アリゾナから来た「かあちゃん」


 毎回とはいかないが最近わりと見る定期番組がある。毎週月曜夜9時BSジャパンの『ワタシが日本に住む理由』である。そういえばこのごろNHKのクール・ジャパンを初め、この種の日本自慢の番組がやたら多くなってきた。クール・ジャパンも時々見ていたが、最近は種が尽きたのかまっことクダラナイ内容のものが混じっている。なんだか政府御用達番組に成り下がってきたようで鼻白むことが多い。その点BSジャパンの番組は高橋克典と繁田美貴の嫌味のない司会で、特に繁田美貴の素人臭いボケはゲストも視聴者も楽しい気分にさせてくれる。

 12月5日放送の番組案内はこうなっていた。
「新潟県の山村に暮らす川崎パトリシアさん。アメリカ・アリゾナ州で育ち、日本のマンガに憧れて21歳で来日。留学先の大学で夫と知り合い、いったん帰国するものの、日本でマンガを学ぶために再び来日。そして、〈昔の日本人が当たり前にやっていた暮らしがしたい〉と、夫と農業の道へ。築40年の借家に住み、4人の子を育てながら、大根、落花生、えごま、小豆、へちま、ズッキーニなど、およそ30種類の野菜を育てている。
 そのほか、村の魅力を海外に紹介する小冊子を編集したり、子どもたちが村を愛してくれるよう自主保育の活動を行うなど、村に溶け込んだ生活を送っている。」

 前回のブログでロボット・バレーのことを手厳しく批判したが、今回の番組は先進技術に魂を抜かれたそんな日本人に猛省を促す内容となっている。パトリシアさんが日本にはまったのは、例のごとく今はやりのマンガだったが、それはあくまできっかけで、このアリゾナ娘は一気に古き良き日本の真髄に触れていく。「昔の日本人が当たり前にやっていた暮らし」である。

 ひと昔なら日本中のどこにもいた「かあちゃん」に見事に変身した。また幼い4人の子供の可愛いこと、たくましいこと! 緑という女の子の名前は覚えたが、他の三人の名前も、今はやりの謎々みたいな名前とは違うまさに昔からあった日本人の名前。彼らの遊びはテレビゲームではなく、草花や小動物など「自然」そのものが遊び友だち。

 近所の仲良し老夫婦のことも忘れられない。おじいちゃんは82歳だが、いまだに2町歩ほどの田畑を耕している。あゝ、これが現在の日本の悲しい姿! 後継者がいない、というより育ててこなかった日本農村の惨状。

 ドローンが巡回し、小型ヘリコプターが種を播き、ロボットが除草し刈り入れるこれからの農業? いやだねー。ちょうどロボットの名付け親チャペックに触れた昨年のブログにも書いたように「これからの農業は従来のような経験と勘だけでやるのではなく、科学的なデータの解析によらなければ駄目だろう、とタブレット・パソコンのデータ分析画面を見せながら得意そうに語っていた」男がいたが、こっつぁかねーっ、「経験と勘」を忘れた農夫など犬にでも…おっとそれはあまりに過激すぎる。もうこれ以上言いたかないが、どこか大きく踏み違えてませんか?

 今さら都会に逃げて行った若者に田舎に戻れと言っても聞く耳を持たないであろう。だったらパトリシアさんのようにマンガがきっかけでもいい、国籍を問わない、日本に来たい若者たちを世界中からどんどん集めよう。そして古き良き日本を発見してもらおう、そして彼らに再興してもらおう。

 ただパトリシアさんの場合、日本人の夫がまたいい男で、農業を始めようと言ったのも彼の方が先らしい。そうだ、日本の若者たちを諦めるのはまだ早いかも知れない。とにかく要するに、いろんな国の若者たちが一緒になって仲良く農村生活を楽しみながら盛り立ててもらいたい。

 そしていつも戻ってくる想念は、今の教育の根っこからの改革だ。「国家百年の計」という言葉があるが、パトリシアさんの子供たちのような自然を友とする子供たちを本気に育てる教育を取り戻すという実に息の長い計であり願いである。

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実にあざとい!


