或る公的(?)私信


昨日の朝日新聞デジタル版に次のような見出しの記事が載っていた。
「学力下位返上へ夏休み5日減 東松島市、授業30時間増」

 長いので要点だけまとめると、小中学校全国学力テストで全国平均を下回っている宮城県東松島市が、今年から例年よりも5日早く2学期を始め、これにより授業時間を30時間増やすことを今月29日の市教育委員会で正式に決定する、という。
 学力低下の理由として、工藤昌明・市教育長の「中学3年の生徒は震災時に小学2年だった。避難所や仮設住宅といった、勉強がしにくい生活環境に長くいた」とする談話が紹介されている。

 この記事を読んで、真っ先に思ったのは、学力低下を真剣に憂慮していることは充分理解できるが、しかしそのことを休みを削って授業時間を増やすことへと短絡させることへの疑問、もっとはっきり言えば憂慮である。

 世界の教育現状について調べたことはないが、日本のように、真面目に(?)小中学校から全国学力テストを実施し、それでランク付けを堂々と公表している国は、あってもごく少数であろうし、それも学校教育先進国(?)日本を見習ってのことではないか、と推測している。

 このことに関して、数年前ソウル大統一平和研究所から、原発事故被災者の一人としての見解を求められて書いた拙文(翻訳されて定期会合で朗読され、のち機関誌に収録)の一部を紹介したい。

「私は長らく教師をやっていましたから、国民の真の覚醒のために教育が重要なことは痛いほどよく分かります。しかし現実の学校教育の実態はこれまた嘆かわしい状態になっています。知識を記憶させることには熱心ですが、生きる力、考える力を養うといういちばん大事な教育がないがしろにされてきました。
 大震災直後、被災地の学校はすべて閉鎖されて避難所などに使われましたが、私は当時ブログにも書いたように、真の教育に目覚めるための好機到来とばかり内心期待したものです。つまりこの際、教師も親も、そして当事者である児童も、教育とは、学ぶとは何かを考え直す絶好の機会だと思ったのです。この機会に親と子が向き合い、日ごろ読めなかった良書をじっくり読んだり、時おり巡回してくる教師に課題を出してもらったり質問したりできる手作り教育の好機と思ったからです。これからの長い人生にとって、半年あるいは長くて一年のこうした体験は実に貴重な財産になったはずです。しかし実際は原発事故現場から30キロ圏外にある学校にバス通学をさせ、教室が狭いので廊下で学習させるなど実に愚かな対策を講じました。教育関係者には明治開国以来の盲目的学校信仰が骨がらみになっていたわけです。
 最近の新聞紙上では経済協力開発機構(OECD)が実施した国際学習到達度調査(PISA)の結果が話題になっていますが、それについて私はきわめて懐疑的です。たとえば問題処理能力で日本の子供は好成績を上げたそうですが、これについては完全に否定的です。コンピュータ・ゲームなどでの障害物や迷路を抜け出す能力は一種の慣れの、想定内の問題ですが、しかし今回の原発事故のようなそれこそ想定外の「問題群」に対しては無力であることは、大人たちの体たらくを見てもはっきり証明されました。想定外の問題に対しては、ろくろく学校にも行けない発展途上国の子供たちの方がはるかに高い能力を示すであろうことは容易に「想定」できます。つまり人間にとってより重要かつ手ごわいのは、「生きる」ことに直接かかわってくる、つまり「死活の」問題群なのです。」

 知識偏重の学校教育からいい加減抜け出したらどうだろう。私の究極的な案は、文科省への中央集権の廃止、教育の地方分権化だが、いまそれについて論じる用意が無いし、あまりに過激と警戒される恐れがあるので、ここは笑い話でお茶を濁す。私の知っているある女の子は、はっきり言えば私の姪っ子の一人は、小学生だったころ「どうだった、通信簿?」と聞いたら、「うん、良かったよ、2,2,3,3、2,4,4…」と得意そうに答えた。どうも5段階評価の数字を、1番、2番と走りっこ並みに考えていたようだ。でもこんな子でも、のちに早稲田大学を卒業することができたし、こう言う私も、試験の成績と通信簿評価に因果関係(?)があることを、中学生になってからの或る日、学校帰りの途次、青天の霹靂のようにようやく悟った。これは極端な例だが、でもそんな中学生でも、のちに(一流とはとても言えないが)大学教授にまでなったのである。

