いささか恥ずかしい宣伝文


 あれからガンチョを作ってみました。どうせなら、と初めから下手なスペイン語で書き始めたのですが、自分で読み返しても赤面するような押しの強い(?)文章が出来上がってしまいました。スペイン語だと少し大げさに書いてもいいだろうと太い(?)気持ちになったのでしょうか、点線で書くべきところを実線で書いたりしています。ともあれ、ここは恥を忍んで(?)原文を一字一句正確に訳してみます。

● 我が作品集をよりよく理解していただくための若干のガンチョもしくは覚書

1.全体について
 一見してこの作品集は雑多な内容の、しかも執筆年代がかなり長期にわたる寄せ集めに思われるかも知れません。しかしここには、常に何かを求め、そのたびに挫折を繰り返してきたひとりの人間の生きた歴史が一本の背骨のように貫いています。

 人間にとって時間は直線状にではなく螺旋状に進みます。私の先祖たちは近代の日本が引いた道筋で無様に翻弄され続けてきました。すなわち明治維新、次いで中国(満州)や東アジアの国々への領土拡大。そして第二次世界大戦に敗れた後、経済一筋に進んできた日本に。

 私の先祖たちにとって中央政府が引いた路線をその時々に疎外されつつ辿るしか他に方法がありませんでした。例えば明治維新では、会津のサムライであった私の父方の曽祖父・佐々木平作は戊辰戦争(1868)で、のちに近代日本の主役に躍り出る長州藩(安倍晋三はその子孫です)の軍勢に敗れます。歳が少し上だったので飯盛山で華々しく自刃した白虎隊には属さず、家族を連れて相馬に逃がれてきました。当時私の祖父三之助はわずか6歳でした。

 これらの事件の少し前になりますが、母方の先祖も、1833年、どういう理由でかは不明ですが八戸(青森)から、私の高祖父にあたる当時2歳の安藤庄八を天秤棒に担いで相馬に流れて来ました。なぜ逃げて来たのかは分かりませんが、もしかすると当時伝統的であったあらゆる政治的宗教的システムを批判した一人の思想家の血を引いていたために居ずらくなったからかも知れません。十八世紀のこの思想家こそ安藤昌益(1703-1762)で、彼の復権はようやく20世紀になってからのことでした。彼の価値を見出した学者の一人に日本生まれで後に、1957年、エジプトのカイロで自殺したカナダの外交官ハーバード・ノーマンがいます。

 日本の海外領土拡大の時代、私の家族(両親と兄弟三人)は満州に渡りました。父は熱河省の下級官吏でしたが、わずか34歳で結核に斃れました。母によれば、父は常々、日本は出直さなければだめだ、と言っていたそうです。日本の軍国主義の誤りに気付いたからです。それから多くの年月が流れたあと、彼の孫の一人(わが息子)が満州族の娘と結婚し、その子の名前が愛であることを天国で(私たちの共通の記憶の中で)大いに満足していることでしょう。

 日本は太平洋戦争で敗けましたが、その後奇跡的に蘇ります。しかし前述したようにただただ経済的発展だけを追い求め、東北地方では人的にもエネルギー面でも収奪を繰り返してきました。こうした国の政策が今回の福島第一原発の災禍に繋がったと言えます。つまりその当然の帰結に他ならないからです。こうしてこの作品集の主人公(この私です!)も、その先祖たち同様、国の政策の犠牲者になったわけです。

2. 三つの部分について
 第一部にはいわゆる創作が集められていますが、著者にとって虚構と現実との境界はありません。真実は両者(現実あるいは事実と虚構あるいは夢)の混合体だと考えているからです。例えば『ビーベスの妹』は90%の事実で構成されていますが、残りの10%、作品にとって最も重要な部分である妹の手記は全くの虚構です。他の作品についても少し説明したいのですが、これ以上の鍵をお渡しすることは断念しましょう。

 第二部は『原発禍を生きる』の後に書かれたモノディアロゴス集です。このブログでは雑多なテーマが扱われていますが、本書には原発事故関連のものだけを集めました。実を言うと、このように絞り込むことに苦痛を覚えました。

 第三部はいわゆる付録ですが、いちばん重要なのは「平和菌の歌」です。なぜならこの素朴な歌こそが私の全哲学の要諦でもあるからです。平和への思いこそ私の究極の願いであり祈りなのです。だから本書の題名にしました。

 そしてこの作品集の締めくくりは、友人の新聞記者が書いてくれた一つの記事です。なぜなら結局のところ私の生は妻あってこそ意味があり、彼女のいない生などほとんど意味をなさないからです。
 さてこれ以上の説明は不要でしょう。

※ばっぱさんの曽祖父に当たる安藤庄八翁について祖父安藤幾太郎は次のように書いている。
 
 「安藤庄八翁は天保三年九月十五日陸奥国八戸町川内村に生る幼名を興八と称す家世々農なりしが天保四年三月翁二歳の時父庄八母つぎ姉きみと一家を挙げて移住を企て郷里を去りて磐城國標葉群大堀村瀬戸焼業庄次郎といへるものに寄る……」
 
