この皐月の空に願うこと


  2020年に憲法改正をすると言って、またぞろあの男が物議を醸している。北朝鮮の威嚇行為を渡りに船とばかりに戦争法の一部を実地に移したり、都心では誰の判断かミサイル攻撃を想定して地下鉄を一時運行停止にさせたり、そしてそれらをきっかけに支持率がさらに上向きになったことで自信をつけたのか、それもオリンピック開催で国中が浮かれているであろう年に期限を切っての悲願の憲法改正である。

 法学にはとんと不案内なので難しい議論は苦手だが、そんな私でも明確に承知していることがある。すなわち憲法が一般の法律と決定的に違うのは、後者が現実の社会情勢や状況に合わせて、つまり実際の運用に支障を来たさないよう絶えず整備すべきものであるのに対し、前者すなわち憲法は現実がどうであれ国が目指すべき究極の理想を歌いあげたものであるという一点である。

 例えば軍隊あるいは戦力を保持しないという条文だが、現に存在する自衛隊は、最初は警察予備隊、次いで保安隊などと呼び名を変えながら、なんとか憲法と齟齬を来たさないようにとの先人たちの苦肉の策の結果、いつの間にか事実上の軍隊にまで成り上がったものだ。しかしだからと言って憲法そのものを修正しなければ、という考え方は、譬えは適切でないかも知れないが、現実の温度を表示している寒暖計の針そのものを強引に変えようとするのに似ている。つまり適温にするには、針ではなく人間の方が創意工夫すべきなのだ。憲法が常に主権在民を固守し、時の権力者の恣意的改変を許さないのはそのためである。ついでに私見を言わせてもらえれば、自衛隊は、日本のみならず世界各地に緊急出動する災害救助隊へと徐々に変身すべきであると考えている。

 ともあれ現憲法は世界に冠たる、そして誇るべき美しい理想の旗印なのだ。

 確かに改憲論者にとって現憲法は目の上のたん瘤みたいなもので、はなはだ気になるものだろう。でも自衛隊が曲がりなりにも現在まで存在しえたのは、それが現憲法にぎりぎり抵触しない範囲での自衛権の行使を想定したもので、その意味でも昨年閣議決定された“戦争法案”は悪法であり早急に廃案とすべきである。

 柄にもなく不案内な領域に踏み込んだような気もするが、しかし大筋は決して間違っていない、と自信を持っている。ともあれこの美しい皐月晴れの連休の中日、と言って私にとって毎日が連休みたいなものだが、不穏な政情、そしてあざとい政治家たちに心乱されずに過ごしたいものである。

※追記 先日二夜にわたってNHKテレビで放映された憲法特番の二夜目に、憲法GHQ押しつけ論を覆す「憲法研究会」の存在が取り上げられましたが、その研究会を主導した鈴木安蔵の出身地がただ相馬とだけ表示されました。正しくは南相馬(小高区)です。原発被災地といわば新憲法発祥の地がここに象徴的に重なることを、ぜひ皆さんに知っていただきたい。地元の人さえその事実に無関心であることを実に残念に思います。
 参考までに次の本をご紹介します。小西 豊治著『憲法「押しつけ」論の幻』 (講談社現代新書)

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fuji-teivo について

佐々木孝(ささき・たかし)  1939年北海道帯広市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科、同大学文学部哲学科卒業。清泉女子大学、常葉学園大学、東京純心女子大学教授などを歴任。専門はスペイン思想・人間学。定年前に退職し、父祖の地・福島県南相馬市に転居、現在に至る。主な著書に『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』(講談社)、『モノディアロゴス』(行路社)、『原発禍を生きる』(論創社、これは香港、韓国そしてスペインでそれぞれ翻訳出版された)、『スペイン文化入門』(彩流社)など。訳書にオルテガ『ドン・キホ-テをめぐる思索』(末来社)、同『哲学の起源』(法政大学出版局)、マダリアーガ『情熱の構造』(れんが書房新社)、ビトリア『人類共通の法を求めて』(岩波書店)ほかがある。  なお著者はブログ「モノディアロゴス」(http://fuji-teivo.com)で発信を続けるほか、『モノディアロゴス』シリーズを初め20数冊の私家本(呑空庵刊)を作っている。
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この皐月の空に願うこと への12件のフィードバック

  1. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    私は一般の人より少し憲法に詳しいと思っています。この連休中も憲法にまつわる書籍や文献をせっせと読んでいるのですが、その立場からも先生の仰ることは大筋でそのとおりだと思います。

