元アメリカ海兵隊員の証言


「週刊女性」なんて馬鹿にしてはいけない(誰も馬鹿になどしてないか)。今夜のネットにこんな記事が載っていた。ちょっと前、たまたま目に入った禿茶瓶と櫻井何とかという戦争やりたがり女の対談をちらっと見て、一気に気分が悪くなったが、この記事を見てスカッとした。そのままコピーしますので、皆さんもどうぞ。もちろん番外編です。

★元アメリカ海兵隊員「今の日本はイラク戦争前のアメリカと酷似しています」★
      週刊女性PRIME 1/9(月) 15:00配信

元アメリカ海兵隊員のマイク・ヘインズさん
「平和を前向きに構築していくには、過去に犯した過ちをきちんと認めて謝罪するというプロセスが不可欠です」

 そう言って原爆投下や東京大空襲について謝罪し、反戦平和を訴えるアメリカの退役軍人がいる。元海兵隊員でイラク戦争への派遣経験をもつマイク・ヘインズさん(40)だ。

 昨年11月、『安保法制に反対する海外在住者・関係者の会(OVERSEAs)』の招きで来日。各地で講演を行い、市民と交流し戦争の実態を伝え歩いた。遡ること’15年12月に沖縄・辺野古を、’16年8月には高江を訪問。所属する米退役軍人らで作る団体『ベテランズ・フォー・ピース』のメンバーとともに市民と一緒になって座り込み、米軍基地建設に抗議している。
私こそテロリストだった
 生粋の平和運動家に見えるマイクさんだが、自身をこう表現してはばからない。

「テロリスト掃討のためにイラクへ派遣された私こそが、現地で暮らす人たちの生活を破壊するテロリストだった」

 熱心なキリスト教徒が多いジョージア州の出身。プラスチック製の銃や『GIジョー』の人形、カウボーイ映画に囲まれて育ち、愛国心から高校卒業後の1994年に海兵隊へ。沖縄駐留を経て’03年3月、イラク戦争に出兵した。

「テロリストがいるとの通報を受け踏み込んだ先は一般家庭がほとんど。恐怖のあまり失禁した少女の叫び声が今も耳に焼きついて離れません」

 大量破壊兵器はなかった。自由と平和をもたらすため─、その大儀も嘘だった。

「戦闘に入れば敵と味方の区別は困難。両方に死者が出ますし、仲間からの誤射で亡くなる兵士も多い。一般市民も巻き込まれます。そうした危険は自衛隊が派遣されている南スーダンでも同じです。

 そもそも “緊張と暴力が前例のないレベル” と国連が警告するように、参加条件の『PKO5原則』で最も重要な停戦合意が成立していないのだから、派遣自体が違法では?」
国のリーダーが危険をあおって恐怖心を高め世論を操る
 イラク戦争は泥沼と化した。マイクさんの戦いも、帰国してなお終わりが見えない。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症したのだ。
元アメリカ海兵隊員「今の日本はイラク戦争前のアメリカと酷似しています」

アフガニスタン駐留経験をもつ元米兵ロリー・ファニングさん(右)とともに会見するマイクさん
「どこへ行っても帰還兵はヒーロー扱いされましたが、とんでもない。怒りにさいなまれ、ひきこもるように。人も自分も非難して、誰とも一緒にいられなくなって2年ほどホームレスを経験しました」

 農業と平和運動を支えに、人前で話せるようになるまで10年かかった。戦争体験を何度も振り返ることは痛みを伴う。それでもマイクさんは、伝えずにはいられない。

「今の日本を見ていると、国のリーダーが危険をあおって恐怖心を高め世論を操る手法が9・11後のアメリカとよく似ています。

 中国や北朝鮮の脅威が強調されていますが、考えてもみてください。狭い土地に54基もの原発が並び、地震リスクの高い、天然資源がない国を征服したところでどんな利益が得られるのか」

