初夢


 夢らしきものは毎朝のように起き掛け直前の半覚半睡(この方が言いやすい私の造語、正確には半醒半睡)の中で見るが、新年に入って四日目のものだから正確には初夢とは言えない。しかしはっきり覚えているのは今朝のそれだから初夢とさせていただこう。

 さてその初夢、昨夜床に入る前にハーバート・ノーマンの「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」を読んで寝たせいか、しきりに世直しのことを考えていた。いまや世界は、プーチン、習近平、トランプそして安倍と武闘派が跋扈する危険な時代に突入したが、その武闘派に抗して「無闘派」を立ち上げなければ、としきりに考えていたようだ。もちろんこれは一種の言葉遊びで、もっと正確には、わが敬愛する故・真鍋呉夫宗匠の言葉をお借りすれば「不戦」派である(夢の中ではそこまで緻密にダメ出し(?)をしていた)。宗匠は「反戦」という言葉がすでに「主戦」と同じ土俵に上がっているのではないかとのお考えから、それを避けて敢えて「不戦」を選ばれたようだ。病床で撮られたメッセージDVDのタイトル「不戦、だから不敗」にこめられた宗匠の強い意思が胸に響く。

 残された日々最後まで「平和菌」拡散を続けようと考えているのは、原発被災を経験した者として「反原発」を主張することは、間違いなく「反戦」に通じると確信しているからだ。もっとはっきり言えばあらゆる核利用の先に潜む科学への盲目的信仰を撃つためである。

 青年期の一時期、その思想的先見性に感銘した或る思想家が反核運動に対して「科学の進歩を止めてはいけない」といった意味の発言をしたとき以来、彼の思想と決別したが、科学の進歩に歯止めをかけることは本当に許されないことなのか。私からすればそれこそ人間理性が目指すべき叡智への裏切りとしか思われないのだ。「パンドラの箱」はいつか、どこかで閉めなければ地球崩壊・人類滅亡に至ることは間違いない。

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fuji-teivo について

佐々木孝(ささき・たかし)  1939年北海道帯広市生まれ。上智大学外国語学部イスパニア語学科、同大学文学部哲学科卒業。清泉女子大学、常葉学園大学、東京純心女子大学教授などを歴任。専門はスペイン思想・人間学。定年前に退職し、父祖の地・福島県南相馬市に転居、現在に至る。主な著書に『ドン・キホーテの哲学―ウナムーノの思想と生涯』(講談社)、『モノディアロゴス』(行路社)、『原発禍を生きる』(論創社、これは香港、韓国そしてスペインでそれぞれ翻訳出版された)、『スペイン文化入門』(彩流社)など。訳書にオルテガ『ドン・キホ-テをめぐる思索』(末来社)、同『哲学の起源』(法政大学出版局)、マダリアーガ『情熱の構造』(れんが書房新社)、ビトリア『人類共通の法を求めて』(岩波書店)ほかがある。  なお著者はブログ「モノディアロゴス」(http:/fuji-teivo.com)で発信を続けるほか、『モノディアロゴス』シリーズを初め20数冊の私家本(呑空庵刊)を作っている。
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初夢 への7件のフィードバック

  1. 阿部修義 のコメント:

     愛用の鞄にいつも忍ばせてある豆本を久しぶりに取り出して、徐にパラパラ捲っていました。横4センチ、縦8センチのこの豆本は、私の手の中に丁度隠れる大きさで、長く持ち続けるほどに鞄と一体となって愛着を感じられる存在です。先生、本年もよろしくお願い申し上げます。

     私もモノディアロゴスを拝読して今年で六年目を迎えましたが、先生の文章を通じて平和や戦争のことを今まで以上に考える時間が多くなりました。人間のエゴや憎しみの感情から戦争へと繋がっていく歴史的事実が今尚続けられていることに、人間は殺さなくても、何れは誰もが死んでいくのにと思ったりもします。この世に同時代に生きている私たちは、お互い不完全なもの同士、助け合い、許し合い、慈しみ合って生きることを学んでいかなければならないと、手の平の豆本を見ながらつくづくと感じています。

  2. 上出勝 のコメント:

    佐々木先生

    お久しぶりです。

    以前、腰を痛めているということをお伝えしましたが、12月21日に手術し、年末年始は病院で過ごしました。このコメントも病院のベッドで打っています。
    と言っても、術後の経過が良く、今朝の回診で明日午前中の退院許可が出ました。

    「脊椎菅狭窄症」という病気で、簡単に言うと、腰の骨と骨の間の軟骨が磨り減って神経を刺激し痛みを感じるというものです。手術というのは、圧迫を抑えるため骨と骨との間にボルトを固定するというものです。
    飲み屋にボトルを入れていますが、今度は腰にボルトを入れたというわけです。

