常葉大学の皆様に深甚なる感謝

2018年12月20日の父の急逝後、年が明けて2月24日に、東京・ 麹町の戸嶋靖昌記念館館長で実業家、著述家の執行草舟氏の主催で、銀座で父を偲ぶ会を開いていただき、この時は、東京の父の同僚の先生方や関係者、ご友人の方々 、そして清泉女子大、東京純心女子大などの教え子の皆様がお集まりになり、心温まる追悼の場を設けていただきました。

 きのう8月10日、父が長い教師生活において「黄金時代」と懐かしんでいた静岡・常葉大学時代の皆様が、思い出深き静岡・瀬名キャンパスの教室に場所を移し、新たに父を偲ぶ会を開いてくださいました。スペイン語学科一期生の増井実子先生、二期生の田口文乃様が発起人となって、同大学・元学長の海野泰男先生ご夫妻もお招きし、 卒業生の皆様による大変心のこもった感動的な会だったと、常葉のOGでもあり遺族を代表して参加した姉から感謝の報告を受けました。私は残念ながら当日都合がつかず、南相馬から母や妻子とともに盛会をお祈りしておりましたが、昨日、姉からメールで送られてきた記念集合写真を拝見し、愚息もアルバムなどで存じ上げていた多くの方々が父のために駆けつけてくださった様子に感激し、心から手を合わせました。父の魂がどれほど慰められ、喜んだことでしょうか。素晴らしい教え子の皆様に恵まれ、父はこの上ない誇りだったと思います。この場を借り、皆様に深甚なる感謝の気持ちをお捧げいたします。本当にありがとうございました。また生前、父が大変お世話になりましたこと、改めて遺族を代表し、心から厚くお礼を申し上げます。どうか父なきこれからもよろしくお付き合い、ご指導のほどを衷心よりお願い申し上げます。

 南相馬より皆様方のご健康とご多幸をお祈りしつつ、ここで最後まで父を慕ってくださったすべての皆様にお知らせがあります。もしかしたら、天国の父から皆様に近々プレゼントがあるかもしれません。どうか楽しみにお待ちください。

佐々木淳拝

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【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日)

田上富久・長崎市長は平和宣言で、今年7月の核兵器禁止条約の採択を「被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間だった」と歓迎する一方、日本政府に対し、「条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できない」と批判した。
 (それに対し)首相は「真に『核兵器のない世界』を実現するためには、核兵器国の参加を得ることが不可欠だ。しかし、条約には核兵器国が1カ国として参加していない」、とし、「核兵器国と非核兵器国の隔たりを深め、『核兵器のない世界』の実現をかえって遠ざける結果となってはならない」と主張した。
 今日、長崎市で行われた平和式典での、相異なる二つのメッセージ。一見、安倍首相の見解は、長崎市長の理想論にくらべて、現在の世界状勢からみてより現実的で妥当なものと見えるかも知れない。しかし本当にそうであろうか。首相の見解は現に日本がアメリカの核の傘に庇護されていることへの政治的配慮、要するに悪しき意味での駆け引きに過ぎないのではないか。もし首相の言う通りだったら、日ごろから核廃絶をめぐってアメリカなど核保有国への必死の働きかけをしていそうなものだが、その姿勢は少なくとも現在まで全く見られないのはどうしたことか。
 どんなに詭弁を弄しようが、世界の非核兵器国からは核兵器国の仲間としか見られていないのは明らかであろう。そして核兵器国からは自分たちの姿勢を是とし擁護する強力な助っ人と見られていること、これもまた明らかな事実である。しかし日本がとるべき姿勢は、唯一の被爆国として先ず非核兵器国の側に身を置き、しかる後その立場から核兵器保有国に対して執拗かつ持続的に核廃絶を訴えていくべきではないのか。とるべき立ち位置が最初から逆なのだ。
 そんなことを改めて強く感じたのは、今日もネットの画面にあの「焼き場に立つ少年」の写真見たからだ。見ているうち胸が苦しくなり、涙があふれてきた。涙腺が緩くなった耄碌爺さんの涙だなんて茶化さないでもらいたい。まだ見たことのない人がいたら、「焼き場に立つ少年」で検索したら、すぐ見れるはずだから、どうか試してください。
 撮影者はジョー・オダネルさん。彼はこう説明している。「炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいる」「少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました」
 オダネルさんは 1922年5月7日に生まれ、2007年8月9日に死んだ元従軍カメラマン。今日初めて気が付いたのだが、彼が死んだのが奇しくもまさに今日、つまり長崎に原爆が投下された日と同じ日だということだ。ついでに言うと、以前彼の名を初めて聞いたとき、私の高校時代のペンパルのマリーさんと同じ姓ではないかと思っていたが、今日初めてそのスペル Joseph Roger O’Donnell を見てそれも確認できた。私はオドンネルと発音していたが正確にはオダネル、つまりアイルランド系アメリカ人の名だということ。ちなみにマリーさんは私と相前後して修道院に入ったが、これまた相前後して還俗し、最近は全く音信不通になってしまったもののやはり結婚して、たぶん今頃はいいおばあちゃんになっているはず。
 思わず余計なことまで書いてしまいましたが、ぜひオダネルさんの写真「焼き場に立つ少年」を見てください。お願いします。私は画像をコピーし、見たいとき、つまり自分の心に平和への強い覚悟を注入したいとき、いつでも見れるようにしました。いつの日か、出る涙が喜びの涙に変わることを切に願いながら。

※息子による追記
今朝見たNHKニュースで、この少年のことが取り上げられていて、写真を解析し、長崎の被ばく医療専門の医師に見せたところ、医師が指摘したのは、少年の目の充血痕、鼻腔の詰め物をから、少年も爆心地に近い場所で被ばくし、浴びた放射線の影響により出血しやすい状態だったのではないかということである。オダネル氏が目に焼き付けた少年の唇ににじむ血も、彼の悲痛な心情とともに、被ばくの事実を示すものなのかもしれない。

※再追記
今日午前に行われた長崎市の平和公園での平和祈念式典に出席した安倍首相は、3年連続、あいさつで核兵器禁止条約に言及しなかったそうである。

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