 要するに言いたいのは、小学生や中学生の時の学力試験の結果なんてそう気にすることはないということ。そんなことより、世の中の出来事について自分なりに考えてみたり、本を読んで人間の生き死にについて思いめぐらしてみたり、そしてそれよりももっと大事なことは、自分の日常生活に起こるすべての事象について自分なりに判断したり(たとえそれが親や教師の言うことと違っていても)することである。

 まっ、こう言ったからといって、今さら東松島市の決定が覆るはずもないだろうが、ふだんより(でも来年からずっとですか?)五日も早く始まった登校日に、みんなで楽しく夏休みの宿題をやったり、……いやいやそんなことより、せっかくだからこの機会に、今回の夏休み短縮について子供たち自身の率直な意見を聞いたり、例えばこの私のような考え方をする人も世間にはいるんですよ、と伝えてみたり……要は生徒たちに学力低下などという理由付けで決して自信を無くさせず、ましてや教育長談話のような事実があるのだから、それこそ何百年に一度という得難い体験をむしろ奇貨と見做すよう教えるべきだ。

 かく申す78歳の老人にしても、今回の大震災で、国の在り方、人間の生き方などいろんなことを根底から考え直すきっかけになったのですから。

 たぶん今回の経緯に教育熱心な(?)父兄、とりわけ言いたがり(失礼!)のお母さんたちの突き上げが大きく影響しているはずですが、どうか教育長、そして先生方、この年寄りの愚見をも、すこし聞いていただければ幸いです。

 おやおや、いつのまにかこの孤老の話し相手がいつものブログの読者友人ではなく、東松島市の教育長殿に変わってしまいました。そう、通常の意見書、陳情書の形式ですとなにか堅苦しいので、失礼とは存じますが、ここは思い切ってブログそのままをお送りさせていただきます。

 最後にしつこいようですが、日ごろからの私の主張を述べて、この型破りのお手紙を終わらせていただきます。

 今や日本人の物作りについては、世界中から関心を寄せられ称賛されている。確かにその物作りの精神は良し、されど人作りにそのまま当てはめることは愚か。もともと人間はでこぼこ(きれいな言葉で言えば個性的)にできており、その事実を曲げて等質の金太郎飴製造機のように児童を扱うことは愚の骨頂である。

 東松島市の皆様、とりわけ子供たちの教育に日頃より奮闘しておられる教育長、教育委員、そして教員の皆様への心からの応援の言葉をもって、最後のご挨拶に替えさせていただきます。

     二〇一八年新春
                南相馬の住人 佐々木 孝

追伸 新年早々起こった珍しい出来事についてブログに書きましたので、それも併せて送らせていただきます。ローマ教皇への願いが私ごとき一介の老人でも聞き届けられたことをお知らせして、せめて小生の願いも教育行政に対する一つの意見として聞いていただければ幸いです。(さてはおぬし、味をしめたな?)

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内なる変革を!


