初めての誕生祝い


 他に気になることなどいっぱいあるのに、なぜか先日の夏休みの謎が尾を引いている。道産子のあずささんが調べてくださるそうだが、たぶん私の記憶違いだろう。ただその記憶がどうして作られたかについては思い当たる節がある。ちょうど六年前に下記のようなことを書いたが、それ以来記憶が修正されたままになったのではないか。ちなみに谷田製菓のそのきびだんご、今も北海道銘菓の一つとして存続している。

    ★きびだんご

 五月と六月は孫たち三人の誕生日が続く。今まではお菓子あたりを適当にみつくろって送っていたが、だんだん成長するにつれてそうはいかなくなってきた。といっていまどきの子供たちが何を喜ぶのか詳しいわけではない。
 
 ところで自分の子供時代はどうだったかを思い返してみると、まともに誕生を祝ってもらったことなど無かったことに気づく。私だけでなく、私の年頃の人間はだいたいそうではなかったか。ケーキなどで誕生を祝うようになったのは、ほんの最近のことである。
 
 私が初めて誕生を祝ってもらったのは、小学4、5年生のころである(残念ながらその後続かなかったが)。ある年の夏休みの終わり、バッパさんが急にお前の誕生日はいつだ、と聞いてきた。とっさのことで返事に窮していると、自分の誕生日を知らないのか、と怒られてしまった。それまで誕生日など祝ってくれなかったくせに、などと大いに不満だったが、自分がこの世に誕生した日を知らないのは確かに恥ずかしいことだろうとは思った。
 
 自分の誕生日がなんと夏休み最後の日だということをそのとき初めて知った。お祝いといっても、たとえば夕食にご馳走が出たとかいうのではなく、一本の「きびだんご」をもらっただけである。今でもときおり見かけるが、ゆべしを細長くしたような、オブラートに包まれた羊羹状のお菓子である。黍団子というからにはおそらくキビが入っているのだろう。だから今でもお菓子売り場に「きびだんご」をみると、懐かしいような、こそばゆいような変な気持ちになる。( 2010 /6 /6 )

カテゴリー: モノディアロゴス | 3件のコメント

夏休みの思い出


 台風九号が接近しているためか大気が不安定で、しかも気温は引き続き高温を保っている。美子の体温が上がることを避けようと、今日は朝から、先日ネットで買った脇の下に挟む保冷袋を何度かとり替えている。幸い鬱熱(こもり熱とも言うらしい)にもならず元気である。

 ところで愛の夏休みも終わりに近いのか、昨日は宿題の一つ、俳句作りにお爺ちゃんにも協力を頼んできた(児童と家族のコラボらしい)ので、こんな一句をひねり出した。
 
     孫たちの 花火遊びに 涼を取る

 先日川口の孫たち二人と夕食後そろって玄関先で遊んでいる光景を歌ったものだが、どういう意図で、との欄も埋めなければならなく、「孫たちの遊ぶ姿に平和のありがたさをしみじみ感じて」などと書いた。本当は終戦記念日前夜なので「終戦記念日」か「原爆忌」を入れたかったのだが、575に収めるには相当な技術が必要なのであきらめた。「呑空」という俳号を持ちながら、いまだに進歩なし、情けない。

 夏休みでいつも思い出すのは、最後の日が自分の誕生日に当たっていて、いつもやり残した大量の宿題でそれどころではなかった記憶だが、しかしその記憶がどうもあやしくなってきた。つまり北海道での小学生時代、昭和21~25年ごろの夏休みのことだが、一般に北海道の夏休みは内地(向こうでは本州をたぶん今でもそう呼ぶ)のそれより短く、冬休みは長いはずだが、すると31日が休み最後というのはちょっとおかしい。急いでネットで昭和20年代の北海道の夏休みを調べてみたが、そんな記録はどこにも出てこない。さてこの宙に浮いてしまった思い出をどう処理しようか。

カテゴリー: モノディアロゴス | 10件のコメント

趣味としての平和菌散布


 台風七号が通り過ぎたようで、暑い日差しが戻ってきた。でもありがたいことにこの相馬地方にはほとんど被害を及ぼさなかったので、台風一過日本晴れ、という気分でもない。それよりかここより北の方に被害がなければ、と願っている。