 時事ネタはできれば避けたいテーマだけれど、このごろ時局とりわけ政局にはおかしなことが多すぎる。たまたまテレビのニュースを見ていたら、福島県の内堀知事が中央に出向いて「イノベーション・コースト構想」とやらの助成を陳情したらしい。なんで英語を使うのか、そこがまずおかしいのだが、要するにわれらの浜通りを「ロボットバレー」にするための後押しを求めに行ったらしい。つまり浜通りをシリコンバレー並みのロボットなど先端技術革命のメッカにしたいらしい。(シリコンバレーのように渓谷地帯ではない浜街道が何でバレーなんだよ、アホかいな)

 こんな惹句が作られたようだ。「福島県は、東日本大震災、東京電力福島第一原子力事故に伴う廃炉と向き合い復興を成し遂げるため、新たな産業の創出として、ロボット関連産業の振興に取り組み、『ふくしまロボットバレー』の形成を目指しています。」

 これだけ読むといかにも殊勝な考えではないかと早合点しそうだが、しかしよくよく読むと将来起こるであろう原発事故にも万全の備えをしたい、つまりさすが福島県はとうぶん原発は作れまいが、しかし原発事業を推進する中央政府には逆らいませんという下心見え見えの惹句である。そのためには「災害対応ロボットやインフラ点検用ロボットの研究開発を行っている企業、大学、研究機関等の事業者に対して、福島浜通り地域の橋梁、トンネル、ダム・河川、その他山野等オープンスペースを、実証実験の場として提供します。」と来た。

 ざけんじゃない! この美しい浜街道を実験場として提供するだと! よくぞ言ってくれますね。さらに将来的には「医療・福祉(介護施設、病院等)、農林水産業など、仕事や生活の場へのロボット導入を推進します。」だと。またまた、ざけんじゃない!!!ロボットの介護士など見たくもねえや!

 とどめは、「選ぶならふくしま」というこんな勧誘広告までしてけつかる「優れた交通アクセス・優秀で粘り強い人材……」。粘り強い? これまでも東北人を「褒め殺しにする」ための常套句だ。「再生可能エネルギーの推進」という言葉も見られるが、それはあくまで建前であって、本音は「安全・クリーンな」原発推進だろう。そんな神話は3・11で雲散霧消したというのに。

 ええい!面倒だ、ついでにもう一つ癪の種ニュースを言っちゃえ。
 ヤフーニュースのトップの見出しにこうありました。
「安倍首相、真珠湾訪問へ=歴代初『未来に不戦の決意』―26日から、オバマ氏と慰霊」

 これも実に騙されやすいニュースだ。この間のオバマ広島訪問の返礼というわけだろう。「不戦の決意」だと? 本当に不戦の決意だったら、あの「戦争法案」は何のため? オバマもあの原爆慰霊碑前で「感動的な」メッセージを読み上げながら、背後に核弾頭発進ボタンを詰めた黒カバンがちゃんと用意されていたのと同じで、首相の言う「不戦」はただアメリカとは戦わないというごく仲間内の約束でしかないことは見え見えだ。日米同盟という仲良し同盟の確認に過ぎない。

 実にあざとい(誰が? 言うまでもあるまい)、つまり小利口。中国語に訳すと「小聡明」。利口・聡明のつもりらしいが、見る人が見れば「小芝居」に過ぎない。彼のパフォーマンス好きは死ぬまで治るまい。 

 鞍馬天狗じゃないが、「杉作、日本の夜明けはまだまだ先じゃ。おさおさ油断するでないぞ!」
(チキショウ! 今日も貴重な豆本作りの時間がこんなヨタ話で潰れてしもうたわい。)

※どうしても言っておきたい追記
 私がなぜロボットという言葉に異常なまでの反応を見せるか、については、必ずや阿部さんが見付けてくれるはずだが今回は私が先陣を承って指摘しよう。昨年十月三十日の「狂夢にまつわる三題噺」にこう書いている。
「ここで思い起こされるのは、ロボットという言葉の生みの親、小国チェコが生んだ作家カレル・チャペック(1938-1890)である(robot の語源はチェコ語で「賦役」(強制労働)を意味するrobotaらしい)。人間のエゴイズムと科学技術の安易な結合の産物たるロボット物語は、実は人類の危機を予想した警告の書ではなかったのか。近代の価値観、その科学崇拝の最先端の継承者たる小国ニッポンは、原爆投下と原発被災という二重の悲劇を経験したというのに、未だにバラ色一色の未来図しか見ていない。」

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今年の流行語大賞


 数年前から新聞購読をやめているので、通常の私の情報源はヤフーニュースだ。検索エンジンも付いているから、なにかと重宝している。毎回八つほどのトピックが並んでいて、内容はその都度変わっていくわけだが、中にはくだらない芸能ニュースやおぞましい犯罪事件なども混じっている。詳しく調べたいトピックは、新聞各紙のネット版で読むようにしている。

 先ほど覗いてみたら、今年の「流行語大賞」に「神ってる」というのが選ばれたそうだ。とたんに気分が悪くなった。もともと流行語そのものが浮足立った社会のアブクみたいなものなので、無視すればいいのだが、今回のそれはテレビで流され始めた当初から「世も末」というか、いやーな世の中になってきたな、と感じていた。