 この間、たまたま見ていたテレビで、福島県の内堀知事が、今年の施政方針としてイノベーション、レノベーション、コラボレーションの三つの「ション」を掲げた。刷新、復興、協力の意味らしい。でもなんで英語なんだよ。美しい海岸線の浜通りをバレー(谷間)でもないのに、シリコン・バレー並みのロボット・バレーにしたいっちゅうお前さんのことだから、もうすでにお前さんの頭はアメリカ産ロボットの頭に挿げ替えられているのかも。わが懐かしの静岡弁でこういうのを「ションない話」というだでよ。

 今もっとも必要なのは、もう一つの「ション」、つまりそうしたろくでもないことを考えつくお前さんの頭のレボルーション。そう、政治的な意味とは違うレボルーション、つまり変革さーね。

 ついでに言えば、今度の日曜は、ここ南相馬の市長選挙らしい。現職市長ともう一人現職市議が立候補するらしい。ちょっとその主張を見たところなんともお粗末な主張。一人はロボット産業で町起こしとか。ザケンジャナイッ! 投票所に行く気にもならねえ。これまで意識的に、つまり一つの意思表示として棄権したことは…たぶん無かったが、今回だけはその意思表示をさせてもらうぜよ。つまり棄権じゃよ。

 こうして原発被害の真因を考えることもないまま、スピード感をもって(あゝき汚ねえー言葉!)フッコウ、フッコウのお題目、アンゼン・アンシン(これまた手垢にまみれっぱなしの汚ねー言葉)の繰り言並べくさる、あゝ見てらんねー聞いてらんねえー。

 だったらお前出ろってか? 残念ながらこちとらにゃ女房の介護っちゅう尊い仕事があるうえ、もう歳でそんな体力も元気もありましぇん(気力だけはあっとー)。だったら何も言うな、ってかー? それもそうだな。もうやーめた。

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凍てつく遠野の里から


※ 以下のものは今朝届いた立野正裕さんからの私信ですが、許しを得たので、そのまま全文ご紹介します。

佐々木先生、
 今月8日と10日のブログを、なかば絶句しながら、繰り返し読ませていただきました。ひとまず気を取り直し、以下に一筆したためます。

 従軍カメラマンだったオダネル軍曹の写真「焼き場に立つ少年」から発した一連の魂のリレーとも言うべき継承ないし展開は、まさに「世界の片隅にひっそりと暮らす孤老であっても、うまずたゆまず言い続けていれば、必ずいつか、どこか、でその結果が表れる」ことの証左! と申さねばなりません。

 原爆投下からまもない長崎と広島で、米軍の従軍カメラマンとしてなまなましい写真を撮りながら、それを長年秘匿したのちついに公開に踏み切ったオダネル氏。そしてそこにいたるまでの葛藤。案の定、全米から誹謗と中傷の手紙が押し寄せ、孤独にさらされたオダネル氏。

 しかし石つぶてを投げられるようなあまたの非難の手紙のなかに、ただ一通、敢然と非難者たちに反論し、オダネル氏に公開をうながした根本動機に対して、全面的に擁護する手紙があったといいます。差出人はほかならぬオダネル氏の子息でした。この絆を一つの支えとしてオダネル氏は写真展と講演活動を続け、やがて写真は世界へと伝えられ、テレビや新聞などの報道を通じ、心ある人々の目に触れることになりました。ここまでは先刻ご承知のとおりです。

 しかし、マスコミで大きく取り上げられても、一過性のニュースに終わることは珍しくありません。したがって重要なことは、あの写真にわれわれがなにを見るかでありましょう。解釈がさまざまであることは日本でもだいたい同じと予想がつくことです。

 死んだ弟の遺骸を背に、くちびるを噛みしめて佇立するあの少年に、軍国日本を象徴する「感情抑圧」と「無表情」を見るという人間もいるいっぽうで、先生がお書きのように、「あの少年の凛とした立ち姿がもっとも美しい日本人に思えて仕方がない」と感じる人々もおります。

 しかし、戦争の惨禍がなにをもたらすかが、焼き場に立つあの少年の姿には端的に表われている、と法王は確信したわけです。同時に、その確信には、悲惨のなかに「凛と」して立つ少年をとおして、非人間的な現実のただなかでも人間らしさや尊厳を失わないことへの深い感銘が伴っているにちがいありません。