 恐怖にかられると、自分たちとは異なる相手を敵とみなし、同じ人間と思わないようになる。そう仕向けることが戦争遂行の常套手段。

「次期大統領のドナルド・トランプは人種差別を公言してはばからない人物。戦争とヘイトスピーチは切り離すことのできない要素ですから、彼は本当に危ない。

 そんなアメリカは日本を守っていると言い、また日本側もそう思い込んでいるようですが、大きな間違い。基地が集中する沖縄は標的となって、むしろ危険にさらされます。

 建国以来、戦争にまみれてきたアメリカから見れば日本の憲法9条は希望の光。70年以上も戦闘をしていない記録をみなさんで守り抜いてほしいです」

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小熊秀雄との出会い


 或る人が私のことを小熊秀雄に似ているとかなんとか、そんなことを言ったと別の或る人から間接的に聞いて以来、このコグマが私の意識に入り込んできた。というよりいささか狼狽したのだ。なぜなら名前はどこかで見たような気がするが、それがどんな人か皆目見当がつかなかったからだ。あわてて「貞房文庫」を探してみると、「お」のところと「こ」のところと両方に岩波文庫の彼の「詩集」が一冊分類されていた。もちろん正しくは「おぐま」。つまりこれではっきりしたのは、これまで一切読んでこなかった詩人・作家だということである。

 その岩波文庫が今どこにあるのか探すのも面倒なので彼に関する著作をアマゾンから取り寄せることにした。最初に届いたのは小田切秀雄・木島始編集の『小熊秀雄研究』(創樹社、1980年)という500ページを越える分厚い本で、中野重治、金子光晴など錚々たる面々の小熊論が収録されている。続いて同じ出版社から出ている「全集」全5巻(1977年)が届き始めた。

 読み通すことなどできそうもないのに、そこまで入れ込む必要はないのだが、「似ている」というそれまで聞いたこともない評言がよほど嬉しかったらしい(誉め言葉かそうでないか分かりもしないのに)。それにそれぞれ500ページを超える布表紙の立派な全集なのだが、全巻揃いではなくいくつかの書店にばらばらに注文すると意外に安く揃えられそうだったからだ。

 でも、とみに読書力の低下している現在、その圧倒的な作品の量に先ず圧倒されて、ところどころ拾い読みするのがせいぜいである。ただ漠然と分かってきたのは、彼が日本近代文学史上稀にみる優れた批評文学を書いた詩人・批評家だということである。なぜ今まで出会わなかったのか。取り立てての代表作もないことから、名も無き群小作家の一人として見過ごしてきたのであろう。

 しかし何人かの作家たちが書いているように、彼の詩には不思議な魅力と感染力がありそうだ。もしも今まで彼の作品をじっくり読む機会があったなら、私もかなりの影響を受けたのでは、と推測できる迫力がある。

 つまり従来の日本の近代詩とは一味も二味も違う独自の詩境を開拓しているように見えるからだ。もっとはっきり言えば、これが詩、これが散文といった境界を軽々と超えて自在な表現形式を生み出しているのではないか。それには彼が漫画をも射程に入れた造形作家でもあったことが深く関わっているのではないか。

 といって以上はつまみ読み、飛ばし読みでの荒っぽい感想だ。彼に惹かれ始めたのは、実はつね子夫人の回想記を読んだことが大きく作用している。故郷・旭川※での彼の絵画展を見に来た彼女は、他に誰もいない会場で一人の男から懇切丁寧な説明を受ける。

「その絵は、表現派というのか、ダダの絵というのか、私にはよくわかりませんでしたが、複線で描かれた波型のような構図の左下方に、ほん物の鮭の尻尾が貼付けてありました。私もその人も暫く黙ってその絵を見ていました。
 《僕のところに寄っていらっしゃいませんか》。その人が言いました。
{中略}
 彼の下宿の小さな部屋の中で、二人は向き合って座っておりました。二時間か、もっと長くか、その人は何かしゃべっていたようですが聞いている私は、目の前が星のない紺色の夜空のように深くなり、その人の顔も姿も見えませんでした。……何を聞いたかわかりません。只一言耳に止まりました。
《僕と結婚したら不幸ですよ》私はうなずきました。そして思いました。不幸とはいったい何であろうと。(中略)《―たとえこの人が、癩病やみであっても、―又は監獄に座っている人であっても、―私はこの人でいい》と思いました。
 この人、小熊秀雄です…」

