安息日について


 暑くなったり寒くなったり、体温調節が難しい季節になった。いや私のことではなく美子のことだが。でもおかげさまで、朝晩二回の胃婁からの栄養剤注入作業にも慣れ、月一のクリニックの先生の往診でもこのままの状態を続けるようにとのお墨付きもいただいた。

 しかしこのところの政治の世界の安っぽいドラマはどうだろう。もちろん朝鮮半島の非核化、平和は望むところだが、しかしあの二人の主役、一人についてはゴネ徳の帝王という言葉しか思いつかないし、もう一方については私の知る限り米国史上もっとも下品な大統領としか評価しようのない御方、芝居自体が初めからドタバタ喜劇なのだから多くを期待していなかったが、今のところ最小限の効果はありそうだ。でもいつどんなどんでん返しがあるか最後まで予断を許さない。

 政治の話はここまで。ところで先月28日のラジオ福島の短い電話インタビューは、当方、難聴のこともあって緊張したが、なんとか無事に終わった。次回からは電話インタビューを収録して、あとで適当に編集することになり、少なくとも気分的には楽になった。と言っているうち、今日がその収録の日、前回は福島県知事の施政方針に対するダメ出しだったが、今回は教育問題について話す予定。原発事故後いろんなことを考えさせられたが、中でも教育問題、もっとはっきり言うと学校教育の現状は考えるだに目の前が暗くなる。たぶん今日は、とっかかりとして先日ここでも話題にした東松島市の夏休み短縮の話でもしようか。

 数日前になるが、突然「安息日」という言葉が頭に浮かんだ。息子の嫁や孫娘が洗礼を受け毎日曜隣の教会のミサに行くのは大歓迎大賛成だが、私たち夫婦が教会に行かなくなったのはいつからだったろう。それさえ思い出せないくらいの昔になった。いや話を戻すと、その「安息日」という言葉からいろいろなことを考え始めたわけだ。

 本箱の隅っこにあった昔懐かしい『公教会祈祷文』という小さな祈りの本に「公教会の六つのおきて」というページがある。これはいわゆる十戒とは別に、信者が守るべきおきてが書かれてあり、その第一はこうなっている。

「主日と守るべき祝日とを聖とし、ミサ聖祭にあずかるべし」。

 「主日」とはすなわち日曜日のことである。先ほど不用意に「安息日」などと言ってしまったが、正確に言うと「安息日」はユダヤ教の土曜日を指す。

 それはともかく、その安息日あるいは主日という言葉から連想したのは、この世は(とひとまず言うが)いくつかそれぞれ異なる価値体系の混合体ではないか、いやそうあるべきではないか、ということである。安息日は宗教的価値体系に属し、その他の曜日とは異なる価値基準が支配する。例えばキリスト教徒やユダヤ教徒など普段の生活とは違った時間の過ごし方をする。つまりと現政治体制や教育体制とは別個の価値基準・行為基準に則った時間の流れである。もちろん運動会や学芸会など年に数回の学校行事の場合は別だが、それぞれの安息日は宗教や地域、そして各家庭の自由に裁断できる時間が流れる……

 どうもうまく言えないが、要するに言いたいのは、先の学校教育の問題との関連で言うなら、現在の日本は、政治や教育その他もろもろの現世的(とひとまず言うが)価値体系、行為基準が各地方、各地域、いや各家庭にまでその支配力を及ぼしている。最近ではそれに拍車をかけているのがテレビなどマスコミによる均一化(横一列)の加速である。

 どこかの大学の話だが、近頃トイレで弁当を食べる学生がいるとか。それは孤独を好んでではなく、学食などで自分の回りに友人がいないことを恥じての行為らしい。一人でもいっこうにかまわんよ、という自信が見事にかき消え、ひたすら衆に紛れようとすることの裏返しである。

 最近話題になった日大のアメフト事件も、あるいは新幹線での惨劇も、突き詰めていけば現代日本を覆うこうした価値の一元化、画一化、つまり以前から言ってきたように学校が金太郎飴製造機と化していることの結果であることは間違いない。前者は部活の指導者への絶対服従、後者は金太郎飴製造機からはじき出された人間の悲劇である。