 歳のせいだろうかこの頃いろんなことにボケをかましながら生きている。今朝も、ある財団の機関誌への投稿原稿がその雑誌の「趣味」欄に掲載されることに今頃になって気が付き、せめて「趣味」という字だけでも今回は勘弁してもらえないだろうか、と連絡しようとしてようやく思いとどまった。つまり平和菌が「趣味」欄に分類されることこそ、宿主である私の密かな戦術ではなかったか、と思い直して、低温沸騰を始めたわがロートル瞬間湯沸かし器を急いでなだめすかしたのである。隣の「時評」欄の気の抜けた論評より(と言って誰が書くのかまだ知らないが)数段厳しい現状批判が内容であるので、読者はそこでびっくりして、何か考え出してもらえるのでは、と思ったからだ。それに久しぶりに原稿料の入る仕事でもあるし(?)。
 
 その代わりと言っちゃなんだけど、雑誌刊行前に、ここに拙論を掲載することにした。これまでも繰り返し書いてきた内容だが、暑い中、一服の清涼剤にでもなってくれれば本望です(そんなわけないか!)。

★ 平和菌の増殖・拡散に向けて         佐々木 孝

 いま現在撒布済み926、手持ち247。この数字は数か月前から作り続けている豆本『平和菌の歌・他二曲歌詞集 富士貞房』の冊数である。縦7センチ、横4センチ、わずか24ページのものだが、本格的(?)な布表紙になっていて、ちょっと見にはお守り然とした豆本。この形にしたのは簡単には捨てられないためである。収録歌詞は三篇、すなわち「麦と兵隊」の替え歌「原発難民行進曲」、「カルペ・ディエム!(その日を楽しめ!)、そして「平和菌の歌」(曲・菅祥久)。

 初めはほんの冗談のつもりで始めたことだが、やっているうち本気になってきた。でもいつ「平和菌」を思いついたのかは、はや忘却の海に消え去りそうだが、こんなときに役立つのは二〇〇二年、定年前に職を辞して母一人住む南相馬に、妻と病犬一匹、元外猫四匹と戻ってきて以来書き続けてきたブログ『モノディアロゴス』である。それによると「平和菌」という言葉は、その翌年の二月十六日、そのころ澎湃として広がった反戦の機運の中で、デモにも運動にも参加できない忸怩たる思いの中で、いわば一種の開き直りから生まれたことが分かる。

 「でも正直に言おう、ペンはけっして剣より強くはないのだ、と。…しかしながら、それでもなお、したたかさにおいて拮抗する可能性はある。そして時限爆弾のように思いもかけぬときに、思いもかけぬ場所で、自ずと発火点に達して爆発し、それからは燎原の火のように一気にその力を発揮することもないわけではない。あるいは炭疽菌のように、便箋や古い書物の黄ばんだページの隅にじっと〈その時〉を待つこともある。この〈平和菌〉は、デモ参加者や活動家が疲れて眠っている時も、その増殖活動をやめることがない。自己嫌悪や無力感や、それでも消えない希望や期待から滲み出る〈平和菌〉は、いじいじしていて、断定口調で話すことはめったにない。いや、ないと言ってもいい。ウナムーノじゃないが、〈平和、平和、平和〉(スペイン語ではパス、パス、パス)と蛙のように連呼することの空しさを知っているからだ。
 だから演台の上から〈平和菌〉をばら撒くより、さり気なく挨拶と用件の間にまぎれ込ませた方が効果的かも知れない。相手の目を見ながら正面切って渡すより、眼はあらぬ方を見ながら、すれ違いざま相手の胸元にすとんと落としてやる方がいいかも知れない。
 要は、ラマーズ式呼吸法を習得しようとする妊婦のように、〈平和菌〉をひり出すための呼吸法を忍耐強く、不退転の決意で日々実践することである。」