    小西さんの本はわかりやすく私もお薦めです。。
    簡単に「押し付け」で済まないですね。私は「日米合作」だと考えています。
    新憲法の制定過程について、私は明治憲法の制定過程との対比で論じる必要もあると考えているのですが、憲法学者も歴史家もほとんど触れていません。

    明治憲法は伊藤博文が主導して作ったものですが、よく知られているように、プロシア憲法を参考にしたものです。それどころか、当時の「お雇い外国人」の一人であるドイツ人のロエスエルという憲法学者が書いた憲法草案を基にして書いたものです。
    新憲法はアメリカ人が作ったと攻撃する人がいますが、それを言うなら、明治憲法はドイツ人が作ったと言えます。だから明治憲法は無効だという人はいないでしょう。

    もともと不平等条約は「押し付け」られたもので、これを解消するためには近代国家としての体裁を整える必要があって憲法制定をするしかなく、いわば「外圧」によって作られたものです。「明治十四年の政変」で大隈重信が政府から追い出されますが、官有地払い下げ事件だけではなく、大隈が作った憲法案も追い出しの原因でした。
    大隈の案はイギリスに習った立憲君主制で、反大隈の伊藤からすればとんでもないものです。それで翌年伊藤は慌ててプロシアに行って何人かのドイツ人の憲法学者らについて憲法を学びます。帰国してさらにロエスエルに学び、ロエスエルの草案を「拝借」して明治憲法の形にしたわけです。

    それから、新憲法批判の根拠の一つとして、GHQの素人集団が作ったというものがありますが、「素人」を言うのであれば、伊藤博文も井上毅も皆「素人」です。一方GHQ側の策定メンバーの中心はみな弁護士です。「素人」ではありません。ついでに言うと、私でも憲法作れますけど。。。

    日本政府側の責任者である松本烝治は専門は商法です。憲法学者ではありません。商法学者はそれが専門故に大きな視点、展望で「国のかたち」を考えるのは不適格ではないかと思います。ちなみに松本烝治の「烝治」はジョージ・ワシントンからとられたものです。皮肉にも。。。

    要するに「押し付け」と言っても相対的なものに過ぎないわけです。

    もう一つ、「押し付け」だとして、誰にとって「押し付け」か、という問題があります。
    明治憲法制定前多くの民間の憲法案が出されています。60くらいの憲法案が発表されています。一番有名なものは植木枝盛の
    ものです。しかし、伊藤博文らは民間の憲法案は一顧だにしていません。明治憲法は一般国民にとっては「押し付け」そのものでした。
    一方で、新憲法は日本国民の意向を相当程度反映しています。鈴木安蔵がもっとも影響を受けたのは植木枝盛の憲法案ですが、鈴木を介して植木枝盛の憲法案、明治期の民権思想が蘇ったということです。

    日本政府支配層には確かに「押し付け」だったでしょう。しかし、一般国民にとっても「押し付け」だったでしょうか。
    多くの国民は歓迎しました。
    憲法担当大臣であった金森徳次郎が書いているのですが、新憲法が発表された翌日、見知らぬ老人が金森の自宅を訪ねて来たそうです。黙って涙ぐんで小さな瓶に入ったお酒を置いていったとのこと。金森は大事にいただいたそうです。。。

    折口信夫は、新憲法の公布の直後と施行の直後の二回、新憲法誕生を喜ぶ詩を発表していますが、とても感動的なものです。養子の春洋の戦死を知ったしばらく後のことですから、いっそう喜びを爆発させたという感じがします。

    それにしても、アベはセコイですね。教育の無償化を「セット」にして改憲しようなんて!無償化なんて憲法変えなくても明日からでもできることです。野党のほとんども賛成するでしょうし。
    憲法尊重義務があるのだから、本来総理大臣が改定を言うべきではありません。野党が言うのならわかりますけど。
    アベは現憲法を「恥ずかしい」と言っていますが、私に言わせると、無知で無恥な現総理ほど「恥ずかしい」ものはありません。

    憲法のことを言い出すと止まらないのでもうここら辺でやめますが、最後に一つ。
    社会福祉の勉強が忙しかったのと需要そのものが減って来たので、ずっとボランティアには行っていないのですが、私がボランティア活動をしていたのはほとんどが小高でした。せっせと泥出し作業をやっていたのですが、そこが鈴木安蔵の生誕の地であることは知りませんでした。佐々木先生のお宅にお邪魔した際に先生に教えられ知ったわけです。
    何かの縁かもしれません。。。

