焼き場に立つ少年


 田上富久・長崎市長は平和宣言で、今年7月の核兵器禁止条約の採択を「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎する一方、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判した。

 (それに対し)首相は「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国の参加を得ることが不可欠だ。しかし、条約には核兵器国が1カ国として参加していない」、とし、「核兵器国と非核兵器国の隔たりを深め、『核兵器のない世界』の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」と主張した。

 今日、長崎市で行われた平和式典での、相異なる二つのメッセージ。一見、安倍首相の見解は、長崎市長の理想論にくらべて、現在の世界状勢からみてより現実的で妥当なものと見えるかも知れない。しかし本当にそうであろうか。首相の見解は現に日本がアメリカの核の傘に庇護されていることへの政治的配慮、要するに悪しき意味での駆け引きに過ぎないのではないか。もし首相の言う通りだったら、日ごろから核廃絶をめぐってアメリカなど核保有国への必死の働きかけをしていそうなものだが、その姿勢は少なくとも現在まで全く見られないのはどうしたことか。

 どんなに詭弁を弄しようが、世界の非核兵器国からは核兵器国の仲間としか見られていないのは明らかであろう。そして核兵器国からは自分たちの姿勢を是とし擁護する強力な助っ人と見られていること、これもまた明らかな事実である。しかし日本がとるべき姿勢は、唯一の被爆国として先ず非核兵器国の側に身を置き、しかる後その立場から核兵器保有国に対して執拗かつ持続的に核廃絶を訴えていくべきではないのか。とるべき立ち位置が最初から逆なのだ。

 そんなことを改めて強く感じたのは、今日もネットの画面にあの「焼き場に立つ少年」の写真見たからだ。見ているうち胸が苦しくなり、涙があふれてきた。涙腺が緩くなった耄碌爺さんの涙だなんて茶化さないでもらいたい。まだ見たことのない人がいたら、「焼き場に立つ少年」で検索したら、すぐ見れるはずだから、どうか試してください。

 撮影者はジョー・オダネルさん。彼はこう説明している。 「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」

 オダネルさんは 1922年5月7日に生まれ、2007年8月9日に死んだ元従軍カメラマン。今日初めて気が付いたのだが、彼が死んだのが奇しくもまさに今日、つまり長崎に原爆が投下された日と同じ日だということだ。ついでに言うと、以前彼の名を初めて聞いたとき、私の高校時代のペンパルのマリーさんと同じ姓ではないかと思っていたが、今日初めてそのスペルJoseph Roger O’Donnellを見てそれも確認できた。私はオドンネルと発音していたが正確にはオダネル、つまりアイルランド系アメリカ人の名だということ。ちなみにマリーさんは私と相前後して修道院に入ったが、これまた相前後して還俗し、最近は全く音信不通になってしまったもののやはり結婚して、たぶん今頃はいいおばあちゃんになっているはず。

 思わず余計なことまで書いてしまいましたが、ぜひオダネルさんの写真「焼き場に立つ少年」を見てください。お願いします。私は画像をコピーし、見たいとき、つまり自分の心に平和への強い覚悟を注入したいとき、いつでも見れるようにしました。いつの日か、出る涙が喜びの涙に変わることを切に願いながら。

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fuji-teivo について

佐々木孝(ささき・たかし)  1939年北海道帯広市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科、同大学文学部哲学科卒業。清泉女子大学、常葉学園大学、東京純心女子大学教授などを歴任。専門はスペイン思想・人間学。定年前に退職し、父祖の地・福島県南相馬市に転居、現在に至る。主な著書に『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』(講談社)、『モノディアロゴス』(行路社)、『原発禍を生きる』(論創社、これは香港、韓国そしてスペインでそれぞれ翻訳出版された)、『スペイン文化入門』(彩流社)など。訳書にオルテガ『ドン・キホ-テをめぐる思索』(末来社)、同『哲学の起源』(法政大学出版局)、マダリアーガ『情熱の構造』(れんが書房新社)、ビトリア『人類共通の法を求めて』(岩波書店)ほかがある。  なお著者はブログ「モノディアロゴス」(http:/fuji-teivo.com)で発信を続けるほか、『モノディアロゴス』シリーズを初め20数冊の私家本(呑空庵刊)を作っている。
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焼き場に立つ少年 への8件のフィードバック