 さらに言えば、むしろその感銘が、あまたある戦禍の映像のなかから、とくにあの一枚を法王に選ばせた理由であったのかもしれません。そして、先生の二つのブログにおける推理に思いをいたすかぎり、法王の視野にあの写真が最初に姿を現わすことになったきっかけが、福島在住の元修道士から送られた写真と同元修道士の手で作成された文言とにあったという可能性は、けっして低くないと思います。低くないどころか、あれやこれや考えながら推理の過程になおも思いを馳せるにつれ、いよいよそうとしか思えなくなってくるようです。

 繰り返しになりますが、わたしが言う「あれやこれや」の意味の核心にくるのは、なんと言っても次のことです。おとなが理屈をつけて始めた破滅的な戦争に巻き込まれた少年と幼い弟が、理不尽かつ惨めな運命に翻弄されながら、なおも失うことのなかった根源的な威厳といったなにかを、一人の敵国従軍カメラマンが映像として記録し、退役後も秘かに自宅に保存し続け、それを人生の後半にいたってようやく公開しようと思い立ち、世間の非難を覚悟のうえで実行に移したのでした。

 法王が写真に注目したことも、それを拡散することにしたことも、確かに大きな影響力を世界に対して持つことでしょう。しかし、真に感動を禁じ得ないのは、むしろそこにいたる過程であると言わねばなりません。写真に表われた魂を意識的に受け取り、次代へ受け渡そうとする精神、その持続的な粘り強い精神の軌跡ほどわれわれに勇気を与えてくれるものはありません。

 世界の片隅の微塵のような個といえども、うまずたゆまず、人間のなすべきことをなし続けてゆくならば、あるがままの巨大な世界の現実といえども、これにいつかは働きかけ、変える力となることも不可能ではない。一人の人間、一枚の記録写真、一つの歌、権力を持つわけではないそれらが、単独ではにわかに現実への効力を発揮しがたいのは当然としても、戦争拒否の精神に立つ人間同士の、国境も民族も超越した意思がつながり合い、その写真なり歌なりを直接間接の媒介として粘り強く受け継がれてゆくならば、人類の未来にとって好ましく望ましい勢力にきっと育つにちがいありません。二つのブログによる絶句状態からわれに返ったばかりで意を尽くしませんが、以上のようなことをあわただしくお伝えする次第です。

 年が明けてから遠野に帰省しておりますが、おととい午後から強風とともに雪が降りだし、きのうもまる一日風強く、雪が降りしきっていました。いまは風も雪も止んで、ただ静寂が支配し、夜目にも鮮やかな白銀の世界が非情なまでに清浄そのものです。見上げるとオリオン座や北斗七星をはじめ星座が輝いております。冬の凍てつく寒気のなかで星空を眺め上げるのが、むかしからわたしの無上の喜びでありました。数日後には川崎に戻りますが、それまでは故郷の夜空をぞんぶんに堪能することにします。                                            donkeyhut より

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裏の取れないスクープ


 今回の「焼き場に立つ少年」をめぐっては、ふだん周囲1キロ四方世界に蟄居する孤老(孤狼?)にもいろいろ反響が返ってきた。しかしたいていは「やっぱりね、そうだと思ったよ」とさして驚く風でなかったのがちと残念だが納得。つまり、佐々木はなかなかの策士やのう、と思われているのかも知れない。そうした反響の中に、今度お世話になる法政大出版局の郷間氏のように「ひょっとしたら、法王も、この写真が南相馬市在住のスペイン文学者から送られてきたものであることを理解して、拡散なさっているのかもしれませんね」というのがあってドキリとした。