 炭疽菌などという物騒な例を出したり、挙句の果てにラマーズ法まで持ち出すなど苦し紛れで滑稽だが、しかしこのとき「平和菌」そのものがいかなるものかについて明確に意識していたわけではない。そして「平和菌」があの謎の生物「ケセランパサラン」と一気に結びついたのもまったくの偶然だった。原発事故被災の翌年の二月、つまり「平和菌」発見(?)から九年目の二月十四日の夜、ふと思い出した作家真鍋呉夫氏の秀句「春深くケセランパサラン増殖す」に触発されてネットをいろいろ検索していたときである。これも当時のモノディアロゴスにこう記録されていた。

「そんな説明やら記事を読んで床に入ったものだから、私の頭蓋の中の〈妄想中枢〉がいたく刺激されて、おおむねこんな風な夢物語ができあがった。すなわちこのケセランパサランこそが私の常々言ってきた〈平和菌〉である…中略…これはかつてスペイン人バテレン(神父)から伝わった言葉 Qué serán,pasaránであり、意味は〈どうなるだろう? まっ、なるようになるだろう〉である。つまり事態はどう考えても終末論的・悲劇的様相を示しているが、しかし運を天に任せて、今できることを〈しっかりまじめにやる〉しかないのでは、という意味。その時のバテレンやキリシタンたちの願いが気化し、それがやがて空中で結晶して綿毛のような形となって四方に飛んでいった。それが世に言う〈ケセランパサラン〉の正体。」
 
 以上で「平和菌」誕生の次第は説明できたが、しかし一番大事なその増殖法と効能については全く触れてこなかった。改めて考えみると、この「平和菌」は、もうすぐ喜寿を迎える私のものの見方、大げさに言えば私の全哲学・世界観の結晶体とも言えそうだが、でもそう言ってしまえば身も蓋もないので、努めて客観的に(?)次のように説明してみよう。
 平和菌を増殖するには、とりあえずだれもが首肯できる次の三つの要諦を機会あるごとに思い出し確認すること。

① 魂の重心を常に低く保つこと。日本はいま地に足がつかぬままの漂流状態(一億総ドリフターズ化)にある。個人は言うに及ばず、政界、マスコミ、そして悲しいことに教育界までもが浮足立っている。震災後わが家を訪れた二人のスペイン人、小説家J・J・ミリャス氏そして造形画家J・M・シシリア氏は、日本をそれぞれ「アクシデントの国」「はるか向こうの国」と診断した。つまりエッセンス(本質)を失ったアクシデント(事件=偶有性)の国、アリスの不思議な国のように現実性が希薄な国という意味である。
名匠小津安二郎が描いた戦後の貧しい日本人がなぜあのように美しく気品があったか、いや少なくともそう見えたか。それは彼がカメラマンに三脚の脚を切らせてローアングルで撮ったからだ。いずれにせよ重心を低くすることによってたやすくは流されず、事の実相が見えてくることは確実である。

② すべての事象を「生成の状態」に戻して見つめ直すこと。つまりすべてものには始まりがあり、そして終わりがあるという冷厳な事実を確認することである。例えば近代国家はたかだかここ数世紀の過渡的なもの、このままの形で永遠に続くはずもない。もちろん領土問題などいくら国際司法裁判所に訴え出ても、いつを起点にするかで全く異なる裁定が下るはずだ。なのに日本だけでなく世界中の国々は従来からの時代遅れの国家像から抜け出せないまま愚かな紛争を繰り返している。 

③ すべての事象をそれ本来の正しい遠近法に引き据えること。とりわけ常に等身大であるべき人間を絶対に数字や記号に還元してはならない。いまの教育は児童・生徒をひたすら成績という数字に収斂させ、そして行政は市民を御しやすいナンバーにしようとしている。言うまでもなく戦争とはまさに相手国を、かつての「鬼畜米英」のようにただただ憎悪の対象に、そして人間を点(標的)にまで極小化すること以外の何物でもない。