    それではまた。。。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      上出勝様
       現在憲法論執筆の途中とか。大いに期待し楽しみにしてます。「押しつけ」に関して明治憲法にさかのぼってのご説明、いろいろ教えられました。ありがとうございます。
       ところでわが「貞房文庫」に以下のような鈴木安蔵の著書があります。なにかお役に立つものがありましたら喜んでお貸しします。
           基本的人権、実教出版株式会社、1951年。
           日本憲法学の生誕と発展、叢文閣、1934年。
           民主憲法の構想、光文社、1946年。
           鈴木安蔵教授還暦祝賀論文集 憲法調査会総批判 
           憲法改正問題の本質、日本評論社。1964年。
           憲法と条約と駐留軍、至誠堂、1959年。
           憲法の歴史的研究、叢文閣、1934年。
           憲法の理論 改憲問題の解明、勁草書房、1965年。
           憲法学の構造、成分堂、1968年。
          (横越・富田・彌益と共編)ハロルド・ラスキ研究、勁草書房、
                          1954年。
           鈴木安蔵先生から受け継ぐもの 生誕百年記念シンポ
                ジウムの記録、発行者金子勝、2005年。

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    ありがとうございます。そのうち本当にお借りすることになるかもしれません。
    それにしても、すごい蔵書ですね。本職の憲法学者でもこれ全部を揃えている人は少ないと思います。

    ポツダム宣言のところからメモを取り始めているのですが、ポツダム宣言については歴史学や政治学の人がいろいろ本を出しているのですが、憲法学者はポツダム宣言そのものや受諾に至る経緯についてほとんど触れません。ポツダム宣言受諾後の制定過程から記述する人が多いですね。
    「憲法学」としてはそれでいいのかもしれませんが、ポツダム宣言受諾が憲法改定の出発点ですので、受諾の経緯や宣言の内容も新憲法の正統性に影響を与えるのできちんと結びつけて論じるべきだと思うのですが。。。

    それで、ポツダム宣言受諾のプロセス、内容を降伏文書等と対比しつつ読んでいるのですが、ポツダム宣言の文言から将来の憲法改定の必要性を感じていた人もかなりいたようです。
    先ほど触れた金森徳次郎は、憲法担当大臣になる前の昭和20年12月には明治憲法改定の要否について論文を書いています。憲法研究会の改定案を意識したようです。

    アベは、ポツダム宣言を読んだことがあるかとの質問に対して、「詳らかには読んでいない」と答えていますが、「詳らかに」どころか、全然読んでいないと思いますね。 国のトップがこのレベルですから。

    ポツダム宣言は憲法改定との関連で調べていたのですが、東京裁判もポツダム宣言受諾が出発点であり、新憲法の正統性に関わるということに気づき、今は東京裁判関連書籍を読み込んでいます。「横道」とは思いませんが、構想が広がり大変なことになりつつあります。先は遠い、という感じです。

    それで、本棚でポツダム宣言関連の本を探していたところ、例によって、同じ本をダブって買っていました。2種類も。我ながら困ったもんです。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      いつそろえたか、はや記憶にありませんが、2002年にこちらに戻ってきてからであることは間違いありません。それにしても昔なら神田古書街を一週間も歩き回らなければ見つからない古書が、アマゾンで簡単に探せるのはありがたいです。

  3. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、ただいまリスボンの国立古美術館の中庭で一息つきながら、先生のブログにお邪魔しているところです。
    日本も五月晴れでしょうか。リスボンも文字通りの五月晴れで、ここから眺められるテージョ川の広い河口を行き交う小型の帆船やヨットの白いシルエットが川面に鮮やかに浮かび上がっています。
    今回のブログを拝見して、十年前に大西巨人さんと憲法の成り立ちをめぐって、一日対談に応じていただいたことを思い出しました。対談の中心的な部分のおおよそは、最初の拙著『精神のたたかい』の冒頭に収録しましたが、憲法草案のこと、とくに千葉卓三郎らの策定になる五日市憲法草案については、1970年代に色川大吉らのチームによる新発見もあり、それも踏まえていろいろと興味深い知見が披瀝されたのでしたが、大幅に省略したところもあり、いま思えば長くなっても全部テープ起こしをしておくべきでした。
    それはともかく、その後わたしも小西豊治著『憲法「押し付け」論の幻』は一読して裨益されること少なくなかったのですが、継続的な勉強を勤勉に続けているとは言いかねる次第です。