 写真のキャプションが紛れようもなく私の書いたスペイン語であることだけに意識が向かっていたが、もしかして郷間氏の言うようにニコラス神父からただ写真とキャプションが教皇に渡っただけでなく、それが原発被災地に住む佐々木という男からのものであることを理解したうえで今回のメッセージに使ったのかどうか、急に気になってきたのだ。それで急いでパソコンのメールボックスを調べてみると、昨年八月十一日にニコラス神父宛てにキャプション付きの写真を送っただけでなく、「平和菌の歌」の豆本やら、北海道新聞の岩本さんや十勝毎日の小林さん、そして東京新聞の佐藤さんが書いた記事、また朝日新聞の浜田さんのWithnewsの夫婦の記事なども送っていたことが判明。そして昨年九月二日にはスペイン語版作品集の原稿を送ったことも。そしてその中の「スペイン語圏の友人たちへの手紙」の中に今回のことに直接関係するかも知れぬ文章があった。その部分を抜き出してみる。

「最近、ローマ教皇フランシスコは、核兵器は人類に対する犯罪であり、私たちは広島や長崎の悲劇から何も学ばなかった、と公式に発言なさった。そしてこのメッセージは、国や宗教の垣根を越えて多くの人たちから熱い賛同を得た。洗礼名が教皇と同じフランシスコで元イエズス会士の私としては、教皇にもう一歩踏み込んで、私たちはすべての核利用を放棄すべきであると言っていただきたいと心から願っている。なぜならだれもが知っているように、原発作動の技術は核兵器製造に容易に転用できるからだ。つまり両者は同根のものであり、互いに応用可能なのだ。愚かな日本の政治家たちが言っているように、原発開発の技術は、核兵器のためのいわば担保とみなされている。」

 もちろんニコラス神父がその書簡を(単独に送った可能性もある)教皇に送るなり見せるなりしたかどうかは不明だが、いずれにせよあの写真がどこかの新聞・雑誌からコピーされたものではなく、ニコラス神父の友人である或る具体的な人間(私のこと)からのものであることを教皇が知っておられた可能性はかなり高い。

 ここからは明智小五郎(古っ!)並みの推理だが、今回なぜ佐々木が作った(正確には日本語の説明を私なりに翻訳した)スペイン語のキャプションを一字一句そのまま使ったかは、表題の「裏の取れないスクープ」とは逆の意味で、佐々木への暗黙のメッセージかも知れない。つまり君の名は伏せるが、しかし君の気持は充分に分かってるよ、のサインかも知れないのだ。そうでなければ、和西辞典を使って苦労して作った堅いスペイン語をもっと滑らかな(?)ものに替えて教皇庁の役人に伝えても良かったはず。

 でも今さら断るまでもなく、以上はあくまで「裏の取れない」話である。なぜ裏を取れないか、と言えば、私としてはニコラス神父を通じて以上のことを確認するなんてことは絶対にしたくないし、向こうでもそれは断る、はずだからだ。比較は穏当じゃないかも知れないが、バチカン聖庁は一種の宮内庁みたいなもので、信徒のだれかれの進言で大事なメッセージが発せられたなどと公には絶対できないはずだからだ。

 でも(とまた繰り返すが)下々の者がかなりの根拠をもって推理する自由は、これまた絶対にあるわけ。だから私は裏を取らないまま、私なりの推理をしている。でも考えてみれば、なかなか面白い「事件」ですぞ。だってイエズス会士でありながら教会の最高位にある人、イエズス会の元総会長、そして原発被災地に住む、二人より三歳年下ながらしょぼくれた元イエズス会士、の三人が、世界平和のために暗黙の裡に手を取り合ったのですから。

 イエズス会の総会長は皮肉まじりに「黒い教皇」と言われてきた。つまり教皇の法衣が白であるのに、イエズス会総会長のそれは黒だから。つまり教会内でこれまでは隠然たる勢力を誇ってきたから。会士の略号はSJだが、日本ではそれをある時は「少ーし邪魔」、時には「すごーく邪魔」の略号と揶揄されることもある。

 しかし今回のことは、黒い陰謀の真逆で、真の世界平和・すべての人の真の幸福を願っての、真っ白な、そしてまったく純粋な気持ちが以心伝心に展開したものであることは間違いない。

 そして今晩のビッグ・ニュースは、小泉・細川元首相らの「原発ゼロ国民運動」の提唱である。いやー実にグッドタイミングです。フランシスコ教皇の「焼き場に立つ少年」を掲げての反核兵器運動とピタリ連動しました。

