しくださいと言われれば、私も、また、利用していたわけです。そんなことがあって、そこのお店には行っていません(笑)

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