    さて、明日はリスボンを立ち、往路と同じくふたたびフランクフルト経由で帰国します。
    さきほどまでヒエロニムス・ボスの『聖アントニウスの誘惑』をじっくりと時間をかけて眺めていたことは申し上げるまでもありません。
    その想像力の奇抜さというか、過剰なまでの奔放さにはいまさらながらに茫然とさせられますが、のちのブリューゲルにも受け継がれる着想やモチーフも確かに認められ、かれらネーデルランドの巨匠たちが、どのようなまなざしでかれらの生きた時代ないしこの世の姿を見ていたのか、と改めて考えずにはいられません。
    ひるがえって思いを馳せるのは、むろんわれわれの時代や現実のことです。この巨匠たちのように、およそ先入見にとらわれることのない自在な想像力を駆使して表現することができるとするならば、20世紀この方、われわれの生きている世は、いったいどのようなグロテスクな形態を呈することでしょうか。
    ダンテとはあえて言わずとも、大西巨人の大作の題名を念頭において申すならば、まさにそれは「神聖喜劇」そのものではないでしょうか。

    そして、数年前に物故したわたしの恩師の一人に触れさせてください。その人は須山静夫と言いますが、近代と現代のアメリカ文学の研究者で、メルヴィルからフォークナーまで、論文と翻訳を含めアメリカ文学の高峰を次々と登攀し続けた人でした。が同時に、小説家としても並々ならぬ高さを示す諸編を残した人だったと思います。
    それと言いますのも、1970年代初め、「しかして塵は」という小説で新潮社新人文学賞を受賞しているからです。そのおり選考委員だった大江健三郎が、「荒っぽいタッチながら現代の姿を的確に表わしていると思う」と非常に好意的な評価を与えられたこともいまだにわたしの記憶にあります。
    その作品は、東京湾の埋め立て地のゴミ捨て場、いわゆる「夢の島」で働く中年の労働者を主人公にして、その恥じ多き自らの人生に日々さいなまれつつも、それとともに社会の裏側で生きる人間としての想念を持ち、いわば末期の目で現代社会の途方もない消費のさまを見つめた力作でありました。
    そのことをここに記しますのも、その作品の中心をなす情景が、さながらボスの描き出した奇妙奇天烈な風景そのものにほかならなかったからです。ちょうど、野間宏の『暗い絵』がブリューゲルに依拠して暗い時代の日本を描き出していたように、「しかして塵は」一編は無気味に楽天的な高経済成長のもとでのすさまじい日本を描き出していたのでした。
    先年、プラドで『悦楽の園』を見たときと同様、いやそれ以上の切実な関心をもって、ボス晩年の大作を眺めたポルトガル最後の一日でありました。
    例によって長くなり恐縮です。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      立野正裕様
       実り多きポルトガル周遊もあと一日とか、どうぞご無事にご帰国ください。それにしてもこのところの「談話室」の内容の何と充実していること!、第十四巻にはぜひともすべて収録したいな、と今から考えてます。
       ところでリスボンとペソアについての私のコメント、もしかして見過ごされたのかなと思いますが、古いブログを引っ張り出したのも、立野さんならきっと伊太利人作家タブッキのペソア、そしてポルトガルに対する哀しいまでの憧憬がお分かりだろうとの思いからでした。時間があれば機中でなりとご覧ください。
       ともあれご無事の帰国を!

  4. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    そうでした。ペソアのことも書かねばと思っておりました。ブログを拝見して、これはじっくりと味わいながら読み返さなくては、と思いました。コピーを取って機上で熟読させていただきますが、取りあえずここではごく簡略に書かかせていただきます。

    わたしのペソアに対する関心は、タブッキよりもむしろジョゼ・サラマーゴをつうじて始まったのでした。これにはちとわけがございます。
    タブッキはこれまでわたしにはやや剣呑な作家というふうに感じられておりました。それというのも『インド夜想曲』があまりにもわたしの好みに合った作品で、こう申しては僭越なうえに語弊がありますが、読んでいるとなにか精神的インセストにでもふけっているかのような後ろめたさに近い感情を掻き立てられたからでもあります。
    いっぽうサラマーゴが描くペソアのイメージにも、そのような感覚がどこか揺曳しないではありません。しかし、サラマーゴの場合、厳しい政治的現実を生きたジャーナリストでもあったこの作家の背景にあるポルトガル現代史の複雑な様相が作品に色濃く影を落とし、とかく個人主義的な嗜好に惑溺しようとするわたしを叱咤するかのように思われたのです。