  1. 佐々木あずさ のコメント:

    「焼き場に立つ少年」とその写真をとったカメラマンのお話、読み入りました。でもお恥ずかしいことに、久しぶりに開いたモノディアロゴスの11日の文章の最初の部分を読みはじめてすぐ、9日の文章を読んでいないことに気がついたという顛末。というわけで、12日の今、拝読したところです。
    今週は2人の、人生の大先輩のことを覚えながら時を過ごしていました。一人は、私の親友である後神尊子(たかこ)さん(84歳)は広島で被爆。担任の先生でさえ、教え子の顔がわからないほど、パンパンに膨れ上がり、「せんせい、わたし、たかこです」と言っているのに、「誰?誰なの?」の声。飛行機の音が聞こえたので、空に向かってポカンと口を開けて見上げていた時に熱線を浴び、吹き飛ばされた尊子さん。おそらく、熱線で食道を焼かれたから、口をパクパクさせるだけで、声にはならなかったのではないかしら・・・と、後年、教えてくださいました。「焼き場に立つ少年」も、一瞬にして、今まで当たり前のように感じていた家族やともだち、大切な宝物、家、思い出を理不尽にも奪い焼き尽くされたことを思うだけで胸がいっぱいになります。
     そして2人目は、6日、広島原爆投下の日に、逝ってしまった72歳の大先輩。戦後の申し子のごとく、労働運動、平和運動をコツコツと続けてこられた方です。「核兵器廃絶」も悲願でした。国連加盟国の多くの国が賛成している核兵器廃絶。でもまだ15000発残っている現実・・・9日は大先輩の葬儀でした・・・。
     先生が「焼き場に立つ少年」を世界に発信してくださったこと、感謝感謝です。昨日は、コルチャック先生の本を拝読しました。平和を創りだすものは幸いなり。それを実感するモノディアロゴスと、この1週間でした。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      佐々木あずささん
       大変密度の濃い時間を過ごしましたね。その熱が強く伝わってくるコメントです。ところで投稿者はたとえ後から気付いても訂正できないシステムなので、私が勝手に誤植を直しました。熱戦→熱線、2里目→2人目、これでよろしかったでしょうか?
       今日は友人の佐川曜子さんが連れてきてくれた二人の学生(二人とも佐川さんと一緒に農家で野菜つくりを実習してます)、一人は大学生のHさん、もう一人は高校生のK君、と楽しいひと時を過ごしましたが、いつもの通り私の独演会になってしまいました。話題はやはり本当の意味で戦争の後始末、反省をしないままここまで来てしまった日本についてでした。これからの日本を背負わなければならない若い人たちを前にいささか興奮気味で話しました。まずとんでもない世界に、そして恥ずかしいまでに無自覚な日本の中に生きていることに目覚めてほしいと強く説き、お願いしました。これまでにしてしまった先輩として、いまさらのように責任を強く感じながら。
       私自身の自覚が遅すぎましたが、その代わり文字通り老骨に鞭打って(でも家内がいるので無理しないで)死ぬまで頑張ります。

      • 佐々木あずさ のコメント:

        先生、私の駄文の後始末(笑)までしていただき恐縮します。

        若い方たちが先生の講義を受けられたとのこと、うらやましいです。私も学期に一度は受けたいと願っています。美子奥さまの、お隣のベッドで、その講義に耳を澄ましておられる姿が目に浮かびます。

        今日は十勝毎日新聞の花火大会の日です。先生の時代にはあったのでしょうか。日本一有名な?花火大会の一つだそうで、道という道は大混雑。すべての道は帯広に通ず、です。そうそう、先生がお住いになったあたりは大渋滞。そして花火を見る一等地です。

        • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

          あずささん、思い出しました。小学生のころ、毎夏、十勝川の花火大会に大通十二丁目の我が家から、大通を歩いて見に行ったこと、行きはまだいいのですが延々と続く帰り道の遠さに疲れ切ってしまったことを。
           ところで今日も、若い友人の辻先生(養護学校教員)が短距離の選手だという元気な東京の高校生Y・S君(感心にも単身での被災地訪問です)を連れてきてくれたので、つい熱弁を振るってしまいました。日本の若者に半ば絶望していたので、二日連続の嬉しい出会いで俄然勇気が出てきました。
           さらに談話室の常連である立野先生から、そのまま雑誌掲載論文になりそうな内容の濃いメールが届きました。なんとかそれを皆さんにも読んでいただくため、掲載諾否のお返事のタイムリミットをものすごく短くするというズルをして、以下にそのままコピーします。ぜひ読んでください。

          佐々木先生、
          オダネルのあの写真をわたしもコピーですが持っています。数年前にテレビの特集番組で見ました。授業でも話したことがあります。
          けっして忘れられない写真の一枚です。

          またサーロー節子さんの国連でのスピーチも動画で見ました。
          ついでながら、岸田議員のインタビューも録画で見ました。日本が核廃絶条約に賛成しなかった「理由」なるものを与党政治家として「説明」していました。同議員は広島出身の由ですが、サーロー節子さんとはどれほどかけ離れた位置に立っていることか、と唖然とさせられます。
          立場のちがい、意見の相違などというものではありません。国民を人間また全人類の視点に立ってどう見ているかの問題ですね。
          世界と地球の危機に際して、それをどの国にもさきがけて強調すべき日本の有力政治家が言うことはこうです。
          「核廃絶に向けて努力しているが、いまはそのときではない、タイミングをはかって発言すべきであって、さもなければ被爆国としての切り札の効果がなくなってしまう。」
          そういう近視眼的な政治的マヌーバーを愚かしくも弄していますよ。
          いっぽうで、グアムをめぐるトランプと北朝鮮の相互威嚇のエスカレーションに首を突っ込む小野田防衛相などは、日米安保にもとづく日本による迎撃軍事介入の現実性を、記者団を前に公言していますね。
          それが北朝鮮をいかに挑発する危険な発言であるかをわきまえない。そして、日米安保が憲法に優先すると安倍政権が内外に公言しているのと同じことであると認識していない。
          いや、憲法改定もへったくれもない、日米同盟を口実にして戦争をやってやるぞという本音を言っているわけでしょうか。
          トランプ側近は現在のグアム危機をあの62年危機つまりキューバ危機になぞらえ、核戦争勃発前夜という認識を示しているというのに、です。
          わが国の政権のなんという幼稚な愚劣さでしょうか。さきの大臣も阿呆でしたが、こちらも負けず劣らず阿呆です。まったく阿呆につけるクスリはありません。
          核戦争の危機が目前の事実となっているのに、戦争をまるで「ごっこ」としか見ていない日本の政治家たちの歴史に対する無知と頭の悪さと救いがたい鈍感さ! この政権はもはや犯罪的としか言いようがありません。

          いまは亡き賢者テルツァーニは、2001年、マザリシャリフとカブールが陥落したと西側が勝利の報を無邪気な論調で流したとき、こう言いました。
          「人類はまたしても対立の解決策に戦争を選択し、もっとも偉大な力のあかしである非暴力を否定した。そう、これは敗北なのだ。」