 そろそろ電話機の前にスタンバイしなければならないので、話の途中だがこの辺で一時中断する。あとから続けるかどうかお約束できないが…

 この話、「安息日」から始まったので、最後にとっておき(?)のオチを一つ。
 ユダヤ人たちの「安息日」に対する画一的・横一列の極端なまでの形式主義に対して、キリストはこう言われたそうな。
「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ 2.27-28)。

 つまりユダヤ教徒の安息日重視・一元化・画一主義に対して、各自が自由に、安息日の行動的主体者になりなさい、と勧めておられるのだ。つまり、政治や教育制度の画一化・一元化から個の自由・主体性を取り戻せ、と言っておられるわけだ。んっ,先の「六つのおきて」とちょっと矛盾する? まあいいっしょこの際、はい時間が来ました、お後がよろしいようで ♬♪

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悲しいお知らせ


 昨日も書いたように現在第15巻の製作と並行して、行路社版の私家版上下2冊を作っているところだが、その1の②の巻末に以下のように書いた。先ずそれをそのままご紹介する。

解説に代えて
 行路社版には巻末に中村忠夫氏の「貞房さんともう一人の自我」が収載されていたが、この私家版では尊敬する大先輩・原 誠先生の書評をご紹介させていただくことにした。実は本書については、平沼孝之さんの「佐々木孝さんと「生への逃亡者」のイストワール」(『青銅時代』第48号、二〇〇八年)と、立野正裕さんの書評(アマゾン、二〇一六年十一月七日付カストマーレビュー、)という本格的というか実に光栄至極な文章を頂いているが、前者は既に第二巻巻末に、後者は第十四巻本文中(「増上慢?」)でご披露済みなので、まだ読まれていない方は是非一度ご覧ください。では原先生の書評をご紹介しよう。

「 【物事の本質を捉える 今の世の中に受け入れられるには余りにも正し過ぎる考え】                                   原 誠

 つくづく良い本が出たものだと思う。こういう良書を出版した大津市の「行路社」にまず敬意を表しておく。評者は生来のひねくれ者ゆえ、東京生まれ、東京在住でありながら関西のものを応援する癖があり、この機会に「行路社」を始め、評者の専門に関係深い書物をよく出版する「世界思想社」、「ミネルヴァ書房」、「ナカニシヤ出版」、「昭和堂」等の関西系の出版社に、東京のそれに負けぬよう頑張れとエールを送っておこう。
 本書の標題「モノディアロゴス」は「独対話」とでも訳すべきスペイン語である。単なる独り言に止まらず、友人たちの目を意識した半ば公開の日記だと著者は言う。独自のジャンルである。それを一編千字という制約を自らに課して一年間にわたって二七一編書き綴った。しかもそれらを逐一自らのホームページに載せていった。なにせ彼は大変な読書家である。読書家であるだけではない。彼は小説家でもある。同人誌「青銅時代」のメンバーとして毎号寄稿を欠かさない。その知己には小川国夫、埴谷雄高、安岡章太郎がおり、島尾敏雄に至っては著者の従弟おじだとのことである。道理で彼の書く文章は天下一品である。例えば本書の二〇八ページ「葉桜」はなかなかの名文である。
 読書家であり、小説家であるだけでも偉大であるのに、著者はその上に実に多芸多才であり、また多方面に関心を寄せている。このことを、著者の親友である中村忠夫は本書のテーマが「記憶論」、「バッパさんのこと」、「クッキーという癒し犬」、「原町市」、「スペイン断章」、「方言論」、「猫・猫・猫」、「交友録」という八つのキーワードから成るとして証拠立てている。中でもバッパさんこと著者の母親を始めとして、家族、親族、多数の友人、猫・犬に代表される動物に対する著者の深い愛情に評者はただただ頭を垂れるしかない。実に暖かい心の持ち主である。こういう暖かい心はどうやって育まれたのか。評者の考えでは著者が二十代の五年間を広島で修道士としての生活を送ったこと、その後大学へ戻って哲学を修めたことがとりわけ影響しているように思われる。だからこそ著者の大学遍歴の最後となった東京J大学で講じた「人間学」は大成功を収め、「人間学紀要」全8巻となって結実したのである。そこに収められた学生のレポート、全部ではないにしても、評者を「日本の若者も捨てたものでもないぞ」と唸らせるものがあった。指導教授が立派だからだ。
 それだけに、一旦この暖かい心の持主を怒らせるとこれは大変なことになる。その攻撃の槍玉に挙がったのが、カトリックの組織、大学に代表される日本の教育、そして日本の政治である。カトリックの組織については著者は修道士としてその内部にいたのだからその批判は確かなものであろう。教育についても東京J大学を定年前で辞めて原町市に引っ込んでしまったことで彼の正義感がいかばかりのものであるか容易に想像がつく。またとない良き教師に「学校なんてなくても立派な人間になる(を育てる)ことができる」(四五頁)とまで喝破している。また自然破壊、環境問題、とくに原発の問題への関心も深い。それやこれやで、「一見のどかな田舎に生活していても、地球の行く末を思うとおちおち寝てもいられない」(七一頁)という結論的発言に落ち着く。
 以上を要するに、物事の本質を余りにも素早く捉えることのできる著者の考えは、今の世の中に受け入れられるには余りにも正し過ぎるのである。こういう人はいきおい組織の外から冷静に、ある時は深い愛情をもって、またある時は軽侮の念をもってその組織を眺めるという視点しかとれなくなってしまう。それでもいいからぜひ飽かずしつこく意思表示をし続けてもらいたいものである。評者としては多くの人に本書の一読をすすめたい。(スペイン語学・言語学)
             (「読書新聞」、二〇〇四年十一月、第二七〇号)」