 以上三つの要諦を肝に銘じていると、見かけ倒しの権威や政治的判断が、ものの見事に相対化され、その正体を現してくる。いまだ原発事故の収束からほど遠いのに、老朽化した原発の再稼働や原発輸出を推進したり、平和日本の命綱である憲法の改悪まで図る政治家たちの姿勢がいかに愚かで危険であるかがはっきり見えてくる。ただそうした事態に対して、精神衛生のためには怒るだけでなく、ときには笑い飛ばすことも必要となる。

 だから、テレビで執務室に向かう総理の姿が映ると、「気取ってっと、ほれ、けっつまずくぞー」と相馬弁でヤジることにしている。どうしても彼がカッコマンにしか見えないからだ。

 ともあれ原発事故や紛争のニュースのすぐ後に株式市況が続くのは、考えてみれば実に奇妙で異様なことなのだ。こうした仕組みが当たり前と思っているとしたら、すでに「近代」という病に侵されていると自覚しなければならない。だってそうでしょ、いまや(それもここ数世紀のこと)世界は幸福や平和を希う心ではなく、別の心(投機心)で動いてるんですぞ。

 だから現代同様に大混乱の時代だったルネッサンス期ユマニストたちに倣ってこう覚悟したい。
 確かに世界は狂っている。でもそれが当たり前だとは決して思うまい。

           ※さらにお知りになりたい方はhttp://fuji-teivo.comまで。

カテゴリー: モノディアロゴス | 1件のコメント

ラスト・アタック


 テレビ・ドラマなど絶えて見ることなどなかったが、昨夜何気なく(何気に、じゃない!)点けたNHK BSプレミアムの終戦企画ドラマ「ラスト・アタック~引き裂かれた島の記憶」( 21:00 ~ 22:30)を途中から見た。以下はネットに載っていた案内である。

「1945年6月3日、沖縄最北端の離島、伊平屋(いへや)島では、米軍の上陸を受け全島民が降伏した。突然の平和が訪れたこの島には、実は、身を隠した日本の将校がいた。海軍少尉・飯井敏雄、22歳。島民たちとの触れ合いは、飯井の、そして上陸したアメリカ兵の心をも動かしてゆく。敵・味方をこえた何かが生まれようとしたとき、玉音放送後の特攻、「ラスト・アタック」が全てを断ち切ってしまう…」

 ここ二年ほど前から、年齢からくる難聴(と自己診断している)で、まだましな方の左耳にはめた安い補聴器ではセリフが三割がた(見え張って、本当は五割がた)聴き取れなかったが、しかし見事な沖縄の風景に誘われる具合に、とうとう最後まで見てしまった。脚本・演出は上野潤也、出演は大野拓朗,藤本泉,竹中直人だが、米兵役の二人もなかなか良い個性を出していた。いや他のだれよりも主演の大野拓郎の実にシャープな演技力、というより下手に演技しない演技、に感心した。イケメンなどという手垢のついたほめ言葉では尽くせない最近稀にみる美形で目のきれいな俳優だ。

 たぶん実際の島民が多数動員されたと思うが、彼らの粗削りで生の人間像がドラマに迫真性を与えている。結果、芸達者の竹中直人が目立たないほどの濃い人間像が浮き彫りにされていた。

 見逃した方は、私自身はまだ使い方を知らないが、オンデマンドとかの方法で一度ご覧になることをお勧めする。どうやら実在の(もはや故人だが)人物をモデルに作られた筋立てらしく、いわゆる原作者に当たる人はいないようだ。とにかく久しぶりにいいドラマを見た。

カテゴリー: モノディアロゴス | コメントする

空騒ぎ


 ちょっと恥ずかしい。本当に一瞬、写真をさっと撫でただけでした。かくなる上は、せめてエンドロールで協力者として名前が出るところを見ようとしましたが、テレビ版では屁でもないコマーシャルが多すぎて、それもカットされてました。実はちょうど美子の夕食の介助が長引いていて、映画そのものもほとんど見てなかったのですが、録画だけはしましたので、おいおい見てみるつもりです。
 ただ二泊予定で川口から来ていた娘と孫二人にも、その一瞬の場面を見せることができたので、なんとか救われました。
 ともかくちょっと騒ぎすぎました。お許しくださいませませ。

カテゴリー: モノディアロゴス | 1件のコメント