    現にきょう美術館から宿に戻るときにたまたま拾ったタクシーのなかで、はからずもサラマーゴないしペソアの文学を考えるうえで黙過できない要因となるような会話を、ほかならぬリスボン生まれのリスボン育ちという女性運転手と交わすという巡り合わせになりました。六十代前後と見受けられるこの女性、わたしが古美術館で熱心に見たのがボス一点と知るや、またその動機を簡略に伝えるや、特異なアクセントの英語ながらおっそろしく能弁になり、ボスを代表とするネーデルランド絵画がかくもリスボンに多いのはなぜかというその理由の説明を皮切りに、話は延々とどまるところを知らず、リスボンのありとあらゆる歴史にいたるまで、あたかも速射砲のように語って止まず、確かにその知的で博学なこと、おそらく観光タクシーのガイド兼業運転手でもあったのでありましょうか、わたしが自分の足で歩いてみたいと思っていながら今回はあきらめようとしていた歴史の道を、つまりリスボン旧市街の坂道または隘路を、縦横に、それこそ縫うようにして通り抜けながら、駆け足でとはいえひととおりおさらいさせてくれたのです。
    この端倪すべからざる知の女神アテナは、その話のなかで政治にすら言及し、サラザール体制の擁護とも思われかねない次のような「事実」をも付け加えたのでした。以下はわたしに聞き取れたことの要約です。
    サラザールは第二次大戦勃発に際し、ポルトガルを戦禍に巻き込ませないために、その政治的手腕を駆使した。とうとう戦争の最後まで中立を守り抜いた。それというのも、第一次大戦でポルトガルは多くの死傷者を出したからだった。その被害と損害はけっしてポルトガルの国益擁護につながるものではなく、必要な人的犠牲だったのではなかった。すべては当時の列強の思惑に引きずられた結果に過ぎなかった。このことを教訓として、第二次大戦においては同じ轍を踏まない決意を固めた。だが、もしもサラザールのような剛腕の政治家がリーダーだったのでなければ、こんな小国が中立を保ち続けることはとうてい不可能な話だったろう。大義がどうあろうと、国民や市民が大量に死ぬことを避ける、それが政治家の最大の責務なのだから(ここで、ほとんど後ろを向くようにして、アテナ女神は、そう思いませんかとわたしに念を押しました)、サラザールを評価するにあたってその点を重く見なければまちがう、と。
    わたしは、戦後のサラザール独裁体制がもたらした歪みないし負の面をどう現在のポルトガルの人々が受け止めているのか、と訊きたい衝動に駆られましたが、やっとのことでそれを抑えました。
    というのも、金曜日夕方のラッシュに阻まれたせいもあって、すでに一時間近くもわたしはその車に乗っておりましたから。宿はそれほど遠くはないはずなのです。とにかく、自分がたんなる観光タクシーなどに乗り合わせたのではないことは明らかでした。しかし、相手が粗忽な観光客を餌食と考えて、乗車賃をせしめるために市内を連れ回しているのでないことも明らかでした。
    その証しに、このあとこの女性に再度ホテルまで来てもらって、ポルトガル最後の思い出にファドを聴きに出かけたのですが、宿で勧められた店と、この運転手が(個人的な意見ですよと断って)勧めてくれた店とが偶然同じで、おかげで良心的な店で本場のファドを堪能することができたのです。

    ペソアについては帰国後に改めてもう少し書かせていただきます。
    ついでながら、別れ際にこの女性運転手に名前を訊きました。するとメモ用紙にMARIAと書いてくれました。なんと、わたしはアテネではなく、マリアと会話をしていたわけです。ただし、このマリアが三人のうちのどのマリアかまでは分かりかねましたが。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      立野正裕様
       今、「ペソアに曳かれて」という雑文をアップしてから、貴兄の実に面白いリスボア体験記に気づきました。まるで「レクイエム」の世界に紛れ込んだような話ですね。帰国後ゆっくりまた聞かせてください。サラマーゴの本も持ってるだけでまだ読んでませんが、貴兄の案内で彼の作品も読みたいと思ってます。
       ともあれご無事の帰国を!

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      立野正裕様
       少し遅い反応ですが、タブッキを「読んでいるとなにか精神的インセストにでもふけっているかのような後ろめたさに近い感情」という貴兄の表現、はじめ何のことか分かりませんでしたが、今は実によく分かります。何處と言って指摘はできませんが、二人は実によく似ています。さて一方がすでに黄泉の国に旅だった今、残された方は心置きなく(?)彼の分まで遠慮なく(?)書き継いでいってほしいな、と思います。

  5. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、おはようございます。
    フェルナンド・ぺソアのことをここに書きつけてよいかどうか少々ためらわれもしますが、談話室での話の前後関係ないし文脈からすると、タブッキにも関連がありますし、やはりここが適当な場所ではないかという気がしますので、しばらく談話室の軒先をお借りします。