          ナショナリズムの面子に思考を制限されている人々の争いに、勝利というものは究極的に存在するはずがありません。
          相互に罪なきいくたの人々が無駄に死に、傷つき、癒しがたい苦痛と悲しみがあとに永く尾を引くのみです。
          戦争以外の解決法を思いつかないとしたら、人間はなんのための人間なのか。トランプ政権の極端な好戦主義に反対して、合衆国の政治家たちのあいだでさえ、緊張を回避するための対処は威嚇ではなく交渉の続行である、と唱える声が次第に高くなりつつあると報じられています。
          交渉を続けよと言っているのですから、しょせん北朝鮮敵視政策のもとでとは言っても、まだしもかれらのほうが理性的でしょう。そういう理性的な声がこの国の与党のなかに存在しないのが、日本の現在の政治の本質的にダメなところです。
          二十世紀以後の現代史において、人類史に立てない世界の田舎者は、結局は自国さえも救えないのです。
          そう考えると、カナダで暮らしながら、世界に向けて核廃絶を訴え続けてこられたサーロー節子さんのような方こそが、われわれ日本人の真の代表であると言わねばなりません。

          いつものことですが、またきょうも長くなりました。

          立野正裕

          • 阿部修義 のコメント:

            立野さんのコメントに全く同感です。ご著書の『黄金の枝を求めて』を拝読しましたが、まさにそのことを言われています。大切なことは、過去の戦争の悲惨さ、そこでかけがえのない命を落とされた方たちを直視し、声なき声を聴くこと、そのためには、立野さんのご著書の中の言葉を借りれば、持続的な哀惜の念と意志と想像力が今を生きる私たちすべてに求められているんだと思います。

  2. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    阿部さんとしばらくぶりに談話室で立ち話です。

    阿部さん、拙著をお読みいただきありがとうございます。
    非業の死を遂げた多くの人々の「声なき声を聴くこと」は、現代の喧騒にまみれた世界ではじつに至難のことですね。それかあらぬか、このごろしきりに想起されるのがテルツァーニのことです。ヒマラヤの高地に隠遁しながら、しかしけっして脱俗の神秘的な隠者になってしまわず、この世界に生息する「人類」に、最後の最後まで生き生きとした関心をいだき続けたテルツァーニのような優れた賢者の生き方に、われわれも多くを学ぶ必要があります。
    わたしの若い友人は、佐々木先生のモノディアロゴスから得た印象を、詩人の小熊秀雄の仕事に関連づけていましたが、わたし自身は現代のイタリアの賢者テルツァーニの生涯と仕事を想い起こすことしきりです。
    テルツァーニは『反戦の手紙』の日本語版に序文を寄せ、こう言っています。
    「わたしとあなたにとって問題なのは、暴力と戦争はなにも解決しないということ、戦争の味やにおいのするあらゆることにたいして、わたしたちは――たとえそれが「自衛行為」とか「人道的作戦」などというふうに説明されても――もちうる力のすべてをもって反対しなければならないということを、どのような状況にあっても自分の意志できっぱりと決意することなのだ。
    まさにほかでもない、日本人であればこそ、あなたには、世界じゅうのどこの市民よりも大きな声で、「Nooo!」と叫ぶ資格がある。」
    ヒマラヤの高地にあっても、はたまた南相馬の低地にあっても、Nooo!という叫びは、戦争と暴力に人生を踏みにじられた幾千万の人々の、声なき声の総和として発せられ続けている、とわたしは思います。
    いかに微力とはいえ、われわれもその叫びに共鳴して、持ちうる力のすべてをもってNooo!と言い続けなければなりませんね。

  3. 阿部修義 のコメント:

    立野様

     テルツァーニの言葉を本当に理解出来るかが、私たち人類の運命を分けるカギだと思います。

     「もっとも偉大な力のあかしである非暴力」

     戦争は勝っても負けても人類にとって良いことはありません。たとえ勝ったとしても所詮罪なき弱い人たちを殺してしまった悔恨を殺した方は終生背負って生きねばなりません。良心に逆らった生き方は必ず「罪」と「憂い」が伴うのが人間です。スイスの哲人カール・ヒルティもこの二つをとり除くことこそ、本来、幸福を求める人間のあらゆる努力の要点であり、主としてこれを目指さないような哲学も、宗教も、経済も、政治も在りえないと『幸福論』の中で断言しています。非暴力への確固とした信念を私自身が構築するためにも立野さんのご著書を今後活用していくつもりです。立野さんの文章には読者を非暴力の道へと引っ張る迫力を私は感じます。それはヨーロッパ各地をご自身の足で一つ一つ辿って行かれ、そこでご自身が考え抜かれた末の非暴力への熱い願いが読者の心の琴線に響いてくるからなんだと思います。
    阿部拝