 もうどこかで何度か槍玉に挙げたような気もするが、例えば「なにげに」とか…他にも思い出すさえ気分が悪くなるような、意地汚い省略語にうんざりしてきたが、今回のものはそれこそ「ゲスの極み」である。「神」という言葉が弊履のように粗末にされているから、ではない(それほど私自身信心深い人間ではない)。きれいな言葉の中身をごっそり抜き取るその根性がなんとも卑しいわけだ。

 たぶん「神懸(がか)っている」の懸を抜いたわけだろうが、「かかる」という言葉の意味、すなわち「神霊が人間に乗り移る」「神のような性質・傾向を帯びる」が抜け落ちて、それで何が言いたい? 神技・神業というきれいな日本語もあるじゃないか。

 これまで事あるごとに嘆いてきた軽佻浮薄な日本社会の液状化、空洞化そのものを表している、と皮肉混じりに、あるいは逆転の発想でそれを使うならまだしも、そんな批判精神など微塵もないアホな日本人の流行語。あゝやってらんねえ! 

 私もときどき、巫山戯(ふざけ)んじゃない!の「ふ」を省略して「ざけんじゃない!」と叫んでしまうことがあるが、しかしそれは怒りがあまりにも激しいので「ふ」が吹っ飛んでしまったわけである。ちなみに、巫山(ふざん)は中国四川・湖北両省の境にある名山で「山は重畳にして天日を隠蔽する」という言葉が存在するような絶景、そんな巫山でざれよう(あそぶ)とするのはたわけ(バカ)のやることである、というのが語源らしい。

 このように伝えられた言葉にはすべて歴史があり深い意味がある。私ほどの怒りも無いのにニタニタだらしなく笑いながら「神ってる」なんて言うのとはわけが違いまんねん。

 ざけんじゃねーっ!!!
いけねー、また瞬間湯沸かし器がうなり始めた。ここらでやめようっと。

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名著のことば(オルテガ)


 先日、実に久しぶりにウナムーノ、オルテガ論集成の注文が入って、両著とも手もとに一冊もなくなったので、豆本づくりの合間に印刷製本をした。そして『すべてを生の相の下に』(オルテガ論集成)を何気なく(ナニゲじゃない!)見ていた時、巻末に収録した『大衆の反逆』からの名著のことば(中公版へ私が付け加えたもの)をこのブログの番外編(つまり一緒にまとめるときには割愛する)としてぜひともご紹介したくなった。お時間のある時にでもぜひお読みください。

★名著の言葉  オルテガ 『大衆の反逆』

歴史的現実とは、生への純粋な希求であり、宇宙的エネルギーにも似たエネルギーである(三四ページ)
 (とかく人は歴史の中に王朝の交替や華々しい合戦を見ようとするが、しかしそれらを現実化させるものは、人々の希望や願望、そして時には恐れや憎悪なのである。波(表層の事象)を深部から支える海底、ウナムーノならそれを「内―歴史」と言うであろう。)

世界は、われわれの可能性の総計である(四三ページ)
 (現代人の前にはこれまで考えてもみなかったようなとてつもなく大きな可能性が開かれている。またそれらの可能性を実現するための手段や能力も増大した。しかし皮肉なことに、そのあまりに膨大な可能性の中で人間は途方にくれている。)

文明とは、力を最後の理性に還元する試み以外のなにものでもない(八八ページ)
 (要するに、文明の高さとはどこまで実力行使を手控えて、話し合いを根気良く続けるかどうか、というところに現れる。これとは反対に、大衆人は堪え性がなくすぐ直接行動に出ようとする。)

大衆的人間は、自分が利用している文明を、自然発生的であると思っている(一〇八ページ)
 (文明といい文化といい、すべては変幻極まりない現実をなんとか安定させようとする試みであり、その仕掛けであり、その結実である。ところが大衆人はそれらをあたかも空気や水のように無償の恵みとみなしてしまう。)

あらゆる生は、自分自身であるための戦いであり、努力である(一二一ページ)
 (生は絶えざる実体変化である。したがってもしその変化を免れるものがあるとすれば、それは不活性の《物》に属する。つまり「人間的生それ自体は、人間的かつ人格的なものである限り、生まれつつ死ぬものである」(『人と人々』)

いまは《風潮》の時代であり、《押し流される》時代である(一二九ぺージ)
 (大衆化社会のもっとも悪しき面と言えよう。誰も責任をみずからに引き受けることを嫌い、すべてを他人のせいにする。生の重心が絶えず上方にあり不安定極まりない。)