    ポルトガルへの短い旅のなかでも最後の二日間を過ごしたリスボンのことが、きのうきょうと脳裡にしきりに揺曳して消え去らないので、ややもすればほかのことが手につかないくらいです。
    タブッキはもちろんですが、サラマーゴも、ぺソアに対し、なみなみでない関心を抱き続けた作家であったことは別のところでも触れましたが、『不穏の書、断章』(平凡社ライブラリー)の冒頭に掲げられた幾多のオマージュを垣間見るだけでも、ボルヘスをはじめとして錚々たる文学者や思想家が、フェルナンド・ぺソアが現代文学の上に、いかに深甚なる影響を死後にして発揮し始め、現在にいたっていっそう関心をそそる存在であるかを証言しておりますね。
    その意味で、ポルトガルとの関連、ぺソアとの関連、リスボンとの関連で、わたしがこんどの十日間の旅行中に、タブッキやサラマーゴに劣らず、にわかに興味をそそられたもう一人の作家がおりました。それはスイスの作家パスカル・メルシエです。タブッキとは年齢一つのちがいですが、むろんいまだ存命で健筆をふるい、近著でベストセラーとなったのが『リスボンへの夜行列車』という長編小説です。映画にもなっておりますね。
    リスボンのホテルからアマゾンを介して英訳と邦訳と両方注文したところ、当然ながら邦訳が一足先に拙宅に届きましたから、それを読み始めたところなのですが、四六判で上下二段組み450ページという長さはまずまずとしても、その内容の濃密さはタブッキやサラマーゴをうわ回ると申しても過言ではないかもしれません。
    「全世界400万部。感動の哲学小説」と帯の背中に記されている文言を額面通りに受け取ればの話ですが、徹頭徹尾内省的な文体で叙述されるこの長編小説を、世界400万人もの読者が読み、もって超ミリオンセラーに押し上げた! ということになります。
    一体全体ほんとうでしょうか。本書は晦渋とまでは言わずとも、けっして読みやすい本ではありません。したがってこの書を、巻措くあたわずというほどの熱意に駆られて一気に読み通した読者に対しては、わたしは敬意をいだくべきなのでしょう。
    わたしはといえば、まずもって扉の裏に掲げられたぺソアの言葉に見入って、それだけでもおよそ10分間の黙考を要しました。

    「我々のひとりひとりが、いくつもの存在、多くの存在であり、己自身に満ち溢れている。(以下略)」

    略したのはわたし自身ですが、この一行だけでも、戦間期である1930年代初期、ヨーロッパ大陸最西端の風土から、れっきとした二十世紀文学が宣明されていたことは明らかです。同じ時代に大西洋の反対側では、ウィリアム・フォークナーが、現代アメリカ文学の最高傑作『アブサロム! アブサロム!』を書きながら、ぺソアと同じように依然として無名に近い存在でした。
    生前同国人のあいだでさえ無名同然だったポルトガルのこの大詩人にして大作家は、匿名と異名の陰で、むしろ「無名」に生きることを人生の処し方として自ら選び取ったのであって、理解者に恵まれなかった不遇な文学者だったというのではかならずしもありませんね。

    さて、メルシエの小説ですが、主人公グレゴリウス(グレゴールを連想させられなくもない名前です)は、ふとしたことからリスボンに向けて出奔します。スイスのベルンにあるギムナジウムで古典語の教鞭を執っていた矢先、その「ふとしたこと」がかれを激しく駆り立てることになったきっかけは、一冊の小さな私家版の書にありました。
    小説のなかの本のことですから、むろんそれは架空の著者による架空の書なのですが、定年も間近の主人公のそれまでの人生観を覆すほどの起爆力を秘めた言葉で全編が埋め尽くされていました。著者がどういう人物なのか、どういう生涯を送ったのか、文言に現われている深い洞察と決然とした精神は、著者のどのような生き方から可能となったのか、それを主人公は知りたくなった、というより知らないでは済まされない切迫した気持ちに突然衝き動かされるのです。

    ここに作中の架空の書からの引用をながながとすることは控えなければなりません。ただ、主人公がそうであるのみならず、本書そのものが、ぺソアの強い影響のもとにあると申してもいいような内容を多分に含んでおります。たとえば次のような文言などはまさにそうです。

    「人生における決定的な瞬間が、激しい内面の沸騰を根底に持つ騒々しくかん高いドラマでなければならないと思うのは間違いだ。(中略)ドラマは、それが起こる瞬間にはまったく気づかれないこともある。人生に革命的な影響を与え、一つの人生がまったく違う光のもとに照らし出され、すっかり新しい旋律を奏でることになる、そんなドラマは、音もなく起こるのだ。」