 最後に言わせてもらえれば、実は今回のことで一番言いたかったことは、単なる個人的な自慢話ではなく(少しはそうですが)、世界の片隅にひっそり暮らす孤老であっても、倦まず弛まず言い続けていれば、必ずいつか、どこか、でその結果が表れるということを知ってほしいということでした。ちょっと疲れました、今晩はこの辺で失礼。

※ 翌朝の大急ぎの追記
 ぐるりと一巡して、結局は右の談話室で阿部修義さんが指摘なさっていたことに落ち着いたようです。
 最初、それはちょっと深読みかな、と私自身思ったのですが、いつものことながら阿部さんの慧眼に感服。

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「焼き場に立つ少年」異聞


 夕食時、たいていは一番安いベルギー産の缶ビール(発泡酒)を飲んでいるが、さすがこの寒さでは、これまた安い紙パック入りの「鬼ころし」を、それもごく少量飲むことにしている。以前はむしろ美子の晩酌に付き合う形だったが、現在はひとり酒、誠に味気ない。

 ところでこのセブンイレブンの「鬼ころし」だが、他の酒造元から同名の酒がいくつも出ているようだ。なぜ「鬼ころし」の名を持つお酒が多いのか、ネット検索で調べてみると、実はこの「鬼ころし」という銘柄、最初に付けた酒蔵が商標登録を行わなかったため、様々な蔵が同じ名前の商品を発売し始めたそうだ。つまりどこも鬼ころしという名前を独占することができず、現在の辛口パック酒の代名詞的な立ち位置になったという。これで納得。

 でも「鬼ごろし」ではなく、なぜ「鬼ころし」なのか。だってそうでしょう、「人ごろし」とは言うけど、「人ころし」とは言わないでしょう? あゝそうか、「人ころし」ではその残忍性が出ないからか。「人ころし」では、まるで「子連れ狼」の、あの「ちゃん」のように、すこし品がよい(?)刺客(しかく)になっちゃうからか。

 それに「鬼ごろし」だと、粗悪な安酒、純度の低いアルコールに思われるからか。でもこの「鬼ころし」、安いけどなかなかいい酒である。しかし数か月前から、パックの模様が酒に酔った鬼たちの図柄から味気ない字だけの意匠に変わっちゃった。もとの鬼の絵の方がはるかに良かったのに、また「写真はイメージです」なんて「一足す一は二です」と同じくらいアホなメッセージを要求する馬鹿な消費者がイチャモン付けたのかな。

 ついでに言うと、毎食美子のアクエリアスに混ぜて(さらにとろみをつけて)飲ませているイチゴやマンゴーなどのソースも、「鬼ころし」とほぼ同じ時期、それまでの可愛い(?)意匠から意味の分からぬ図柄に変わってしまった。なんでもすぐ変えちゃうなよ。

 そんな馬鹿話からがらっと話題が変わるが、元日の「毎日新聞」ネット版にこんな見出しの記事が載った。

「ローマ法王  被爆写真の配布を指示 「焼き場に立つ少年」
                毎日新聞2018年1月1日 22時46分

フランシスコ・ローマ法王が印刷して広めるよう指示した「焼き場に立つ少年」の写真(バチカン提供・共同)(ここに写真がが入る)

 フランシスコ・ローマ法王は、原爆投下後の長崎で撮影された「焼き場に立つ少年」の写真をカードに印刷し、「戦争が生み出したもの」との言葉を付けて広めるよう指示した。ローマ法王庁(バチカン)が1日までに発表した。法王はこれまでも核兵器廃絶を呼び掛けており、改めて平和を訴えた。
 バチカンは写真について、亡くなった弟を背負った少年が火葬場で順番を待っているところだと説明。「かみしめて血のにじんだ唇により悲しみが表現されている」と指摘した。
 写真は1945年に長崎で原爆が投下された後、米軍の従軍カメラマン、故ジョー・オダネルさんが撮影した。(共同) 」