  4. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    またしても阿部さんとの談話室での話が立ち話では済まなくなりました。阿部さんがヒルティに言及しているところからわたしに思い出された最近の出来事があるのです。そのことを書かせていただきますのでご了承ください。

    阿部修義様
    15日早朝の談話室へのお越しを日中つい見過ごしておりました。
    もう日付が変わってしまいましたが、お伝えしたいこともありますから、少しお付き合いを願いましょう。約ひと月前ですが、ヒルティのダンテ論を著作集でゆっくりお読みになっているところとお書きでしたね。
    じつは、ヒルティの著作をこれまでわたしは読んだことがなく、有名な『幸福論』も岩波文庫でただ所有しているだけです。ただ、著作集版のほうの訳者である氷上英廣を学生時代からわたしはひそかに尊敬していました。若いころに『ツァラトゥストラ』の訳をはじめそのニーチェ研究に裨益されるところが少なくなかったからです。またベルジャーエフの『歴史の意味』の訳者でもあり、これも若い時分のわたしに影響を与えずにはいませんでした。さらに氷上氏は中島敦の親友でもあり、没後の中島の著作の整理や編纂に尽力したことも、中島文学の愛読者としてわたしに忘れがたく記憶されていました。ですから『幸福論』の第一巻を氷上英廣訳で読んでみたいと一時思ったこともありました。
    それが阿部さんからヒルティのダンテ論を読んでいると聞いたので、久しぶりにヒルティへの興味を再燃させられたわけです。古書ででも著作集の『幸福論』とダンテ論収録の当該巻を購入しようかと考え、アマゾンで検索しました。見つけた著作集第一巻の『幸福論 Ⅰ』にカスタマーレヴューがありましたが、それが星一つという極端な低評価になっていました。
    よせばよかったのですが、どういうことかと思い、ついそのレヴューを読んでみたくなりました。ひらいてみると「キリスト教信者以外は読んでもムダです」という見出しです。そして通例のレヴューの分量をはるかに超える長さで書き連ねてありました。つい最後まで読んでみて、ヒルティの愛読者でもなければ、キリスト教徒でもないわたしが、これはひどい、ひどすぎると思いました。たとえば冒頭付近にはこう書かれていました。

    「これはキリスト教信者を相手にした教義の説法集であり、一般向きではありません。
    キリスト教信者なら理解できる、ありがたい本でしょうが、信者以外には理解不可能です。
    ヒルティの主張、結論は「迷える子羊たちよ、神を信じなさい、信ずるものは救われる」だけです。
    人間が神を造ったのであり、神が人間を造ったのではないという考えの私には理解も納得もできない本でした。
    3巻で1000ページあり、読み終えるのは苦行でした。」

    よせばよかったのですが、この人がとにかく「苦行」を自らに課し、幸福論三巻を読みきったと言っていることに興味をそそられました。この年になって自分の不明を恥じるほかありませんが、このレヴューの書き手に、「幸福」をめぐってそれなりの真摯な探求心があるのかもしれないと思ったのです。そこでついついそのレヴューに対する書き込みをしてしまったのです。そこから数回の応酬が始まりました。
    双方のやり取りをここに再現すればあまりにも長くなりますし、(阿部さんにもしその気がおありなら)わたしとその人との応酬はレヴューへのコメント欄で容易に読むことができますから、引用は最小限にします。
    なんどかのやり取りののち、先方がいきなり対話を打ち切ってしまったのです。「これ以上のやり取りは時間の無駄だと考えますので、これで終了させていただきます」という唐突さです。これにはあきれました。「丁寧かつ真摯なコメントをいただきありがとうございました」としまいに書き添えてありましたが、かえって慇懃無礼とわたしは思いました。
    その後調べてみると、この人はアマゾンだけで100以上におよぶレヴューを書き続けている「常連」寄稿家です。わたしはその約半分に目を通し、高評価の対象となっている本とその著者を思い浮かべて、遅まきながらようやくある種の察しがついたことでした。