    分別盛りの主人公が、授業の真っただ中に学校を抜け出し、家に帰ってそそくさと荷造りするやそのままリスボンに向かって旅立つのは、唐突ではあっても「ドラマ」としては茶番に近いものでしょう。わたしがこの導入部分の荒唐無稽さに本を投げ出してしまわなかったのは、ひとえに自分が常にそういう願望を抱きながら日常の務めを果たしてきた経緯があったからかもしれません。(世界の400万?の読者の大多数もそうだったのでしょうか。)
    ところで、ぺソア本人の名前は、本文77ページの下段で、主人公がリスボンの書肆で購う本の著者ベルナルド・ソアレスとともに言及されています。

    「いま思えば信じがたいことだが、グレゴリウスはリスボンへ向かいながら、この本の『書き手』である帳簿係補佐ベルナルド・ソアレスの街へ行くのだとは、まったく考えていなかった。金箔師通りで働くソアレスという人物を通して、ぺソアは、世界で表明されたそれまでの、そしてその後のどんな思想よりも孤独な思想を書いた。」

    レジに持参したその本『不安の書』(または『不穏の書』)を書店主が受け取りながら、主人公に向かってこんなふうに言います。

    「『この信じられないほど素晴らしい本が、私にはどんなふうに見えるか、わかりますか?』レジに値段を打ち込みながら、シモンエス(書店主の名)がそう訊いた。『まるで、マルセル・プルーストがミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』を書いたかのような、そんな感じなんですよ』」

    書店主の言葉は、書店主の言葉であってそれ以上ではないとも言えますが、逆にそれこそ著者メルシエの言葉にほかならないとも言えそうです。
    メルシエの小説は、わたしには一気呵成に読める本とはとても思われません。わたしにとっては『リスボンへの夜行列車』は、クリスティのオリエント急行などとは全然ちがって、そのむかしの蒸気機関車にでも乗って、しかも各駅どまりで進んで行く心地がすると言ったほうが当たっています。
    それはともかく、ボルヘス、オクタビオ・パス、タブッキ、サラマーゴ、イタロ・カルヴィーノ、そしてパスカル・メルシエといった当代の一流作家たちの強烈な照明のもとで読み返されるフェルナンド・ぺソアの本は、次回わたしがポルトガルに出かける際の精神上のガイドとして必携の書と申しても差し支えないものとなりました。

    それどころか、ぺソア自身がリスボン案内をものしているのですね。これは意外でした。
    読者のために意図して書かれた「案内書」が、断章に見られるような内省的・箴言的・アフォリズム的・内部巡歴的・失われた時を求めて的・エセー的な精神の探求ないし浮遊ないし遊歩の性格に対応するなにかを、果たして感じさせてくれるかどうかは分かりませんが。
    ぺソア三昧をご経験としてお持ちの佐々木先生は、そのあたりはどんなふうにお考えでしょうか。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