    術後5日ほどは激痛でベッドの上でのたうちまわり、ほとんど眠れませんでしたが、その時ずっと思っていたのは、「正岡子規はエライ!」ということです。子規は脊椎カリエスで違う病気ですが、当時は不治の病で痛みを緩和することも簡単ではなく、3年間寝たきりのまま最後を迎えました。しかし、畳一枚の上であれだけの仕事をこなしたのですから、やはり凡人とはよほどデキが違います。
    もっとも、子規よりも文句も言わず看護介護に尽くした妹はもっとエライ!と思いますが。。。

    青空文庫で『病狀六尺』が読めるんですが、その「二十一」でこんなことを書いています。

    余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

    話は変わりますが、今回の「或る思想家」というのはひょっとして吉本隆明のことでしょうか。吉本さんの本は随分読みましたが、文芸批評や親鸞論は優れたものだと思いますが、原発肯定論は間違っていると思います。科学分野を含め知性の働きには慣性があり知的欲望自体を止めることはできません。しかし、Aという方法論がダメなら、B、あるいはCという方法論を模索するのが真の知性の働きだと思います。吉本さんはあくまでもAを突き抜けるのが知性の働きだと勘違いをしていると私は思います。「吉本信者」は私のまわりにもかなりいますが、他の点でも私は吉本さんにはいろいろ疑問を持っています。

    またまた話が変わりますが、ほぼ寝たきり状態でしたので、便通がよくありません。今年になってまだです。
    そこで思い出したのが、子規の弟子の高浜虚子の例の有名な一句。

    去年今年 貫く棒の如きもの

    虚子は怒るかもしれませんが、本当に「棒の如きもの」が入っている感じなんです。チューハイがばがば飲めばすぐ解消するんですけど。。。それは明日のおたのしみで。

    それではまた。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      上出さん、それはそれは災難でしたね。私は痛さにはめっぽう弱く、ちょっとした歯の痛みにも音を上げます。しかし幸い上の歯はすべて入れ歯になり、下の歯も差し歯で痛さに苦しむことはなくなりましたが、でも今年もお餅を食べて何人ものご老人が窒息死したというニュースに他人事ではなく注意する歳になりました。
       隆明氏のことすぐ分かったようですね。実は最近、ばななさんのエッセイ集のスペイン語版出版の際、むかし田畑のお宅を島尾敏雄さんに連れられて訪ねた時の写真を人伝にばななさに差し上げたことがありました。彼女はその時まだ3,4歳ではなかったでしょうか。どこかで読んだのですが、ばななさん、隆明氏のその発言を気にしておられるようでした。
       それはともかく私も『病牀六尺』をいつか読まなければと持ってはいますが、まだ読んではいません。以前は年に一、二度ギックリ腰になってましたが、不思議なことに家内の介護をするようなってからピタリとならなくなりました。
       私よりずっと若いのですから、どうぞ今年も飲み屋のボトルでも景気よく空けて元気よくご活躍ください。

  3. 佐々木あずさ のコメント:

    先生のモノディアロゴスを拝読し、またもや、手を付けていない宿題(勝手にそう決めているだけですが)を思い出しました。現行憲法を作成中のメンバーに、安藤昌益の思想を紹介した方がノーマンさんです。彼はカナダ人のはすですが、日本とは深いつながりのあった方です。急いで、この宿題にとりかかろうという気持ちにさせて頂きました。感謝です!

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      ご存じとは思いますが、日本国憲法の実質的起草者である鈴木安蔵は南相馬市小高区の出身です。ノーマンとももちろん接触があったはずです。調べてみてください。

  4. 佐々木あずさ のコメント:

    はい、先生のおっしゃる通りです。東京新聞の記事で知ったのはちょうど2年ほど前のことです。ノーマンさんとのつながりについても言及されていました。鈴木安蔵さんの授業を受けたことがある方が、帯広にいらっしゃいます(当時はいい学生ではなかったと、おっしゃっていますが)。あの時代、野に生きることを選んだ学者が南相馬の出身。そして、先生も、今、まさにその南相馬で生きていらっしゃる。ご縁を感じます。亡き父が最後にくれたプレゼントが安藤昌益全集でした。まだちょっとしか読んでいません。ノーマンが、安藤昌益の思想を鈴木安蔵に伝えた事実を調べたいと思っています。

    • fuji-teivo fuji-teivo のコメント:

      「安藤昌益全集」が亡きお父様からの贈り物とか、私の場合も亡き母からの遺贈です。まだよく読んでいないところもそっくりですね。二階の本棚に積まれたままですが、そのうち隣の部屋にでも移そうと思ってます。本というものは不思議なもので、身近に置くことで読まなくとも(えっ!)何かしら刺激を受けるようです。電子ブックではそうはいきません。なんて早くも遁辞を考えてますが、それじゃだめですね。お互い頑張って少しずつでも読みましょう。

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