    仮に、この匿名人のレヴューなるものの数が100ではなく1000であっても、あるいは10000であっても、そしてこれまでにこの人の読んだ本が、この人のレヴューでつねに高得点を与えられてきた博識?な某評論家(最近故人となりました)の読書量と同じであるとしても、ものを考える人間としての心構え、探求心、誠実さ、情熱において、生涯にただ一冊の書を熟読したことがあるだけという人を、その「量」の名において人間的に凌駕する条件にも保証にもなり得ないのです。
    匿名化した人間の言辞のあられもなさ、その愚劣で無責任な放言、表現と主張における品位の欠如と不誠実さの横行とは、一人このレヴューの書き手のみならず、現代の一方通行化した人間関係とネット社会のすみずみにまであまねく瀰漫しており、もはや収拾不可能でありましょう。しかしそうであればこそ、われわれは言葉の品位の復権を、その困難と限界を知りつつも、文学や思想の表現努力と創意工夫の持続を通じて、どこまでも追求しなくてはならないと思います。
    阿部さんもご存じでしょうが、きのうからのニュースによれば、北朝鮮対策をめぐる米国大統領とわが国の首相との電話会談において、「対話のための対話では意味がない」という点で双方一致したと報じられています。
    かたや不動産転がしで巨万の利益を得てきた人間、かたや維新以来の処世の系譜にしたがい問答無用の高圧的態度を当たり前としてきた人間、その両者が人間の対話とはなにかをそもそも心得ているとはとうてい想像しがたいことです。かれらはどちらも人間の理解能力を致命的に欠いています。

    わたしはいま『モノディアロゴス』第十四巻の主内容をなす「真の対話を求めて」という課題に心を奪われています。対話の文化をめぐってあれこれ考えていたところでした。ですからいきおい「対話のための対話」に意味があるかないかという問題にこだわらざるを得ないのです。
    考えてもみてください。異質なもの同士のあいだの反感と不信を解消する現実的な方途は、まずもって「対話のための対話」を繰り返すことから始めるべきこと、自明ではありませんか。気心が知れて初めて人間は胸襟をひらくものではありませんか。「対話のための対話」を円滑ならしめるため、先人はあるところでは酒の入った革袋を回しました。あるところでは水煙管を回しました。あるところでは長い棒のような煙管でした。あるところでは茶を喫する習わしでした。
    ともに酒を酌み交わすのも、煙草をくゆらすのも、茶をすするのも、対話のための対話の効用を知悉する文化が育んだ偉大な知恵にほかなりません。
    緊張をほぐし、敵意を和らげ、笑いを誘発し、やがて反感を理解と共感に変えてゆく玄妙な作用を助長するものとしての嗜好品は、対話の友として早くから人類が着目し、取り入れてきたものでした。プラトンの対話編をひもとけば、ソクラテスの対話の場には常に葡萄酒を湛えた壺が置かれていたことが分かります。
    「対話のための対話」を意味がないとして打ち切ることは国交を断絶することであり、国交断絶が戦争に直結することは歴史が証明しております。「対話のための対話」に意味がないとみなす人間は、その心底にかならず相手に対する支配への欲望を秘めています。その欲望が戦争を引き起こさずにはいないわけです。
    さて、長話になりましたね。おまけにヒルティからもずいぶん話が逸脱してしまいましたが、阿部さんのおかげで、いままでわたしが読まずに来たこのスイスの哲人の著作のいくつかを、この機にひもといてみようと思い始めているところです。

    立野正裕

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