       立野さんの魅力的なメルシエ紹介であやうく“Night Train to Lisbon” を注文するところで、辛うじて踏みとどまっています。日本語訳はちと高いので送料込みでもアマゾンで800円(中古)で買える英語版を、と思ったのですが、どうせ英語力も時間もないのに読めるはずもない、とストップしたわけです。それでなくとも「ペソア三昧」を書いたとき(2009 年 12 月 22 日)からほとんど前に進んでいないというのが実状ですから。
       異名主義(heteronismoを他の訳語が思いつかずとりあえずそう訳します)についても、それをめぐるペソアとA.マチャードの類似性と異質性の比較に強い興味を覚えながら、それがいわゆるペンネームや偽名とは違って自分とは違う独自の個性を持った新たな作者の創造であるとまでは理解したのですが、では実際にそれがどう展開されているのか、検証しないまま今日に至っています。つまりマチャードとその異名者フアン・デ・マイレーナ、ペソアとその異名者カイエロやカンポスがどう違った個性なのか、突き止めないままなのです。ある時は富士貞房の使い方についても、これら二人の先達の真似をしようかなどと不逞な考えを持ったこともありましたが、それは無理と諦めて、普通のペンネームみたいにして使ってます。
       ペソアの本(スペイン語訳や日本語訳)は少し離れた背後の本棚、マチャードの本、とりわけ全身私製革装丁の『フアン・デ・マイレーナ』はすぐ目の前の棚、という配置が私と二人の作家の現在の位置関係でしょうか。つまり敢えて言うなら、ポルトガル語のsaudade(やるせない思い、とひとまずは訳せる)とスペイン語のsoledad(孤独、とひとまずは訳せる)の違いから来る距離の取り方でしょうか。つまりsaudadeは日本人にとって身近なものと思われますが、スペイン的soledadに対しては、その魅力を強く感じながらもどこか異質なものを感じてしまうから。だったらペソアの本がより近くにあるはずですが、そこはそれ、あまりに近しいものと感じられるからこそ、敢て少し距離を取りたいという微妙な心理が働いています。
       80年代初頭に二度目のポルトガルへの旅で強く感じたのは、政情不安や不況のせいもあったのでしょうが、かつてのスペインに感じていた素朴さとか寡黙さが今やポルトガルにしか残っていないのかな、という漠然たる印象でした。つまりスペイン人があのころ唯一優越感を持って旅するヨーロパは隣国ポルトガルだけで、広場にはスペイン人たちの傍若無人の大声が響き渡り、ちょっぴりポルトガル人がかわいそうに思ったものでした。と同時に、さすがサウダーデの国との認識を新たにしました。
       つまりスペイン的孤独は光と影の確然たる対称性の、その陰の部分に固く凝縮されている感じですが、ポルトガルの孤独はファドに歌われているような、実に人間臭い郷愁と入り混じった孤独でしょうか。固く凝縮された、と言ったのは、例えば十字架の聖ヨハネの言うsoledad sonora、つまり響き渡る孤独が頭にあったからです。つまり固く凝縮されていなければ響くこともないわけです。その点、サウダーデは白黒判然としない幽暗・幽闇の世界で、日本的な孤独と似ています。
       と、ここまであまり自信のないことを書き連ねてきましたが、最後に一言。ペソアの代表作『不安の書』は別の訳本では『不穏の書』となってますが、どうして変えたのでしょうか、ちょっと疑問に思ってます。スペイン語訳では原語と同じ(綴りは違いますが)desasosiegoですが、これは inquietud とほとんど同じ意味を持つ言葉です。しかし「彼は不安を抱えていた」という風に、日本語の「不安」は基本的には個人の感覚・感情を表しますが、一方、「不穏」は「町は不穏な空気に包まれていた」という風に、人間ではなく状況を指しますね。。つまりペソアの作品は、やはり「不安の書」と訳した方がいいのではないか、と思ったのです。
       ついでにもう一つ、今回ペソアの長い本名Fernando António Nogueira de Seabra Pessoa を見ていて初めて気が付いたのですが、ペソアpessoaは英語でいうperson,つまりラテン語のペルソナと同じ言葉なのですね。もうどこかで誰かが言っていることなのでしょうが、ペソアは名前そのものからして「私一人」じゃなくて誰にも当てはまる「ひと」「人物」だとは。もともと異名者の血が流れていたのですね。
       
       ところでいま、少しずつ第十四巻の準備をしているのですが、今回はこれまでとかなり違った巻になりそうです。つまりお約束したようにこの「談話室」での諸兄の文章も大幅に収録することになるからです。私の早とちりでなければ、今回は立野さんが解説を引き受けてくださるのですね。まだ一巻分には少し足りないのですが、その時が来ましたら割り付けなどの作業をすべて終わった段階のものをお送りしますので、どうぞどうぞよろしくお願いいたします。もちろん急ぎませんので、お時間のできた時にでもお願いします。
       またこれは皆さんへのお願いですが、第十四巻の書名(ちなみに第十三巻は「平和菌の歌」でした)をまだ決めかねています。どなたかいいアイデアをお願いします。

  6. 立野正裕 のコメント:

    佐々木先生、
    おはようございます。ポルトガル語のsaudade(やるせない思い、とひとまずは訳せる)とスペイン語のsoledad(孤独、とひとまずは訳せる)の違い、たいへん興味をそそられる比較ですね。
    サウダーデとはなにか、とペソアを読み返しながらしきりに気になっていた矢先でもありました。
    以前はたぶん読み流していたのでしょうが、気を付けてみると『不穏の書』の訳者はサウダーデを「郷愁」と訳したり、「悔恨」と訳したりしています。しかしもっと日本的抒情の「やるせなさ」の感じとも近いわけですね。
    また、スペイン語のsoledad「孤独」とのちがいで、スペイン的孤独が光と影の確然とした対称性、その陰の部分に固く凝縮されているのに対し、ポルトガルの孤独は、もっと人間臭い郷愁と入り混じったもので、それがたとえばファドに現われている、というのも興味を掻き立てられます。
    ファドとは語義からすると「宿命」という意味だと聞きました。ううむ、さすがに奥が深いですねぇ。
    立野拝

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