 実は原先生のことを少し心配していた。もしかして体調を崩されているのでは、と。毎回『モノディアロゴス』を作るたびに真っ先に先生にお届けすると、日を置かずして、先生から必ず便箋十枚近く(時にはそれを越える)長文の感想を書いてくださった。ところがこの数か月、先生からの音信が途絶えていたからである。
 そして先ほど、思いがけなく奥様から以下のようなお手紙が届いた。先生を知っているできるだけ多くの人に先生の最後を知っていただくためにも、奥様の許しを得ないまま、以下そのままご紹介したい。明日にでもこのブログを全部コピーして、奥様にお手紙無断転記の件のお許しを求めつつ、先生のご霊前に捧げていただくつもりである。生前、終始変わらぬご厚誼を賜った大先輩・原誠先生に改めて深甚なる感謝の意と弔意を、まず先生に、そして奥様に届けたい。生前の先生の思い出を辿るうち自然とこみあげてくるものは、先生に可愛がられた後輩の惜別の涙としてご勘弁ください。

「梅雨に入り、うっとうしい日々が続いて居ります。
先日はおはがきをいただきながら、お返事が遅くなり申し訳ございません。
 実は夫・原 誠が二月十六日に急性心不全のため亡くなりました。突然の死がまだ信じられませんが…
 夫は腰を痛め整形外科に通ってはおりましたが、元気で、前日まで練馬区から借りている区民農園に何を植え育てようかと話しておりました。
やりたい事がまだ沢山あったのでは、と思うと残念でなりませんが、命には限りがあるのだと痛感しています。
 生前、何かとお世話になりましたこと、心から感謝申し上げます。
 佐々木様御夫婦には、お元気にお過ごしになられますよう願っております。  かしこ
                 六月七日       原 万喜子
佐々木孝先生
  美子様」

 ご存知とは思うが、先生のごく簡単な略歴を以下にコピーします。
「原 誠(はら まこと、1933年(昭和8年)8月3日 – 2018年(平成30年)2月16日)は、日本のスペイン語学者、東京外国語大学・拓殖大学名誉教授。 東京生まれ。1956年東京外国語大学スペイン語学科卒業。1964年マドリード・コンプルテンセ大学哲文学部大学院博士課程修了、文学博士、東京外国語大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授、拓殖大学教授、2004年定年、名誉教授。」
 先生の輝かしい業績はネット検索ですぐ出てきます。