 貧窮と病に苦しんで39歳でこの世を去ったこの漂泊流浪の詩人に、もしこのつね子夫人なかりせば、おそらく彼の全詩業は生まれなかっただろうし、たとえ生まれたとしても、あの破天荒ながら、しかし突き抜けた先に見えるあの青空のような晴朗さは存在しなかったであろう。

 同じ道産子であること以外、私とは似たところなどどこにもない孤高の天才に出会えて、たとえそれが或る人の買い被りと早とちりに発したものだとしても、いまはただただ感謝あるのみである。

※生まれたのは1901(明治34)年小樽
 

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初夢


 夢らしきものは毎朝のように起き掛け直前の半覚半睡(この方が言いやすい私の造語、正確には半醒半睡)の中で見るが、新年に入って四日目のものだから正確には初夢とは言えない。しかしはっきり覚えているのは今朝のそれだから初夢とさせていただこう。

 さてその初夢、昨夜床に入る前にハーバート・ノーマンの「忘れられた思想家 安藤昌益のこと」を読んで寝たせいか、しきりに世直しのことを考えていた。いまや世界は、プーチン、習近平、トランプそして安倍と武闘派が跋扈する危険な時代に突入したが、その武闘派に抗して「無闘派」を立ち上げなければ、としきりに考えていたようだ。もちろんこれは一種の言葉遊びで、もっと正確には、わが敬愛する故・真鍋呉夫宗匠の言葉をお借りすれば「不戦」派である(夢の中ではそこまで緻密にダメ出し(?)をしていた)。宗匠は「反戦」という言葉がすでに「主戦」と同じ土俵に上がっているのではないかとのお考えから、それを避けて敢えて「不戦」を選ばれたようだ。病床で撮られたメッセージDVDのタイトル「不戦、だから不敗」にこめられた宗匠の強い意思が胸に響く。

 残された日々最後まで「平和菌」拡散を続けようと考えているのは、原発被災を経験した者として「反原発」を主張することは、間違いなく「反戦」に通じると確信しているからだ。もっとはっきり言えばあらゆる核利用の先に潜む科学への盲目的信仰を撃つためである。

 青年期の一時期、その思想的先見性に感銘した或る思想家が反核運動に対して「科学の進歩を止めてはいけない」といった意味の発言をしたとき以来、彼の思想と決別したが、科学の進歩に歯止めをかけることは本当に許されないことなのか。私からすればそれこそ人間理性が目指すべき叡智への裏切りとしか思われないのだ。「パンドラの箱」はいつか、どこかで閉めなければ地球崩壊・人類滅亡に至ることは間違いない。

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あゝ秋刀魚の季節よ!


 連日胸糞悪いニュースが続いていてウンザリ。それについて批判的な論説が少ないことにもガッカリ。ただ先ほど「毎日新聞」ネット版に、オリバー・ストーン映画監督の「アジアの犠牲者への慰霊も必要じゃないの」といった当然の批判があって少し胸をなでおろした。しかし従来から言ってきた安倍「パフォーマンス男」説を補強する論説がアメリカ側から出されているのをリアルに(いまはやっている大嫌いな日本語)喜んでいいものかどうか複雑な気持ちになっている。つまり日本人からではなくアメリカ人からしか発語されていない悲しい現実にフクザツな心境になっている、という意味である。ともあれ多くの米メディアが“最大の訪問理由”として挙げるのが、審議を尽くさずに可決となった「統合型リゾート(IR)整備推進法案」(カジノ法案)から国民の目を逸(そ)らすことではないか、と言っているらしい。つまりパフォーマンス説がアメリカのメディアの主流だということだ。

 そこでウサ晴らしに、聞くたびに笑っている冗談をご披露しよう。このところ時おり往時の映画音楽が我があばら家の夫婦の居間に流れていることがあるが、二曲目の「旅情」のテーマ音楽、つまりあのイタリアの伊達男ロッサノ・ブラッツィの甘い歌声が「サマータイム」の箇所に来ると笑ってしまうのだ。英語の発音に関して他人を笑うことなぞできないが、彼のイタリア式英語はどう聞いても「サンマ・タイム」にしか聞こえない。その度にベニスの船着き場で秋刀魚を売ってる彼の姿を連想してつい笑ってしまうのだ。
 胸糞悪い、しかも質の悪い政治パフォーマンスを吹き飛ばしてくれるだけの効果はある。あゝ我が思い出の秋刀魚の季節(サンマ・タイム)よ ♪♬♫♪

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平和菌の歌スペイン語訳完成!