 実はこのことについて2009年2月15日の項にすでに次のように書いていた。
 「言い伝えに寄ると、このとき二歳の赤子興八は天秤棒で担がれての旅だったと言う。天保三年といえば1833年、あの大飢饉(1833-36年)が起こる直前である。しかしその時代、百姓の分際で移住などできただろうか。幾太郎は川内という地名を記しているが、以前八戸に問い合わせて判明したように、彼の地に川内なるところはないのだ。八戸と安藤という姓から反逆の思想家安藤昌益と関係ありや否や、などと歴史推理小説並みの謎解きへの好奇心を持ったまま、もう何年も暇も手がかりもないまま時間だけがすぎているが、祖父が一族の痕跡を歴史の中に探ろうとした年齢が今の私とほぼ重なるので、ここらで少し動き出そうかな、と思っている。」

 残念ながらタイムリミットは疾うに過ぎ、探索は諦めた。
 

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fuji-teivo の紹介

佐々木孝(ささき・たかし)  1939年北海道帯広市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科、同大学文学部哲学科卒業。清泉女子大学、常葉学園大学、東京純心女子大学教授などを歴任。専門はスペイン思想・人間学。定年前に退職し、父祖の地・福島県南相馬市に転居、現在に至る。主な著書に『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』(講談社)、『モノディアロゴス』(行路社)、『原発禍を生きる』(論創社、これは香港、韓国そしてスペインでそれぞれ翻訳出版された)、『スペイン文化入門』(彩流社)など。訳書にオルテガ『ドン・キホ-テをめぐる思索』(末来社)、同『哲学の起源』(法政大学出版局)、マダリアーガ『情熱の構造』(れんが書房新社)、ビトリア『人類共通の法を求めて』(岩波書店)ほかがある。  なお著者はブログ「モノディアロゴス」(http:/fuji-teivo.com)で発信を続けるほか、『モノディアロゴス』シリーズを初め20数冊の私家本(呑空庵刊)を作っている。
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いささか恥ずかしい宣伝文 への4件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     久しぶりに「嗚呼、八木沢峠」を視聴しながら、先生の言葉に感動しました。

     「結局のところ私の生は妻あってこそ意味があり、彼女のいない生などほとんど意味をなさない」

     私は五年余り『モノディアロゴス』を拝読していますが、それは何なのかを自分自身に問うと自分と真剣に向き合う時間が欲しいからなんだと思います。美子奥様がご健康で、先生の身の回りのお世話や先生が執筆されたものへのご感想をお話しできる、そういう生活の中で先生がそう言われたのではなく、毎日先生が美子奥様の介護をされている中でのこの言葉の意味を考えると、人間にとって幸せとは何なのか。人生は複雑な矛盾でできていて、この限りない矛盾の統一が人生なんでしょう。人生の本質は自己と真剣に向き合った時に初めて、見えなかったものが見えてくるのかも知れません。『平和菌の歌』に先生が込められた思いもそこにあるのではないでしょうか。

  2. はじめまして。帯広市在住の山田克二と申します。ネット上では郷里滋賀県彦根市の琵琶湖畔生まれに因んで、琵琶玲玖(びわれいく)を名乗っています。1929[昭和4年]年8月5日生まれで間もなく満88歳になります。
    小2の時盧溝橋事件、小6の時、太平洋戦争開戦、中4(今の高1)の時敗戦を迎え、価値観の転換に戸惑い、登校拒否に陥り、1年留年の上復学し、その後旧制第三高等学校理科に入学するも、1年後の学制改革で、新制京都大学農学部農林経済学科に進みます。3年生の時、京大天皇行幸事件に遭遇し、自治会解散の不当性を主張し、全学ストライキの一端を担ったため、教授たちより冷遇され、研究室に残ることを断念し、たまたま、全国の大学に配布されていた、帯広農業高校の教員募集のビラを目にし、1~2年、十勝農業を見学するつもりで渡道いたしました。ところが翌年昭和29(1955)年は大冷害で、見学終わったからと、離道するに忍びず、今1年、もう1年とたつうちに遂にこの地で生涯を終えることになりそうです。
    十数年来各種の病魔に侵され、半ば引きこもり状態でしたが、最近の情勢を黙視しえず、憲法を暮らしの中に活かす十勝ネッとワークを立ち上げたところ、FB友達の佐々木梓さんよりご紹介をうけ、こちらに辿りついた次第です。なお、安藤御史氏、進藤栄一氏とも友人です。後日改めてご連絡させていただきますが、出来ればメールアドレスをご一報いただければ、幸いです。早々
    △山田克二連絡先 〒080-0862帯広市南の森西2丁目1-12
    FAX同番(0155-48-0460)mail=k-yamada@f1.octv.ne.jp
    公式サイトFaceBook[琵琶玲玖](びわれいく)紫陽花クラブ代表

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      山田克二様
       大先輩にわざわざお越しいただいて恐縮です。安藤御史さんは私の母方の従弟ですし、進藤栄一さんは柏小学校以来の友人です。波瀾万丈の来し方、しかも現在も矍鑠としてご活躍のご様子、こちらこそどうぞよろしくお付き合いくださいますように。とりあえず同文のメールをお送りいたしますので、よろしく。佐々木拝

  3. 佐々木あずさ のコメント:

    佐々木孝先生
    琵琶玲玖こと山田先生へのメッセージ、私も共有させていただきました。先生ご自身の背景を改めて拝読。そして文末の美子奥様への深い愛(こんな言葉で表現してはいけないような…でも、適切な言葉がでてこないのです)にガツンとやられました。お部屋で、先生が美子奥様の口元にスプーンを運ぶときのまなざし。スローモーションで映像化されて記憶に残っています。もう一度、あのお部屋で、先生の著作集に囲まれながら、モノディアロゴスに耳を傾けたいと願ってやみません。

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