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第15巻発刊


 急に夏めいてきましたが、皆様お変わりありませんか。当方、美子の胃婁の扱いもすっかり慣れて、朝晩二回の栄養剤注入もベテラン介護士の域に達しました(いえいえまだまだおっかなびっくりですよ)。ブログは少し怠けてましたが、でもその間、以下のような仕事をしてました。つまり「モノディアロゴス」第15巻などの製作です。タイトルは『遡行と螺旋』、皆さまにはその意味すぐお分かりでしょう。
 皆さまのもとに届くには少し時間がかかりますが、楽しみに待っていてください。今回はその「あとがき」だけご紹介します。

「★あとがき★
 先日急に行路社版『モノディアロゴス』を私家本に作り直すことを思い付き、暇な時間を、といって現在の私にはすべての時間が暇といえば暇だが、その作業に没頭した。パソコンの画面を見ながらの細かい作業なので、かなり目を酷使したようで、目脂が多くなった。それでアマゾンから「ルティン」というサプリを取り寄せて昨日から飲み始めた。その効果はまだ分からぬが、従来のブルーベリーものよりいいという宣伝文句を信じた。

 ところで作業を始めてから気が付いたのだが、実質第一巻の行路社版は収録分量が以後の私家本の優に二倍あった。それで急遽Iの①、Iの②と二巻に分けた。つまり私家本は実質的に全十五巻なったわけである。

 作業は昨日終えたが、勢い余って(?)今度は第十五巻を作り始めた。二五〇ページあたりで、ちょうど「ゆうメール」の送料が三〇〇円ぎりぎりになるので、程よいところで切り上げたのが本書である。

 第九巻からそれぞれ独自のタイトルを付け始めたが、さて本巻はどうしよう。そこで思い出したのは、以前メール・サイトの表紙(?)にあるメモ欄に第十五巻のために考えていたタイトルである。本当はそこに「時軸と螺旋」とメモしていたのだが、時軸とはあまりに硬い。それでそれを遡行に替えて『遡行と螺旋』にした。最近、行路社版をまるで日めくりか聖書(?)のように一日2~3篇読む習慣があり、その時考えたのは時間軸を前に前にと進むだけではなく、私みたいな年ごろの人間(本当はすべての人と言いたいが)螺旋状に積み重なっている自分の過去を今に重ねて生きる方がもっと大事ではないか、いやむしろそうすべきだと思っている。そのことを今度のタイトルで表現しようと思ったわけだ。後半部の「焼き場に立つ少年」をめぐる経緯など、このことと深く関係している。

 言いたいことは山ほどあるが(ないない、そんなに)、「あとがき」としてはこれで充分だろう。

    二〇一八年六月七日      貞房識」

★書き忘れましたが、先日「北海道新聞」の岩本記者が「焼き場に立つ少年」について書いてくださいました。上の「メディア掲載履歴」の「新聞報道」に喜彦君が収録してくれましたので、どうぞご覧ください。

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みなそれぞれに不幸


 この頃、まるで聖書を読むように(それはちと買い被り)行路社版『モノディアロゴス』を二つか三つずつ読んでいる。お前馬鹿か、と言われそうだが、実にいいし、心が落ち着くのだ。ウソだと思ったら、あなたもぜひ試してください。あの頃、つまりモノディアロゴスを書き始めた2002年ごろ、ちょうど千字に収まる書き方をしていたせいか、今よりずっと密度の濃い文章になっている。「富士貞房と猫たちの部屋」の「富士貞房作品集」でも読めるので、お時間のある時にでもどうぞ。今日読んだのは「みなそれぞれに不幸」という文章。文中Mさんというのは常葉時代の同僚マロートさんである。Yはゆーちゃん、あゝ懐かしい。マロ-トさんのご家族にいつかまた会いたい。それでは読んでください。