今日、かつてないほど多数の《科学者》がいるのに、教養人がずっと少ない(一四〇ページ)
 (真の教養とは「事物と世界の本質に関する確固たる諸理念の体系」(『大学の理念』)、あるいはそれを積極的に求めようとする努力である。しかるに現代の科学者は、己れの専門領域については豊富な知識を有し精緻な思考を駆使するが、それ以外に関してはまったくの無知をさらけ出す。)

リンチ法がアメリカで生まれたのは、まったく偶然とはいえない(一四四)
 (犯人に巨額の懸賞金を掛け、しかも生死の別なく(dead or alive)捕まえろという野蛮な掟がまかり通る国、銃保持が基本的な権利として憲法で認められているアメリカとは、ふしぎな国としか言いようがない。)

国家創造の原理は抱擁的であるのに、国家主義は排他的である(二四五ページ)
 (あらゆる思想的営為は、その始まりにあっては創造的かつダイナミックなものであるが、ひとたび体制の中に組み込まれてしまうと、とたんに閉鎖的なものに変じてしまう。伝統と伝統主義の違いもここに由来する。そしてこれに続く「ヨーロッパ大陸の諸国民を一丸として…」という言葉の中にすでに今日のヨーロッパ連合の理念が先取りされている。)

まるで嘘のように見えるかも知れないが、青春はゆすりになってしまった(二五二ページ)
 (もともと青春(adolescencia)とは「病んでいる(adolescer)」もの、一種の欠乏状態である。だから青年が足りないものを求めるのは当然である。しかしあくまでそれは出世払いあるいは信用貸しとしてであった。しかるに現代の青年はそれが当然の権利であるかのように要求するのだ。)
     

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カストロとゲバラ


 今朝のデジタル版朝日新聞によれば、トランプはキューバのフィデル・カストロ氏逝去に際して「残忍な独裁者が死去した」と論評したそうだ。現大統領オバマさん(と一応敬意を表して)が生前のカストロ氏と会談し、アメリカとキューバの積年の対立関係が良好なそれへと一歩進んだばかりだというのに、これでまた先行きが怪しくなってきた。

 先の大統領選の集計結果に疑念が生じ、いくつかの選挙区では再集計が進められるそうだが、その話は別としても、安倍首相はまだ正式に就任してもいないトランプに、首脳としては「いの一番」に会見した、しかもトランプ・タワーに親しく招かれて、と自慢げに吹聴したが、ちょっと早まってませんか。会談後トランプのことを「信頼することのできる指導者であると確信した」と語ったようだが、その会見の直後、トランプはTPP離脱をはっきり言明することで、安倍首相が思い描いた「信頼関係」が早くもコケにされたのは、なんとも滑稽というか哀れである。

 トランプ・安倍会談についての報道を逐一チェックしたわけではないが、在任期間が来年一月まである現職大統領のお膝元で、こうしたトランプ会見の先陣争いをした安倍首相の、いかにもカッコマン躍如たる姿を誰も批判しないのはどうもおかしい。だいいち現職大統領に対して失礼ではなかろうか。従来の日本の政治家たちが外国外交団との折衝の後、握手した手がとても温かった、交渉の進展を確信できた、などと「お人よし」ぶりを発揮してきたことは伝説的な笑い話と化しているが、安倍首相の「調子こいた軽さ」は日本外交の弱点を見事に継承している。

 カストロ氏の対米強硬姿勢が、多くの亡命者を生み出したことは否定できないし弁護する気もないが、しかし強大無敵の大国アメリカの裏庭(メキシコが不当にもそう蔑称されるが、キューバとて同じ)みたいな弱小国で社会主義的理想を追求しようとすれば、彼に抵抗する富裕者層からの反感を買うのも無理からぬことでもあった。一時期、カストロとその盟友チェ・ゲバラの名は社会変革を夢想する世界の若者たちの間で一種神秘の光暈に包まれていたが、私が上智でスペイン語を習い始めた時の教師の一人チリノ神学生(のち山口教会などで司牧したあと帰天)が母国キューバでカストロ氏と高校時代の同級生だったこともあって、彼に親近感を抱いたことなど懐かしく思い出される。

 五年間の修道生活を切り上げて(?)南相馬に帰っていく私に、下級生の一人Nさん(さて彼は今何をしてるのだろうか)が、サイン帳か何かに(いまもどこかに残っているはずだ)私のことを「野に下るチェ・ゲバラ」になぞらえてくれたことも懐かしく思い起こされる。

 それはともかく、トランプ大統領就任によって、世界は多くの不安定要素を抱え込むであろうことだけは間違いない。「軽い乗り」のアベノOOマロには、とてもとても手に負えない難局が待っている。おのおの方、油断召さるな。

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