 つい今さっき、ハビエルさんから「平和菌の歌」スペイン語訳が届きました。
さあ、これをどう豆本にするか、考えています。今日まで豆本1400冊作りましたが、スペイン語圏にも平和菌を散布したいのです。安倍がプーチンに会おうが、またまたトランプに会おうが、そんなこと屁でもないと、傘張り浪人(豆本作り老人)は意気軒高です。皆さんもせめてスペイン語の響きなりとも楽しんでください。英語のように口を曲げなくとも、ローマ字読みでいいのです。でもそれでは少し不親切。いくつかスペイン語特有の読み方を伝授しましょう。
 Cは、EとIといっしょになればセ、シ、GもEとIと一緒になればればヘ、ヒ。
 LLはA、E、I、O、Uと一緒になればジャ、ジェ、ジ、ジョ、ジュ。
 VはBと全く同じ音。QUとE、Iが一緒になればケ、キ。Hはいつも無音。ZはSと同じ音でいいでしょう(正確には英語のTHに似てますが)。アクセントは語尾が母音と子音Nなら後ろから2音節目に、他の子音なら最後の音節に。原則から外れる場合にはその字の上にアクセント記号が付きます。MASの場合はアクセント記号がつくと「より一層」、つかないと「しかし」の意味になります。さあこれであなたはスペイン人もびっくりするようなスペイン語の発音ができます。

   Canción del germen de la paz
            Letra: Fuji Teivō
            Música: Yoshihisa Suga
            Traducción.Javier de Esteban

1) Ignoro en qué lugar pudo tener su origen,
  pero llegará el día en que su poder se vea.
  Porque hasta la durmiente menos bella del bosque
  Venus despertará, si bien se espolvorea.
  Qué serán,pasarán como pasarán.

2) No hay quien nos dé razón de su naturaleza
  mas su eficacia a nadie le deja indiferente,
  en tanto que disputas, disensiones y guerras
  no bien las ha cubierto, en farsas las convierte.
  Qué serán,pasarán como pasarán.

3) Podría por su aspecto pasar por simple moho
  mas todo el que lo aspire será clarividente.
  Faroles y amenazas ya no le darán miedo,
  quedando reducidos a estúpidos sainetes.
  Qué serán,pasarán como pasarán.

4)  ¡Reciban una dosis de este benigno germen
  Todos esos pasmados, promotores del átomo!
  ¡Que sepan lo que es bueno esos que no escarmientan
  ni con bombas atómicas ni con onces de marzo!
  Qué serán,pasarán como pasarán.

5)  Sembremos, aventemos el germen de la paz
  Que en el jardín del alma, espléndido florezca,
  Por encima del seto que el tú del yo separa
  Que va borrando presto nacionales fronteras.
  Qué serán,pasarán como pasarán.

※先日我が家を訪れたスペインのフェルナンドさんが、それではフランス語とイタリア語(彼はそれらを母国語並みに操れる)にも訳してさしあげましょう、とさっそくメールをくれました。出来上がったら、スペイン語訳の下に続けてアップしましょう。こうなると英語、韓国語、中国語がほしいですなあ。どなたかチャレンジしてくれません?

★19日の追記 スペイン語訳の豆本作りました。縦5,6㎝、幅4.5㎝の、布表紙の可愛らしい豆本です。日本語版と違うのは大きさだけでなく、その文字です。つまりMonotype corsiaという筆記体なので、歌詞がひときわ引き立って見えるのです。なんだか人にあげるのが惜しいほどの逸品になりました。欲しい方は返信用封筒を入れたお手紙を下されば喜んで差し上げます。

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