「【みなそれぞれに不幸】

 私の友人Mさんには、Yと言う名の筋ジストロフィーを病む息子さんがいた。小さい時は何度か勤め先の大学に連れてきたこともあったが、成長とともに重くなった彼を運ぶのは難しくなり、Y君とも会うこともなくなった。最後に会ったのは、四谷の聖イグナチオ教会での彼自身の葬儀ミサにおいてであった。一九九六年一月、彼は二十歳になっていた。参列者宛ての家族からの礼状にはこう書かれてあった。

 「私共への神様からの贈りものは その役目を果たし終えたかのように天にもどってゆきました。色々な事を思い、見る日々でした。深い哀しみも心にしみる人のやさしさにも触れました。今 自由な足を持ったYは、おひとり、おひとりに心から御礼を申し上げていると思います。ありがとうございました、 又会う日迄ね、と。」

 スペイン人の大学教授と日本人の女医の子供として、Y君にはきっといろいろな夢があったに違いない。しかし難病に見舞われた。彼も成長するにつれて苦しんだと思うが、家族にとっても大変な重荷であったはずだ。しかしM教授はいつも「Yは私たちの宝です」と言っていた。その言葉を意外とは思わなかった。それは彼と彼の家族の確信であり、信念であり、そして希望であることが素直に理解できたからだ。Y君の姉のMさんは弟の存在が動機になったのか、医学の道に進み、たぶん現在は立派な女医さんになっているはずだ。

 不幸に見舞われることに法則はない。つまり誰が何の理由で、どの程度の不幸に逢うのか、まさに理屈を越えたミステリーである。時々、なぜこの人がこんな不幸に、と思う。神や仏があるものか、と言いたくもなる。統計をとったことはないが(当たり前だが)、理不尽な不幸の方が圧倒的に多いのではないか。

 でも不思議なのは、自分のであれ、あるいは愛する人のであれ、不幸や苦しみが時に人を強くし、優しくし、そして高めてくれることである。人間劇(ヒューマン・コメディー)において、マイナス記号が突然プラス記号に転じる不思議が起こる。まさに神秘だが、おそらく苦しみや不幸が人間としての真の意味での自立を促すからではないか。※

 トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の言葉は、その意味で深遠な真理を突いている。「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」。
                        九月二十二日」

※ このことは美子の介護をしながら、日々、いや毎瞬間、時にこみあげてくる温かい幸福の涙と共に実感していることだ。

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Man on wire


 先日、と言っても既に先々週のことだが、こんなニュースがネット上に流れた。
「多くの人でにぎわう11日夕方の東京・新橋駅前で、横浜から遠足に来ていた300人ほどの女子高校生のうち7人が具合が悪いと訴え、一時、騒然となった。7人は過呼吸とみられ、数人が病院に搬送されたということです。」どうやら集合時間に遅れて先生に叱責されての結果らしい。
 過呼吸、私が覚えている用語では過換気症候群である。辞書にはこう出ている。「神経症や呼吸中枢の異常により、発作的に過呼吸を行ったため、血液中の二酸化炭素濃度が低下して起こる一連の症状。呼吸困難・胸痛やしびれ・痙攣などがみられる。」

 なぜこんなことを書いたかというと、大昔、スエーデン船籍の豪華客船に夫婦で無料招待され、シンガポールからバリ島など観光地巡りをして、竜宮城帰りの太郎さんよろしく、八王子の陋屋に帰ったその晩の夕食時に、美子が突然呼吸困難に陥り、救急車で病院に搬送され、過換気症候群です、と診断されたことがあったからだ。ただし大事になどならず、担当医師から、こんどこういう状況になったときは買い物袋でもかぶせてやって下さい、と笑われた。なんでもこの病気というより発作が有名になったのは、やはり千葉かどこかの女子高校生の一団が修学旅行からの帰途、東京駅でこの発作が起こった時以来らしい。つまり思春期の女の子のように感受性の強い人に起こる発作。ということは私も感受性が鋭いのよ、と後から美子が弁解したが、今でも一年に一度くらいの割でこの発作が起こる。しかし例の弁解もできない今の美子にとって辛い発作であることには変わりがない。しかし私など慣れたもので、袋はかぶせないが、「ダイジョーブ、ナンデモナイヨー」と肩を撫でながら繰り返し言っているうちに次第に収まってくる。
 