 今朝(ということはスペインでは昨夜)マドリードのペドロ・ガージョさんから、「以前君から送ってもらった写真がなぜかカトリック関係の新聞に載っていたよ」とのメールが届いた。

 私もこのニュースを知ったとき、なぜ教皇が数ある原爆関係写真の中からこれを選んだのか、不思議に思うと同時に、さすが目の付け所が違う、と感心した。

 以下の推測は、「鬼ころし」の謎追求と同じくらい、手前勝手な想像(あるいは妄想)であるので、そこんところはよろしく。

 実は去年の終戦記念日近く、ネットで見つけたその少年の写真についてここでも話題にし(八月九日)その写真を友人たちに拡散した。そのうちの一人、前イエズス会総会長でフランシスコ教皇の親しい友人でもある(つまりイエズス会内部ではニコラス神父は教皇フランシスコの上司に当たる)ニコラス神父にも送った。確かその時は総会長職をベネズエラ 出身のアルトゥーロ・ソーサ神父(67歳)に譲っていたと思うが、しかし何かの機会に教皇にその写真を送っていた可能性(あくまで推測)がある。核兵器廃絶に熱心な教皇、もしかしてそのメッセージを発する際に、ニコラス神父から送ってもらっていたその写真を思い出したのかも知れない。

 いや別にそれを私の手柄(?)だなんて強弁するつもりはない。ただ言いたかったのは、ろくでもない誹謗中傷の情報がまるで宇宙塵のように飛び交っている現在、だれでもこれはと思う情報、特に平和への熱いメッセージを世界に拡散することができるということをぜひ知ってもらいたいだけ。

 さあ皆さん、いまからでも遅くはない、ぜひ全世界に向けてあの少年の写真を拡散させましょう。私はあれ以来、その写真を大きくコピーして額に入れ、応接テーブルの上に飾ってます。私にとって、あの少年の凛とした立ち姿がもっとも美しい日本人に思えて仕方がないのです。時に同国人に対する深い絶望に襲われるときでも、あの少年の姿を見て勇気を奮い起こしています。

※ いまガージョさんから送られてきた”Aleteia”という広報紙のコピーを見ていると、教皇庁から出された写真の説明文、つまり少年の悲しみは、ただそのきつく結ばれて血のにじんだ唇からそれと分かる…のスペイン語は、確か私が日本語の説明文を自己流に訳したキャプションそのままである。「焼き場」(crematorio)という単語を和西辞典で調べた記憶がある。ということは、いよいよその写真がニコラス神父経由のものだという確率が高くなる。もしそうだとしたら、嬉しいし名誉なことだ。
※※ 推測から確信へ
いまその「アレテイア」と言う広報紙に載った教皇庁からの説明文をよく見ると、私の作ったスペイン語が、句読点を含めて一字一句すべてそのままであることが判明。
“Un niño que espera su turno en el crematorio para su hermano muerto en la espalda. Es la foto que tomó un fotógrafo americano, Joseph Roger O’Donnell, después del bombardeo atómico en Nagasaki. La tristeza del niño sólo se expresa en sus labios mordidos y rezumados de sangre”.
 なぜ確信したか、と言えば、それを読んで我が友人(東外大大学院のかつての教え子)古屋雄一郎さんから、スペイン語圏の人にとってアメリカーノは南米人を指すのでここはestadounidense,つまり合衆国人にした方がよくありませんか、というコメントに対して、いや多くの人にとってアメリカ人はその北米人を意味するからこのままでいいでしょう、と答えたことでもそれと分かる。つまりアルゼンチン出身の教皇なら、そこはestadounidenseにするところ、私の意を汲んで(まさか!)そのままアメリカーノにしているところから、これが佐々木製のキャプションそのままであることがはっきりした。ワオ!、私のスペイン語が世界中に拡散されている!

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