 いやこんな取り留めのない話を最初に持ってきたのは、これから書こうかな、と思っている話もそれこそ取り留めのない話、てゆーか(いやな言い方!)妄想に近い話なので、一種の煙幕効果のためである。

 話の発端は、最近思いがけない方から思いがけない連絡が入ったことである。「岩手未来機構」の事務局長・島口修子さんからの以下のような内容のメールである。
「スペインの芸術家 JOSE MARIA SICILIAさんが先生と対談をさせて頂いてから、5年が経ちました。あれから後もJOSE MARIA SICILIAさんは、年に二度から三度東北の被災地を訪れて、ワークショップを継続していらっしゃいます。
 そして今は、岩手 宮城 福島の各所で食と融合の表現をされておりますが、スペインの科学者 JUAN KNASTERさん、同じくスペインのフードプロデューサーのMIGUEL DE TORRESさんがその活動に合流し、母国から遠く離れた被災地の活動に協働されておいでなのは不思議な思いが致します。
 このワークショップは 人・食・科学の3つから成り立っており、その中でJuan Knasterさんは、原子力発電の今回の事故が 分裂によるリスクを伴った為であることに触れ、今後は融合を用いたエネルギーの必要性を説いています。興味深い事に、この融合のエネルギーとは太陽や星が発しているものであり、その成分は私達人間の成分とほぼ同じなのだそうです。
 この融合をテーマにMiguel de Torresさんが美食学に基づいた食事を調理されます。
 実はご相談させて頂きたいのは、この食事についてでございました。JOSE MARIAさんはこの食事の意味を”同じ料理を作っても今日と明日では別のものである。今この瞬間を感じてほしい。私たちは過去でもなく、未来でもなく、今を生きている。地震も福島で起こったことも、他の災害もまた『今』の出来事の連続である。私たちはそれらを忘れることはない”との思いを込めて岩手で提供致しましたが、福島で始めるにあたり、先ずは先生にご自分の思いをこめて召し上がって頂きたいのだそうです。
 JOSE MARIA SICILIAさんの思いをお汲み取り下さり、ご検討を賜りましたら幸いでございます。」

 もちろん二つ返事で応諾の返事を出した。先ほど「取り留めのない話」と言ったのは、島口さんからの申し出そのもののことではない。確かに「食」をめぐるワークショップの趣旨は少し分かりにくいが、しかし我が家に来てくださり、実際に料理を我が家の台所で作ってくださるなんてことは願ってもない嬉しい話で、決して取り留めのない話ではない。「取り留めのない話」はこの思いがけない話から、黙居・独居老人の脳髄に浮かんでは消え、消えては浮かんでくる想念・妄想のことである。

 先ず驚いたのは、この「岩手未来機構」という特定非営利活動法人という組織そのものである。今まで全く知らなかったが、調べてみるとなかなか面白い組織である。以前、被災地からの要望で、家族が泊まれる施設が欲しいと言われ、ブルートレイン(寝台車)を3台被災地に運んだ事もあったそうだ。「女性だけのグループですと、後先考えないからでございましょうか 笑」との島口さんのコメントが付いていた。

 いや私が最も共鳴したのは、組織の目標を掲げた木村要一理事長の次の言葉である。
「大地震発生から7年が経過する中、被災各地域での物理的な復興は遅まきながらも進んでいると言えますが、「心の復興」未だしの感があります。 それどころか、物理的な復興が進めば進むほどに老人や子供たちの心の回復の遅れが露わになってきていて、こうした問題の取り組みの不足が露呈してきました。 老人や中高年の人たちの自尊心と誇りの回復、地域の活力をもたらす雇用の確立、明日を担い将来への希望を確実なものとする子供たちの育成。これらの3点は、今私たちがその実現を目指す大きな課題であると考えます。」

 実は28日(月)の午後二時からラジオ福島で5分ほど話す(電話口で)ことになっているが、その時話そうと思っているのは、我が福島県知事の施政方針に対する辛口批判である。つまりここでも書いたことであるが浜通りをシリコン・バレーを真似たロボット・バレーにしたいなど、想像力の貧困をもろに露呈しているのに比べて、この未来機構の目指すところははるかに賢明であり温かい。

 先ほど名前の出たホセ・マリア・シシリアさんがいつのまにか(と言ったら失礼だが)この未来機構の顧問になっていたことも意外だったが、さらに驚いたのは、彼と並んで同じくスペイン出身で現在はアメリカで活躍しているマグダレナ・ソレ(Magdalena Sole)さんが顧問になっていることだ。と言って今回、島口さんから彼女があの”Man on wire”でアカデミー賞を受賞したプロダクション・マネージャーで写真家として著名であることを初めて知ったのだが。同名の映画については何となく記憶に残っていたが、その彼女が未来機構の顧問だとは、まったく意想外のことだ。

 シシリアさんもこのマグダレナさんも、日本ではほぼ無名ではあるが、しかし世界的には著名な芸術家を二人も顧問に据えるとは、未来機構もなかなかやるなーと感じ入っている。

 かつて、もしかして今も、「日本のチベット」などと揶揄されてきた岩手県だが、しかしこの先見性、革新性は見事ではないか。今はやりの言葉で言うとディープ東北だからこその革新性かも知れない。第一、宮沢賢治を生み、遠野物語の舞台である。そこへ行くと我が福島県は浅い東北、中途半端な東北、自分の足元を見るより視線は絶えず東京を向いている。

 もはや死ぬまで盛岡や遠野、花巻を訪れることもないと思うが、しかし私にとって必ずしも無縁の土地ではない。なぜなら母方の先祖は八戸、つまり南部藩として、文化的に津軽よりむしろ岩手に近い八戸の出だからである。しかし先ほども言ったようにおそらく死ぬまで岩手県を訪れることはないだろう。とこう書きながら、実は或る人の姿を探している。遠野に実家を持ち、時おり帰省している人、そう盟友・立野正裕さんである。

 この歳になると個別の手紙つまり私信と、こうやってブログに書くこととを区別するのは面倒になってきた。誹謗中傷さえ書かなければ、何も私信とこうやって多くの人に読まれる文章とを区別する必要はないのでは、という考えに大きく傾いている。

 はっきり言おう、立野さん現在は川崎に住んでおられるけれど、どうでしょう、今度遠野に帰られるとき盛岡の未来機構の人たちと会っていただけませんか。私は終生1キロ四方の世界から外に出ることは出来ませんが、立野さんは先日もブルガリア旅行から帰って来たばかりとか。佐々木の盟友として、岩手未来機構と一緒に何か面白いことやりませんか。

 実はこのブログの隠れたターゲットはもう一人、そう今日も、いま来日中のマグダレーナ・ソレさんと行動を共にしている島口さんです。ぜひ立野先生も仲間に入れてくださいませんか。昨夜のメールだと、私の私家本を揃えた「呑空庵コーナー」が事務所の一角に作られたとか。そこに『遠野物語を読む』など立野さのたくさんの著書も一緒に並べてもらおうじゃありませんか。

 本当は私の妄想はさらに飛んで、マグダレーナさんがプロデュースした『マン・オン・ワイヤー』(畔柳和代訳、白揚社)をアマゾンから安く手に入れたので、それを読みながら綱渡りに命を懸けたフィリップ・プティの生き方に何か惹かれている私という人間について書きたいと思ったのだが、読んでいないうちにそれは無理な話、と諦めたところ。

 ともあれ今日あたりマドリードでシシリアさんと会われているはずの岡部さんという方が私のスぺイン語版作品集『平和菌の歌』(表紙が例の「焼き場に立つ少年」)を渡して下さり、また今日、島口さんが同書をマグダレーナさんに渡してくださる予定でした。さて蟄居老人としてはこうして他人様のお手足をお借りしつつ、何とか外界と繋がろうとしてますが、立野さん、島口さん、どうかこの不自由な老人の意を汲んで、お二人お友だちになってください。

 最後はお二人へのラブコールになるという摩訶不思議なというか、しっちゃかめっちゃかなブログになりましたが、悪意はありませんのでどうかそこんところはよろしくお願いいたします、はい。

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